7 セピア・ガーデン
それからは、人々が嵐のようにアズの前に押し寄せてきた。
口々に何かを喚きたてたり、慌てふためいたり、手を掴んで拝まれたり、ぽけっと突っ立ってることしか出来ないくらい訳が分からなかった。
「落ち着け!いーから落ち着け、こらっ!」
遠くでゼノの声がするが、人々はゼノを次々と押しのけてアズの周りに群がっている。
……あんなに仰々しくお辞儀をされるような人だったのに、この差は一体何なんだろうか?
「おおっ、信じられない!この御方が本物のセイレーンか!?」
「異世界より召喚されし我らの救世主様か!?」
「まだ子供じゃないか!セピアノスは一体何をお考えなのだ!?」
「しかも女の子!変な格好!」
「やったー!この世界は救われるぞー!」
「握手っ、握手してくださいセイレーン!」
「そのお力を見せてください!」
「セイレーン!」
「…………」
もはや会話の成り立ちですら理解できなかった。
アズを崇め、敬う人がいれば、眉間に皺を寄せて抗議してくる人もいる。しかもセイレーンて……。
ゼノと会ったときもそう言われたことを思い出して返答に困っていた、その時だった。
ドゴオオォンッ!!
「!?」
飼育室全体を揺るがす轟音と震動でアズを含めるその場にいた全員がよろけてすくみ上る。
「……いい加減にしろ」
低く唸るような声に、アズよりも先に状況を理解した人々が冷や汗を流しながらゆっくりとアズから離れていく。群がっていた人がいなくなったことによって出来た道の向こうに、青筋を浮かべた無表情のゼノが立っていた。
とても大ぶりな、青く美しい形状をした輝く弓を携えて。
「……え」
そして、そのゼノから1mほど離れた床に、大きくえぐれた穴が1つぽっかり空いていて、ぶすぶすと煙が上がっていた。先ほどの轟音の原因はゼノがあの弓を使って穴を開けた……のだろうか?
……普通、弓でコンクリートの床にあんな大きな穴が開くものなのだろうか?
「俺は忙しいんだ。話がしたいなら俺の仕事が終わってからにしろ。……分かったか?」
ドスの利いた声で牽制し、ギロッと鋭く睨めばその場にいた全員がこくこくと小刻みに頭を縦に振った。
「分かったら散れ」
その一言で、わらわらと急いで散っていく。
「……」
ぽかんと口を開けたまま散っていく人々を見送っていると、「ふう」とゼノが溜息をつき、アズに近づいてきた。
「気持ちはわかるけど、もう少しソフトに歓迎してほしいもんだ。な、アズ?」
「はっ、はい……」
思わずびくっとして返事をすると、「そんなに怖がらなくても」と渋い顔をされた。
「だ、だってギャップが激しいから……」
「リーダーって辛いよな。こうして心を鬼にして怒鳴らないといけないんだから。いやー、辛い辛い」
……言葉にまったく心が籠ってない。半眼でゼノに呆れた視線を送っていると、何やら奥からバタバタと走ってくる複数の足音。
ゼノにも聞こえたのか、「げ」とさらに渋い顔をした。
「ちょっと!一体何事なの!?」
奥から姿を現した金髪の背の高い女性が、開口一番に切羽詰ったような声を上げる。全力で走ってきたのか、息が切れている。
「ノワール!?それともシャドウ!?」
「……悪い、アリス。俺だ」
「…………は?」
たっぷりの間を置いてアリスと呼ばれた女性が形のいい口を開く。緩くふんわりとした金色の髪が、サラサラと肩から落ちた。
「いやー、ホントに驚かせて悪い!つい、な」
悪びれもせずにゼノが「あっはっはっは」と笑うと、アリスは息を正し、こめかみに手を当てて深く深く溜息をついた。
「貴方のつい、で、どれだけの人間を驚かせたと思ってるの?全く、呆れるにも程があるわ、ゼノ」
「だから悪いって」
アリスと共に走ってきた後ろの数人も安堵の溜息を漏らす。ゼノの開けた穴を見て状況を察してくれたのか、小言は言うものの深くは追及してこなかった。
「……ただでさえ皆ピリピリしてるっていうのに、ホントにもう……あら?」
そこでようやくアズに気が付いたようで、綺麗な碧眼の双眸とぱっちり目があった。思わず肩に力が入る。
「ゼノ……もしかしてこの子が?」
「ああ。セイレーンだ」
「――っ!」
ゼノが頷いたのを確認した途端、アズは訳の分からないまま感極まったアリスに熱いハグの嵐に合ったのだった。
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「ごめんなさいね、アズ。つい嬉しくて……」
「いえ。あの、全然気にしないでください」
恥ずかしそうに頬を赤らめてアリス。アズは手をぶんぶんと振って、アリスの隣に並んで長い階段を上っている。
アリスのハグの嵐に合い、その後ろに控えていた数人にも握手を求められ、「話が進まない!」と再びゼノがキレる始末。落ち着きを取り戻したアリスの「園内を案内する」という申し出を有難く受け、仏頂面のゼノも加わり3人で階段を上っていた。
ちなみに竜は園内には入れない規定があるそうで、『一緒にいる!』と駄々をこね続けたヴェールをどうにかして宥めて飼育室に預けてきた。
『早く戻って来ないと暴れまくるからね。どうなっても知らないからね』
とかなんとか、とても不吉な事を言って小さな子供の様にいじけてしまった。きっと知らない場所に独りにされて寂しいのだろうと思い、「いつでも心読んでいいから」と言ってようやく落ち着いた。
「私はアリス・ウィルソン。ここで副団長、兼クリスタルエンジニアをしているわ」
長い階段を上った先に、出口が見えた。アリスが先導して出口に立ち、アズに向き直ってにっこりと笑う。
「ようこそ、セピア・ガーデンへ!」
アリスの横に立ち、目の前に広がった光景に感嘆の溜息が漏れた。
足元から続く白い石畳がまっすぐ続く先に、白い大きな噴水、そしてそのさらに先には、ヴェールの背に乗って飛んでいるときに真っ先に目に飛び込んできた、あの白い大きな神殿が悠然と建っていた。
神殿に続くまでの道には15mほどの距離を置いてベンチが置かれ、たくさんの人が座って談笑したり、植わっている花々や樹を眺めていたりしている。
「うわぁ……すっごく綺麗!」
「ここには専属の庭師が何十人といるから。毎日、いつでも手入れをしてこの庭を美しくしてくれているの」
「へえ~、すごいですね!」
言われてよくよく見てみれば、ちらほらと樹や花に向かって鋏を入れている人が見受けられる。みんな御揃いの緑色のつなぎ姿だった。
「天空に浮かぶ園庭……なんかすごいロマンチック……ん?」
しばらく歩いたところで噴水に行き当たる。その噴水の中になにかキラッと光るものを見つけ、アズはとことこと駆け寄って中を覗いてみた。
「どうした?アズ」
「あの、ここでキラキラ光っているものって何ですか?」
そう言って噴水の光っている所をゼノに分かるように指差せば、「ああ」と頷いてアリスの腕を小突いた。
「クリスタルの説明頼む」
「……仕事しなさいよ」
アリスに半眼で睨まれるも、「俺の仕事は説明じゃないから」とにっこり笑って返される。そういえば先ほどからクリスタルマスターやら、クリスタルエンジニアやら、やたらと「クリスタル」に纏わる言葉が多い。
アリスがアズの隣に並び、「こほん」と小さく咳払いをした。
「これはクリスタル。この世界に加護を与え、この世界に決して欠かせない生命の源」
「生命の……源?」
「そう。私たちの世界には当たり前のように存在している魔力をもった秘石のことを、総称してクリスタルと呼んでいるの」
アズは、改めて噴水の中に輝いているクリスタルを見つめた。
魔力をもった秘石、湧き出る水……もしかして、と思った。
「この水は、このクリスタルが出してるんですか?」
「そう!察しがいいのね、アズ!」
ぱん、と手を打って嬉しそうにアリスが笑った。
「その通りよ。でも、この水だけじゃない。園内すべての水を湧き出させることも、この浮島を浮かせることが出来るのも、すべてクリスタルが在ってこそなのよ。この世界はクリスタルが在って成り立っているようなものだから」
「……」
そっと噴水の水に手を浸けてみると、ひんやりと心地いい清涼感が広がる。……とても小さな石から湧き出されているようには思えない冷たさだった。
「アズの世界にはないものでしょう?」
「はい。……というか、色々とあり得ないことばかりです。大地を浮かせられて、水まで出せるなんて、本当にお伽話や本の中のお話ですから」
「……貴女もそのクリスタルを持っている。って言ったら驚くかしら?」
いたずらな笑みを浮かべ、少女のようにくすっと笑うアリスを茫然と見上げ、「……え?」とアズは情けない声を出した。
「あたし、そんな大層なもの、持ってないです……」
「ぶふっ!」
突然ゼノに噴出され、アズはビクッとゼノを振り返った。
「や、ごめっ……別に笑うつもりは、あははは」
……しっかり笑ってるくせに笑うつもりはなかったと言われても、全然説得力はない。
「ゼノ、笑いすぎよ。この世界の事なにも知らないんだもの、アズに失礼だわ」
「うん、本当にごめん。気をつけるから、そんなに睨まないで」
「……別に睨んでません」
むくれて答えと、ゼノはぽんぽんとアズの頭を撫でた。
「君がこの世界の誰よりも大層なクリスタルを持っているのに気がついていない所がおかしくて笑ってしまったんだ、許してくれ」
「それ……どういうことですか?」
ゼノではなくアリスを見上げて問うと、彼女は「立って話すのも何だし、座りましょうか?」とアズを近くのベンチに促した。
アズが腰を下ろしたのを確認し、アリスはその隣へ。ゼノはベンチの後ろに回り込んで、背もたれに腕を組んで寄りかかる。
「まずは、クリスタルについてよく知っておいてもらわないといけないわね」
そう切り出して、アリスはゆっくりと話し始めた。