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クリスタル・クロニクル  作者: 氷柱
42/48

38 不穏‐①

 薄暗く、しっとりとした空気が漂う中、5メートル間隔で設置されている仄かな明かりを放つライトクリスタルの導きに沿って、レイズは迷うことなくしっかりとした足取りで廊下を進んでいた。


 冷たい黒い石をレンガのように敷き詰められた床は、レイズの靴音を高く響かせて前と後ろへ反響させていく。


「……」


 今のレイズにはいつもの飄々とした笑顔はなく、その目つきは鋭い。口もきつく結ばれ、いつもの余裕は一切見られない険しい顔をしていた。その原因について追及するべく、そして今回の件についての報告もする為、レイズは自らの上司の元へと向かっていた。


 面倒なので、いつもならば相方のラフィエルにすべて押し付けて自分は酒場へと駆り出すのだが、今回ばかりはそうはいかない。なにせ今回課せられた重要な任務はほぼすべて失敗しているのである。しかもあろうことか、ノワールの一員であるアルテミスまで捕まってしまった。任務を失敗するだけでなく捕虜としてメンバーまでも失う大失態。


(……俺、死ぬかも)


 本気で、そう思った。


 けれど、レイズはそんな事を恐れているのではない。


 死ぬことなど怖くなかった。物心がついてから今現在、死ぬためだけに生きてきたレイズにとって、命を落とすかもしれない状況で戦うことこそ、自分の生きる道だと信じているからだ。戦いの中で死ねるなら本望であり、自分を殺す相手が強ければ強いほどレイズの心を喜びで震え上がらせる。


 戦いこそすべて。

 戦ってこそ、自分はこの世界に存在できる。


 ただ、くだらない、意味のない事で死にたくはない。そのためなら手段は択ばないつもりだった。


 もちろん今から会う上司に殺されそうになったら、何が何でも逃げ出すつもりでいる。


「……!」


 そんなことを考えていた矢先、レイズは目的地である大きな扉の横に立つ人物を視界に入れ、迷いなく進めていた足を止めた。思わず眉を寄せる。


「俺が行くって言っただろ。ラフィエル」


 黒い外套に身を包んだ相方に向けてぶっきらぼうにそう言い放つと、小さく吐息してラフィエルが口を開いた。


「お前が現場にいなかった空白の時間の説明は誰がするんだ?」


「……」


「適当な報告をされると私が困るのでね。……それに」


 おもむろに手を胸の前に持っていき、外套ごとぎゅっと握りこんだ。


「……()()の事を、聞いておきたい」


 ラフィエルの言いたい事が解り、レイズも思わず渋い顔をする。


 ルディアナ国王と王女を逃がした時も、打つ手はいくらでもあった。国を落とせなくても、人質さえとればいくらでも事を起こすことは出来た。


 けれど、それが出来ずに退散する羽目になってしまったひとつの原因の事を、レイズはずっと考えていた。


 胸に刺さった棘のように、いつまでも残る違和感が消えない。その原因を知りたいと進み出たラフィエルに折れ、レイズは肩をすくめた。


「……ったく。解ったよ」


 ズボンのポケットに片手を突っ込み、頭を掻きながらレイズは扉に空いたほうの片手を付いた。ほんの少しだけ力を加えると、レイズの手のひらから紫色の波紋が広がり、一瞬だけ扉全体に白い古代文字が浮き上がる。


 それを合図に、扉は重々しい音を立てながらゆっくりと開いてレイズたちを招き入れた。


「報告に来たぜ」


 部屋に入るなり、いつもの飄々とした態度のレイズへと変わる。呆れたようにため息を漏らすラフィエルを横目でじろりと睨み付け、部屋の中を見渡した。


 高い天井からはライトクリスタルで出来た大きなシャンデリアが吊り下げられ、大きな部屋全体を仄かな光で照らしているため、廊下と同じで少し薄暗い。部屋の中央には長テーブル、そして果物や野菜などが色とりどりに盛り付けられている。

 その長テーブルの先に、食事をしている1人の少年がいた。


「やあ。待っていたよ」


 ナイフとフォークを使って小切りにした肉を口に運びながら、少年はこちらを見ることもなくそう言った。


「座って」


 少年の斜め向かいに用意されていた二つの椅子に腰かけ、レイズはゆっくりと息を吐いた。


「あはは。珍しいね、緊張しているのかい?」


 心底楽しそうに笑われ、レイズは思わずむっとした表情になる。


「自分の失態が解らねえほど馬鹿じゃないんでね」


「ごめんごめん、そんなに怒らないで?」


 口元についたソースをナフキンで拭いながらも、少年はニコニコと笑顔だ。とてもじゃないが、大失態を犯した部下を出迎える上司のする顔ではない。レイズは何故か嫌な予感がした。


「さて。それじゃ、さっそく新しい任務の件だけど、捕虜として捕まったアルテミスをセピア・ガーデンから奪還してくること。一応無期限ね。以上」


「……」


「……え?」


 決して早口だったわけでもないのだが、数回瞬きした後も理解できずに聞き返した。隣に座っているラフィエルも、表情は見えないが固まっている。


 そんな2人の様子を見た少年は琥珀色の目をパチパチと瞬かせ、不思議そうにこてんと首を傾げた。


「どうかしたかい?」


「……いや、え?だって、なんで新しい任務の話に……?まだ今回の任務の件だって詳しく報告してねえのに」


「僕が過去の事をいちいち追及するような上司じゃないことくらい解ってほしいなぁ。一体君たちは何年僕の部下をやっているんだい?」


「……2年くらい?」


「私はもっと長い」


「ならなんでラフィエルまで驚いてんだよ」


「それは……」


 口ごもるラフィエルを横目で見ていた少年は、「まあ、いいじゃないか」とニコリと笑って見せた。


「起こってしまった事柄は、悔やみこそすれ引きずる必要はないよ。なにせ時間は元には戻らないから、考えるだけ時間の無駄って事さ。だったらその失敗を糧に次のステップに進むって事が重要だとは思わないかい?まあ、要はどれだけ早く気持ちを切り替えて次に繋げるかって事だよね」


「は……はあ」


 殺されるほどの覚悟をしてきたというのに、なんだか拍子抜けしてしまい気の抜けた返事をするレイズ。しかし、聞き流しそうになったが、言い渡された任務の内容は当たり前だが難易度が高い。


「前回はゾイスがうまく囮になってくれた(というかした)からうまく潜入出来たものの、今回は近づく事すら困難だろ。そのせいでガーデンの結界もより強力になってる。どうやって入ればいいんだ?」


「“うざぎの穴”を使えばいい。もしくは、入るのではなくて出てきたところを狙うと良いよ」


「出て……来るのですか?」


 ラフィエルが遠慮がちに尋ねると、少年はこくりと頷いた。


「アルテミスの能力は貴重だからね。きっと、彼がスカイワーフの獣人だということはアズを通してガーデン中に割れているはず。使わなければ宝の持ち腐れだし、ガーデンの団長がそのままにはしておかないよ。――ね?レイズ」


「……ああ」


 わざわざゼノの話題になるたびにレイズに話を振ってくる少年に舌打ちしそうになるも、なんとか堪えて答えた。


 その変わりに、ぶっきらぼうに質問した。


「兎が穴掘ってるかどうかなんてアンタにわかるのかよ」


「わかるさ。自分の持つ力を最大限発揮するよう彼に助言したのは僕だからね」


 ナフキンをくるくるといじり始めた少年はそう言い、「僕からの話は以上だよ」と薔薇の形に織り込んだナフキンを机の上に置いて締めくくった。


「僕はしばらくここには戻ってこないけれど、今の内になにか聞きたいことはあるかい?」


 しばらくの沈黙の後、レイズは静かに切り出した。


「……ひとつだけ、聞きたいことがある」


「なんだい?」


「アズの事だ」


「アズ?」


 わざとらしくとぼけたようなしぐさをする少年に、しらばっくれるな、という意味を込めて軽く睨み付けると、彼は小さく笑みを漏らした。


「今回は災難だったね。アレの覚醒の余波を食らうとは」


「……やっぱり、アンタはアレが何か知ってるんだな」


「もちろんさ。なにせ僕は“黒き邪竜”に仕える御子(みこ)なのだから」


 目を閉じたまま微笑む少年はそう言うと、ふいに琥珀色の双眸を開くとその瞳をレイズとラフィエルに向けた。


「そのことについて君たちに話すことはないよ。今のところはね」


「……じゃあ、一つだけ教えてくれ。アレはセピアノスか?それとも……」


 あの蒼い双眸を思い出しただけで胸を鷲掴みされたような圧迫感に襲われ、それ以上言葉が続かなかった。


 レイズは恐れているのだ。あの蒼い瞳を。


 もちろんレイズだけではない。隣に座っているラフィエルも、別の部屋で待機させているクリスティナも。


 そして感じていた。その恐怖は自身に宿るブレイクリスタルから発せられるものだと。


 初めて目にした事なのに、まるで以前にも体験した事のあるような、身に覚えのないはずなのに懐かしささえ感じてしまう、言いようのない恐怖を。


「……」


 そんな2人に視線を移し、少年は琥珀色の双眸を細めて静かに答えた。


「アレは、この世界にとっての異例(イレギュラー)な存在だよ。……来たるべき時が来たら教えてあげよう」








**







 ひんやりと冷たい風と、見慣れない風景の中。


 目の前に悠然と広がる、殺風景な茶色い岩肌が覗く荒野を目の前にして、アズは何となく悟った。


 ああ、また知らない所の夢だ。――と。




「――ねえ、聞いてる?」




 ふと、誰かに話しかけられて荒野から視線を外し、アズは声のする方へ振り返る。


 そこには、見慣れない風景ながらも、いつもアズの傍にいるヴェールの姿があった。


 少しだけ不機嫌そうなオーラを纏っている彼は、とても器用な事に、竜でありながら人間のように眉間に皺なんか寄せてこちらを見ている。……人間顔負けのその表情に、思わず笑ってしまった。


「ちょっと。こっちは真面目な話してんのに、人の顔見て笑うなんてひどくない?」


「……ん、すまない」


 アズはすぐに謝り、にこりと微笑んだ。


 

「……最近、よく笑うようになったね」


「そう?」


「うん。最初会った時は、顔に似合わずなんて無愛想で自分勝手な人間なんだろうと思ってたけど」


「……まあ、否定はしない」


「だから、笑ってた顔の方がいいよ。絶対」


「…………お前はさらっと恥ずかしい事を言うんだな、ヴェール」


「あ、照れた」


「照れてない」


「ねえねえ、今照れたでしょ」


「照れてない!」


 怒ったような声を出しながらも、アズは心が温かくなっていくのを感じて、ああ、懐かしいな、と思った。



 こんな時間が、いつまでも続けはいいのに。









**










「……あ」


 水の底から水面へ浮上するかのように、意識がゆっくりと戻った。


 まだぼやける視線の中、ゆっくりと2、3回瞬きをすると、自分のすぐ耳元からそんな可愛らしい声が聞こえた。


 その声の主に思い当り、アズは天井を見たまま確認するように名前を呼んだ。


「……リリム?」


「……っ! アズゥーーーーーっ!!!」


「――ぐはっ」


 視界にリリムの姿を入れようと顔を傾けた刹那、左の頬に寝起きには中々辛いタックルがかまされ、アズは首の関節がぺキリと鳴る音が聞こえた。


「んもーっ!心配かけさせてこのおバカーーー!!」


「……ご、ごめん……なさい?」


「なんで疑問形!? ちゃんと謝りなさいっ」


 ぺちぺちと頬を叩かれながら困惑していると、「いきなり叫ぶなよ、ビビったろーが!」とすぐ近くで声がした。


 相手を確認し、目を瞬く。


「……なんでロージーがここにいるの?」


「お前、それが見舞いに来てる奴にかける言葉かよコラ」


 パイプ椅子に座ってうたた寝でもしていたのだろうか、寝起きっぽい顔をしたロージーが不機嫌そうな顔をしてこちらを見下ろしていた。アズは思わず怪訝な顔をする。


「……ロージーがあたしの見舞い? ……うそ、今日槍でも降るのかな……」


「真顔で失礼な事いうな!ハンナに言われたから仕方なく来てやったんだよ!」


「ああ、納得」


「……即答されっとなんかムカつく」


 むすっとした顔をして腕を組んだロージーを尻目に、リリムが四つんばいで耳元か寝ているアズの胸の上に移動した。


「今、ガーデンのクリスタルマスターはロージーしかいないの。アズが目を覚ました時に誰かいないと寂しいでしょ?」


「うん。……でも別にロージーじゃなくてもいいかな」


「キサラギてめ、喧嘩売ってんのか……?」


 口元がひくひくと痙攣しているロージーの顔に寝たままほくそ笑んでいると、アズから視線を逸らせたロージーは「あーあ」とつまらなそうに頭の後ろで手を組んだ。


「3日も寝たきりだったくせに元気じゃねーか。付っきりで看る事なかったな」


「――3日っ!?」


 がばりと起き上がると、リリムが悲鳴を上げながらコロコロと胸から落ちて行ったが、気にする余裕もなくぎょっとした顔をしているロージーに問い詰めるように尋ねる。


「あたしそんなに寝てたの!?」


「お、おう。舞踏会から帰って来て、そのまま今の今まで寝たきりだったんだよ」


「……」


 眉間に皺を寄せたまま、ロージーの顔から視線をそらせて自分の両手を見る。


 傷だらけだった腕や足は、今は小さな絆創膏が貼られているだけで、小さな傷はすべて塞がっているようだった。

 頬に触れてみると、小さな絆創膏がいくつかと、大きなガーゼがひとつ貼られている。


 起きたばかりですぐには思い出せなかったが、アズは確かにクリスティナに首を締め上げられて意識を失った。過度な具現化のせいで負担がかかって、いつ強制睡眠に入ってもおかしくないあの状況で、それでも負けじと緊張の糸を張りつめていたのを覚えている。


 ゼノもクラウスも戦えない状態だったあの状況で、自分だけしか戦うことができなかったあの状況で。


 クリスティナの力に圧倒されて、負けたというのに。


「……どうして生きてるの」


 自分の手のひらを見つめ、アズは誰にともなく呟いた。


「――ゼノやクラウスは? アリアとアレクセイ陛下は? ……お城は? それにノワールはどうなったの? どうしてあたし、セピア・ガーデンに戻ってるの? …………みんなは無事なの?」


「……あー、そのことなんだけどよ」


 頭をがしがしと掻いて、歯切れ悪くロージーが切り出した。


「お前、なんか覚えてる?」


「なんかって……なに?」


 首をかしげて聞き返すと、「やっぱそうだよなぁ」なんて独り言のように呟く彼は、言い辛そうに視線を彷徨わせた後、小さくため息をついて続けた。


「その件でクラウスとお前の竜がちょっと揉めたらしいって話」


「…………いや、全然意味わかんないんだけど」


「仕方ねえだろ、俺だってよくわかってねえんだよ」


「え、なにそれ。……揉めたって、2人は喧嘩したの?」


「かなり派手にやり合ったらしいぜ。温室の床が抉れるくらい」


「……なんで?どうして?」


「だから知らねえって。こっちが聞きてえっての!お前ホントに何も覚えてねえのかよ?」


「さっきから覚えてるとか覚えてないのかとか、何の話?あたしが何かしたって事?」


「……えと、リリムが話すの」


 居心地悪そうにしていたリリムがおずおずと手を上げてアズを見上げる。途端にロージーの眉間に皺が寄った。


「おいちび助。お前事情知ってんならもっと早く言えよ」


「ごめんなさいの。リリムもうまく状況把握できてなくて。……えっと、アズは何から聞きたいの?」


 小首を傾げて膝の上から見上げるリリムに、アズは迷うことなく尋ねた。


「ゼノは無事?」


「うん。ゼノはアズよりももっと前に意識が戻ってるの。全治3ヶ月の大怪我だから、しばらくは絶対安静だけど大丈夫なの。……元気はないけど」


「そーいや、昨日見舞いに行った時も浮かない顔してたよな。最初起きた時すごい剣幕で暴れまくったみたいだし、何があったんだか……まあ、聞いちゃまずいオーラがすごかったから聞けなかったけどよ」


 思い出すように天井を見上げて話すロージーの声に耳を傾け、アズはそっと目を伏せた。


 きっと、クリスティナの事で心の整理がつかないのだろう。


 どういう関係だったのかははっきり解ってはいないが、ゼノにとっては取り乱すほどに大切な人だったクリスティナは、有ろうことか敵対するノワールの一員としてゼノの前に現れた。


 どういう経緯でノワールに入ったのかも解らないが、近いうちにまた会う……。そんな気がしてならない。


「……そっか。じゃあ、ルディアナはどうなったの?王様たちは?」


「王様もお妃様もお姫様もみんな無事なのよ。怪我をした人たちはたくさんいるみたいだけど、亡くなった人はいなかったって話なの」


「そう、よかった……」


 あれだけの爆発が起きたというのに死者が出ていないとは奇跡だ。アズはホッと胸を撫で下ろした。


「ちなみに、ガーデンのみんながほとんど出払ってるのは、半壊したルディアナ城の片づけに駆り出されてるからなの。人手不足、なんだって」


「……そっか、お城の兵士さんたちも怪我人が大勢いるんだもんね」


「だからって、なんでハンナまで行かなきゃいけねえんだよ。か弱いハンナよりゴリラ級の怪力女を連れてった方が仕事もはかどるだろうに――」


 ひゅんっ


 アズは手近にあった果物ナイフをロージーの顔スレスレ目がけて躊躇なく投げつけ、ビイィィィン……と後ろの壁に突き刺さって揺れる音を聞いて固まっているロージーに向かってにっこり笑いかけた。


「何か言った?」


「…………イイエ」


 3日も寝たきりだったが、どうやら腕は鈍っていないらしい。そのことに満足しつつ、アズは話を切り替えた。


「じゃあ本題なんだけど……ノワールはどうなったの? 圧倒的に有利だったあの状況から、まさか撤退したわけじゃないでしょ?」


 現にアズは負けた。圧倒的な力量とクリスタルの持続力の差で、力の差を見せつけられた。クリスティナにしろ、レイズにしろ、1対1で戦っても今のアズでは到底敵わないと実感する。――冷静に考えられる今だからこそ解る。


「……その質問は、さっきの喧嘩騒動も踏まえてヴェールに直接聞いた方がいいと思うの」


「ヴェールに?」


「うん。クラウスは今ルディアナに行ってていないし、ヴェールならアズの部屋にいると思うの」


「あの竜、喧嘩騒動があってからお前の部屋から出てこねえんだよ。もう2日も飲まず食わずで」


「……え?」


大食らいではないにしろ、それなりに結構食べるはずのヴェールが2日も断食状態など考えられない。リリムは困ったように腕を組んで首をかしげている。


「アズのお見舞いにも来ないでなにしてるのかなぁ」


「……あたし、今からちょっと行ってくる」


 布団を払って立ち上がり、「ちょ、勝手に行くなって!俺がドヤされるだろ!」と慌てて立ち上がるロージーの横を通り過ぎて横スライドのドアを開けた。


 ……が、


「あらん?どこ行くの?」


 すぐ目の前に白衣をまとった男性の胸が現れ、頭のてっぺんから不思議そうに尋ねてくる男性の声に、アズの体がぴたりと止まった。……一瞬にして嫌な汗が出た。


「アタシの許可なく勝手に退院されちゃ困るのよねえ、アズちゃん」


「す……すみません、ドクター・リヴ」


 相手の喉のあたりを恐る恐る見上げ、アズは縮こまった。その後ろではロージーの「げっ」と言う声だけ聞こえたが、顔は見なくても想像できる。たぶん引きつって冷や汗を流しているに違いない。


「もう、アズちゃんったら!アタシの事は“リーヴちゃん”って呼んでって言ってるでしょ?」


 そう言って、バチコンと効果音が付きそうなウィンクをして、ドクター・リヴこと、リーヴ・ハマンド医師(♂)はにっこりと笑った。


 ――そう。

 何を隠そう、いや本人はむしろ微塵も隠していないのだが、この男性は俗に言うオカマさんなのである。それもかなり珍しい、見た目はまったく女性らしくない、むしろオカマにしておくのはもったいないくらいのイケメンなオカマさんだった。


 金色に近い亜麻色の短髪に、部分的に長くしている髪を後頭部で一つに結わえて垂らしている。横に流している前髪から覗く瞳は綺麗なアイスブルーで、空色の瞳を持つアルテミスとはまた違った色合いをしていてつい魅入ってしまう。

 格好も、白い白衣の下は黒いワイシャツに、黒いジーンズ。靴もエナメル質の先の尖った、背の高い男性が履くようなカッコいい物で、見るからに女性受けを狙ったような服を着用している。


 声も女性を意識したような話し方でがあるが、変に高いのではなく俗にいうバリトンボイス。その魅惑の声で紡がれる言葉は、何故オカマさんという道に目覚めてしまったのかと泣きたくなるほど、オカマさんにしておくにはもったいない男性だった。


 身長160cmのアズに対して、リーヴの身長は190cmジャスト。30cmの差はあまりにも大きく、直観的に今の立ち位置から見上げると首を痛めるに違いないと判断し、アズは一歩下がって無難な角度からリーヴを見上げた。


「あたしもう大丈夫なので、部屋に戻ってもいいですか?ヴェールに会いたいんです」


「アズちゃん、大丈夫かどうかは医者であるアタシが決めるのよ。……まあ、とりあえず一旦座りなさいな。今すぐ診てあげるから」


 有無を言わさず肩を掴まれ、そのまま反転してベッドの上へ座る。ロージーが座っていたパイプ椅子を移動させて自らが腰を下ろし、「乙女が脱ぐのよ。ロージーちゃんは出てってなさい」と笑って追い払う。


「へいへい」


「じゃあリリムは女の子だから残るのー」


 ロージーの頭に乗っていたリリムは嬉しそうにそう言って、リーヴの肩にちょこんと座った。


「さ。自分で服を捲ってちょうだい」


「あ、はい」


 ロージーが出ていった事を確認し、指示された通りにアズは自分の服を捲って腹部をあらわにした。薄らとではあるが、所々に薄紫色の痣が出来ている。


「生き物の体って以外と脆くてね。見た目は大したことなくても、骨にヒビが入ってたりするもんなのよ。知らない間に折れてました、なんて話もしょっちゅうなんだから」


 まあもちろん、とても小さな骨に限るけどね、とリーヴは苦笑した。


「アズちゃんの場合は異例っていうか、構造上は変わったところはないけど、中身はこの世界の人間とはまったく違うってところが不幸中の幸いね。いくらクリスタルマスターでも、生身の人間であればルディアナ城のホールの天井から床までのあの高さを裸足で着地して無事で済むはずないもの」


「あ……あははは……」


 足の骨をチェックしながらそんな事を言うリーヴに、アズは乾いた笑い声しか出なかった。ちなみにその話はクラウスとゼノから聞いたらしい。


 そこでふと気になり、アズの身体能力は獣人と同じレベルなのかと聞いてみたところ、リーヴは一瞬考えた後、こう言った。


「獣人というより獣レベルね。アズちゃんの怪力に至っては、霊長類最強と言われている怪力を持つ、ベルセルクコングって言う獣に匹敵するかもしれないわねえ……――って、あらやだ。どうしたのアズちゃん」


 その瞬間、アズの目の前が真っ白になったのと、廊下で待っていたロージーが盛大に噴出したのはほぼ同時だった。


 ドアの外側で大爆笑してるロージーの声を不思議そうな顔で聞きつつ、リーヴは「アタシ、なにか可笑しなことでも言った?」と尋ねてくるが、真っ白に燃え尽きたアズは力なく首を横に振ることしかできなかった。


「……ロージーは間違ってなかったのね」


「?」


 ぽつりと呟いたリリムに返せる言葉もなく、診察が終わるまで生気の抜けた顔で「霊長類……コング……ゴリラと同類……」とブツブツ呟くアズは人形のようにされるがままになったのは言うまでもなかった。




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