5話
リナリアは食事を終えると執務に再び戻った。兄のサミュエルは機嫌が悪かったが。リナリアはエドワードをひたすら見ずに執務に集中した。そうでもしないとサミュエルの視線が怖かったからだ。
紙でエドワードが手を切ってしまい、執務が終わるとリナリアはすぐに彼に近づいた。
「あの、エド様。左手から血が出ているわ」
指摘するとエドワードはああと言って左手を上げてみせた。
「これくらいだったら知れてるよ。消毒さえしておけばすぐに治る」
「それでも書類に血が付いても困るわ。私が治しますから」
「リリィ?」
リナリアはエドワードの左手を両手で握ると目を閉じる。集中しながら治癒の呪文を唱えた。
「…かの者の痛みを鎮め給え」
短くそう告げるとエドワードの左手にあった切り傷はたちまち無くなってしまう。出血も止まり彼の手は綺麗な状態になっていた。
「傷が無くなった。君の力のようだな」
驚いたようにエドワードは左手を見つめた。「祖先から引き継いだ力だわ。初代の大公妃の持っていたのよりは弱いけど」
「そんな事はないよ。けど、大公家の方々には不思議な力があるというのは本当だったんだな」
「ええ。兄上も治癒の力を持っているわ。私も小さい頃、怪我をしたらよくお世話になっていたの」
リナリアが言うとエドワードはへえと感心したように興味津々の表情で見つめてくる。
「なるほど。確かにサミュエル殿下も俺や騎士などが怪我をした時は治癒の力で治してくださった事がある。あれを初めて見た時はかなり驚いたな」
「そう。兄上は治癒の力は強いから戦いがあったとしても他の兵たちにとっては心強いと思うわ」
「…そうだね。サミュエル殿下は文武両道でいらっしゃるし頭が切れる。剣術もかなりの腕だから将軍としてもそれなりの働きをするだろうな」
エドワードがそう言いながら頷いた。リナリアは複雑な気分になる。
「でも、私に婚約者ができたからってエド様に意地悪をするのには困ったわ。ああいう所さえなければ尊敬できる兄上なのだけど」
「リリィもなかなか手厳しいね。まあ、当たってはいるけど」
二人して苦笑いしあったのだった。
エドワードと話をしながら自室に戻った。ドアを開けて中に通してくれる。リナリアは一人で入ろうとしたが。何故か、エドワードも入ってきた。驚いて奥に逃げようとしたが。強引に腕を掴まれてソファまで引っ張られる。
「エドワード様?!」
声をあげるとエドワードはしぃと口元に人差し指を当てて静かにと小声で告げた。戸惑いながらもリナリアは言われた通りにする。
「悪いね。ちょっとサミュエル殿下には内緒で来た。リナリアと二人きりになれる機会は少ないからな」
「はあ…」
「リリィ。とりあえず、寝室に行こうか?」
エドワードが色っぽい笑みを浮かべながら誘ってきた。リナリアは突然の事に慌てる。
「え?!」
「つれないな。結婚したらキス以上の事はするんだから。予行演習くらいはしておかないと」
にこやかに言われたがリナリアは余計に焦っていた。
「何で予行演習が必要なんですか?!」
「そりゃあ、俺が我慢できないからに決まっているだろう。最後まではしないからさ」
「…何か余計に駄目な気がするんですけど!」
リナリアが言い返すとエドワードは余計に爽やかさまで感じるほどの笑顔になった。仕方なく侍女を呼ぼうとしたが口を手で押さえられる。
「侍女を呼ばれると困るんだよ。仕方ないから実力行使で行かせてもらう」
エドワードはそう言いながらリナリアの腕を引っ張って横抱きにした。ぐんと距離が近くなり慌てて彼の首に両腕で掴まる。
「じゃあ、行こうか?」
「嫌です。エドワード様、無理矢理は良くないと思うんですけど」
「そう。俺は嫌じゃないけどな」
エドワードはさらりと口にすると歩き出す。寝室の前まで来るとドアを片手で開けてから中に入った。
ベッドに丁寧にリナリアを降ろすとエドワードは着ていたジャケットを脱いで近くにあったソファに放り投げた。タイを緩めると襟のボタンも二つほど外した。
リナリアはこれから行われる事に茫然自失になっていた。エドワードが近くにやってきてから我に返ったのだった。
「…リリィ」
掠れた声で名を呼ばれる。エドワードはベッドに上がると半身を起こしたリナリアにぐいと近寄った。そして、彼女の肩に垂らしてある髪の一房を手に取りキスをする。
「エドワード様?」
「ごめん。怖がらせたみたいだな。無理強いはしない」
そう言いながらリナリアの背中を撫でてきた。驚いているとエドワードは彼女の額にまたキスをする。
温かくて柔らかな感触に顔が熱くなった。リナリアは戸惑いながらもエドワードを見上げたのだった。