僕は天使にからまれた
「おい、まって、まってよ、マリル、もう少しだけ」
「じゃあね、バイバイっ」
漆黒の穴に落ちていく、マリルの顔。
2週間の我慢のはずなのになぜか、恐ろしく遠くへ行くような顔だった。
僕は失望のあまり、目眩とともにその場にへたり崩れる。
間が覚める。
夢を見ていた。
バッと起き上がる。
昨日起こった出来事、マリルが堕ちていく様の夢。
記憶の再生が悪夢になる。
周りを見る。
窓のブラインドの隙間から陽の光が漏れている。
まだ、夜になっていないな。
3人がけのソファーにはケモミミ少女ノシルバー、筋肉オオカミ男4人は床の上で寝ている。
キングサイズのベッドに僕とレティの2人。
レティは横になったまま僕を見つめている。
「おはよ、リュートさん。マリルの夢を見てたんだね」
「おはよう、レティ。うん、見てた」
今の時間は朝ではない。
夕方だ。
時間的に「おはよう」の挨拶は変なのだが、寝起きの挨拶として返した。
まあこれでも一応、僕ら闇属性はこれからが一日の始まりになるので、そういうものとして納得する。
「リュートさん。エンドさんの言ったこの世界での2週間って意味、わかる?」
レティは僕がみた夢を共有しているようだ。
まあ、僕の考えていることがわかるので当然といえば当然なのだが。
その上で、昨日の話を振る。
「単純に14日でしょ。昼と夜で1日、それを14回繰り返すでいいんじゃね?」
「半分正解ね。だけど残り半分の答えが非情に厳しい意味を含んでいるの」
「どういう意味かな」
「この世界と地獄の世界の時間の進み方がまるで違うのよ」
「うん?」
レティはゆっくり僕から視線を外し、天井を見つめる。
「この地獄のことは、わたしの尊敬するおば様から聞いた話なの。おば様はね、自ら地獄に行き、ケルベロスを下僕にしようとして数年間潜入したの。どうしてもうまく行かなくてこの世界に帰って来たけど、出発から数時間しか経過してなかったと驚いていたわ」
「レティのおば様ってマリルよりもむちゃくちゃだね」
「ええ、むちゃくちゃよね。でも、城と城下の森からほとんど出たことのない私にとって、おば様のみやげ話は楽しかったし、いつも尊敬と憧れを持ったものよ」
「だから、マリルのことが好きなんだね」
「ば、バカなことを言わないで。おば様はマリルとは違うのだから」
「僕にはわかる。レティが僕の考えている事がわかるように、僕はレティの考えていることがわかるよ」
レティは下僕である僕との主従関係の呪的契約により、僕の考えていることが手に取るようにわかるが、僕はレティの考えていることを自由に知ることは出来ない。
だが、レティの親しい者に見せる言動により、その心の内はどんなに隠してもわかりやすい。
レティはマリルを数少ない友人であり、幼なじみであり、親友であり、ライバルである。
なんだかんだ言ってもマリルの傍若無人ぶりにしっかり付き合ってるし、罵声には罵声で返している。
千回以上のケンカの勝敗を覚え、こだわっているところからもマリルに対し相当な思いがあるのが明白だ。
マリルが僕を連れて現れ、親しくなれたことに感謝すら感じていると言っていた。
そして今、ここにいないマリルに対し寂しさと気遣いを含めた声で僕に話しかけている。
「この世界の時間と、地獄の時間はまったく別物なの。私達はこの世界で普通に2週間過ごすとして、地獄に堕ちたマリルが再びこの世界の2週間後に戻る。ここまでは普通にわかるわね?」
「うん、そう理解している」
「私達に流れる時間は2週間、マリルがこの世界に現れるのも2週間後、しかし、地獄にいるマリル自身が滞在する時間ははるかに長く、数十年かかるということなの」
「時間の進み方が違う……、時間のズレがあるということだね。僕達が過ごすたった一日で、地獄にいるマリルは数年分すごしているということだね」
レティは起き上がり、自分の髪をすく。
透き通るようような白い肌が生命感を感じさせない人形のように美しい。
真っ赤な唇だけが唯一彼女に生命が宿しているのを思い出させる。
「そういうこと。そのことで覚悟しなきゃいけないことがあるの。再び出会った時にマリルがずいぶんと変わってしまうはず」
「ん? あ、マリルは僕達との思い出が何十年前の出来事になるのか。曖昧になったり、忘れたりする事もありえるんだね」
「そうね、他にも容姿が変わるわ。成長もするし、身体に時間の影響もね。マリルは人間より長寿なので数十年程度では老化しないけどね。あと、間違いなく価値観も変わると思う」
「マリルは別人になるのか」
「思い出、記憶は残っているかもしれないけど、あなたやわたしへの思いが変化してもおかしくない」
「でも、とにかく探しだして会おうよ」
「ええ、あなたが望むなら探すわ。でもね、よく聞いて。エンドさんも言ってたでしょ『地獄での処罰というものは想像を絶するもの』って。地獄ってのはね、落とされた罪人をはるかな時間をかけて刑罰を与えるところなの。それはもう、どんな大罪を犯し欲に満たされたものでも、一体何でここに来たのか理由すら、存在すら忘れるほどの時間をかけてね。獄卒と呼ばれる処刑人が罪人を追いかけまわし、切られ刺され潰され焼かれ続ける。肉塊になっても灰になっても痛み熱さなどの苦痛がつづく。生温かい風が吹けば罪人は元の姿に戻り、責め苦は繰り返す」
「まさに地獄だね」
「ええ、それが地獄よ。マリルが行ったのは焦熱地獄、地獄界でも中間層のあたり。この世界ではたった2週間でもマリルが地獄に滞在する時間はおそらく数十年」
「なんだか頭が混乱してきた。マリルは、マリルはどうなるの?」
「リュートさんと一緒にいた時間よりもずっとずっと長い時間を地獄で過ごすから、人格や価値観が変わると思う」
「僕のこと忘れているのかも」
「そうね。でも仕方ないこと」
「それでも僕は探すよ。そうしないと決着しない。ちょっとシャワー浴びてくる。あとで美味しいパンを買いに行こうよ」
僕は我慢できなくなった涙と心の内のもやもやを洗い流しに行った。
◆
オアシスの池のほとり。
こおばしくて美味しいパンで評判の屋台の前。
神族の下僕である天使族の少女達が、あの気のいいパン屋のおやじに穏やかでない商談を持ちかけている。
その数6人。
黒の眼帯をしている者。
バンダナマスクをしている者。
色鮮やかな長ロングなモヒカンは当然デフォ。
釘バット、鉄パイプ、ジオン軍MSのザ○のようなトゲのついた肩パット装備。
まさに世紀末に湧いてできたようなパンクぶりに感動すら覚える。
「ひやっはぁー。俺たち唯一神『聖母レムリアス』様の御言葉を広める布教団、聖天使連合の先遣部隊だあ」
「おっさん、喜びな。おっさんの隣に教会建てっから、毎日寄付とお祈りが出来るぜ」
「あはー、おっさん、これでレムリアス様のご加護でくっせえパンの売上倍増、おっさん超ハッピーな毎日だねー」
「本当はおっさんみたいな不浄な魔族でもレムリアス様のご威光で清廉潔白、完全無欠のイケメンになれるかもよ」
「つーわけで、早速寄付としてそのパン、喜捨しな」
よってたかっての布教という名のカツアゲである。
「お、お前さんたちが隣にきたら商売上がったりだ」
「はーん? 聞こえんなあ? 罪深き子羊が血迷ったのかなあ?」
「おっさん、罪ってのはな、焼いて消すもんだぜ。地獄でも罪人は焼かれるって聞くだろ。ぎゃはは」
「うーし、これからこのおっさんに神罰を与えよう。ウェルダンまでしっかり焼いちまいな」
「そ、そんな、殺生な……」
薄汚れた世紀末風味な天使族の少女たちは、パン屋のおじさんを取り押さえ、屋台に燃油をたっぷりかけ始める。
道行く人は、この天使たちの傍若無人ぶりにおののき、見て見ぬふりをして通り過ぎて行く。
僕とレティは、天使たちが燃油をまき散らしている時に、出くわした。
マリルが立ち寄ったあの美味しいパンの屋台だ。
ちなみにシルバー以下、オオカミ男たちはホテルに置いてきた。
「す、すごい。なんていう堕天使ぶり……」
「「「「「「あーん、なんだって!?」」」」」」」
思わずつぶやいた言葉に、彼女らは過剰に反応し、僕をガン見する。
「イヤ、その。オジさン、ぱンを7コくダサい」
思わず声が裏返った。
「そこの汚れたキンバエさん達、ぷんぷんたかってるとせっかくのパンが台無しだわ」
レティさん、お取り込み中なところにガソリンをぶっこむような言葉はイクナイ。
ま、予想してた通り、レティがケンカを売ったのだが。
「ウチらの神聖な布教活動に文句あるわけ?」
「それに堕天使とはなによ? あたしらはれっきとした天使よ」
「不浄、こいつら不浄だわ。特製の聖水をぶっかけてやるーう」
天使のひとりが僕の胸ぐらを掴み、何やら黄色い液体の入った小ビンを開け顔につきつける。
湿り気を含んだ生暖かい怪しい香りが鼻をくすぐる。
くっさ。
ちょ、まって、その液体!? らめぇ。
「ふふん。しぼりたてフレッシュ聖水よ。貴様の汚れを清めてやるからありがたく思え」
「天使様、ちょとまって! 放せ! 話せばわかる。それ、ダメ、絶対」
レティはすまし顔で近づき、天使の小ビンを持っている手をつかむ。
「はっ、放せ、不浄!」
「わたしに不浄は褒め言葉。あなた達の汚れっぷりもなかなかなものよ。でもね、大事な下僕をあたし以外の者が汚すのは許せない」
レティは掴んだ手を押し返し放す。
「な、何をバカなことを。この汚れたボウヤから聖水で清めてやらあ。くらえ、聖水!」
ぴっ、ぴっ、ぴっ。
僕を掴んでいた天使は、僕の顔めがけて聖水の小びんを激しくふりかける。
まるでピザにタバスコのビンを振りかけるように。
「うぎゃあああ、あああ、あ? あれ?」
僕は絶叫したが……なんにも起こっていない。
あのすごく嫌なフレッシュ聖水が一滴も出てない。
よく見るといつの間にか小びんの内部に色とりどりのワタや粘ついたモノがびっしり詰まっている。
「な、なんだあ。詰まってる、だと!」
「不浄を極めるとね、バイ菌すらわたしの下僕なのよ」
レティさん、高貴な貴族のなあなたには似合わないセリフですよ。
でも、かっこいいです。
天使たちは、激怒のあまり、顔を真赤にして睨んでいる。
「おい、こいつら取り押さえて強制懺悔だぁ」
「「「「「うぃーす」」」」」」
天使たちはそれぞれが粗末な武器をもって僕達2人を取り囲む。
「私刑の前に残す言葉は、アーリマセンカ? つか、残させねえ」
こ、こいつら、狂信を通り越してまるで暴走族だな。
町の外で珍走してろよ。
にたにた薄ら笑いしながら詰め寄ってきた。
間違いなく長期戦、殴られ続けるのは痛いのでやだな。
「リュートさん、すぐ終わるから手を出さなくていいわ。シルバー!」
ワゥー。
「うっ……」
「かはっ」
「うう」
ばたばたっ。
天使達は皆、呻きながら倒れた。
泊まっていたホテルの方から咆哮が聞こえたと思ったら、超速で銀色の髪の毛をなびかせたシルバーがあっという間に天使たちを次々と腹パン一発で制圧してしまったのだ。
乱闘になる前に素手で6人をK.O.なんて主のレティより強いんじゃね?
シルバーは、息を乱さず僕の方をドヤ顔で見ている。
ケモミミをピクピク動かしているところは小憎らしい。
「シルバー、よくやったわ。ご褒美よ」
ぴしっ。
「ああっ、ありがとうございます。よろしければ蹂躙した人数分ご褒美をくださいませ」
「存分に味わいなさい。ふんっ」
ぴしっ、ぴしっ、ぴしっ、ぴしっ、ぴしっ。
「はあ、はあ、ありがとうございました」
でた。
この様式美のような主従関係。
僕なんかは、レティの下僕にもかかわらず大事にされているが、シルバーにおいては大型肉食獣のような扱いなんだろう。
レジェンド・マスター・トレイナー。
彼女のもつ伝説級のムチの名だ。
僕は出会った時に一発もらったが、最初はものすごく痛いのに、心地よい余韻が続き、筋力等が向上したのが体感できる。
たくさんムチを浴びれば気持ちいいし、身体強化していいんじゃない? と聞いたことがあったが、依存性が強くて、主従関係が飼い主とペットとなり、心の通ったものとかけ離れていくという。
レティは僕との関係が主従関係であっても友であり、姉弟であり、恋人でもあることを望んでいる。
僕はまだまだ無力なんだよな。
マリルのような強い心、レティの支配力にはとてもかなわない。
でも、いつか守ってあげられるようになりたい。




