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クリスタル・クロニクル  作者: 氷柱
41/48

37 波乱の舞踏会‐⑤

…………


……



 そして、アズは回想を止めて前を向く。


 見れば、倒れているラフィエルを囲むようにゼノとクラウスがボソボソと何かを話し合っているようだ。……聞こえないけど、たぶん生かすか、殺すか、そういう話をしているのだろう、と思った。


 状況こそ打開出来たように思えるが、アズは緊張の糸を緩めることは出来なかった。むしろ先ほどよりも警戒してあたりをゆっくりと見回す。


「……あの、ゼノ」


「ん?」


 小さく遠慮がちに呼びかければ、すぐに顔を上げてゼノが反応する。満身創痍といった彼は表情こそいつも通りに戻ってはいるものの、やはり一人では立っていられないのか、いまだにクラウスに支えてもらっている。


 そんなゼノに追い打ちをかけてしまったようで、アズの問いかけでさっと顔つきが変わる。


「レイズは――どこですか?」


「っ……!」


 アズのその一言で、ゼノだけでなくその場に居た全員の顔に緊張が走る。


「レイズは確か……5分ほど前に会場を出て君たちの様子を見に行った。……それ以来姿を見ていない」


『マズイね。もう戻ってくるんじゃない?』


 ヴェールの言葉でアリアエルはびくりと肩を跳ねさせ、アールレヴィの顔に抱きついた。それを安心させるように小さなアリアエルにすり寄る。


『大丈夫だ、アリア。もう離れない。……だがここからは離れた方がよさそうだ』


 そう言って、壇上にいるアレクセイへと顔を向ける。……アズは思わず怪訝な顔をした。なぜこんな戦場と化しているホールに陛下がいるのか。


「陛下!アールレヴィと姫様と共に安全な場所へお逃げください」


「……ああ」


 ゼノの声に数秒の間を置いて頷き、クライスセブンの団長であるグランツェルと共に降りてくる。アズはとりあえず状況把握のためにクラウスに話を聞くと、アズの居ない間の空白の時間に起こった出来事を聞くことができた。


 つまりノワールの狙いはあくまでセイレーンのアズではなく、国王を殺すことによるルディアナ王国の破滅――。ならば余計に命を狙われているアレクセイとアリアエルはこの場から移動するべきだ。

 もし万が一、ラフィエルも仮面のノワールも戦闘不能状態だと知って1人で逃げてくれるなら話は別だが、警戒するに越したことはない。


「レヴィ、アリアと陛下の事……お願いね」


『ああ、もちろんだ。……君も、無茶をし過ぎないように』


『俺がついてんだから大丈夫だって』


『ふ……そうか。そうだな』


 横から割り込んできたヴェールに笑みを漏らし、レヴィは2人が乗った事を確認して入ってきたところから外へと出て行った。一瞬アレクセイが振り返り、何か言いたげな表情でゼノを見つめていたが、結局何も言わずに闇の中へと消えていった。


 ゼノを見れば、どことなく悲しそうな顔をしていた。


 声を掛けようと一歩踏み出したその時、聞きたくない声がホールの中で反響する。



「あーあ、結局逃がしちまった」



 バッとその場に居た全員が声のした方を向けば、一体いつからそこにいたのか、檀上の上にある玉座に腰掛け、ニヤニヤと笑っているレイズの姿があった。

 ゼノが一歩前に踏み出して、鋭い視線でレイズを見上げていた。


「よーお、ひっさしぶりだな~、アズ。元気してたか?」


「……」


「なんだよ怖えなあ、そんなおっかない顔で睨むなよ。ぞくぞくするだろ?」


 思わず片方の眉がぴくっと痙攣して、たまらず視線を逸らした。……もちろん気色悪かったからだ。鳥肌が立つほどに。


「いや~、現場に行ってみりゃアズも兎もいないしどうなったのかと思ったら、アズってばピンピンしてんじゃん。まさかあの兎がしくじるとは正直思ってなかったぜ。俺は獣人って嫌いだけど、あいつの能力はちょい信用してたからなおさら衝撃的だったね。どうやって下したんだよ?」


「答える義理なんてない」


「わあ冷たい。でもそこがいい。どんどん俺好みの女になってくなあ?アズ」


「気色悪いこと言ってないで、さっさと動けない仲間を連れて帰ってよ。もうあんたたちの目的は果たせないんだから、ここにいたって意味ないでしょ?」


「意味がない?そりゃ一体どういう意味だ?」


「……え?」


「それにそいつらはまだ動けるぜ?なあ――(シー)?」


 レイズの問いかけに答えるように、後ろで電気の(ほとばし)るような音が聞こえた。はっとして振り返れば、仮面から発せられる青白い電流が鞭打つようにそのノワールの体に奔っている。


 ――無理やり起こしてるのっ……?


「やめて!何てことしてるのっ!?」


「何って、調教?だってほら、いつまでも寝かしとくわけにはいかねえだろ?今仕事中なんだし――ほら、さっさと起きろ、C」


「う……ぐっ」


 ビクビクと体を痙攣させながらも上体を起こす仮面のノワールに、アズは思わず駆け寄りそうになる。


「あっはは、アズってほんっと甘いよなあ?改めて言う必要もねえけど、そいつはお前の敵なんだぞ?心配してる暇があるなら今の内に殴って気絶させるとかしたほうがいいんじゃない?」


「レイズッ……!お前がここまで下衆な非道に走るとは思わなかったぞ……!」


 アズが答えるよりも先に、噛みつくように叫んだのはゼノだった。それを支えているクラウスも下卑(げび)た者を見るような冷たい目をしている。


「おや、まだ居たのかよ団長殿?でもこんなもんで非道とか言われたくないねえ。――あんたにとってのお楽しみはこれからなんだぜ?」


 意味深に笑い、玉座から立ち上がったレイズは片手を前に突出し、高らかに言った。


「さあ、C!セイレーンを生け捕りにしろ!」


 ふらふらと立ち上がった仮面のノワールが、体を折って何度が小さく急き込んだ。小さすぎて聞き逃しそうになったが、それは――女性の声だった。


「……なんてことを」


 思わず顔を歪めて番を構えるも、戦う気はなかった。どうにかしてあの仮面だけでも剥がせれば、操られているあの女性を助けることが出来るかもしれない。


 どうやって仮面を剥がそうか思案していると、ふと、フードから溢れるように流れている蜂蜜色の一束の髪が目に入る。


 それが、何故か引っかかって。


『「――アズ!!」』


 その場にいたクラウス、ゼノ、ヴェールの声に我に返ったとき、赤黒いなにかが視界の端を横切った。


「――っ!!?」


 咄嗟の反応の遅れと完全な不意打ちだった事により、アズは赤黒いモノの正体を掴む間もなく真横に吹き飛ばされた。横っ腹に激しい激痛が走り、受け身を取り損ねて肩から床に叩きつけられる。その拍子に番の片割れが手から離れた。


 カーンッ


 番の片割れは大理石の床に落ちて跳ね返った後、空中で光の粒子となり消えてしまった。


「はい、一本~」


 レイズの嬉しそうな声が場違いに聞こえる。アズはすぐさま起きようと試みたが、起き上がることはおろか上体を支えるだけで腕ががくがくと悲鳴を上げてそれ以上体が動かない。


「うっ……うごけっ……!」


 意識ははっきりとしているのに、体が言うことを聞かない。アズは思わず歯ぎしりする。


「外見はピンピンしてるように見えても、中身ズタボロだなあ。長時間具現化させ過ぎたツケが回ってきてるんじゃねえの?自己管理はちゃんとしなきゃなあ」


 認めたくはなかったものの、アズは頭の片隅でレイズの言うとおりだ、と納得している自分がいるのがわかった。

 今まででも、こんなに長い時間戦場の女神(ヴァルキリア)を発動させた事なんてなかったし、集中力を要する固定を連発して出したこともなかった。


 それでも今もなお具現化できているのは、本当に気を抜けない状況だから。


 一度具現化を解いてしまえば、おそらく強制睡眠に入ってしまう。それほどまでに、心が疲弊していた。


「双剣が一本消えて、片手剣になっちまったな。無駄な抵抗は止めて大人しく捕まっといたほうが利口ってもんだ。……死にたくなければ、の話だけど」


 檀上から降りてくるレイズを恨めし気に見上げ、アズはゆっくりと自分を跳ね飛ばしたモノの正体を見る。


 それは禍々しいまでの赤黒い光を纏う、棘の生えた茨。腹部に奔った激痛は、あの棘が刺さった痛みだったらしい。とめどなく流れ出る腹部の血の感触を全身で感じながら、アズはどこかぼんやりとし始めた頭で違うことを考えていた。


「――止まれ、レイズ」


 怒気の籠った低い声音が、レイズの足を止める。


「……もっと早くに、こうするべきだった」


 ヴェールに助け起こされながら見れば、聖なる追弓(ホーリーアロー)を具現化して弓を引いているゼノの姿があった。隣にいるクラウスも、自身のクリスタルである破壊の大剣(ラグナロク)を具現化させている。


「後悔するなら教会に行って懺悔でもしてろよ。……とは言いつつも、お前ら2人の相手はさすがに俺1人じゃキツイよなあ……まあ――負ける気はしないけど」


 黒い革製の靴のつま先で床をコツコツと踏み鳴らし、レイズはニヤッと笑って囁いた。



「蹴り砕け、俊足の枷(ヴァンドレッド)



 胸からあふれ出た赤黒い光がレイズの両足に集約し、足先から太腿まで覆われた禍々しい装甲に変化する。アズは思わず目を見開いた。


「クラウス、頼むぞ」


「はい」


 クラウスの返事を合図に、ゼノが弓を射る。放たれた一本の青い矢は、鋭く(つんざ)く悲鳴のような音を上げ、一瞬で分裂をして10本ほどの数になる。


 避けられずはずがない――そう思った次の瞬間、微動だにしなかったレイズの姿が掻き消えた。


「えっ――」


 声を上げる間もなく消えた時と同じように一瞬でゼノとクラウスの前に姿を現したレイズに、待っていたと言わんばかりにクラウスの破壊の大剣(ラグナロク)が振り下ろされた。


 ギィンッ


 レイズの片足がそれを受け止め、押し返すように破壊の大剣(ラグナロク)を蹴りあげた。しかし間髪入れずにゼノが至近距離で弓を射ると、レイズは蹴りあげた姿勢そのままで高く跳躍してそれを交わす。

 空中に舞うレイズに、ゼノは先ほどの10本に分裂する矢を続けざまで何度も放ち、その間にクラウスが振りぬく姿勢で破壊の大剣(ラグナロク)に力を込める。――破壊の大剣(ラグナロク)が、大きく輝きだした。


「げっ」


 矢を足で華麗に薙ぎ払ったレイズはクラウスの攻撃態勢を見てそんな声を出すが、次の瞬間、楽しそうにニヤリと笑った。


「――はあっ!」


 気合の掛け声と共に破壊の大剣(ラグナロク)を横に薙ぐと、青い光の斬撃が何本も飛び出してレイズを襲った。直撃したようで、爆発音と白い煙が空中で炸裂する。アズは自分の状況も忘れてた固唾を飲んで見守った。


 もうもうと立ち込める煙から、ひゅっ、と何かが飛び出して少し離れた場所に床を滑りながら着地する。


「あーあ、楽しいね。まったく」


 服が汚れてはいるものの、まったくの無傷で笑うレイズがそこにいた。


「相変わらずその戦法かよ、見栄えしねえな」


 服の裾をパタパタと払いながらレイズ。幾度となく戦いを交えてきたような口ぶりだった。


「接近戦が不得意なゼノを補うようにクラウスのガキがいて、いざ距離を取れば今度は矢が飛んできやがる。ねちねちしたつまんねえ戦法だな」


「信頼しあえる仲間がいればこその立派な戦法だ。……お前には一生縁のない戦い方だろうが、な」


「ははっ、確かに!……でもまだまだこれからだぜ」


 再び掻き消えたレイズがクラウスの斬撃を避け、2回目のぶつかり合いが開始された。


『アズ、よそ見終わり。そろそろこっちもどうにかしないと冗談抜きで捕まるよ』


 激突する3人の戦いを見ていたアズの視界に、ぬっと割り込んでくる碧い瞳が言った。


『赤髪の注意があっち向いてる今がチャンスだよ。……立てる?』


「う、ん……まだ痛いけど、行ける」


 自分に言い聞かせるように頷き、ヴェールの体を借りてなんとか立ち上がる。ちらりと立ったまま動かない仮面のノワールを見やり、アズは目を細めた。


「……まさか、ね」


『うん?何?』


「いや、そんなはずないし……」


『だから何の話さ?』


 ヴェールに答えようと口を開いた瞬間、仮面のノワールがすっと右手をこちらにかざす。嫌な予感がしたので「()けて!」とヴェールに叫ぶと、案の定アズの足もとから茨が飛び出してきた。


「ぐっ……!」


 避けざまにふらつくも、茨はなおも生きた蛇のようにのたうちながらまっすぐアズ目がけて迫ってくる。反対側に飛んで回避していたヴェールが四肢を踏ん張って翼を大きく広げた。


『がら空きだっ!!』


 大理石を踏み砕く程の脚力と、翼の羽ばたきで増幅された突進を仮面のノワールに向けて繰り出すヴェールだったが、ノワールの足もとから出現した3本の茨に行く手を阻まれ咄嗟に方向転換する。


『なんだよくっそ!まだ出せるのかよ!』


 アズを追ってくる茨とは太さが違い、若干細くはなっているものの、次から次へとノワールの足もとから茨が大理石を突き破って生き物のように生えてくる。アズの背中にぞくりと悪寒が走った。


 ヴェールお得意の尻尾攻撃も、鋭い棘の生えた茨には逆効果にしかならない。……肉弾戦ではなく、やはりクリスタルを使っての接近戦しかない。でなければヴェールが傷ついてしまう。


 アズは、片手剣になってしまった番を強く握りしめた。


 ――やるしかない。


 茨から逃げていたアズは踵を返して床を滑り、番を両手で持って構える。


『アズ!?』


 ハッとしたようなヴェールの声を聞き流し、アズは目に神経を集中させてセピアノスの力を借りる。すると、アズの見る世界が変わった。


 すべての動きが残像を引きながら、ゆっくりとしたスローモーションの世界になる。迫りくる茨も例外ではなく、先ほどとは打って変わってゆっくりと近づいてくる。アズは迫る茨を避け、そのまままっすぐノワールの元へと走り出す。


「(時間がない、急げ――!)」


 目の奥に鈍くも重い痛みを感じながら、番を持つ手を横に振りかざす。


 狙いは、仮面――!


 ノワールの目の前で踏み込み、振りかざした番を仮面の表面ぎりぎりに狙いを定め、掛け声とともに薙いだ。


「はっ!」


 光の残像を引いて仮面に当たった衝撃がノワールを襲い、その瞬間にアズの視界が元に戻った。スローモーションだった世界が終わり、仮面のノワールは斬撃の衝撃で後ろへ仰け反る。


 その時、ノワールに接近していたアズの鼻腔を、嗅いだ事のある香りが通り抜けて行った。


 それはいつか嗅いだ、薔薇の香水の香り――。


「……え」




 セピアノスの目の力は終わったはずなのに、アズの見る世界は再びスローモーションになっていた。



 仰け反るノワールの仮面が割れ、同時にフードも衝撃で滑り落ちていく。



 その中からゆっくりとあふれ出る、蜂蜜色の長い髪――。



 割れた仮面の下から覗いた口には、薔薇を連想させる真っ赤な唇――。



 嗅いだ覚えのある、薔薇の香水の香り――。



 そして、



「う……」



 倒れる事を回避したノワールが頭を押さえつつ、ゆっくりと顔を上げる。荒い息を繰り返しながら、その目で確かにアズの目を捉えた。


「……ク、」


 痛みに顔を歪めているその顔は、やはり見間違いなどではなくて。


 ドレスを着れば、お姫様かと見間違うほどの上品な女性が、そこにいた。



「――……クリスティナ」













 それは、ルディアナの捜索任務の時に出会った、薔薇の人。


 ルディアナ城の外壁の外にあった小さな湖の湖畔に佇み、優しげな目で城を見つめていた人。




 ……何故あの時気が付かなかったんだろう。




 あの時彼女が来ていたあの黒い外套は、ラフィエルが身に着けている物とまったく同じだったのに。


 ハイノウルフに襲われても、怖がるどころが微動だにすらしなかった、あの表情に。


 なぜ気づけなかったんだろう。








「……ティナ?」


 突然聞こえた声に、ハッと我に返る。声のした方を見れば、聖なる追弓(ホーリーアロー)を持っている腕をだらんと下げて放心したようにこちらを見ているゼノの姿があった。


 正しくはアズではなく、その双眸はまっすぐにクリスティナを捉えていた。


「ティナ、なのか……?」


 すがるような、確かめるような声――。アズは困惑してゼノを見つめる。もしかして……知り合いなのだろうか。


「あ~あ。よりにもよってアズに暴露されるとはねえ。もうちょっと先延ばしにしたかったのになあ」


 やれやれ、と首を振るレイズに、ゼノがゆっくりと顔を向けた。


「感動の再開だろ、ゼノ?……まあ、喜べる再開ではないだろうけど」


「レイズ……貴様っ……」


 放心した顔に、目に見えて殺意が湧き上がる。ふるふると怒りで聖なる追弓(ホーリーアロー)を持つ手が震え、次の瞬間、


「ティナに何をしたあああぁぁぁぁ!!?」


 爆発した怒りが無数の矢となり、雨のごとくレイズに襲い掛かる。青く美しく輝いていた聖なる追弓(ホーリーアロー)は濁ったような色に変化してしまっている。――怒りに心頭した心の影響を受けているようだった。


「俺は何もしてねえよ!責任転嫁も(はなは)だしいなあ?」


 雨のように降り注ぐ矢の猛攻撃を、ホールを縦横無尽に飛び回ることによって回避するレイズがあざ笑う。すべてを避けきれているわけでもないらしく、その体のいたるところに刺し傷や切り傷を受けてはいるが、むしろ表情は活き活きとしているところがまた不気味だった。


「その女がそうなった(・・・・・)のは誰のせいでもない!あんた自身のせいだ!恨むなら自分を恨めよ!!」


「師匠!!」


 怒りで我を忘れているのか、ゼノの攻撃は絶大だがあまりにもムラがあり過ぎだ。まだクリスタルマスターになって日が浅いアズでもそう思ってしまうほどの攻撃に、クラウスが正気を取り戻そうとゼノを呼ぶ。


 しかし、


「ははっ、傑作だね」


 また一瞬にして姿を消し、ゼノの背後へと姿を現したレイズが顔を歪めてあざ笑った。


「あんたの愛した女は、あんたのせいで壊れちまったんだぜ?……ゼノ団長さんよ」


 囁くような小さな声だったのに、離れているアズの耳にまではっきりとその声は届いた。そして、


「自分を恨んで、世界も恨めよ……そうすれば楽になるぜ」


 目を見開いて放心するゼノの横腹に、装甲の付いた鋭い回し蹴りがめり込む。


 骨の砕ける、とても嫌な音がした。


「師匠ーーーーーー!!」


 蹴りの反動で吹き飛んだゼノは壁にクレーターを作り、人形のように床に落ちた。その瞬間だけすべての音が消え失せ、アズは思わず目をそらしてしまった。


 また、心の光が大きく揺れる。


「……こちらも始めましょうか、アズ」


 仮面を割ったときに受けただろう頬のかすり傷から血を流しながら、何事もなかったかのようにこちらに向き直ったクリスティナは柔らかく微笑んだ。


 今の会話からすると、ゼノの愛した女性という事になるが――クリスティナはゼノを見ても表情を変えることもなく、そして気にもしていない様子だ。そこが何故かとても不気味に思えて。


「ノワール……だったの?」


「ええ。貴女と会う、ずっと前からね」


 振り絞るようにつぶやくと、肩にかかる一束の髪を優雅な手つきで後ろへ払って肯定する。


「下見ついで探し物をしていた時だったわね。貴女と出会ったのは」


 そう言われ、あの時の会話を思い出した。



――探し物をしているの。


――どうしても見てみたいものがあって。でも来てよかった。この目で見ることが出来たんですもの。



「あの探し物って……」


「もちろん、貴女。偶然ってすごいわ。会えるとは思っていなかったから」


「どうしてあたしを……?」


「レイズから話を聞いていたから、一目見ておきたくて。……戦う相手の情報は、少しでも多く知っておきたかったの」


「戦うってっ……その時から……!?」


「だって私たちは、敵同士だもの。ね?当然でしょう?」


 そう言って、また微笑んだ。……なんて邪気のない笑みなんだろう。とても世界を滅ぼそうとしているノワールには見えない。


 ……いや、邪気がないからこそ、逆に最も恐ろしい存在なのかもしれない。


「さあ、アズ。もう限界が近いのでしょう?今楽にしてあげるからね」


 それはまるで、これから眠りにつく子供をあやすような、とても優しい声音だった。


 アズの知らない、母親のような声だった。





**





 床に崩れ落ちてピクリとも動かないゼノに駆け寄り、クラウスは何度も必死に呼びかけた。


「師匠っ……師匠!!」


 折れた骨が内蔵にダメージを与えているのか、口から大量の血を流しているゼノはまったく反応を示さない。クラウスは胸に耳を当て、微かだが聞こえる弱い鼓動に心底安堵した。……よかった、まだ生きている!


「たかが1人の女の為にここまで無様にやられてくれるとは、本当に人間ってやつは愚かだよなあ。……お前もそう思うだろ?」


 すぐ近くで聞こえた声に、ゆっくりと顔を向ける。――これ以上にない殺意を込めて。


「なんだ、まだやるってか?お前もゼノと同じ目に合わせてやってもいいんだぜ?……とはいっても、ぶっちゃけ俺も限界なんだけど」


 そう言って、レイズはあっさりと俊足の枷(ヴァンドレッド)の具現化を解いて息を吐いた。


「C――って、もう名前隠さなくてもいいのか。……クリスティナさえいればお前も簡単に沈めてやるから安心しな。……俺がとどめをさしてもよかったんだけど、さすがに今日は疲れたわ」


 聞いてもいないことをペラペラと好きなだけしゃべり散らし、レイズは今だに目を覚まさないラフィエルの元へと歩き出した。


「まあ、本来の任務は失敗しちまったけど、セイレーンを連れて帰ればブレイオスもノヴァの奴も文句は言わねえだろうし……後はラフィエルにドヤされるだけか。おっかねえなあ」


 レイズの後ろ姿を睨みつけながら、そっとゼノを床に寝かせる。


 俺はまだ、やれる――。


 殺意を込めてクリスタルを握ったその時、アズの悲鳴が聞こえた。


「!」


 声のした方を見ようとした瞬間、クラウスの足もとから数本の茨が突出し、すごい力で床に押し付けられた。続いてヴェールの驚いたような声も聞こえる――捕まってしまったようだ。


 どうにか顔だけそちらに向けると、茨に首を締め上げられて宙吊りにされているアズの姿が目に入った。苦しそうにもがいているその下には、クラウスと同じく床に貼り付けられながらも暴れているヴェールの姿があった。


『てんめ、このやろっ!アズを離せっ!』


 棘が食い込むのも構わずに翼をいっぱいに広げて脱出を試みるも、ノワールの女――クリスティナがヴェールに向かって柔らかく微笑むと、更に出現した数本の茨でがんじがらめに抑え込まれた。


 一体いくつ出てくるんだ、あの茨は……。


 無尽蔵と言ってもいいほどの底が見えないクリスティナの力量に、クラウスは無意識のうちに恐怖していた。


「さあ、アズ。もう眠りなさい。今日はいっぱい頑張ったものね?疲れているでしょう?」


 声音こそ優しげに聞こえるものの、やっている事はそれとは正反対だ。ゆっくりとアズの首を締め上げていくそのさまに、不気味さを感じた。


「はっ……あっ……!」


 必死に軌道を確保しようと茨の間に腕を入れようとしていたアズの手から、番の片割れが滑り落ちた。それは床に触れる前に、力尽きたように粒子となり消えてしまう。


 それと同時に、アズの腕が力なくダラリと垂れ下がった。


「……よくやったクリスティナ。もう離していいぜ」


 レイズの言葉に頷き、茨がアズを床に寝かせる。ヴェールが何度もアズの名を呼ぶが、まったく反応しなかった。


「強制睡眠ってホント良いシステムだぜ。誘拐するには最高の状態だよな――っと」


 ガラガラと音を立てて、レイズが瓦礫をどかせて何かを引っ張り上げる――それは、粉塵で真っ白になってしまった外套に身を包んだラフィエルだった。


「おーおー、完璧に伸されちゃってまあ。ホントに体だけは軟弱なんだか――」


 ガッシッ


「……ら……」


 気絶しているはずのラフィエルが自分の肩を掴んでいるレイズの腕をわしづかみにしており、さすがのレイズもぎょっとしたような顔で言葉をつづけた。


「よ、ラフィエル……ずいぶんゆっくりお休みだった……な?」


「レイズ……覚悟は出来てるんだろうな?」


「え、いや説教はアジトで聞くから――」


「歯ぁ食いしばりやがれ」


 ゴッ!!


「がふぅ!!?」


 まったくの躊躇も感じられないくらいの見事な右ストレート(グー)に加え、間髪入れずにアッパーカット(グー)まで顎に命中させた。


 吹っ飛ぶレイズの姿を、クラウスとヴェールは思わず冷めた目で眺めた。


「らっ……おま、そんなに元気なのになんで初っ端にやられてんだよ!」


「貴様がそれを言うか?私がゴールデンドラゴンを縛り付けている間は無防備であることは貴様も承知だろうが。ふざけるなこの豚野郎が死ね」


「いや口調変わり過ぎて別人になっっちゃってるよラフィエル。一旦落ち着こうぜ?な?」


「私が落ち着く時それはお前が死ぬ時だもういっぺん歯ぁ食いしばりやがれこのカス野郎が」


「ちょ、ちょおストップ!マジでストップ!!アズを捕まえたんだって!」


「……何?」


 ぴたり、と拳を振りかぶっていたラフィエルの動きが止まった。


 その拳を冷や汗を流しながら見ているレイズが「まあ、王族には逃げられたんだけど……」と付け足した瞬間に、左ストレート(グー)が横っ面に決まった。


「本末転倒だこのハゲ」


「ぐふっ……ハゲてねえし!」


「――第一、あれのどこが捕まっているんだ?」


「……は?」


 ラフィエルの言葉を一瞬聞き逃し、レイズもクラウスもヴェールも同じ表情をした。


 その反応に首を傾げ、ラフィエルはレイズの背後を指差し、



「……拘束もせずに、大丈夫なのか?」



 と、不思議そうに言った。



「――!!?」



 レイズだけでなく、クラウスとヴェールもバッと倒れているはずのアズに頭を向けた。――顔を向けて、言葉を失った。



 そこには、項垂れてはいるものの、確かに自身の足で地を踏み立ち上がっているアズの姿があった。



「……」


 無事だったのか、と安堵するよりも先に、何故か彼女の姿が不気味に思え、言葉を発せなかった。それはレイズも同じようで、口を半開きにしたまま項垂れているアズの姿を凝視していた。


 クリスタルの具現化のタイムリミットは人それぞれ違うが、オーバーすれば誰しも必ず自己防衛機能として強制睡眠が発動する。例外はないはずだ。


「どう……なってんだ。確かに強制睡眠に入ってるはずなのに……」


「……何?」


 訝しげなラフィエルの声に押されるように、レイズはアズの傍に立っているクリスティナに向かって叫んだ。


「もう一度拘束しろ!」


「わかったわ、レイ――」


 頷き、アズに向き直ったその時、クリスティナは言葉を切って硬直した。その顔は、いつの間にか顔を上げていたアズの瞳を見て固まっている。


「……あ」


 ふるふると小刻みに震え始めたクリスティナが一歩後ずさり、胸に手を当てて荒い呼吸を繰り返す。何事かとクリスティナの視線を追ってアズの顔を見たクラウスは、思わず目を見開いた。



 それは、広く深い海のような、魅入られるような光を帯びた蒼い瞳がそこにあった。



 虚ろに開かれるそれは、ぼんやりと頼りない光を灯しているもののどこか焦点が合っておらず、ただ虚空を見つめている。予想外の出来事に目を離せないでしばらく魅入っていると、後ずさりをする足音で我に返った。


「……レイズ」


 顔を蒼白にしているレイズに呼びかけるラフィエルは、じりじりと後ろへ後退し始めている。何事かと目を見張った。


 なぜかノワールたちは、冷や汗を流しながらアズを睨み付けている。それは恐れから来ているものなのか、先ほどまでの威勢は欠片も見られない。それは完全なる畏怖の表情だった。


 何を怖がる必要があるのか。あんなにも美しい瞳なのに。


 不可解な行動を取るレイズはクラウスに視線だけ寄越して睨み付けると、


「……今回は引いてやる」


 再び俊足の枷(ヴァンドレッド)を具現化すると、両脇にラフィエルとクリスティナを抱えて天井の穴から外へと跳んで姿を消した。同時に、クラウスとヴェールを縛っていた茨も霧散して消え失せる。


 あまりの急展開についていけず、しばらくの間放心したあと、


「……なんだったんだ、一体」


 止めていた息を吐き出すように、そう呟いた。そして現状を思い出して急いでゼノに駆け寄ると、それと同時にアズの体がふらりと大きく揺れた。


「――!」


 あっ、と思ったその時には、ヴェールが自らの背でアズを受け止めていた。


「……」


 その時、クラウスはヴェールの横顔を見た。


 眠るように目を閉じるアズの顔を見下ろすその顔は、なぜかとても悲しそうな表情をしていた。


 なんと声をかけていいのか思案していると、ホールの入り口から突然大勢の人間が飛び込んできた――それは、完全武装した兵士たちと、先導してきたアリスたちだった。驚いて目を見開くと、その中からこちらへ向かってくる2人の姿を捉え――思わず表情が崩れた。


「クラウス!生きてるか!?」


「ひどい有様……無事?」


 セピア・ガーデンで待機させていたジークとウィルの2人は、クラウスに駆け寄って早々にそんな言葉をかけてくる。……が、クラウスの腕の中でぐったりしているゼノを確認するとサッと顔を青ざめさせた。


「すぐに医者に見せてくれ。一刻を争うんだ」


「……わ、わかった!」


 今までに見たこともないくらいに傷ついているゼノの姿に困惑しながらも、担架を運んできた兵士を呼び止めて急いでゼノを乗せる。それに気づいたらしいアリスが悲鳴にも似た声でゼノの名を呼び、担架に駆け寄って悲痛な表情でゼノの容体を確認していた。


おそらく、アールレヴィと共に脱出した国王陛下が兵を集め送り込んでくれたのだろう。ノワールが居る事も踏まえ、対抗するべく万全の状態で待機していたジークとウィルを呼び出したようだが、彼らが到着する頃に事は終わってしまった。


「ところでノワール共はどこ行きやがったんだ?」


「今しがた逃げ出したところだ」


「逃げた?なんだ、思いっきり暴れてやろうと思ってたのに。……それにしてもクラウス。いつになくひでえ有様だな、おい」


「師匠よりは遥かにマシだ」


「どっちもどっちだよ、まったく。……俺たち、もっと早くに到着出来たらこんな大惨事にはならなかったのに」


 目を伏せてそんな事を言うウィルに口を開きかけたその時、ふいに頭上に影が差した。顔を上げる前にジークとウィルが顔を上げ、驚いた声を上げる。


「あ、ヴェール」


「うおっ!お前もずいぶんボロボロじゃん!大丈夫か!?」


『俺は全然平気。アズのが重傷。運ぶの手伝ってよ』


「へっ――アズ?」


 よこでようやくアズの存在に気が付いたのか、「ど、どうしたアズ!?死んだのかっ!!」などと縁起でもないことを叫ぶジークをウィルが躊躇なく殴った。


「クリスタルの過度の具現化で強制睡眠に陥っているうえ、ノワールの攻撃も受けている。俺より優先して医者に見せてくれ」


「ん、了解。……1人で立てる?」


「問題ない」


 手を振ってそういえば、ウィルは笑って頷き、アズを受け取ってホールを出て行った。


『あ、ねえ。ノワール1匹縛ってあるからガーデンに運んでよ』


「ああ、わかった――って、はあっ!?」


頷きかけたジークが素っ頓狂な声を上げる。クラウスも思わず立ち上がりかけた姿勢で動きを止めた。


「……捕まえた、のか?」


『うん。痛めつけて部屋に縛ってある』


「マジかよ……どこまですごいんだよお前ら……。なんか俺、怖くなってきたわ」


ぶるりと身震いするジークを特に気にする様子もなく『案内するから着いてきて』と先立って歩き始めるヴェール。


クラウスとジークは顔を見合わせたあと、いつでも具現化出来るよう心の準備をして歩き出す。


「……」


 歩きながら、クラウスはヴェールの後ろ姿をじっと見つめる。


 どうやってノワールを捕まえたのかも気になるが、なによりも先ほどの反応が気がかりだった。


 アズの瞳は、暗い茶色だったはず。自身のクリスタル、戦場の女神(ヴァルキリア)具現化時はセピアノスと同じ金色の瞳になる。それは、任務を共に熟してきた中で、何度か見た光景だった。


 しかし、あの蒼い瞳は初めて見た。


 あの瞳の意味するものはなんなのか。


 その時見せた、あのヴェールの表情は何を意味していたのか。


「(ガーデンに帰ったら問いただしてみるか。……まあ、簡単には答えないだろうが)」




 いつの間にか夜が明け初め、優しい日の光が崩壊して出来た穴からうっすらと差し込み、疲れ果てた人々の体を労わるように包み込む。




 こうして、至る所に爪痕を残しながら、長すぎる波乱の舞踏会は多くの疑問を残して幕を閉じた。





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