41 アクリエ港の出会い‐②
今、アズはスティンガーウルフの獣人――ガウディと向かい合って座っていた。
窃盗を働いてまで彼が欲しかった薬を、一体何に使おうとしたのか。その理由を聞き出すためである。
――どうして薬を盗もうとしたの?
「……」
その質問して5分ほど経った今でも、ガウディは椅子に座って沈黙を続けていた。けれど、話したくないというよりも、話そうかどうしようか迷っている……そんな風に感じたので、アズは彼が話してくれるまで待つことにした。
鉄格子の窓の向こう側には、先ほどまでここにいた3人の男性が不安そうな面持ちでこちらの様子をこっそりと伺っている。彼らは、アズがガウディに食われるんじゃないか、と心配してくれているようだが、アズはまったく気にしていなかった。なんとなく、ガウディは悪い人ではないと思っていたからだった。
人の気持ちを敏感に感じ取る事の出来る妖精のリリムも悪い気は感じられないと言ってくれた。だから、話を聞いてみようと思ったのだ。
「……が、」
音のない静かな空間特有の耳鳴りが聞こえ始めた頃、ぽつりとガウディが呟いた。
「妹が……死にそうなんだ」
「妹さん?」
「ああ。……メアってんだ」
ほんの少しだけ顔を上げてアズの顔を伺い、また目を伏せて続けた。
「俺たちはこの大陸の最北端にある、ディティール大森林って森に棲んでたんだ。かなりでかい森で、いろんな獣人や獣もいるし、あのブラックドラゴンの生息地としても東大陸の中では結構有名なんだが……」
「ブラックドラゴン!?」
ぎょっとして大きな声を上げると、ガウディが慌てて訂正した。
「ブラックドラゴンの生息地って言っても、俺たちが棲んでんのは森のほんの端っこだ。奴らのテリトリーにさえ入らなきゃ襲われねえし、むしろ強者の傍らで生きてった方が色々と生活しやすいんだ」
「そ、そうなんだ……。ブラックドラゴンって何でも襲うわけじゃないのね」
「アズ……そんなことされたら、ブラックドラゴン以外の種族なんてとっくの昔に滅びてるのよ」
呆れたようなリリムの声に、「言われてみればそうだよね……」と苦笑しながら頷いて、ガウディに先を促した。
「いつからか、見たこともないような変な格好をした連中が森で見かけるようになって、それからしばらくしてから、森のあちこちで例の病が流行りだして――親しい奴らはほとんど死んじまった」
「……」
変な格好をした連中、というワードに、アズの目元がぴくりと引きつった。
「どういう経緯で発病したのかとかって、ガウディわかる?」
まっすぐにガウディの目を見て尋ねると、彼は目を瞬いてアズの顔を凝視した。
「……俺の言ってる事、信じてくれるのか?」
「嘘なの?」
「う、嘘じゃねえ!嘘ついたって何の得も――」
「うん。だから信じる」
きっぱりと言い切って、安心させるように微笑んだ。ガウディは勢い込むように乗り出した身体をゆっくりと元に戻し、戸惑ったようにアズの眼を見つめてくる。
「――大切なんだ」
「……うん」
「大切なんだ。何よりも……俺自身よりも」
「……」
「あいつは……メアは俺の生きる唯一の希望なんだ!絶対に死なせたくないんだ!!あいつまで死んじまったら……俺はっ……俺……は……」
掠れた声が大きくなり、肩が大きく揺れた。それが引き金になったのか、籍を切ったようにガウディは続ける。
「メアが発病してからあちこち回ったんだ!獣人でも見てくれる医者を探して必死になって走り回った!でも、どこも獣人ってだけで門前払いだ!ようやく薬の存在が解って買いに行けば、俺の持ち金じゃ到底足りないくらいの値段でっ……。たった数日でも働いて稼ごうとしても、そこでも獣人ってだけで話すらまともに聞いてもらえない有様だ!
――獣人だから俺の妹は死ぬのか!?殺されるのか!?まだ助かるかもしれないのに!生きられるかもしれないのにっ!!俺だって…俺だってっ……!
――好きで獣人なんかに生まれてきたんじゃねえのに!!!」
バアァンッ!!
怒りを込めて振り上げた両腕が、テーブルに大きな亀裂を走らせる。リリムが驚いて飛び上がり、アズの首元に飛んできて隠れた。
生き物の感情というものを波長として受け取ってしまうリリムは、ガウディの発する、あまりにも理不尽な人間への怒りを敏感に感じ取ってしまい、小さく震えていた。アズはそっとリリムに触れ、安心させるように小さな背中を撫でた。
アズは今だ怒りに震えるガウディを、静かに見つめた。
「……これしかなかったんだ。メアを救うためには、これしか……盗みしかなかった。あとできちんと働いて返そうと思っていたんだ。話をしても聞いてもらえないだろうし、時間もなかった。……犯罪だって解ってた。あとで必ず償おうと。……メアが治れば、その後俺がどうなろうと――」
「よくないよ」
話を遮られたガウディは顔を上げ、アズの顔を見る。
それを真正面から受け止め、アズは続けた。
「ガウディにとって、たった一人の大切な家族なんだよね?でもそれって、メアちゃんも同じじゃないの?ガウディにとって、メアちゃんが居なくなってしまったら困るように、メアちゃんだってガウディが居なくなっちゃったら困ると思う」
「で、でも!そうでもしなきゃメアが死ぬんだ!」
「……うん、わかってる。それしか方法がなかったんだよね。でも、残された人の気持ちも考えてほしいんだ。たとえ病気が治っても、そこにガウディが居なかったら……メアちゃんはどう思うのかな」
「……それはっ」
「それが今できる最善の事で、それしか道が無かったのだとしても。……メアちゃんはきっと、嬉しくないと思うよ」
「…………」
(……あたしも、そうだったから)
娘であるアズとユズの為に、過労死するまで働いてくれた父。こんな言い方をしては、必死になって働いてくれた父には申し訳ないと思う。男手ひとつで育ててくれた父は、きっとアズたちに言えない辛いことがたくさんあったはずだ。
でも、もし。もしその辛いことを少しでも打ち明けてくれていれば。
ほんの少しのことでも、アズに話してくれていたならば……。もしかしたら、父はまだ生きていたのかもしれない。
そう思うと、父の苦労に気づけなかった自分が許せなくなり、同時に何も話してくれなかった父に少しの怒りを覚えた。
それがたとえ、子供に心配を掛けさせたくないという親心であったのだとしても。
「(死んだら、何もかも終わりなのに……)」
きゅっ、と、膝の上で拳を握った。
「(でも、まだ間に合う。……お父さんの時とは違う。メアちゃんは助けられる――!)」
無意識に閉じていた目を開けると、アズは顔を伏せているガウディに声をかけた。
「ガウディ。メアちゃんは発病してだいぶ経つの?今はどこに?」
「……ここから南に行った森の中の廃屋に寝かせてある。発病して……今日で5日目だ」
顔を上げ、絞り出すような声でガウディが答える。1週間で亡くなる病だから、リミットは残り2日と言った所だろうか。……個人差が無ければ、の話だが。
「……うん。よし、決めた」
「? 決めたって……なにを?」
「ガウディ。メアちゃんの所まで案内して。今すぐ!」
「……は?……え?!」
突然立ち上がるアズを不思議そうな顔で見上げるガウディは状況を把握できていない。アズは回り込むとガウディの腕を掴んで立ち上がらせた。
「急いで案内して連れて行って。今ならまだ間に合う!」
「ま、間に合うって……?」
「失礼」
その時、ジークの声が割り込んできた。ガウディと共に扉の方に視線を向けると、にんまり笑うジークがグッと親指と突き出した。
「悪いが話は聞かせてもらった。段取りは済ませてあるから、早いとこ連れて行こうぜ」
「――! さっすがジーク!ありがとう!」
「え?え?」
状況が解っていないガウディがアズとジークを交互に見やる。構わずにガウディの手を引いて扉を抜けると、待ってましたと言わんばかりに3人の男性が押し寄せてきた。
「ごっ……ごめんよ狼くん!そんな理由があっただなんて!なのにあんなこと言ってごめんよぅ!」
「なんで言ってくんねえんだよこの野郎!理由さえ話してくれれば、俺たちだってなあ!……ぐすっ」
「人間だって悪い連中ばっかじゃねえんだよ!話してくれよ、もう!!」
「……っ」
最初は驚いていたガウディだったが、次第に瞳が潤んできたようで、
「す……すまねえ」
視線をそらせて、ぶっきらぼうに謝った。
「狼君」
鼻をすする3人の男性が道を開けると、初老の男性が微笑みながら迎えてくれた。アズが手を引いて男性の前まで連れてくると、ガウディは大きな体をほんの少しだけ屈めて男性の目を見た。
「君の事情はわかった。……さぞ辛かったろう。でも君がした事は、たとえ未遂であっても犯罪は犯罪だ。わかるね?」
「……はい。いずれ必ず償います」
「うむ。よろしい。では、ただ今から君の身柄をセピア・ガーデンに預けます。そこにある監獄塔にて、自らの罪を償う為、精進してきなさい」
「……せ、セピア・ガーデン?」
「――おーい、準備できたぜ!」
いつの間にか外へ出て準備してくれていたらしいジークが、詰所の出入口から顔を出して2人を手招きしている。アズは頷いて答えると、男性に向き直って深く頭を下げた。
「ご迷惑おかけして申し訳ありませんでした。彼の身柄はこちらで預かり、きちんと始末をつけさせます」
「あっ……す、すいませんでした!」
慌ててガウディも頭を下げ、大きな声で謝罪した。その様子を見た男性は満足げに頷き、「妹さんが回復したら、また来なさい」と微笑んだ。
「……はい!」
「さ、行こうガウディ。急がないと」
今度こそ、ガウディの手を引いて詰所を後にする。振り返ると、詰所から出てきた男性陣が手を振って見送ってくれた。
「良い人たちも、ちゃんといるでしょ?」
「……っ」
泣きながら何度もうなずくガウディを見て微笑み、アズは「さあ、メアちゃんの所に連れて行って」と前に向き直る。
町から外へ出る門の向こうに、ジークと彼の竜――グレードラゴンのギルネが待っているのが見えた。
「ぐ、グウゥゥ……」
そのギルネは、近寄ってきたアズを見るなり首を縮めて怯えたような声を上げてずるずると後退した。それを見たガウディが不思議そうに首を傾げる。
「アズさんの竜じゃないんですか?」
「ううん、違うよ。この子はジークの相棒になったばかりの子で、ちょっと前まではノワールの1人と一緒に居た竜なの。その時にいろいろあって……まあ、あたしとヴェールに対してはまだこんな感じ」
「ギッタギタにされた相手だもんな。そりゃ怖がるって」
「ギタギタにしたのは、あたしじゃなくてヴェールだもん」
ケタケタと可笑しそうに笑うジークを半眼で睨み付けると、その時の事を思い出したのか、ギルネがジークの後ろに隠れてブルブルと震えだす。……和解するのは難しそうだ。
アズが初めてクリスタニウムに来たときに出会ったノワールで、セピア・ガーデンに侵入した挙句ひと騒動起こし、アズが戦場の女神を具現化させるきっかけを作ったノワール、ゾイスの相棒竜――ギルネ。ゾイスは今現在も監獄塔にて服役中、野に返す訳にもいかなかったためウィード達飼育員の元で暮らしていたが、いつの間にやらジークに懐いてしまったらしくゾイスからあっさり離れてしまったらしい。ウィード曰くそんな事もあるらしく、「まあ、どんな生き物も力の在る者に従うものですよ」との事だった。
そんなわけで、ジークはギルネ改心のため、相棒として傍に置く事になったのだ。
「竜ですら怯えるって……やっぱりアズさんは只者じゃねえ。アネキ……いえ、どうか姐さんと呼ばせてください!!」
「えぇ!?」
「あっはははは!そりゃあいい呼び名だな。強いアズにはぴったりじゃん」
「ぴったりじゃない!そんな事より早く行かないとでしょ!?もう、ほら早く乗ってガウディ!」
「はい、姐さん!」
ぴっ!と背筋を伸ばしたガウディは大きく返事を返し、ギルネに跨るジークの後ろに乗り込んだ。グレードラゴンは大人が3人~4人は乗れる体躯を持っているので、大の大人2人分はあるガウディが乗っても問題なく飛行できる。
「先行ってるぜ!」
羽ばたきで巻き起こる風になびく髪を抑えながら飛び立つギルネを見送り、自分のすぐ隣に寄り添う姿を隠している相棒に声をかけた。
「不便かけるね、ヴェール」
『まったくだよ。もうギルネと一緒の任務なんてごめんだね。いちいちビクビクしちゃってさ。なんで俺が気を使って隠れるようなことしないといけないわけ?』
ゆらりと視界が揺れ、仏頂面のヴェールが姿を現す。リリムがアズの頭の上でニマニマと笑った。
「そんなこと言って、結構楽しんでるくせに~」
『うん、かなり楽しい。いじめるの癖になりそう』
「こら、ダメだよ。仲良くね」
アズが跨ったのを確認し、翼を大きく広げると四肢で地を蹴って飛び立つ。木々を抜けて上空へ上がり、南へ飛んでいくギルネの後ろ姿を見つけた。
それにしても……。
「変な格好をした連中……か」
なんとなく思い当たる節があり、アズはげんなりと息を吐き出した。
嫌な予感しかしない。