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110.青薔薇の貴公子5

お待たせしました!

「もう一度だけ、私と踊って頂けませんか?」


 涙に濡れた瞳で、レベッカは私をしっかりと見上げている。


 確かに、レベッカとのダンスは、終始俯き気味だった上に、彼女の手によって中断された。一曲踊ったとは言い難い。


 けれど、私は困ってしまった。だって、ダンスは一夜に一人一曲と決めているからだ。何度も手を取り合えば、必ず噂になる。だから、私は『クリストファー』になった時、お父様やお母様と約束をしたのだ。戻った時にお兄様の迷惑にならないように、一夜に二度は踊らないこと。そして、ダンスの相手を偏らせないことを。


 一人一曲に制限していても、毎夜同じ子の手を取れば、簡単に噂になる。社交界とはなんと生き難いものなのか。好きに手を取り合って笑い合える方が楽しい筈なのに。


 そんな理由を彼女に説明するわけにはいかない。ここで無下に断ってしまったら、また泣かせてしまうのではないかと不安になった。けれど、彼女だけ特別が許されるとも思えない。


 真っ直ぐに伸びた琥珀色の瞳は、雫を携えながらも強く輝いていた。だからというわけではないけれど、私は首を横に振る。


 「仕方ない」と手を取った特別は、きっと彼女の望む特別ではないのだから。


「ごめんね」


 私の言葉に彼女は落胆するだろうか。もしも、この場限りと手を取れば、彼女はこの思い出を大切にしまっていてくれただろうか。私の胸に渦巻く不安を簡単に消し去ったのは、他でもないレベッカの笑顔だった。


 私の予想に反して、レベッカは口角を上げる。


「良かった。もしも『良いよ』って言われたら、思いっきり引っ叩こうかと思っていましたから。そしたら、ここに居る全員に恨まれる所でした」


 レベッカは、はにかむように笑った。


 レベッカに思いっきり引っ叩かれる所を想像して、私は小さく身震いした。頬に紅葉を作って踊る姿は。少々格好がつかないもの。


 上っ面だけの返事をしなくて良かったと、私は胸を撫で下ろした。


「クリストファー様は、それで良いんです。だって、皆の王子様ですもの。特別な人ができるまで、これからも、皆の王子様でいて下さい」


 レベッカは皺だらけのハンカチーフで涙を拭った。私は、レベッカの言葉に曖昧に笑う。だって、女の子を泣かせたまま終わるような王子様はいないもの。笑顔にしてこその王子様だ。


 だから、私の役目はまだ終わっていない。彼女ともう一曲……は無理だけれど、他の方法で笑顔にすることはできるはずだ。


「ダンスは踊れないけど、もしよければ、最後まで責任をもってエスコートさせてくれないかな? 花の国のお姫様」


 私は彼女に手を差し出した。もしかしたら、手を払われてしまうかもしれない。それでも、彼女をこのダンスホールの真ん中に置いていく訳にはいかなかった。


 最後はとびきり笑顔で別れを言おう。私は優しく微笑んだ。レベッカは、そんな私を見て、小さくため息を吐く。


「やっぱり狡いです。そんな風に優しくされたら、振られたからって、すぐに忘れられる訳無いじゃないですか」


 レベッカは困ったように笑った。そして、私の手に手を重ねる。グローブ越しにレベッカの熱を感じながら私は肩を竦めた。


 次の曲が始まる時、私達は人の合間を縫ってダンスホールを抜け出した。レベッカにお願いされた彼女の兄の元まで、連れて行く為に。


 きっと、妹を泣かせたと憤慨しているに違いない。しかも、どこからも良く見えるダンスホールの真ん中だったのだ。私は何と言ってレベッカを返したら言いかと内心気が気じゃなかった。けれど、レベッカの兄は私を怒らずに、レベッカを叱った。


 兄の手に掛かると、あのいじらしい姿は影に隠れ、調子よく会話の応酬が始まる。私は間に挟まれて、レベッカとその兄の間を行ったり来たりしていた。


「もー! 信じらんないっ! お兄様の馬鹿! 間抜け!」

「ベッキーが猫被ってるからいけないんだろ」

「うるさい! もう、お兄様は黙ってて!」


 頬を朱に染めていた姿は何だったのか。今は顔を真っ赤にして、彼女の兄と睨み合っている。同じ赤でもこうも違うとは。私は呆然と二人の兄弟喧嘩を見つめた。彼女もまた、レベッカ・レガールという仮面を被っているのかもしれない。そう思うと、何だか親近感が沸いた。


 終わらない言い合いを見ながら、私は思わず笑ってしまった。だって面白かったのだもの。私はお兄様とは、こんな風に喧嘩したことはなかったな。なんて、思い出す。レベッカの家はきっと賑やかなのだろう。


 私のことなんて忘れて、涙も引っ込んで、レベッカは兄と喧嘩を始めた。結局、涙を消したのは、王子様ではない。


 私の力なんて必要なかったんだ。そのことがなんだか可笑しくて、私は小さく肩を揺らした。どうにか堪えていた口の端も、次第に堪えられなくなって、私は口元に手を当ててやりすごそうと必死だ。


 けれど、二人はキョトンとした顔で私を見る。兄妹なだけあって、そんな顔が良く似ていて。それがまた面白くて、私は重ねて笑った。


「クリストファー様……?」

「ごめんね。とても仲が良さそうだったから、ついね」


 私は目じりに溜まった雫を拭いながら、レベッカに謝罪すると、彼女は複雑そうに笑った。


「いつもより、今の方が数倍素敵だよ」


 レベッカはどちらかというと、恥ずかしがり屋でお淑やかな女の子だと思っていた。けれど、今は元気な可愛い女の子だ。その方が何倍も笑顔が素敵だし、彼女には合っている。


「あー、クリストファー様。あまりベッキーを褒めないで下さい。こいつすぐ調子乗るから」

「あー! もうっ! お兄様は黙ってて!」


 レベッカは、ぴょんっと跳ねると、兄の口を両手で覆った。もごもごと何か言っているけれど、私にはどんなことを言っているのか分からなかった。


 レベッカは、兄の口が閉じたのを確認すると、兄を壁に追いやる。そして、私の前まで戻ってきた。後ろで彼女の兄は何か言いたげに彼女を睨んでいる。いつものことなのだろうか、彼女はそんなことを気にする様子は一切無く、私を見つめた。


「クリストファー様。やっぱり私、貴方が好きです。たった一回振られたくらいじゃ、諦められません。だから、早く素敵な人と結ばれて、私を諦めさせて下さい。でないと、新しい恋ができませんから」


 レベッカが、私の手を両手でしっかりと握った。真っ直ぐに見つめられた琥珀色の瞳に、胸が跳る。恋心というのは複雑なもので、簡単に乗り換えが効くほど、操作が簡単なものではないのかもしれない。


 けれど、いつか私のこともすっかり忘れて、本物の王子様に出会えるだろう。だって、レベッカはこんなに素敵な女性なのだから。


「レベッカ嬢」

「はい」


 グローブに隔たれていても、彼女の熱が伝わってくる。彼女は、私を最初に王子様にしてくれた女の子だ。ずっと「ありがとう」が言いたかった。本当の事は言えないけれど、少しでも伝わればいい。


「好きになってくれて、ありがとう」


 大きな瞳が揺れる。そして、笑顔の花が咲いた。向日葵のような大輪の花だ。


「はい」



 ◇◇◇◇



 レベッカと別れれば、私は多くの人に声を掛けられた。数人の令嬢の輪に誘われれば、誘われるままに会話に参加する。そして、話に区切りがついたところで、ダンスに誘った。


 大人の監視がないとあってか、いつもより、女性からダンスに誘う姿も見て取れる。女性からの誘いはあまり褒められたものではないと、言われているだけあって、普段は見ない様子だ。それが新しい時代の流れのような気がして、私はなんだか嬉しくなった。


 見つめ合ったまま、二人の世界に入り込む男女もいれば、相手に自分の想いを伝えようとしている姿もみかける。


 庭園に誘い出す姿も見受けられる。冬には良い話が沢山聞くことができるのではと、私は頬を緩ませた。


 そんな雰囲気に馴染まない一輪の花がある。


 たった一人で壁にもたれ掛かって、ダンスホールで回る男女を見ているのだ。どこかもの悲しげで、楽しいパーティには不似合いだ。胸がざわつく。私は、周りからの誘いを断りながら、一直線に小さな花に向かった。

















いつもお読みいただき、ありがとうございます。


レベッカの話は一話で終わる筈だったのですが、二話分も使ってしまいました。


楽しんでいただけたら嬉しいです。

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