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病みまくった幼馴染  作者: 白烏
5月 14日 (木)
11/22

ハート・リスタート

 午前七時半。


 時間帯的にまだ閑散とした校庭を、来人と荘平は並んで歩いていた。


 昨日と似た光景だが、大きく違うのは、睡眠不足をありあり主張する来人の目元の隈である。


「それじゃあ来人さん、神奈さんから金槌を奪えたんすか!?」


「まあ、ギリギリだったけどな」


 驚嘆する荘平に来人が苦笑いで返す。


「運がいいやら悪いやら、とにかく散々だったよ」


 トラウマ確定の恐怖体験が、目を閉じれば瞼の裏に嫌でも蘇る、


 来人が襖から転げ落ちるのと、神奈が板を破壊して降りてくるのが同時だった。


 神奈はすぐに金槌を振り上げて襲い掛かろうとしてきたが、幸いしたのは場所である。襖の中はとにかく狭い。そんな場所で腕を伸ばせばどうなるか。当然、金槌は内壁に阻まれ静止する。


 そこに来人は肉薄し、どうにか金槌を取り上げたのだ。


 普段の神奈だったなら絶対に冒さない失敗だろう。黒神奈だからこその付け入る隙と言えた。


「それからはどうしたんすか?」


「武器さえなければ互角だから、あいつの気が済むまで三時間延々と説得三昧」


「壮絶な戦いだったんすね……」


「おかげで寝不足だ」


 ただでさえハードなイベントが連続した一日だった。そこにきて睡眠時間まで削り取られては、回復も何もあったものじゃない。


 来人が摂取したモフッチ分もすべて吹き飛んだが、今朝再び蓄えられたので、寝起きよりは幾分かマシである。


「でも、それならそれで少し登校時間を遅らせてもよかったんじゃ」


「早めに来て会っておきたい奴がいたんだよ。それより荘平の方こそ、付き合わせて悪いな」


「俺は全然構わないっすよ。どうせ来るなら早いか遅いかだけの話ですし」


 荘平の日常的な登校時間は八時前後らしい。三十分とはいえ無理強いは無理強い。それでも嫌な顔一つしない荘平に来人は感謝していた。


「にしてもやっぱ、こんな時間じゃ人も疎らっすね」


 荘平が周囲を見渡しながらしみじみと言う。


 生徒がいないわけではないが、それも両手の指で足りる程度。全生徒数からしたら端数以下だ。


 実際、昇降口が生徒で賑わい始めるのは八時を超えた辺りからである。この時間に登校している生徒は、部活の朝練があったり、予習を教室でしたり、日直だったりと、目的が限られてくる。


 そして、風紀委員の役員たちもその限りだ。


「もしかしてっすけど、その会いたい人って美蒼乃さんとか?」


「まあ、そうだな。荻島と、あと可能なら伊月も」


 伊月が朝練のため早く登校していることは来人の知る所だ。その男の出没を狙い、風紀委員が早朝から活動するのも美蒼乃の口から確認済み。


 美蒼乃の意思を今さら否定する気はない。だがやはり、来人としては簡単に吹っ切ることができなかった。


 昨夜、神奈を宥め(すか)した後、来人は倒れるようにベッドに横たわった。心身共に憔悴し切り、あとは心地いい眠りに落ちるだけ。そう考えていた。


 なのに睡魔は影を潜め、気づけば、その日あったことを鑑みていた。


 寝不足の原因、その一端。


 当人同士の問題と、体よく境界線を引いてしまった自分。その判断が果たして正しいのかどうか。傍観していれば最良の結果が訪れるのか。


 答えは、来人自身にあった。


 伊月や依美、荘平がいたからこそ、自分と神奈の関係は進展の兆しを見せた。だがもし、彼らが協力を拒絶していたなら。無慈悲に突き放していたなら。


 どう転ぶかなど来人には分からない。結果として二人の関係が終わるかもしれない。それでもただ純粋に、悲劇を傍で観察するだけの無機質な物体にだけはなりたくないと、そう思えた。


「荻島とは少し話したいことがある」


「伊月さんの方は?」


「あいつにもいろいろ言いたいことはあるけど、とりあえずは一発(はた)いてからだな」


 自分と荘平を餌にした伊月の罪は、来人の中でまだ消えていない。


 とはいえ優先順位はあくまで美蒼乃が上である。空き時間の伊月はともかく、授業中の伊月は常に来人の後ろに座っている。来人がその気になればいつでも懲らしめることは可能なのだ。


 正門から入れば昇降口へは直線ルートだが、来人たちは途中で右に折れ、校庭経由でグラウンドの方に足を向けていた。 


 風紀委員の標的は伊月だ。それなら伊月の出没場所を予測した上で動くはず。そう考えた来人だったが、しかしグラウンドにいたのは守備練習で汗をかく野球部員たち。伊月も、そして美蒼乃もいない。


 ただ一応警戒網は張っているようで、防球ネットの外側で女子の風紀委員が二人、歩きながら険しい目つきで辺りを睨んでいた。


「いないっすね」


「そうだな。まあそう簡単に見つかるなら、風紀委員も苦労しないか」


 美蒼乃がいないことは、管轄外だったからというだけで一々落胆することでもない。


 厄介なのは伊月の方である。伊月はほどほどに俊敏で、体育で行われた鬼ごっこにおいて、ちゃっかり最後の一人に残っているような男だ。本人曰く『逃げ足なら負けない』らしい。


 本格的に捕えるようとするなら知恵を絞る必要があるだろう。


 一旦グラウンドから引き返す。それから昨日騒動があった中庭を訪れた来人たちの前を、待ち兼ねていたように、風にふわっと揺れる群青色のリボンが横切った。


「ここだったか」


「あ、米谷先輩。おはようございます」


 美蒼乃は来人たちの存在に気づくと、回れ左で会釈した。


 どうやら二人一組で探索していたようで、相方の女子生徒に先に行くよう指示を出し、二人の元へ駆け寄ってくる。


「お二人とも、朝は随分とお早いんですね」


「今日は特別だ。お前に用があったからな」


「私に、ですか?」


 美蒼乃は最初きょとんとした表情をしていたが、すぐその顔に戸惑いを浮かべた。仕事中ということが気掛かりなのだろう。


「時間は掛けない。少し話をするだけだ」


「はあ」


 通路の真ん中で立ち話というのも、あまり推奨されたことじゃない。四角いドーナツ型の通路上には憩用のベンチが多数点在しているので、とりあえずそちらに移動することにした。


 美蒼乃は性格上、仕事に関して極めてシビアである。妨害にならないよう手短に済ませるため、来人から早々に切り出す。


「単刀直入に言わせてもらう。お前、この学校に入ってから、まだ一度も伊月と話してないだろ」


「はぇ?」


 間の抜けた反応。来人のたった一言に、さっきまでの厳とした佇まいは崩れ去り、目に見えて美蒼乃がおろおろし始める。


 ――図星か。


 慌てふためくは本人のみならず、隣で来人の言葉を聞いていた荘平も、『え、そうなんすか?』と意外そうに口を開けていた。


「ど、どうしてそれを……?」


「直感もそうだけど、昨日の流れを見れば、ある程度事情に通じた奴は誰でも気づくと思うぞ? お前は風紀委員で、伊月は取り締まる対象。立場を明確に分けて、馬鹿正直に鬼ごっこだけやってるんだろ、どうせ」


「ぐぅぅ……」


 余程的を射ているのか、美蒼乃が俯いて黙り込む。もっとも来人からしたら責める気持ちなど欠片もないのだが。


 美蒼乃の、型に順応しすぎるが故の副作用みたいなものだ。型から脱しづらく、柔軟な思考で後れを取る。かつて伊月が補っていた一面。


「それは、ええ、認めますけど……だったらどうだっていうんですか!」


 小さな体が沈み切る前に、バッと顔を上げて美蒼乃が声を荒げる。


「いいじゃないですか別に! 話し合いなら、捕まえてペナルティーを与えた後に好きなだけしますよ!!」


 来人の脳内で、美蒼乃と、自らのテリトリーを全身で訴える子犬が連結される。怒っているはずなのに、どうしてか和む。


 そんな連想はさて置き、来人は何も、その点を悪く取り沙汰すつもりなど毛頭なかった。重要視しているのはけじめ云々である。


「そんなに怒るなよ。俺はただ、伊月と対峙するにしても、一度話し合ってからの方がいいんじゃないかって、そう提案したいだけだ。曖昧の余地を残さず、大義名分もはっきりするしな」


「大義名分ですか……。もう十二分に出揃ってそうですけど」


「それは風紀委員の主観だろうが。万が一ってこともある」


 可能性を示唆するも、しかし美蒼乃は腑に落ちないらしく、来人に対して疑いの眼差しを浴びせていた。


「なんだか米谷先輩、妙に楠の肩を持ってませんか? ひょっとして楠派ですか?」


「そんな悍ましい派閥あってたまるか。仮にあっても全力で逃げるぞ……」


『楠伊月』と書かれた旗を背に大地を駆ける自分。想像した来人の二の腕にポツポツと鳥肌が立つ。他の人間が背負っていても然りである。そんな軍勢にはお近づきになりたくないと、心の底から敬遠した。


「別に、俺はどっち側にも(くみ)してねーよ。そこだけはきっちり一線引くことにしたんだから」


 来人が自分に課したたった一つのルールは、伊月と美蒼乃、どちらサイドにも立たないことだ。助言や助勢はしても、旗色を塗り替える真似だけはしないと決めていた。


 もちろん、風紀委員どころか学校という一つの組織からしても、伊月を責めども美蒼乃を責める筋合いなど皆無だろう。折り合いをつけた来人でさえ、そこだけは首を縦に振ってしまう。


 だからといって、どっちが正義だ悪だと頭ごなしに否定し合うことに、意味がないのもまた事実。人間は須らく都合がいい生き物なのだ。


「先輩がそう仰るなら、一応は信じますけど……」


 そう言って美蒼乃は口を尖らせる。


「それでいい。一応で構わない」


 完全に疑いを捨てるとまではいかないらしいが、一割でも信用してくれるなら来人にはそれで十分だった。


「でも先輩、話し合うのを了解するにしても、相手がテーブルの席に着かないと始まりませんよ? 要請してのこのこ出てくるとも思えませんし、そしたら結局強制的に引っ張り出すしかない。つまり捕まえるしかないわけで……」


 来人のした提案に話題を戻すと、美蒼乃が不安要素を順序立てて説いていく。


「そうっすね……話し合いの場を持つにしても、伊月さんの方が出てこないんじゃ」


 同じことを考えたようで、荘平も腕を組んで難しい顔をした。


 提案しておいて無責任にも程があるが、残念ながら来人にも、伊月を話し合いに呼び出す術などない。


 頼んでも断られるだろう。命令しても突っ撥ねられるだろう。脅せばあるいは、と思わないでもないが、そこまでしたら悪役は来人に他ならない。


 伊月はおそらく、美蒼乃と会うことを意図的に回避している。あの男が本気で逃げようとすれば、まず来人には捕まえることなどできはしない。


 そう、来人には。


「俺もあいつとの付き合いは無駄に長いからな、一筋縄じゃいかないってことは分かってる。だから荘平、お前を呼んだんだ」


「俺を?」


「そう。今日の昼休みに、ある人を呼んで欲しくてな」


「ある人って……俺が伊月さんを呼び出すんすか? それなら俺なんかより、来人さんの方がよっぽど上手くやれそうっすけど……」


 少し先走りすぎる荘平に、来人はかぶりを振る。


「違う、呼び出すのは伊月じゃない。あいつを呼んだところで、昨日みたいに逃げるだけだ」


「それなら、俺が呼ぶのは……」


 頭を捻る荘平が『まさか』と戦慄(わなな)いたのは、それから僅か二秒後のことだった。どうやら来人の思う人物に行き着いたようだが、その反応が露骨である。口元をへなへなと歪め、眉間にしわを刻み、目が横に泳ぎ出す。


 来人も一緒に思い浮かべる。昨日、自分たちを散々振り回してくれた、とある少女のその笑みを。


 一人話に付いていけない美蒼乃は、悶々とした表情で二人の先輩を見上げた。


「あのー、そのある人って誰なんです?」


「ん? ああ、俺が今所属している部活の部長だよ。名前は烏野依美」


「烏野……」


 瞑目し、口に出して苗字をなぞる美蒼乃。何かを想起する素振りを見せてから、再度来人を瞳に映す。


「その人と楠を呼び出すことに、何か関係が?」


「その辺は昼休み、直接本人に会ってから話したい。偉そうに言ってるけど俺もまだ確証ありきじゃないんだ。だから荻島、お前、昼休みに時間取れるか?」


「はい、まあ、昼休みくらいなら……」


 地面を俯瞰して答える美蒼乃は、本心では乗り気でないことが容易に窺い知れた。きっと昼休みの短時間でも、率先して伊月を追いたいのだろう。そんな衝動を押し殺し、先輩からの提案だからと自分を無理やり納得させているのだ。


 そうとなれば来人にも相応の義務がのしかかる。それでいて確実と謳えないのはなんとも歯痒いが、そこはやはり、昨日の一件が響いていた。


 もしかしたら訪ねても無駄になるかもしれない。いや、その可能性の方がむしろ高いとさえ言える。


 活路はあれど、来人が頼みにする一筋の光明は、なんとも心細い。


 とにもかくにも、憂慮するのは下準備を済ませてからだ。脳を没せんと流れ込んでくる不安を、来人は一時シャットアウトした。


「というわけだ、荘平。烏野先輩の方は頼んでいいか? 場所は部室で……って、お前、顔色悪いぞ? やっぱ無茶だったか?」


「いえ……来人さんの頼みとあらば、喜んで……」 


 荘平の目が死んでいた。急激な勢いで顔から生気が薄れ、辛うじて貼り付けた虚偽の微笑は喜の感情など微塵も介さない。


 依美の、人としての手綱の取りにくさは、伊月に並ぶものがある。しかも荘平からすれば自分より高位の捕食者だ。すんなり引き受けてはもらえないだろうと覚悟していた来人だったが、別のベクトルで想像を絶した。


「大丈夫か? 無理にとまでは言わないぞ?」


「へ、平気っすよ、この程度。リハビリだと思えば……」


「重症じゃないか……」


 治療的訓練を要する時点で傷口が深すぎる。


 呼び出されてこき使われたことはあれど、その逆はないはずだ。確かにヒエラルキーで言えば、平社員が社長を顎で使うようなもの。まずありえない。


 それでもこの役を担えるのは荘平しかいない。来人は肺の中の空気を一度入れ替え、悲壮の塊と化した青年を見据える。


「……分かった。じゃあ頼んだぞ、荘平」


「心得たっす……!」


 弱々しくも、伸ばした腕の先で親指を空に突き立てる荘平に、来人は何回目になるとも知れない安堵感を噛み締めた。


 人に頼りすぎだと、昔の自分なら蔑むだろうか。そんなことをふと考える。


 神奈を元に戻すため、自力での解決へ奔走し、それで失敗した末路が今なのだ。だから今さら抗いようもないし、弱さも否定しない。


 芯として立てる教訓は、『依存してはならない』という、たった一つの戒め。


 頼る時は信頼し、余さず頼り切る。そこから自分と向き合い、自分を叩き直せるかどうか。弱さを強さに鍛え上げられるかどうか。


 決して安寧としたぬるま湯に浸かりきってはならない。頼るとは、無茶を押して邁進する決意だ。


「副委員長! 楠が西棟付近の屋外トイレに逃げ込んだという報告が!」


 突如割り込んできた声は、先程美蒼乃と別行動をとった女子生徒のものだった。中庭入口の通路に立ち、メガホン代わりに右手を口元に添え、左手で西棟の方角を指差しながら叫んでいる。


「了解しました! すぐ行くので先に向かってください!」


「はい!」


 美蒼乃から指示され、その姿は校舎の陰に消えていった。


「そういうことですので、米谷先輩、私は行きます」


 仕事モードを起動した美蒼乃の表情が、キリッと凛々しいものに変わる。眼光は獲物を見つけた野獣のそれだ。


「ああ。昼休みの集合場所は西棟の三階。それでいいな?」


「構いません。……まあ、ひょっとしたら、集まる必要もなくなるかもしれませんけどね」


「だといいな」


 頼もしい皮肉を吐く少女と、来人の視線が交差する。互いに含みを利かせ合うと、美蒼乃は体に似つかない瞬足で来人と荘平の間を抜け、部下の向かった方へ走り去る。


 小さな体躯が生んだ一陣の風を肌で感じつつ、二人は遠のく背を見送った。


「美蒼乃さんのあの張り切りよう、案外捕まるかもしれないっすね、伊月さん」


 どこかしんみりとした言い方。おそらく荘平は浅い付き合いながらも、美蒼乃と伊月、二人の捻じれた関係を徐々に解し始めている。


 そんな荘平相手に、来人には肯定の台詞など吐けなかった。


「いや、荻島が頑張れば頑張る程、あいつは逃げに徹するよ。そういう奴なんだ。お前もなんとなく分かってきてるんじゃないか?」


「……。そういうもんなんすかねぇ……」


 零れた呟きは、数を増していく雑踏の中に沈んでいった。

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