表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
病みまくった幼馴染  作者: 白烏
5月 13日 (水)
4/22

スロー・トゥモロー

『美奈穂君、僕は君を世界中の誰よりも愛している。結婚しよう。僕と君でなら、きっと幸せな家庭を築ける』


『せ、先生……』


『すまない、君に辛い思いばかりさせて。でも誰が何を言おうと、僕が絶対、君を幸せにしてみせるから。その涙だって、僕の胸で受け止めてみせるよ。さあ、おいで』


『先生ッ!!』


『美奈穂君!!』


『私も……私も大好き! 先生のことが世界で一番好き! だから、だから…………』


『美奈穂君……』


『――私だけのモノになって』


 ブスリ。


『……み、みな、ほ、くん……? これ、は……血? ど、どうして……どうして君が、こんな、こと、を……?』


『ダ、ダメなんだよ、先生……。どうやったって、私と先生は……一緒にはなれないんだもん……。だったら……だったらこうするしかないじゃないっ!!』


『み、みな、ほ…………く』


『さようなら、先生。…………ずっと一緒にいようね』


 ブツリ。


 テレビの電源をゆっくりと消した。


「…………」


「は、はわぁ」


 来人の首筋を汗がダバダバと流れ落ちる。反面、神奈は興奮気味に顔を赤らめ、手で押さえるようにしながら感嘆しまくっていた。


「最高のラストだったね!」


「言うと思ったよ!!」


 とんでもバーローこんこんちきだ。帰った来人を夕食を準備した神奈が待ち構えており、一緒に食べようテレビでも見ようの結果がこれである。気まずさを紛らわすため、安易に家電へ走ったのが裏目に出た。


「なんでどいつもこいつも『好き』の次はズブリといくんだよ! 流行ってんのか!?」


「クル君、愛ってきっとそういうものなんだよ」


「絶対違う!!」


 それは愛が核兵器や生物兵器を超える最恐最悪の兵器なのだと唱えることに他ならない。事実ならそりゃあもう悲惨なことになる。人類は衰退する。


「でも私、美奈穂ちゃんの気持ちよく分かるな」


「お、おい神奈、さらりと怖いこと言うのやめないか?」


 テレビの雑音が消えた室内では、言にある種の箔がつく。


「好きな人と一緒になりたい。だけど、その人を取り巻く環境は酷く複雑で、自分が入り込む余地なんてなくて、それでも好きな人には自分だけを見ていて欲しいと強く思ってしまう。迷って、悩んで、うずくまってしまう。私、分かるよ」


「神奈……」


「だから――」


 次の瞬間、来人の左胸から鉛色の刃をもった包丁が生えた。


「――こうするの」


「は……?」


 飛来した包丁が来人の左胸に突き刺さり、肉をえぐっていた。血が止めどなく溢れ、鋭い痛みが遅れて伝わる。


「……嘘だろ?」


「嘘じゃないよ。ずっとこうしたかった。こうすれば、クル君は私とだけ繋がっていてくれる。誰も私たち二人を邪魔できない」


 反動で椅子が倒れるも、来人は胸を押さえながらなんとか立っていた。だが出血量があまりに多く、血液の循環が途絶え始め意識が朦朧とする。体が麻痺したように痺れ、痛みもどんどん曖昧なものになっていく。


 もう何も喋れなかった。ただ、霞がかる視界に入った神奈が、寂しそうに笑っているのが見える。そして言うことの聞かない体が傾き始める。


「一緒だよ、クル君」


 遠のく意識に、その声だけが鮮明に刻まれた。




◇◆◇◆◇◆◇




 ガツンといういかにもな衝撃音を奏でつつ、来人の頭に強烈な一撃が叩き込まれた。


「うっ」


 俯けていた顔を上げると、分厚い英和辞典を片手に持った三柴が机の前に立って来人を見下ろしている。


「最終時限に居眠りとは、随分と気抜けしたもんだな、米谷」


 脳が完全に覚醒するまでしばらく固まっていた来人だが、三柴の発言とクスクスと小さく笑うクラスメイトの様子から、自分がどこで何をしていたのかを把握した。


 そして、どうしようもないくらい来人は安堵した。


「先生」


「なんだ? 言い訳があるなら言ってみろ」


「夢オチって……存外悪くないですね」


「……はぁ? 何言っとんだ、お前」


 あー、俺生きてるんだぁ、という生を噛みしめるその実感。それは来人自身にしか分からない、ほとんど独り言と等価の呟きだった。


 昨日の夜、すなわち強制同棲生活初夜はつつがなく終えられはしたのだが、圧をかけすぎた神経は擦り切れ、疲労がこの時間にドッと押し寄せたのだろう。悪夢もその一症状というわけだ。


 来人の寝言とも思える発言に戸惑っていた三柴だったが、再び教壇に戻ってからの授業進行には取り立てて影響もなく、そう長くは待たずに授業終了のチャイムが鳴った。


「では、授業はここできりとする。SH前に帰り支度と清掃の準備をしとくように。以上」


 教室を後にする三柴の姿をぼんやり眺めつつ来人が頬杖をついていると、今度は後ろから小突かれたので、ゆっくりとその主の方へ向き直る。


「何か用か?」


 後席の主であるところの伊月が、何かを勘ぐるようなニヤリという笑みを浮かべていた。


「授業中に居眠りなんて、来人にしては珍しいね。それに夢オチがどうのって、神奈ちゃんのことで何か嫌な夢でも見たのかい?」


「まあ、そんな所だ」


 適当に話を濁す来人。話す手間惜しみというより、思い出したくないという理由が先に立つ。伊月としても来人のそういう内心を感じ取ったのか、ふーんと返すだけに留まる。


「そうなると例の人に頼む件は上手くいかなかったわけだね」


「いや、本人には会えたし、相談事も受理してもらった。ただ準備が入用いりようで、昨日はどうにもならなくてな。自力でなんとかした結果がさっきのあれだ」


 これが毎日続くとなると流石にやばいものがある。


「……へえ、あの人が、ねぇ」


 来人が一人憂う中、伊月は考える素振りをしながら、視線を宙に漂わせていた。勘ぐるような鋭い目つきではなく、何かを不思議がるような遠い目である。


「なんだ? まるで断られるのが当然みたいな口振りだな」


「ん、いや……なんというか、色々と噂が絶えない人だったし、懇願しても引き受けてもらえないんじゃないかってね」


「そう思うなら初めから奨めるなよ……」


 実際、伊月の心配は的を射ていたなと、来人は昨日の依美の態度を思い出す。途中までは明らかに渋っていた。決め手になったのは結局の所、あの紙だったように思う。


「じゃあ放課後はその部室に?」


「そう、神奈を上手く撒いた上でな。お前の方はまだ野球部の練習継続か?」


「う……、ま、まあ、本来ならそうしたいところなんだけどね。ちょっとしたイレギュラーがあって、今はそれどころじゃないんだな、これが」


 言葉に詰まった伊月が苦笑いしながら頬を掻く。


「イレギュラー?」


「ほら、例の風紀委員たち、来人も知ってるだろ? しばらくは大人しく静観してくれていると思ったら、昨日からまた因縁つけてきやがったもんで、そっちの対応に追われてるってわけ」


「ああ、あいつらか」


 進学校であるこの学校は比較的治安のいい方だが、それでも一応念には念をと、風紀委員が組織されている。もっとも仕事がなさすぎてただの準生徒会になりつつあるわけだが、そんな中で彼らの目についた標的こそが楠伊月だ。部を騒がす風来坊を退治せんと、とにかく伊月を眼の仇にしている。


 ただまあ、転部は別に校則違反でもなんでもないので、仕事のない風紀委員が鬱憤晴らしに伊月を追っかけているだけなんじゃないかというのが生徒たちの認識だ。


「ほんと、お前なんか相手取ってよくやるよな。けど最近は鎮静化してたのに、どうして昨日からなんだ?」


「……が流れたから」


「は?」


「噂が流れたからだよ!!」


 噂、つまり、例のアレである。


「あ、えっと、あの噂か……」


 そういえばと、その陰惨な記憶が来人の中に蘇った。気まずさに負け、自分を睨んで今にも飛びかかってきそうな伊月から顔を背ける。


「あれから、一体どれくらいの月日が流れたんだろうな……」


「一日しか経ってませんが!? 遠い昔の悲劇っぽく回想して済ませるなよ! あの噂のせいで、奴ら僕を吊し上げる大義名分ができたってほまれ顔で立ちはばかってきたんだぞ!?」


「噂っていうか、堂々と宣言してたし、まあしょうがないな。ドンマイ」


「お前が言わせたんでしょーが!!」


 涙と怒りがコラボレーションした器用な表情で、手をわなわなと動かす伊月。ぶつけ所のない憤りを必死に押し殺しているようだ。


「風紀委員だけじゃない、妙な連中にもたかられて、『一押しの保育園はどこですか?』とか訊かれた時は、もう人生詰んだと思ったよ……」


「で、答えは『一番なんて選べないよ』ってな」


「それじゃあ僕、紳士ぶったただの鬼畜ですよね!?」


「道徳的には外道って言うんじゃないか?」


「どっちも同じだよ、んなもん」


 それからひとしきり不幸自慢を繰り広げた伊月は、ふて寝でもするかのようにぐったり机に項垂れたのだった。




◇◆◇◆◇◆◇




「失礼します」


 部室の扉を開く。放課後、一緒に帰ろうとすり寄ってきた神奈を撒いた来人は、約束通り部室棟を訪れていた。ノックしても返事はないが、どうせいるのだろうと思って開けてみると、やっぱりというか、依美は奥の椅子に腰かけていた。


「よく来たわね、米谷」


 貴族を連想させるような、ゆったりとして、それでいて威厳も併せもった声。背凭れに体重をかける姿が様になりすぎている。


「いるなら返事くらいしたらどうです?」


「嫌よ、返事なんてしたら誰かいるってばれるじゃない」


「いや、別にばれたって構わんでしょう」


「甘いわね」


 まるで謎を解き明かしに現れた探偵のように、依美は人差し指を立てた。


「依頼者が部屋に入るか否かで、依頼いなしの難易度が格段に変わるわ。入られる方が厄介で、居留守はそのままスルーできる分、一番手っ取り早いの」


「訪問販売キラーか、あんた」


 とてもじゃないが学生支援部部長の発言とは思えない。といっても、今はその力を借りようとしているだけに、あまり大層な口をきけない来人である。適度に聞き流しながら荷物をソファーに置いて座った。


「それで、神奈を普通にする案、ちゃんと考えてあるんですよね? 早速で悪いですけど、聞かせてもらえますか?」


 そしてすぐさま本題へと切り込む。


「随分とせわしないのね」


「早期解決しないと身が持たないって悟りましたから」


 あの悪夢だけは絶対に正夢にしてはいけないのだと、その一心が来人を急き立てていた。


「ふむ、まあ一度受けてしまった依頼を途中で投げ出すのは私のポリシーに反するし、最後まで付き合おうじゃない」


 半ば納得したのち、依美が机の中をごそごそとあさり出す。再び来人の方を向いた時には、その手に三枚のフリップボードが握られていた。


「それは?」


「現状で考えられる案を一つずつまとめた物よ」


「てことは三つもあるんですね」


 一晩で三つ。なかなかに頼り甲斐があると思いながら、見なさいなと言わんばかりに突き出されたそれを受け取る来人。一枚目『神力を用いた体外的な霊力治療』、二枚目『守護神降霊による魔的療法』、三枚目『風水術を起点とした龍脈操作療治』。


「えっと、舐めてます?」


「真の策士というのはね、人事を尽くして天命を待つ切れ者のことよ。神霊すら持ちえる手段の一つ」


「その人事を尽くさん奴がふてぶてしいにもほどがあるわ」


 というか、三つともまとめて一つだ、オカルト的な意味合いで。


「じゃあワンクッション入れたところで、本題といきましょうか」


「おい」


 そそくさとした依美の対応に、自分が完全に遊ばれていたのだと来人は理解した。


「俺はまじめに頼んでるんだ」


「あら奇遇、私もまじめよ。言ったでしょう? 途中で投げ出す気はないと」


「ならそれなりに行動で示したらどうだ」


 下手に出ざるを得ない立場といっても、流石に限度があるだろう。進んで解決しようという気概を見せない依美に苛立ちを覚えるのも無理からぬことだ。


「……どうやら敬語が家出したようね」


 依美がふうと嘆息した。


「米谷、少しは落ち着きなさい」


「俺は落ち着いてますよ。先輩が上り坂でも上るようにのっそりしてるだけです。投げ出さないって言うなら、最低限の責任くらい持っ――」


「落ち着けと言ったのが聞こえなかったかしら?」


 普段と変わらない声、のはずだった。にもかかわらず、たったその一言が来人の言葉を打ち止める。質なのか抑揚なのか、あるいはオーラなのか、依美のその声には謎の圧力があった。


「憂慮すべき問題に不安を積もらせる気持ちは分かるけれど、急いては事を仕損ず。何事もワンクッションが重要だわ。真打は次鋒で十分よ」


「……もしかして、俺が一人先走るのに釘を打つためにこんな物を?」


「さあ、どうかしら」


 思惑を隠した悪戯な笑み。そんなものを見せられてしまっては、来人としても熱を引かせないわけにはいかなかった。そもそも神奈にまつわる諸問題など今に始まったことじゃない。それを今さら不安です、早くなんとかしてくださいなどと実に虫のいい話だ。


「すみません、少し焦ってました」


「分かればよろしい」


 もっとどっしり構えて確実にやっていこう、来人はそう決めた。こうも気回しに秀でた依美なら、着実にやってくれるのだろう。


「ところで、一つ訊いても?」


「ええ、なんでも訊きなさいな」


「このボード、あらかじめ用意していたブツですか?」


「…………」


「…………」


「では今からお前の幼馴染を更生させる案を――」


はなから遊ぶ気だったな!?」


 期待がバッサリ一刀両断された。


「し、失礼ね! それだって立派なプランよ! この国には八百万の神々がいるのであって、その中に今回役に立つものがいたりいなかったり」


「神頼みするつもりなら最初からあんたを頼ったりするか! 第一、風水は日本じゃなくて中国の思想だろ!」


「やれクリスマスだやれバレンタインだと浮かれはしゃぐこの日本で、今さら輸入文化を論じるなんて不毛以外の何物でもないでしょう。浅はかよっ」


「神様に問題ぶん投げようとする奴の方がよっぽど浅はかだわ!」


 ぜえぜえと息切れした二人の視線がぶつかり合って火花を散らす。そのまま睨み合うこと数十秒。


「やめましょう……。この言い合いが一番不毛だわ……」


「……了解です」


 喧嘩両成敗ということで和解した。


「それで、教えてくださいよ、神奈をなんとかする案っていうのを」


 息を整えた来人から切り出す。


「そうね、でもそれを話す前にこちらからも訊きたいことがあるのだけれど、水橋というお前の幼馴染、誰かに告白されたことはあって?」


「はい? 告白?」


「そう、告白よ。それなりに人気が高いのでしょう、その子」


「え、ええ、まあ……」


 意外と神奈の身辺調査は済ましていることに少し驚きつつ、来人は頭を捻る。


「言い切れはしないですけど、多分ないかと。でも、どうしてそんなことをここで引っ張ってくる必要が?」


「確認よ、私が立てた策の意義をはかるためのね。水橋神奈はお前に好意を抱きながらも、誰かから好意を打ち明けられたこと、つまりは告白されたことがない。ここが重要なの」


「……いまいちピンとこないんですが」


「直に言うなら、正規の恋愛事情を把握していないのでは、ってこと」


「ええっと、つまり神奈が俺に狂気的に接してくるのは、そういったものの常識を履き違えているがゆえってことですか?」


「ご名答。まあ、今は可能性の一つでしかないのだけれど」


 そんな馬鹿なと一笑に付したいのは山々なのだが、如何せん、来人にはその仮説を否定するだけの根拠が全くなかった。無論、高校生にもなって流石にそれは、なんて一般論を振りかざせば話は別だが、神奈を一般論でどうこうできるんなら、そもそも来人はここにいない。


「となると、その案っていうのはまさか……」


「お前が考えている通りよ。第三者が二人の仲に割って入り、水橋神奈に告白する。結果がどう転ぶかはともかく、『普通』とは何かということを少しでも考えさせられるなら、試す価値がなくはないでしょう」


 どんなクジでも引かなきゃ結果が分からないのと同じで、原因とは試行錯誤の末に明らかになるものだ。だから試すこと自体は来人も異存がないのだが、気がかりなのは試行そのものより、その前提の方だった。 


「でもそれ……神奈を騙す、ってことですよね?」


「騙されてアメリカに飛ばされるよかマシだと思いなさい」


「…………」


 ――なんて説得力だ。


「……じゃ、じゃあ、肝心の告白役は誰に?」


 依美は役を担えず、もちろん来人にもそれはできない。となれば必然、別の誰かの助力を仰ぐ必要がある。その時ふと来人の頭に伊月のことが浮かんのだが、汚れ役なだけあって、これ以上精神的に追い詰めると伊月さえ病みかねないので候補からは即除去した。


「心配は無用。策に穴があるなら、最初から提案などしなくてよ。当てなら腐るほどあるわ」


 そう言うと、依美は携帯電話を取り出してどこかに電話し始めた。数回のコール音がして、電話が通じる。


「……。ええ、私よ。…………。今からすぐ私の所に来なさい。…………。は? 昇降口? 帰るところ? ふざけているのかしら。私が来いと言ったら素直に来ればいいの。…………。待たされるのは好きじゃないわ、三十秒で来なさい。……。三十秒は無理? 不可能? 三十秒が私の為せる最大譲歩よ。コンマ数秒でも遅れてみなさい、例の物が全校生徒の目に触れることになるでしょうね。……。ふふ、精々がんばることよ」


 そこで依美は通話を終えた。そして来人の方へ向き直ると、どうかしらと問わんばかりのしたり顔を見せる。


「いやいや、今の普通に脅迫だったろ!」


不躾ぶしつけね、人脈が豊かと言いなさい。私ほどの人間ともなると、人心を掌握して意のままに操る究極の人脈術が可能となるの」


「だからそれ、単なる脅迫だよな!?」


「あなかしかまし。お前の言が確かというなら、世の社長は全員リストラを武器に下民をき使うただの脅迫者。それでもよくて?」


「ぐ、屁理屈を……」


 優雅に頬杖をつきながら馬耳東風の依美、その依美に何かの直談判でもするが如き剣幕で突っかかっていく来人。まだ出会って二日しか経たない二人の間に、奇妙な関係が形成されつつある。そんな二人の小競り合いに幕を下ろす形で、背後のドアが勢いよく開けられた。


「ぜっ……はあ、はあ、はあ…………あ、あねさん!! か、金戸かなと 荘平そうへい……遅ればせながら、今到着したっす!」


 息も絶え絶えに乗り込んできたのはワイシャツ姿の男だった。百八十は越えているだろう長身に、寝癖なのか天パなのか所々で跳ねあがった髪の毛。後ろ姿だけならまず警戒心を抱いて然るべきだが、顔のつくりは意外と丸みを帯びていて、何より目が穏やかで馴染みやすそうな風貌をしている。


 ドアを抱く形で支えにしながら足を震わせている荘平という男子生徒に少々面喰いつつ、来人はすぐこの荘平こそが依美の呼んだ人物だと察しをつけた。というより、つける以外に産まれたての小鹿同然に不安定なこの男を解釈する術なんぞ、来人は持ち合わせていなかった。


「三十秒二八……三十秒オーバーではあるけれど、そこはまあ誤差ということで大目に見てあげるわ」


 ――タイム、計ってたのかよ……。


 依美の左手には黒いストップウォッチが握られていた。


「きょ、恐縮っす……」


「感謝なさい、私は寛容な人間なの」


「…………」


 こうしてまた、この世界に新たなパラドックスが生まれた。


「えっと、姐さん、そっちの人は誰っすか?」


 心臓も落ち着いてきたようで、荘平が来人の方を向く。そうかと思えば、依美もいつの間にか腰を上げて机の前に、すなわち来人の横へと出ていた。


「依頼者である二年の米谷来人。お前をここへ呼んだのは、その依頼の手伝いをしてもらうためよ」


「依頼者!?」


 叫んでからの荘平の動きは速かった。依美に急接近し、親が子供の熱を測るように一方の手を依美のおでこへ、もう一方の手を自分のおでこへと当てる。


「熱でもあるんすか!?」


「……どういう意味かしら?」


 額に手を押しつけられた状態でも比較的平静に見える依美だが、その声は明らかにひきつっていた。なにやら物凄く不服そうだ。その覇気的な何かに気押された荘平はすぐに手を離すと、両手を胸の前に掲げて一歩退く。


「い、いや……姐さんが依頼を引き受けるなんて珍しいなーって」


「ただの気まぐれだわ。暇になりたい時があれば、暇を潰したい時だってあるの。……それだけの話よ」


 二人の会話にきりがついた頃を見計らい、来人の方から一歩踏み出す。


「それでその、あんたは一体誰なんだ? この部活と、というより、先輩とどんな関係が?」


「あっと、はい、申し遅れたっす。俺は二年の金戸宗平。姐さんの……えっと、その…………部下っす」


「…………」


 見ている側が耐え難くなるほど、顔を斜め下に俯けた荘平から漂ってくる圧倒的な悲壮感。


「隠すなよ、その姐さんに脅されてるんだろ?」


「待ちなさい、米谷。脅迫疑惑はさっき解消したでしょう」


「ソ、ソウッスヨ、オドサレテナンカイナイッス……」


 どれだけ言葉で上塗りしようと、態度が答えだ。とはいえ、本人が否定する限りは来人としても口出しできない。


「まあ違うって言うならそれでいいし、とやかく言う気もない。それよりも今は、とっとと本題の方に切り込んでください」


「そうね、そうしましょうか」


 そう言いながら荘平に近づいた依美は、そのまま荘平の顔を見上げた。


「金戸、お前には今から告白をしてもらうわ」


「は?」


「案件を解決するために、今からある女子生徒に擬似的な愛の告白をしてもらうの」


「は、はいぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!?」


 室内に轟く叫び声。そりゃあ呼び出されて早々告白しろなんて言われたら、誰だろうと驚嘆して当然だ。


「うるさいわね、たかが告白程度で」


「そんな、たかが告白じゃないっすよ! 俺、人生でまだ一度も告白なんてしたことないんすよ!? 何も知らない恋愛初心者の俺だっていうのに、いくら芝居の告白とはいえ、頼まれたって無理っす!!」


「あら、誰がお前に頼むと言ったの?」


「え、でも、さっき姐さ……な、なんだぁ、俺をからかったんすか。もう、相変わらず冗談きついっすよー」


「私はやれと言ったの」


「は、はは……冗談、きついっすよー…………」


 顔で笑い心で泣く、荘平がまさしくそうだった。もっとも、顔は笑っているのに目が死んでおり、とても直視できるような様ではないが。


「とはいえ私も鬼じゃないわ。もし今回の作戦を実行し、上手くいった暁には、お前が喉から手が出るほど欲している例の元データを返してあげてもよくてよ?」


「マジっすか!?」


 途端、荘平の目に生気が戻った。


「ええ、大マジよ」


「やる! やるっす、俺! 絶対に成功させてみせるっす!」 


 例の元データとやらをチラつかされた瞬間、いきなり態度を豹変させた荘平。これはもう間違いなくアレだなと考えながら来人がジーっと見ていると、それに気づいた荘平が右手をぶんぶんと回し出す。


「ち、違うんす、来人さん! これは別に脅す脅さないとかって話じゃなくて、ただ……そう! 報酬っすよ、ただの!」


 小学生でも騙せるか怪しい言い訳を披露しながらかぶりを振る。そんな必死の姿だけで、来人の中にはもういいかという気が起こるのだから不思議である。荘平が憎めない奴という現れなのかもしれない。


「さあ、これで告白役は確保したわ。最後に米谷、水橋神奈はまだ校内にいるのかしら?」


「昨日も今日も文化祭の書類整理を担任から頼まれてましたから、今ならまだいるとは思いますよ」


「ならすぐに電話して、その子をこの部室の隣にある空き教室へ呼び出しなさい」


「呼び出す、って……まさかもう告白させる気ですか!?」


 それはいくらなんでも急すぎる。


「金戸にも言ったはずよ、今から告白してもらうと。準備はもう整っているから、あとは実行に踏み切るだけ」


「ちょっと待ってください、姐さん! 俺はぶっつけ本番っすか!? 心の準備とか、全然できてないんすけど……」


「人の話を聞いていたの? 私が準備できていると言ったのだから、何も憂うことなどなくてよ」


 そう言うと、依美は机から取り出した小さな黒い機器と文字が書かれた紙を荘平に手渡し、押すようにして出口へと急かす。


「黒いのは小型通信機。一方的に音声を受け取ることしかできないけれど、私の指示をいつでも聞けるよう耳に付けておきなさい。告白の内容は紙に一通り記しておいたから、読んでそれっぽく振舞うこと。以上、分かったらすぐ隣の部屋へ行って、対象ターゲットが来るまで待機してなさい」


 伝えるだけ伝え、結局、依美は戸惑いを隠せないでいる荘平を無理やり追い出す形で隣の部屋へと向かわせた。そうして次は来人の番だ。


「じゃあ米谷、早く電話を」


「その……ほんとに大丈夫なんですか?」


「案ずるより産むがやすし、お前にとっても解決に日数をかけることは望まないのでしょう?」


「ま、まあ」


「なら積極的に支援なさい」


「分かりましたよ……」


 なんだか巧みな話術で言い包められた気がしながらも、来人は携帯電話を取り出し、神奈へと繋いだ。


「もしもし、神奈、今大丈夫か? …………。いやいや違う、そんなんじゃない。…………。だから人の話を聞け。……。実はな、お前に話があるっていう奴がいて、そいつが部室棟三階の第四多目的室で待ってるんだ。だからお前、今からそいつに会いに行って話を聞いてやってくれないか? …………。結構重要な話だから、二人だけで話したいらしい。……ああ、じゃあ頼んだぞ」


 話がついたところで電話を切る。


「……これでいいんですか?」


「ええ、ばっちり」


 朗らかに答えた依美が再び椅子に腰かけると、机から新たにタブレット型の端末を取り出し、電源を入れた。ものの数秒もしない内に液晶画面に映像が映し出される。


「それは?」


「見ていれば分かるわ」


 覗き込むようにして画面を注視していた来人が目にしたものは、部屋の中で一枚の紙を見ながら苦悶している荘平の姿だった。広いとは言えない部屋の全貌とその中にいる荘平が確かに映っている。


「これ、隣の第四多目的室の映像ですか!?」


「そう、掃除道具入れに小型カメラが取り付けてあって、その映像をこの端末でリアルタイムに見れるようにしてあるわ。再三再四言わせてもらうけれど、準備に抜かりはないのよ」


「いやその前に、あんたほんと何者だよ! タブレットはまだしも、通信機だの小型カメラだの、一体どう入手しやがった!」


 加えて、リアルタイムで映像が届くということはタブレットがオンライン状態ということだ。それはつまり、この部室には無線LAN環境が整っていることを意味する。目に見える豪華な設備だけでなく、そんな所まで完備しているなどただの高校生にできる芸当じゃない。


「今はそんなこと重要じゃないのではなくて?」


「探究心を盛大に小突かれて仕方ないんですが……」


「まあとにかく今は押し殺すことね。ほら見なさい。もう来たわよ」


「えっ!?」


 廊下の方から響いてくる足音。この三階に足を踏み入れる者が黒羽談合会の面々を除けばほぼゼロである以上、これはまず間違いなく神奈のものだ。そして第四多目的室の前で影が立ち止まり、ゆっくりとそのドアが開かれる。


「じゃあ始めましょう、夕暮れに染まる恋物語を」


 依美が妖艶な笑みでそう呟き、日が落ちかけて真っ赤に染まった部屋の中、暗闇に向かう舞台の幕は切って落とされた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ