42 アクリエ港の出会い−③
毎度毎度更新が遅いのに、見てくださってありがとうございます。
これは夢なんじゃないだろうか。
全身の体毛が風でなびく中、自分の腕の中で命の炎を弱々しく灯す大切な妹の温もりを感じながら、ガウディは今だ現実を受け止めきれていなかった。
もちろん、いい意味で。
「(ああ、夢みたいだ……セピア・ガーデンに行って、妹を診てもらえるなんて)」
つい先ほどまでは全ての人間に絶望し、盗みを働いてまで薬を手に入れようとしていたというのに。
ある人物に出会ってから、話がとんとん拍子に進んで、まさか獣人である自分が東大陸屈指のエリート集団が集う、あのセピア・ガーデンに行くことになるだなんて。
自分には一生縁のない場所だと思っていた。
なのにこれからそこに行き、なおかつメアの病気を治してもらえるだなんて……本当に、夢のようだった。
「(……夢じゃないよな?大丈夫だよな?)」
頬を抓りたくても、大切な妹を風から守るために覆っている腕を動かす訳にはいかない。ガウディは思わずため息をつき、顔を上げて前方を見た。
自分たちよりも少し先に見える、薄紫色の小さな竜に跨った少女――アズ。あの人に出会ってから、ガウディは自分の中にある大きな歯車が動き出したような気がしていた。
出会いは痛々しいものだったけれど、ガウディがアクリエ港で盗みを働いたのも、その場にアズが居合わせたのも、そういう運命だったからではないか、と思う。
あの人に出会わなければ、今頃は……。考えたくもなかった。
「直に着くから、もうしばらくの辛抱な!」
「あ、ああ。すまねえ、ジークのアニキ」
ジークの声に我に返って答えると、「良いってことよ」と笑った。
自分よりも年下のジークをなぜ「アニキ」呼びするのかと言うと、彼は遥か昔に滅んでしまった王獣、ダークウルフの血を引く人間だったからだ。
王獣というのは、獣族の中で特に力を持った獣たちを指す敬意を込めた呼び名で、それぞれの科目に属する獣たちの頂点に君臨する。ガウディの知る所で言うなら、イヌ科の王獣ならダークウルフ。キツネ科の王獣であればハゴロモギツネなどだった。
あいにくとジークは獣人ではなく人間であったが、それでも自分の種族の頂点に君臨する王者の血を引く者ともなれば、たとえ人間であっても惹かれるものがある。それはアズに対する感情とはまた別のモノではあったけれど、彼に敬意を表するのには十分だった。
「(たった一日で、とんでもない人たちと出会っちまった。……これが、ばっちゃんが言ってた運命ってやつなのかもしんねえ)」
けれど、彼にとっての“とんでもない”はまだ続くのだった。
「そういやガウディ。ヴェール見ても驚かないんだな」
「……え?ヴェールって、姐さんが乗ってるあの竜のことですか?」
「ああ。……あれ?あんま珍しくねえのか?」
「いや、すまねえ。俺、竜族に詳しい方じゃねえんです。俺たちの住む森に居るっていえば、アブノーマル種?は、ブラックドラゴンくらいなもんで」
「あー……そっか」
それに納得したのか、前に向き直ったジークは何度か頷いた後、「ま、別に話してもいっか」とつぶやいた。
「それがどうかしたんで?」
「ヴェールな、セブンスドラゴンなんだよ」
「……セブンスドラゴン?」
「あ、それも解んない感じか。じゃあ、セイレーンなら解るか?」
「せい……え?」
「セイレーン。救世主」
「…………………………え?誰が?」
「アズが」
「……………………
ええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇーーーーーーーーーっ!!!??」
「ちょっ……何事!?どうしたの!!」
自分でも驚くくらいの大声を上げて仰け反ると、その声に顔を険しくさせたアズがすぐさまやってきた。
「まさかメアちゃんに何かあったの!?」
「あー、違う違う。大丈夫だからそんなおっかない顔すんなよ、アズ」
「せっ……せせせセイレーンだったんですか姐さん!!」
「えっ?あ…………ジーク」
あまり知られたくなかったのか、アズはじろりとジークを睨みやった。
「す、すいません俺全然気づかなくてっ」
「いやいや、気づかなくても全然よかったんだよ。そんな救世主とか言われてもピンとこないし、それらしい見た目でもないし」
「長いマントと長剣でも腰に付けてみたら解り易いんじゃねえか?」
『ついでにカボチャパンツも穿いてみなよ。きっと似合うよ』
「あたしは童話の王子様か」
セブンスドラゴンの事は解らなかったが、さすがにセイレーンの事は知っている。パクパクと開いたり閉じたりする口からはそれ以上の言葉が出てこない。
「(俺は……本当に、一体なんてすごい人たちと一緒に居るんだ……)」
自分の腕の中で眠る妹の顔を覗き込み、ガウディは小さく囁いた。
「ごめんな、メア。お前がこんな状態だってのに、俺……」
本当に夢みたいで、すごい嬉しいんだ。
さすがに苦しそうにしている妹にそこまで言う勇気も出てこず、ガウディは心の中でそっと囁いた。
「おっし、見えてきたぜ!ガウディ、しっかり掴まってな!」
メアに向けていた顔を上げ、足に力を込めて姿勢を低くした。それを確認したギルネがぐんぐんとスピードを上げ、ゆっくりと旋回していく。
上空から見下ろすセピア・ガーデンの全貌を目の当たりにし、ガウディは目を見開いてその美しい空中庭園から目が離せなくなっていた。
光を受けてキラキラと輝く大きな噴水。その噴水から流れるいくつもの小川が、神殿の周りにある庭へと水を運んでいる。様々な色で飾られる花々を、鮮やかな緑が優しく引き立てているさまは、ディティール大森林にあるどの花畑よりも美しかった。
人の手で、ここまで美しくなれるものなのかと魅入ってしまう。
遠目からこれでは、きっと近くで見たら離れられなくなりそうで少しだけ怖かった。
「あ、ドクター!」
旋回しつつゆっくりと高度を下げていくその先。
大きな白い神殿の前にいる数人の人の姿が見えた。アズが嬉しそうに手を振って、まだ高度があるというのに竜の背から突然ひらりと飛び降りたのでぎょっとした。
「――!!?」
「だいじょうぶ大丈夫。アズも頑丈だから」
そう笑うジークの傍ら、『アズ!それやめてって言ってんでしょ!!』と怒鳴っている竜がいるのでいまいち説得力に欠ける気もしたが、本人が平気そうな顔をして歩いていたのでとりあえず安心した。
こちらはギルネがきちんと地に足を付けたのを確認してからゆっくりと降りる。乗せてきてくれたギルネとジークに礼を言ってメアを抱え直し、アズと話をしている人間の元へと案内された。
「あらどうも。ジークちゃんから話は聞いてるわよ。あなたがガウディちゃんね」
「(ちゃん!?)……は、初めまして」
「初めまして。私はリヴ・ハマンド。このセピア・ガーデンで人と獣人を専門で見ている医者よ。……で、この子がメアちゃんね。さあ、診せてちょうだい」
ガウディの腕の中にいるメアを掬い取るように抱き上げるリヴに、深く頭を下げた。
「妹を……どうか、よろしくお願いします!」
「ええ、任せて。必ず元気にしてみせるわ。――さあ、行くわよ」
後ろに控えていた男性と女性が持ってきていた担架にメアを寝かせ、2人に声をかけてガーデンの中へと入っていくリヴを3人で見送る。しばらくは誰も口を開かなかったが、どこからか視線を感じてふと自分のすぐに顔を向けて――またしてもぎょっとした。
「「「……」」」
いつからいたのか、物凄く近くに3人の少年少女がいた。それも人の子ではない、耳やら尻尾やら毛やらが生えた、小さな獣人の子供たちであった。
「……」
大きなくりくりした目をさらに真ん丸にして、黙ってガウディを見つめている。会ったことのない種族だったのと、射抜かんばかりの強い視線だっただめひるんだ。
「あれ、どうしたの3人とも。今日はユリアと一緒に郵便配達のお手伝いの日でしょ?」
3人の存在に気付いたらしいアズが身をかがめて3人に笑いかける。すると、獣型であろう真っ黒な体毛に身を包んだ一番小柄な少年が、小さな三角の耳と細長い尻尾をパタパタと振って元気よく答えた。
「お手伝い終わった!もう遊んでていいってー!」
「そうなんだ。えらいね、ルクツ」
にっこり笑いながら頭を撫でられ、気持ちよさそうに目を細めるルクツと呼ばれた少年を見て、「あーっ」と声を上げたのはその両隣にいた2人だった。
「ルクツばっかりずるーいっ。私だってがんばったもん!」
「お、おれだって!今日いちばん多くてがみくばったの俺なんだぞー!」
だから撫でて!!と2人一緒くたにアズに突撃し、「わ、わかったから2人とも落ち着いてー!」と困ったように笑うアズをひった押してすり寄っていった。
きゃあきゃあと楽しそうにじゃれ合う4人を唖然として見下ろし、そしてそれを微笑ましげに見ている通りすがりの人間たちを見回し、最後に答えを求めるように自分の隣に立つジークへと向ける。
ガウディの視線に気が付いたジークは、こちらへ顔を向けてニッと歯を見せて笑った。
「これがセピア・ガーデンの日常だから。驚いたろ?」
目を瞬き、ガウディはゆっくりと噛みしめるように頷いた。
人から離れて暮らす獣人は、基本的に人と関わらないように身をひそめて生きている一族が多い。ガウディたちスティンガーウルフの一族もそうであった。メアの一件が無ければこうやって人間の住む世界へガウディが来る事もなかったし、それまで生きてきた中では、“決して人に近づいてはならない”なんて大人たちから言われて育ってきたため、人間自体の事をよく知らなかった。
けれど、メアを救う為に踏み出した未知の世界への一歩は、己の世界しか知らなかった自分にはあまりにも残酷なものだった。
「……こんなに人と獣人が普通に暮らしているところなんて、見たことなかった」
ガウディ達が棲んでいたディティール大森林は、ルディアナ王国が統治する東大陸の最北端にある。食物連鎖の頂点に君臨しているブラックドラゴンの唯一の生息地であることからか、ディティールの周辺には人間どころか人間の住む村や街は一切ない。それに加え、ディティール大森林は草木の大きさが他の森に比べて5倍ほど大きいらしく、更に加えて大陸一の広大さゆえか、侵入者を一切拒む天然の迷宮になっているらしい(なにせ自分の生まれた時からの住処なので、迷宮だとか言われてもピンとこない)。
「まあ、獣人への差別を法で禁じているとはいえ、王都から外れた末端の街や村なんかまでは浸透していないのも事実だな。取り締まる役人もほとんどが中央部に集中してるし。……とはいえ、他の大陸よりもずっとマシだと思うけどな、俺は」
最後に独り言のように付け足し、ジークはハッとしたようにこちらに顔を向けた。
「悪いガウディ! さんざん嫌な目に会って来たばっかだってのに、俺っ……」
「え? ああ……いいんだ、ジークのアニキ。気にしないでくれ」
そう返した自分の声は、自分でも驚くくらい穏やかなものだった。
「確かに俺の住むディティール大森林は大陸の端っこだし、森から一番近い人間の村も王都から一番遠い場所にあった。アニキの言うとおり、法律なんて決まってないんじゃないのかってくらいの拒絶ぶりだったよ。……でも、その結果アズの姐さんとジークのアニキに巡り合えて、こんなすごい場所ですごい先生にメアを診てもらえたんだ。……拒絶された事はショックだったし失望もしたけど、結果的にはこれでよかったんじゃないかって思えるんだ。今は」
「……ガウディ」
「まだ獣人にも人と暮らしていける場所もあったんだなって、なんか嬉しいんだよ。だから―――」
ジークに向き合い、言葉を続けようと口を開いた瞬間、
「てーーーーいっ!!」
「おわっ!?」
腰のあたりに衝撃が奔って視界が揺れた。突然の事に動揺しながら自分の腰のあたりに視線を落とすと、さきほどの子供たちが3人まとめてガウディの腰にへばりついて笑顔で見上げていた。
「なっ、なんっ……!?」
「ねえねえおっきいおにいちゃん!おにいちゃんはさっきの子のおにいちゃんなの?」
「あの子どーしたの?リヴちゃんと一緒ってことは、病気なの?」
「なんて病気なの?ねえねえ!」
「いや、ちょっ……え?」
3人まとめて話しかけてくるので答えることが出来ずにあたふたしていると、見かねたジークが笑いながら間に入ってくれた。
「ハイル、ルクツ、ミオネ。この兄ちゃんはな、大事な妹の病気を治すためにお金が必要なんだ。これから一緒に任務に行ってくるから、質問したいなら帰って来てからにしな。いいな?」
「えー?お仕事なの?」
子供たちはそれぞれに不満そうな顔をしてガウディとジークの顔を見上げていたが、こちらに歩いてきたアズが手を叩くと揃ってそちらに振り返った。
「みんな、メアちゃんが起きるまで傍にいてあげて?目が覚めたときにお兄ちゃんがいなくても寂しくないように」
そう言ってにっこりほほ笑むと、子供たちは目を輝かせて大きく頷いた。
「メアちゃんってゆーんだ!」
「そうだよ。ここに来たばかりの子たちに教えてあげること、覚えてるよね?」
「うん、覚えてる!」
「そう。いい子ね!あたしたちが居ない間、メアちゃんの事よろしくね?」
「「「わかった!」」」
元気よく返事をした3人は、通行人の合間を縫って楽しそうに笑いながらエントランスの奥へと駆けて行った。
その後ろ姿を見送り、こちらに向き直ったアズと隣に立つジークの顔を交互に見やる。
「その……俺も任務に同行って……?」
「そのまんまだよ。これから一緒に任務に行くの」
そう言って指差す先には、大きくて広いエントランスの先に見える木製の掲示板があった。そちらへ向かって歩き出す2人の後を慌てて追う。
「いっ……、いいんスか?! でも俺、クリスタルマスターでもないド素人ですよ!?」
「まあ、まだゼノ団長の許可貰ってねえんだけど、ダメとは言わないって解ってっから連れてきたわけだしな」
耳に付いている結晶をいじるジーク。「あー、もしもし?」と話しかけているところから察するに、通信機のようだった。
「そりゃあ、ここで稼がせてもらえるなら願ったり叶ったりですけど……でも、俺なんかが役に立つんですか?」
「大丈夫だよ!シャドウ関係の任務も無いし、もし万が一にも何かあればあたしたちがどうにかする。その他の任務は体力と力があれば、ガウディならきっと問題なし!……どう?やってみる?」
ぐっと握りこぶしをつくったアズがこちらを振り返りながら言う。若干の、いや、かなりの不安が残るものの、ここまではっきり断言されると少しだけ心が軽くなった。
元はと言えば、メアの病気を治す薬代を稼ぐために住処である大森林を出てきたのだ。結果としては盗人として裁かれてしまうところだったのだが、どうにかしてここまでこれた。きっと、これは罪を犯した自分に与えられた、最初で最後のチャンスなのだろう。
ガウディは、己の直感を信じる事にした。
これを逃せば、もう2度と巡り合うことのないであろうチャンスを掴むために、顔を上げてしっかりと相手の顔を見据え、
「ーーどうぞ、よろしくお願いします」
深々と、頭を下げた。