スモール・ガール
いくら少数精鋭、怪しさ満天な組織だろうと、部活動の域を脱しない以上は部長の命令は絶対である。その部長に帰れと命じられたのだ。こんなことで一々反旗を翻すわけにもいかず、来人と荘平は荷物片手に部屋を後にした。
案の定という程でもないが、やはりこんな時間まで生徒が残っている方が稀らしく、校舎内は人影なしで誰の声も聞こえない。もちろん三階にある部室自体がそもそも限られているので、これは吹き抜けから階下を見下ろした上での事実だ。
足音が酷く不気味に反響してくる廊下を、二人は並んで歩いていく。
来人自身、こうも後ろ髪を引かれる下校というのは経験がなかった。過ぎたことに囚われ実に女々しい限りだが、必死に切り替えようとしても依美のことが頭から離れない。
神奈の悩み事で進展があったかと思いきや、後味はこれなのだ。協力してもらいながら申し訳ないと思いつつ、今日を厄日にカテゴライズする。
「荘平は先輩との付き合いが長いんだろ? 電話の相手とか、あの妙な態度とか、何か知らないのか?」
「いやー、悪いっすけど、分からないっすね……。姐さんが俺の領域に土足で上がり込むことはあっても、俺の方から姐さんの領域に踏み込むことはそうないんで」
荘平ならあるいはと、根拠もなく期待したが呆気なく空振る。
第一依美は荘平の弱味を握っている側なのだ。下手に自分のことを探られ、逆に弱味を握られるような間抜けな真似、依美がするとは到底思えない。
将を射んと欲すれば先ず馬を射よ。聖賢は徳のある教えを後世に伝えたが、いつも上手く合致するとは限らないわけだ。依美が例えて挙げた五十歩百歩もその一つなのだろう。
「でもまあ……」
一度は否定した荘平だったが、うーんと唸りながら、自信がなさそうにぽつりと呟く。
「姐さんも、言う程強い人間じゃないっすから」
「ん? つまりどういうことだ?」
「なんて言うんすかね、こういうの。説明が難しいんすけど、その辺の女の子よりはよっぽど女の子っぽいというか……。どこか脆いんすよね。でも弱いって意味の『脆さ』じゃなくて…………って、言っててこんがらがってきた……」
内側のもやもやを表現しきれずに頭を掻き毟る。そんな荘平の空回りっぷりがあまりに見事だったので、思わず来人は吹き出してしまった。
女の子っぽい。その言い回しが核心を突いているかはさておき、来人には考えも及ばなかった見方である。出会って日が浅いというのも理由の一つだが、来人に接する依美の態度では魔王は連想できても女の子など連想できない。
荘平のおかげで思い出した。依美は何を思って自分に力を貸してくれているのか。当然のように享受してしまい、スルーしていた部分。そういう所にあるいは本質があるのかもしれない。
問題は曇ったまま解決していないにも関わらず、どこかで錨のように体を重くしていた憑き物がスッと外れた気がする。
いつの間にやら清々しい表情が前面に出ていた来人を見て余計混乱したのか、隣ではさっきにも増して荘平が頭を抱える。けれど途中から考えても無駄だと観念したようで、気づけば二人ともが、悩みなんてそっちのけで笑ってしまっていた。
そんな二人の背後から忍び寄る、ではなく、二人が向かっていた前方の階段を上って近づく小刻みな足音。ハイヒールのコツコツという歯切れのよい音が一定のリズムを刻み、壁や床に微小な振動を伝わせる。
真夜中の学校とは言えないまでも、日没後の学校ですらその貫録は十二分。加えて突然の事態ということもあり恐ろしげな想像もしかけた来人だったが、それらを無に帰す形で姿を現したのは一人の女性だった。
真っ黒なスーツで身を固めた端麗な女性。乱れのない黒髪が後ろで一つにまとめ上げられ、冴え冴えとした瞳は美しさの中に棘を潜ませたバラのように見るものを威圧する。二十代の若々しさが映える一方、整然たる一挙手一投足に円熟した大人の品格が見え隠れする。
女性の頭の天辺から足先まで観察した来人には、その種の人間に心当たりがあった。今まで何度も仕事中の母親を近くから眺めてきたからこそ分かる。その女性が自分の母親と同種であると。
階段を上りきったところで来人と荘平に気づいた女性が、静かに会釈する。そして戸惑う二人の横を抜け、来人たちが今来た方へゆっくりと歩いていってしまった。
ある種セキュリティが厳しい学校という公共施設を堂々と徘徊している辺り、おそらくは正式に手続きを踏んでいるのだろう。少なくとも不審者という印象はない。
なのだが、女性の纏う一風変わった雰囲気に、来人の意識はしばし宙に浮いていた。
「あの人」
荘平は振り返り、遠ざかる女性の後ろ姿を見つめている。
「……知り合いか?」
「いえ、名前も知らないし、俺の知り合いじゃあないっすけど……」
廊下の奥へ吸い込まれるように女性は歩を進める。そのまま暗闇の中に消えてしまうのではないか、そんな非現実的なことさえ考えたが、当の女性はある部屋の前で足を止めた。
この階で唯一明かりが灯る部屋。今もなお依美が残っている部室である。
女性は二、三回ほどドアをノックする仕草をすると、なんの障害があるわけでもなくその部屋の中へと姿を消した。
「あの人を知ってるのは、多分姐さんかと。姐さんがあの女の人と話しているところを何度か見てますから」
「じゃあ客人が来るから俺たちを帰らせた、のか?」
なら言って説明してくれればいい。そう順序立てて解散を促してくれたなら、それならこんなに気を揉む必要もなかった。
それを依美は望まなかったのだ。ということは、意識的にしろ無意識的にしろ、自分の関わる何かに対して来人や荘平の関与を避けたということだ。
やはり依美が抱えるその何かとやらは、一朝一夕でどうにかできるような安易な問題ではないということなのだろう。
無論一方的に爪弾きされていい気分がするはずはない。けれど黙秘は拒絶と等価。依美にとって依頼者と協力者の関係でしかない来人には、自ら壁を作った依美に歩み寄ることが、どうにも憚られた。
グラウンドの照明塔から届く光と独自に設置された野外灯の光、そして校舎内から漏れ出た光。三つの光に照らし出される中庭は、夜のイメージを払拭してしまう程底抜けに明るい。
中央に寄せて植えられた桜の木々は、先月には満開に咲き誇っていた花もすべて舞い散り、今はもう枝が剥き出しの状態である。それでも夏の青葉に向けた過渡期と見れば、そういう桜の姿も凛々しく映える。
そして極めつけは小川のせせらぎ。木々に囲まれた中心に水の湧き出すポイントがあり、溜まった水が水路へ誘導されて流れていくという、この学校の名物だ。いち高等学校の設備としては余分としか思えないこの小川については、現理事長が自分の趣味で作らせた、というのが専らの噂である。
普通なら校舎に挟まれる窮屈さに目が行きがちな中庭も、光と自然の情緒で満ちているこの場所なら解放感に浸ることができる。その解放感を全身で浴びるように、一歩踏み出した荘平が両腕を夜空にかざして背伸びした。
「はぁ。しっかし、今日程無事に月を拝めたことに感謝したことはないっすね。生きてきた中で断トツに不幸な一日だったっす」
「う……」
おそらく不意に出てしまった感想なのだろうが、来人の良心は聞き逃すことをよしとしない。罪悪感を宙釣りにしてキリキリと締め上げてくる。
「データの件は決定事項として、それでも足りない気がしてきた……」
「い、いや、そんなつもりで言ったわけじゃ……。それに俺、演技とはいえ来人さんのことを散々罵ったんすよ? だから折り合いがつきにくい部分は痛み分けってことで、そうしません?」
「……荘平」
来人は荘平の背後に菩薩を垣間見た気がした。言うなればモラルの結晶。少々度が過ぎている感じもするが、そこがまたいい。
自分の目先にあった荘平の肩へ来人はポンと手を置いた。
「お前は本当に人がいいよ。先輩が鴨にしてからかう理由が分かった気がする」
「そこは分からないで欲しかったっす……」
小川の流れに沿うようにして中庭を歩いていくと、清らかな水の音に混じり、遠くの方から足音やら叫び声やらといった騒音が聞こえてくる。野球部、サッカー部を代表としたスパルタ運動部に甘えた時間制約など許されないので、おそらくその辺の部活が走り込みでもやっているのだろう。
オブジェ代わりの植込み付近までやって来た所で、思い出したように荘平が携帯電話を取り出した。
「そうだ来人さん、せっかくの機会だし、連絡先を交換しとかないっすか? 協力してもらう以上は連絡が取れた方がいいでしょう?」
「だな。部室で話してたら先輩に筒抜けだろうし」
来人の方も携帯を出し、赤外線でデータを送る。荘平からはデータをメールに添付してもらい、それを保存して交換完了である。
アドレスを直接打ち込まなくて済むのは助かる、などと他愛もない話で盛り上がる二人。その楽しげな空気をぶち壊す形で、そいつは突っ込んできた。
ダッシュの勢いを殺し切れずに来人へ衝突。そして来人諸共コンクリートの地面へと倒れ込む。
「っつう……」
「ちょ、大丈夫すか、来人さん!」
幸いなことに来人は擦り傷一つない無傷。それでもぶつかられた衝撃と堅いコンクリートからの反動は、明確な痛みとなって体に沁み渡っていく。
相手の方はといえば、余程前傾姿勢で走っていたのか、苦痛に喘ぎながら頭を押さえていた。そんな姿勢で走っていればそりゃあぶつかる。完全に前方不注意。自業自得というものだ。
そしてなんの因果か、間抜けというフレーズが似合う加害者は、来人がよくよく知っている人物だった。
「お前……伊月か」
「へ? って、あれ? ……来人?」
夜の帳が下りたところで一ミリも補正されない童顔持ちの男。むしろ体の悪さだけを露呈してしまった残念な男。どの角度から見ても紛うこと無き来人の親友、伊月である。
未だ頭を押さえたままの伊月より先に腰を上げ、付いた砂を払い落とす。相手が赤の他人なら被害者側の来人でも手を差し伸べる場面だが、伊月なので、いや伊月だからこそ手を貸さない。これこそ来人なりの流儀。
遅れて立ち上がった伊月を待ち受けていたのは、親友から向けらえた冷ややかな視線。
「人にぶつかっておきながら謝罪の一つもなしか……。随分と偉くなったんだな、伊月」
「ちが……ごめんて! 悪気はなかったんだよ。とにかく今僕急いでるからさ、ちゃんとした詫びはまた今度――」
そう言って足早に去ろうとする伊月を、来人は襟を掴んで静止させた。
「……な、なにかな? この手」
「いや、現実の非情さを懇々と知らしめてやろうかと」
「ガチな説教タイムですか!?」
逃げたら後悔するぞというプレッシャーをかけることで足に釘を打ちつける。
伊月も本能でやばいと察したのか、無駄な抵抗をせず、大人しく来人の方へ向き直った。けれどそわそわとして落ち着きは皆無。目が左右に行ったり来たりと忙しなく動き続け、尋常じゃない量の汗を頬や首筋に浮かべていた。
いつもと明らかに異なる伊月の様子は来人とて不可解だが、その前に所在なさ気に脇に立っていた荘平に気づく。
「言い忘れてたな。こいつは金戸宗平。お前に紹介してもらった烏野先輩の部下だ」
「……。え?」
「聞いてるのか? だから黒羽談合会の部員の一人だよ!」
「……あ、ああ! うん! 金戸、荘平ね……。聞いてる聞いてる!」
まるで絵に描いたような挙動不審。本当に脳へ情報が届いているのか酷く疑わしい。
「で、荘平、こっちが」
「楠伊月さん……じゃないっすか?」
まあともあれ次は順当に伊月を紹介する番だろう。そう考えていた来人を荘平の言葉が制した。
「へ? ……ああ、そうだけど」
初対面の人間からいきなり自分の名前を呼ばれたことは、今の伊月であっても流石に驚きだったらしい。鳩が豆鉄砲を食らったようにポカンとした顔をする。
もちろん驚いているのは伊月だけではない。来人だってその一人である。確かに来人は伊月の名前は口にしたが、それ以上のことは語っていない。つまり荘平は元々伊月のことを知っていたということになる。
「なんでお前が伊月のことを?」
「はっきり知っていたわけじゃないんすけど、イメージとか雰囲気とかでこの人がそうなんじゃないかって。大まかな特徴とか、いくつもの部活を荒らして回る歩く台風だとか、そんなことは聞いてましたから」
「聞いてた? 誰に?」
「姐さんっす」
あっさりと答えてみせた荘平とは対照的に、来人の方はしばらく理解が追いつかないで黙り込む。
――先輩が、伊月を知っている?
だがしかし荘平の証言一つでは、依美が伊月と直接的に面識があるのか、あるいは部活荒らしの噂伝いでその存在を知ったのか、どちらなのかは判然としない。可能性だけで考えるなら後者の方が高い気はするが。
仮にも部長という立場の依美なのだ。部活荒らしなどという如何にもな天敵に対して、何かしら情報を握っていたとしてもおかしくない。
「悪目立ちする伊月は当然のように先輩から目を付けられていた、と。つまりそういうことか」
「ま、まあ、心ならずも僕は有名みたいだしね。いろいろと人から印象付けられやすいってことかな……」
また随分と能動的な『心ならず』があったものだ。
自分の風向きが悪いやいなや、苦笑いと誤魔化しで追撃を往なすのが伊月の癖である。そんな伊月を卑怯だの臆病だのと悪く言う輩もいるが、実際は表層しか見せないというのが正しい。
核心に近づこうとしても逃げられる。表面的にしか触れ合わない浅い付き合いでは絶対に中を覗けないブラックボックス。
それなりの付き合いになる来人自身でさえ新たな発見があるくらいだ。
もっとも、中学から共に過ごしてきた四年間は伊達じゃない。何かを警戒するように浮き足立つ伊月、そこへ別種の焦りが生じたことを見逃す来人ではなかった。
「伊月、今お前、何かかく――」
「中庭だ! こっちの中庭から話し声がしたぞ!!」
「ひっ!?」
突然中庭に響いた男の声が来人の台詞を掻き消す。そして声に呼応して伊月からは極小な悲鳴が漏れた。
よく耳を澄ませば、水の音に紛れて声以外の音も聞こえてくる。遠くから近づいてくる複数の足音。声に導かれるように中庭を目指して駆けてくる足音である。
「なんすか? この足音」
「これって、確かさっきの……」
上手く事態が飲み込めないでいる来人と荘平目掛け、伊月は立てた人差し指を口元に寄せて必死の形相で合図を送っていた。
どうして声を潜める必要があるのか、一切合切意味不明なのだが、そうされると意図せずとも声が窄む。ほとんど脊髄反射である。
「その反応、お前は何か知ってるみたいだな。ならどういうことか説明しろ」
「いや、したいのは山々でも、説明してる時間がね……」
問い詰められて伊月が頬を掻く。余裕ゼロといった感じで視線を横へ逃がしつつ、今度は荘平の背中を押したかと思えば、そのまま植込みの方へと押しやった。
「え、えっと、伊月さん?」
「とにかくもう時間がない。僕はこいつと一緒に植込みの裏に隠れるから、後は来人の話術でなんとか誤魔化してくれ」
「はぁ!? 言ってる意味が分からないぞ!」
「頼むよ、来人。後生だからさ」
結局碌な説明もないままに、荘平を強制連行した伊月は茂みの向こうへ消え、来人だけが一人取り残された。
極まりが悪くなった時の伊月じゃあるまいし、誰に何をどう誤魔化せというのか。身勝手もここまで強行されると天晴れこの上ない。
無視して帰ってやろうか。謎の集団が中庭へ突入してきたのは、来人の思考がそんな投げやりな方へ傾きかけた時だった。
「この辺に絶対いるはずだ。草の根掻き分けてでも探せ!」
「見つけたら絶対に逃がさないわ!」
格好が制服なのでおそらくはこの学校の生徒。男女入り混じった生徒の集団が中庭へ足を踏み入れ、瞬く間に散開していく。端から数えると、人数は男子生徒四人、女子生徒三人の計七人。
そして皆が皆、左腕に『風紀』の刺繍が施された腕章を掲げていた。
――風紀委員……。
彼らの正体が分かると、伊月の注意散漫な疾走、消えない焦りの色、隠伏に誤魔化してくれの一言、すべての点と点が線で結ばれ繋がった。
伊月の話では確か、ここのところ風紀委員の活動が活発化し、再び伊月の取り締まりを厳しくし始めたらしい。その逃走劇とやらの最中に偶然来人と出くわしたから、上手いこと来人に露払いをさせる。つまりそういうことだろう。
来人は大きくため息を吐いた。事情が薄ら掴めると、その分余計に帰りたくなる。何が悲しくて伊月のツケを自分が肩代わりせねばならないのか、不愉快かつ釈然としないにも程がある。
それに何より、伊月本人が言い包めた方が手っ取り早く事が済んだはずなのだ。その道を捨てて人任せというのは、いくらビビりな伊月とはいえ、らしくなかった。
「探索は基本二人一組で行ってください。標的を発見したペアは一定の距離を保って牽制、別のペアが駆け付け次第四方に囲んで捕縛をお願いします」
いきなりした声に驚いて目を凝らすと、さっきまで三人だった女子生徒が四人に増え、忽然と姿を現した少女が指示を飛ばしている。といっても、忍者のように仰々しく出現したわけではない。
正確には『最初からいたと思われるも今まで見えていなかった』である。
鮮やかな群青色のリボンで髪をサイドに束ねた少女。少女の身長はおそらく百五十を切ってなお低い。少なくとも植込みに隠れて姿が見えなくなるくらいには。
「何か手を打ってこないとも限らないので、みなさん注意を」
小さな身体に似つかず、切れ上がった大きな目からは強大な意志が窺える。まるで幼い子猫が必死に毛を逆立てて威嚇しているかのような、威勢の中にも愛くるしさが滲み出る立ち振る舞い。
見覚えのある真剣至誠。
正義に全霊を注ぐ少女をかつて来人は知っていた。一人で戦っていたその少女や、少女の隣で道を示し続けたある男の背中。過去の静止画が記憶の断片として次から次へと蘇ってくる。
「あのー、そこの人、もうとっくに下校時間は過ぎてますよ? 用がないのなら早く学校の外へ」
指示と並行して茂みを探っていた少女が、ただポツンと立ち尽くしている来人に気づいたのだろう。愉快な効果音が付きそうな小走りで駆け寄ってくる。
目と鼻の先に少女を見たことで、来人の惑いは確信に変わった。
「荻島、だよな……?」
「え、どうして私の名前…………あれ? ひょっとして米谷先輩ですか?」
張り詰めた表情が一気に崩れ、目もガラス玉のように丸くなる。明らかに驚きを隠せないでいた。
だが衝撃を受けたのは来人も同じである。もう二度と会うことがないと考えていた少女が、今この時、この状況下で現れたのだから。
「久しぶりだな」
「はい、一年と二ヶ月のご無沙汰です。また会えて光栄ですよ、米谷先輩」
切り替えも迅速に驚きの波を引かせ、改まった態度になってぺこりとお辞儀する。いついかなる時でも礼儀を欠かさないのは実に彼女らしい。
そこから今度は無邪気な笑みで、自分の制服姿を来人へ見せつけるように、くるりひらりと体を半回転させた。
「不肖私、荻島 美蒼乃、今年の四月で晴れて志木西高校一年生になりました。ですので、どうぞ今後ともよろしくお願いしますね」
「あ、ああ、こちらこそ」
対面する来人はというと、美蒼乃の活力に押されていた。
生命力の源泉とでも言えようか。弾ける若さが滾々と湧き出で、美蒼乃を中心に周囲を包み込んでいく。
昔からそうなのだ。話している側が老いを感じてしまう程に美蒼乃は活き活きとしている。
最後に会ったのは中学の卒業式だったが、今も昔も美蒼乃は全く変わらない。礼儀正しさ、性格、身長、そして信念と歩んでいる道。
美蒼乃の方は、何一つとして変わらないでここにいた。
「荻島」
「なんですか?」
「その、いつき…………いや、それより」
来人はその視線を美蒼乃の左腕に巻かれた『風紀』の腕章に向けた。
「風紀委員か。……お前らしい選択だな」
「はい! なんと言ってもそこだけは絶対譲りたくない私の領分ですから。我裁く、故に我ありといった感じですよ!」
「そういうことをサラッと言ってのける度胸も相変わらずか」
誇らしげに胸を張る美蒼乃。風紀委員としての使命を全うし、己が道を信じて進む。来人を見据えた眼差しがそう宣言している。
その怖いまでの覚悟と闘志が来人の表情を苦々しく歪めさせた。
誰よりも二人の近くにいた者だからこそ理解でき、だからこそ悲痛な面持ちになる。今の来人はまさしくそれだ。
美蒼乃と過ごした時間は一年あまりと短いが、それでも彼女が誰よりも正義を重んじる人間だと知っている。悪意を嫌悪し、悪事を暴き、悪人を咎める。たとえ仲間外れにされて一人になっても孤軍奮闘する頑張り屋。
美蒼乃がそんな女の子でなかったなら、おそらく来人と美蒼乃は面識もないまま、一生出会うことはなかった。
だからこそ皮肉としか言いようがない。美蒼乃が美蒼乃だったが故に大切な人と巡り合い、今こうして悲惨な因縁が始まり、来人も苦渋を味わう羽目になった。
伊月が抱えた厄介事を丸投げしたのも頷ける。第三者の来人でさえこんな地獄染みた状況は願い下げだというのに、当事者ともなれば逃走も仕方なく思えた。
「ところで」
美蒼乃が黙ったままの来人を射竦めつつ口を開く。
「米谷先輩はここで何を? 格好から察するに帰り際で間違いなさそうですけど、どうしてこんな所でぶらぶらしてるんです?」
「いや、それは、だな……」
空気がひんやりとする。
美蒼乃は口籠る来人を訝しむように見つめていた。そこに久方ぶりの再会を果たした後輩としての顔はもうない。ただ規律を正す風紀委員としての顔があるだけだ。
「部活の、帰りだ……」
「それは答えになってませんよ。私はどうして早々に帰宅もせず、中庭に残っていたのかを尋ねたんです」
「いいだろ、別に。丁度帰るところだったんだよ」
「でも突っ立ってたじゃないですか」
「だからそれは……」
厳しい追及がじりじりと来人を追い詰めていく。もし美蒼乃が何もかも分かった上で尋問しているなら、その陰に潜んだ思惑は容易に推測できる。
それでも、万が一にも知らないという可能性に賭け、二人の対立が回避できる未来を望まずにはいられなかった。
「……どうして、俺が中庭にいたことにそんなに拘るんだ?」
『質問をしているのはこっちです』と、そうあしらわれることも覚悟した。しかし真剣に尋ねる来人の気持ちが伝わったのか、美蒼乃が考える素振りをする。
背後で捜索を続けている生徒たちをチラリと見てから、美蒼乃は徐に語り出した。
「今私たちはある人物を追っています。その人物が中庭に逃げ込んだ可能性があり、そこに米谷先輩がいた。事情を訊くのは当然ですよ」
「それは分かる……けど、そのある人物を、お前は知ってるのか? 一年生で委員会に入りたてのお前のことだ。もしかしてそいつがどこのどいつかも知らな――」
「米谷先輩」
捲し立てる来人の言葉を遮り、美蒼乃が自分の左腕を胸の前に持ってくる。そして風紀委員としての緑の腕章の下から別の腕章を引き出す。
朱色に染められたその腕章には、『副委員長』の四文字がくっきりと編み込まれていた。
「お前……」
「風紀委員が追っている人物を、私が知らないはずないじゃないですか。指示系統を委員長から任されたのが誰だと思ってるんです?」
言葉を失って呆然とする来人を置いてけぼりに、美蒼乃は虚ろな笑みを浮かべながら淡々と続ける。
「私たちが追っているのはあなたの親友、楠伊月ですよ」