2話
リナリアが兄の執務室にたどり着くとエドワードはすっと彼女の側から離れていった。それを寂しく思いながら自分用の執務机につく。
兄のサミュエル皇太子は執務室の中心にしつらえられた机に書類を積み重ねて座っていた。リナリアは深呼吸をして自身の机に置かれた書類に目を通した。
そこには建設途中の橋や堤防についての報告書などが山と置かれている。リナリアは右下や端の方を見てみた。捺印が必要だと思われる箇所もあり、採用と不採用に分けていく。自身でも霊力を制御する上での霊石が産出される鉱山の採れ高などをまとめていった。いわゆる報告書だ。
姉や妹たちは難しい事はわからないと言ってやりたがらないが。リナリアはサミュエル皇太子と同母の兄妹故に幼い頃から兄や父を支えたいという思いはあった。それが今の形で実現しているので願ったり叶ったりではある。
「…リナリア。とりあえず、採用にした書類をこちらに持ってきてくれ。不採用は侍従に渡したらいい」
「わかりました。兄上にお渡しする書類はこちらです」
そう言ってリナリアは椅子から立ち上がった。採用にした書類をとんとんと揃えてからサミュエル皇太子の机に持っていく。
「こちらになります」
「ありがとう。エドの分も持ってきてくれ。ジェイミー」
皇太子はリナリアに礼を言うが。立ち上がり、彼女をさりげなく助けようとしたエドワードに冷たい視線を送る。気づいたリナリアはじとっと恨みがましい目付きで皇太子を睨む。自分の目の前でいちゃつくのはやらせないというつもりらしい。エドワードは少し残念そうな顔つきをしながら席についた。リナリアも自身の席に戻ると執務を再開した。
静寂が人一倍、身に染みるリナリアとエドワードだった。
執務を終えるとリナリアは自室へ戻ろうとした。そんな時にエドワードが声をかけてくる。どうしたのかと思って振り向いた。
「あの。私に何か?」
「…姫。もしよろしければ、これからお部屋に伺っても良いでしょうか」
「え。私の部屋に?!」
驚いて問いかけるとエドワードは言いにくそうにしながらも説明した。
「はい。その、恥ずかしながらわたし達は婚約をしている者同士。いつもは執務で忙しくて会うこともままならなかったでしょう。今日は執務が夕刻までに終わらせられましたから。お茶の時間くらいはよいかと思ったのですが」
「ああ。なるほど。確かに最近は忙しくて時間の余裕がなかったですものね。わかりました、お茶でも一緒に飲みましょうか」
「わかっていただけて何よりです。では行きましょうか」
エドワードはにこやかに笑いながらリナリアに手を差しのべてきた。躊躇しながらも彼の手に自身のそれを重ねた。思ったよりもすらりと指は長く大きな手だった。温かくてゴツゴツとしたものでリナリアの手とは全く違う。そんな事に驚きつつ、二人して手を繋いで歩いた。
あれから、リナリアはエドワードと共に自室に戻った。侍女のルミネが紅茶や茶菓子を用意してくれる。今日はエドワードもいるため、渋めのアッサムティーにした。茶菓子も甘味の少ないクッキーやレモンパイにしてある。エドワードがレモンパイを好きなのは妹のメアリアン経由の情報だ。後、スコーンもありこれにはチーズと胡桃が小さく刻んで入れてあり、塩味とほのかな甘みがおいしい一品だった。エドワードはスコーンを皿に置いてフォークで切り分けながら美味しそうに食べている。
(アン様にエドワード様の好みをいろいろ聞いておいてよかったわ)
小さくため息をつきながら紅茶を口に運ぶ。リナリアはクッキーを少し摘まむくらいでほとんどエドワードがたいらげていた。
「…エド様。お腹が空いていらしたようですね」
「あ。気づいておられましたか」
「ええ。私が用意するように言っておいたクッキーやスコーン、パイを黙々と召し上がられていますから」
リナリアはふふと笑う。エドワードはよく見ていますねと言いながら苦笑いする。昼の日差しは秋特有のものだがまだ暖かい。
「姫。いや、リリィ。最近はサミュエル様が妨害してくるから二人で会える時間も少なくなったな」
エドワードがいきなりくだけた口調になる。彼がリリィと呼ぶのはごく親しい身内がいる時や二人きりの時くらいだ。リナリアはそう呼ばれた途端に心臓がとくりと鳴るのを感じる。
「そうだわ。エド様も気づいていたのね」
「まあな。あれには困ってる」
「本当よね。兄上も何を考えているんだか。私やエド様だっていつまでも子供じゃないんだから。放っといてほしいわ」
リナリアが怒りながら言うとエドワードは切り分けたスコーンを口に運びつつもいった。
「…まあまあ。サミュエル様にも思うところがあるんだろ。けど、リリィを困らせるのはいけないな」
「…エド様はどうでもよさそうに聞こえるわ」
「別にそんな事は思ってないよ。どうでも良いとは言ってない」
エドワードは首を横に振りながら否定した。リナリアは本当かしらと思いながらもそれ以上は突っ込まないでおいた。二人のお茶会は和やかに進んでいったのだった。