36 波乱の舞踏会‐④
「アルテミスなら捕まえたよ」
突き刺さった番の片割れを引き抜き、アズは言った。ラフィエルは怪訝そうにつぶやく。
「……捕まえた?」
「そう。捕まえた。あたしをここから離すための囮だったみたいだけど、残念だったね」
何かを考えるように黙ったラフィエルから視線をはずし、周囲を見回す。壁に貼り付けられているゼノやクラウス、そして茨に絡まれ傷だらけになっているアリアエルを視界に入れると、どうしようもない怒りが沸々と込み上がり、じろりとラフィエルを睨みつけた。
「……あたし1人ならまだしも、皆にまでこんな事して……許さない」
「せっかく不意をついて私を殺せるチャンスだったのに、何故あのまま攻めてこなかった?詰めが甘いな、アズ」
よほど間一髪だったのか、珍しく冷や汗を浮かべているラフィエルに対し、睨むのを止めたアズは対照的にニヤリと笑って見せた。
「どうしてだと思う?――狙いは別にあるからだよ!ヴェール!!」
『そらよっ!』
「ぐっ――!」
アズの合図と共に姿を消して背後に回っていたヴェールが姿を現し、反応が遅れたラフィエルの横腹部に鋭い尻尾の鞭打ちを食らわせた。遠心力で増加された尾の一撃はラフィエルを容易に吹き飛ばし、壁に勢いよくぶつかって瓦礫と共に崩れ落ちた。
「よし!」
作戦成功、両手でガッツポーズをするのと同時に、ズズ…ン、と城が大きく揺れた。そして、
『アリア!!』
ホールの壁を半壊させながらも姿を現したゴールデンドラゴン――アールレヴィを視界に入れた途端、アリアエルの顔がくしゃっと涙で歪んだ。彼女の体に纏わりついている赤黒い茨を見やり、アールレヴィはその大本である1人の仮面のノワールを視界に入れるなり、鋭い歯と敵意をむき出して物凄い咆哮を食らわせた。突風のような息と鼓膜を破りかねない咆哮による大気の振動に耐えきれず、声を出す間もなく吹き飛ばされ、ラフィエル同様壁に打ち付けられて崩れ落ちた。
「れ……びぃぃ……」
『アリア、アリア。すまなかった、許してくれ』
仮面のノワールが気を失ったのか、アリアエルやゼノに絡みついていた茨が霧のように霧散して消滅し、解放されたアリアエルは小さな子供のようにぐずぐずと泣きながらアールレヴィの顔に抱きついて床に座り込んでしまった。
大きな体を小さく丸め、アールレヴィは泣きじゃくるアリアエルにオロオロと謝り続けた。
「怖かったよぅ、怖かったよぅ、レヴィ……」
『怖い思いをさせてすまなかった、アリア。もう傍を離れないと誓うから、どうか泣かないで。本当にすまなかった、すまない……』
「来てくれたから、いいよ、もういいよ……」
安堵のため息とともに肩の力を抜き、「やったね」と近寄ってきたヴェールとハイタッチを交わすと、その後ろの方でゼノを助け起こしているクラウスの姿が目に入った。
瓦礫を避けながら近づいていくと、こちらに気が付いたクラウスが振り返る。
「てっきり捕獲されているかと思ったが、無事で何よりだ」
「えへへ。まあ、実を言うとちょっと危なかったんだけど……」
「アルテミスってノワールはどうしたんだ?捕まえたって……」
クラウスの肩に寄りかかっているゼノの問いかけに、アズは疲れたような笑みで頷いた。
「アズ!」
呼ぶ声に振り返ると、目を泣き腫らしながらも笑顔で駆け寄ってくるアリアエルの姿が目に飛び込んできた。
「アリア!」
「アズ、無事でよかった!」
こちらも顔が綻び、笑顔で抱き合う。ぎゅうっといっぱいに抱きしめ、体を離したアリアは目に涙を浮かべて微笑んだ。
「アズ、みんなを助けてくれてありがとう。……本当にありがとう」
「ううん、間に合ってよかったよ」
そう笑顔で返し、アリアエルの後ろにいるアールレヴィに視線を向ける。
「レヴィの言うとおり、あなたを縛っていたのは背の低いラフィエルだったね」
『そのようだ。助かった、アズ』
「?」
不思議そうに首を傾げるアリアエルと、「何の話だ?」と後ろからゼノ。アズは少し考えをまとめた後、時間がないのでかいつまんで簡単に説明した。
「あたしが会場を後にして、ノワールのアルテミスと一悶着あって彼を捕まえた後の話なんだけど……。ヴェールと一緒に皆の所に戻る途中、テラスの下でレヴィが蹲ってるのを見つけて……」
「それですぐに来れなかったのね、レヴィ。いつもだったら些細な事でも飛んできてくれたのに」
『……すまない』
首を垂れて謝るアールレヴィの頬を「もういいってば」と笑いながら優しく撫で、アリアエルは「でもどうして?」とアズを促す。
「レヴィが場内にいる得体の知れない輩が自分の身体を縛っているって教えてくれたの。外観までは解らなかったんだけど、3人の中で一番背が低いっていうヒントがあってね。……どういう能力なのかわからないけど、気絶したら解けたみたいで良かった」
ホッと胸を撫で下ろすアズとは対照的に、クラウスは眉間に皺を寄せて言った。
「それにしても、ゴールデンドラゴンを縛る能力を持っているなんてかなりの脅威だ。もし仮に、アールレヴィを含む各地の大国のゴールデンやシルバーも同じように縛れるのだとしたら……国が破滅しかねない」
大国を治める王族にのみ従順し、国を守る守護神であるゴールデンやシルバーたちは、アブノーマル種の中でも特に力が強く、ノワールたちにとっても大きな脅威になるはずだ。今もアールレヴィが放つ不思議なオーラのような力のおかげで、ゆらゆらと揺れていたシャドウたちは霧散して消えていた。どうやらクリスタルと同等の覇気のようなオーラを持っているらしい。
「そんな力を隠し持っていたとは……今ここで消しておくべきなのかもしれない」
倒れたまま動かないラフィエルを見やり、ゼノが小さく呟いた。クラウスも同意するようにじっとラフィエルを睨んでいる。
「……」
ピクリとも動かないラフィエルを見つめ、アズは先ほど対峙していたアルテミスとのやりとりを思い出していた。口の横の血の跡を拳でふき取り、アズは荒い息をクラウスたちに気づかれないように吐き出し、目を伏せる
それは、今から40分ほど前に遡る。
**
「……私をどうするおつもりで?」
すっと目つきが変わり、空色の瞳に赤黒い光が混じる。具現化させたアルテミスのクリスタルの光をその瞳に湛え、こちらに警戒しているのがひしひしと伝わってくる。
せっかくのおめかしも、新調してもらったドレスもボロボロ。みっともないことこの上ないが、そっちの方が自分らしいと思えてきて。
「そりゃ、もちろん決まってるじゃん」
綺麗な格好のままでは到底できなかった表情でニヤリと笑い、口の端についていた頬の血をペロリと舐め、
「ガーデンに強制連行させてもらいます」
綺麗な自分をすべて脱ぎ捨て、戦場の女神の番を具現化させた。
背に生える3対の翼の内の1対をクロスさせた両腕でつかみ、一気に引き抜くことによって純白の翼が2本の双剣へと姿を変える、戦場の女神の攻撃特化体系――番。
初めて目にするアルテミスは目を見開き、しかし気を緩めることなくすぐに警戒のまなざしへと切り替わる。
「とても美しいクリスタルですね、アズ。……けれども、そんな双剣で私の奏でる音を防ぎきれますか?」
弓で軽く弦を弾いただけで、アズの体が重力に引かれるようにぐっと重くなる。威勢よく啖呵を切った手前だが、思わず内心で舌打ちをした。
「(ハンナと同じタイプか……予想はしてたけどキツイな)」
ああいう中距離~遠距離からの物理的ではない特殊攻撃をしてくる相手が、アズにとって一番最悪の相手だ。ゾイスに操られて暴走したハンナの演奏で心がくじけたのを思い出し、思わずげんなりする。どうにかして防がなければ。
「貴女に勝ち目はありません。大人しく降参して頂けませんか?」
弓を弦に添えたまま、アルテミスは静かに問いかける。しかし答えは決まっている。アズは即答した。
「それは出来ない相談だね。あたしにだってプライドってものがあるから」
「貴女を傷つけたくないのです」
アズの目をまっすぐ見据え、アルテミスははっきりと言った。赤みを帯びた空色の双眸を見つめ返し、しばらくの沈黙の後、アズは番を構え、地を蹴って走り出す。
「……残念です」
アズの無言の拒否に、もう何を言っても引き下がらないと感じ取ったアルテミスも戦闘態勢に入った。
スローテンポで始まったアルテミスの演奏に合わせ、彼の足もとから沸々と影が湧き上がる。ポツポツと現れた無数の赤い光が盛り上がったかと思うと、それぞれが人型を形成しながら地面から這い出してきた――どうやらシャドウを召喚しているようだ。
「(この距離なら行ける――!!)」
アルテミスとの距離がそんなに離れていない上に、彼は今シャドウの召喚真っ最中。接近戦に持ち込めば勝機は大いに見込める。
今がチャンスとばかりに番を逆手に持ち替え、アズは一気に距離を縮めるために足に力を込め跳躍した。召喚されたシャドウたちは迫りくるアズの気配を察知したらしく、無数の赤い光が一斉にアズに焦点を定める。
「行きなさい」
アルテミスの言葉を合図に、シャドウたちが一斉に飛び掛かってきた。想定済みの攻撃だったのでこちらの準備も整っている。アズは番を具現化したまま意識を集中させると、ある一点を見つめ、片足が乗る程度の小さな足場を作るイメージを脳裏に浮かべたまま言った。
「固定」
きゅんっ、という甲高い凝縮音と共に、1m先の空中に透明な足場が出来る。迫り来るシャドウ達が長い手を挙って伸ばしアズを捕まえようとするが、たっぷりと引きつけた後、作った足場を使ってシャドウ達を飛び越えてやった。
「――!?」
アルテミスがぎょっと目を見開き、シャドウの群れを飛び越えて目前に迫ってきたアズから離れるように後ろへ身を引く。番でアルテミスのバイオリンを弾いて具現化を解こうと切っ先を後ろへ引くが、アルテミスの方が一枚上手だった。
「させません」
アズの突然の奇襲攻撃にも関わらず、驚きはしたものの取り乱すことは無かったようで、後ろへ身を引きつつも攻撃態勢を取っていたアルテミスの音波攻撃を真正面からモロに食らってしまった。バイオリンの絃を弓が軽く弾いた程度の音なのに、耳を劈く様な衝撃を頭に受けて視界がぶれた。咄嗟に横に転がり、そのまま後方へ跳んで距離を取らざるを得なくなった。
「ぐ……っ」
頭をめちゃくちゃに揺さぶられたような酷い酔いに思わず頭を抑える。たったあれだけの音でここまでダメージを食らうとは思わず、自分が相手を見くびっていたことを思い知らされた。けれど引くわけにはいかない。
「驚きました。まさか空を踏み台にしてしまうとは、恐ろしい能力をお持ちなのですね」
「……それほどでもないよ」
まだ少しだけ耳鳴りがするものの、視界の揺れが収まった。アズは額を抑えながら立ち上がり、バイオリンを構えたままのアルテミスに向き直る。
音に載せる程度のダメージは大きいものの、長引くことはないようだ。しかし長期戦になればなるほど不利になるのは目に見えている。やはり接近戦型のアズの方が圧倒的に分が悪かった。
「(どうする……? どうすればあの音を遮れる?……考えろ、考えるんだ!)」
飛び越えたシャドウ達が背後に近いて来ている気配を感じ、焦る気持ちで必死に考えを巡らせる。戦場の女神もそう長くはもたない。
背後でシャドウが飛び掛かってくる気配を感じて振り向いた時、迫るシャドウの向こう側――暗く輝く空に見えたその姿を捉え、アズは一気に笑顔になった。
「ヴェールーーーーーッ!!」
番でシャドウを薙ぎ払い、一気にそちらに走り出した。今更ながらにシンクロを切っていたことを思い出し、なんでもっと早くこのことに気が付かなかったんだと自分で突っ込むも、叫んだ声に気が付いたヴェールが驚いたような、怒ったような声を上げた。
『あー!いた!どこ行ってたんだよまったくー!!』
「いいから来てっ!」
切羽詰まったアズの声に反応し、ヴェールは状況を把握した。目を細めて『……そういうことね』と小さくつぶやき、翼をたためてアズの元へと急降下した。屋根を蹴って浮いたアズは降下してきたヴェールの背に着地し、翼を広げたヴェールは再び上空へと舞い上がる。
「た……助かった」
戦場の女神を解かないように気を付けつつほっと胸を撫で下ろすも、呆れたような声でヴェールがたしなめた。
『いい加減シンクロの活用方法を学んでも良さそうじゃない?いつまで俺を心配させるつもりなのさ』
「う……ごめん」
『まあいいや。――それより、一体何が起こってるの?ホールはいきなり爆発するし、レヴィは動かなくなるし、シャドウは沸いてるし』
「……あたしだって、よくわかんないよ」
こちらを見上げているアルテミスを見下ろし、アズは唇を噛みしめた。
『……ねえ、アズ。確かあいつ、スカイワーフの獣人とかって言ってたよね?』
「え、うん。そう言ってたけど……それがどうかしたの?」
『……いや。なんでもない』
「……?」
気になる言動をするヴェールに首をかしげるも、下のアルテミスがクリスタルであるヴァイオリンを構えるのを視界に入れてぎょっと目を見開いた。……またあれが来るっ!!
「ちょっ……ヴェール!あれヤバいんだよ!逃げて逃げてっ!」
『なに――うおおおぉぉぉっ!!?』
突然真下から飛んできた音の斬撃が横をかすめ、ヴェールは大きく態勢を崩しながらも紙一重で回避した。落っこちそうになりながらもヴェールの首にしがみ付き、必死に説明する。
「ハンナと同じタイプのクリスタルなのっ!食らうと動けなくなる!」
『くっそ、やりずらい……てか、なんでクリスタルマスターなんだよあの兎っ!しかもあの発色……完璧ブレイクリスタルの影響受けてるし』
「……ノワール、なんだって」
『あー、そういうこと……』
ため息交じりに囁くヴェールに「そういうことって?」と怪訝な顔をすれば、半壊してしまったホールに視線を向けて答えた。
『ちらっと見たんだけど、ほら、アズが初めてこっちに来たときに会った赤毛と黒フードのノワール。そいつらがホールに居たから、グルだったんだなって思って』
「な……」
『俺たち、まんまと罠にハメられたわけだ』
咄嗟に事が出てこなくて、アズはゆっくりと眼下のアルテミスを見下ろす。
先ほどの爆発はレイズたちの仕業だったんだ。そして何か目的があって、アルテミスを使ってアズをホールから誘い出したんだ。……おそらく、邪魔されないために。
そして今、まんまと足止めされている。
「……」
アズは表情も声音も変えずに、アルテミスを見据えたまま相棒に問いかける。
「……みんなは無事なの?」
『そこまで状況を把握できなかった。でもあんまりよろしくない雰囲気ではあったね。レヴィの守護も切れちゃってたし、実際かなりヤバい状況だとおも――っとぉ!』
再び襲い掛かる音の斬撃をひらりと躱し、ヴェールは憎らしげに舌打ちをする。
『アズ、どうする?あの兎を放って置いて助けに行く?獣人だから身体能力高いし、すぐに追いつかれるかもしれないけど――』
「とりあえず、伸す」
少し怒気を含んだ声音ではっきりと迷いなく言い切るアズに、ヴェールは思わず口をつぐむ。
「言いたい事も聞きたいこともいっぱいあるし、ガーデンに連れて行くとも言った。それに、放って置いたらよけいに邪魔されるかもしれない。――だからとりあえず伸す」
『わあ怖い……』
なんて言いつつもニヤッと笑う相棒に、アズも強気な笑みを見せる。
「いい作戦思いついたんだ、頼りにしてるよ?相棒」
『任せろ相棒。――で?その作戦って?』
「とりあえず突っ込んで。真正面から」
『……ごめん、もう一回解り易く言ってくれる?』
「このまま、アルテミスに、正面から、突っ込んで、思いっきり、体当たりして?」
『……あー、うん。一応念のために確認するけど、正面から突っ込んだからモロに音波攻撃食らうんじゃない?』
「うん、それでいいの」
『ちょっと正気!?いくら俺でも無事でいられる気がしないんだけど!!」
「ヴェール、あたしを信じて?……お願い」
『うっ……』
さら、と優しくヴェールの首元を撫で、「大丈夫だから」と呟く。するとしばらくの沈黙の後、観念したように『……わかったよ』とため息をついた。
『信じてるからね』
「うん、ありがと」
ヴェールの首から手を離し、番をくるんと回して逆手に持ち替える。落ちないように両足に力を籠め(もちろん加減をして)、姿勢を低くした。
『あーもう、俺も腹くくったぞ!思いっきり行くからね!?』
「うん、お願い!」
小さくその場で旋回し、一気に翼を折りたたむヴェールに合わせて体を密着させる。できるだけ風の抵抗を少なくして降下する速度を増すためだ。
そして案の定、真正面から突っ込んでくる気でいるらしいアズの姿を見たアルテミスは避ける素振りなど見せずに、大きな一撃を与えるために力をヴァイオリンに貯め始めた。――予想通りだ。
番を構えつつ意識をまっすぐアルテミスの目の前に集中させ、乾いた唇をひと舐めする。
――イチか、バチか。
それはもはや賭けだった。
「2人まとめて気絶させてあげましょう!」
高らかに言い放つアルテミスが弦を弓に宛がい、人の心を折る力を込めて引いた。
――今だ!
「――固定っ!!」
音が放たれた瞬間、アルテミスのすぐ目の前に大きな分厚い空気の壁が出来た。その壁はアルテミスのヴァイオリンの音をすべて遮断し、アズたちに伝わらせる事はない。
まったく予測していかなった展開に驚いて目を見開くアルテミスは、押しては返す波のように、空気の壁にぶつかって跳ね返ってきた自分の音をモロに食らう。そして――、
『でぇやあああぁぁぁっ!!』
一瞬にして固定を解き、自身の音波攻撃の影響でふらついているアルテミスに、止めとばかりにヴェールが突っ込んだ。否、体当たりを食らわせた。
「がはっ――!」
息の詰まった悲鳴を上げ、アルテミスは後方へ吹っ飛ぶ。その拍子に手からヴァイオリンが離れ、空中で霧散して消えてしまった。
それはあまりにもあっけなく、けれど確かな余韻を残して終わった。
『……っしゃあー!』
屋根の上に着地したヴェールがしてやったと言わんばかりに勝利の雄叫びを上げる。その背から滑るように降りたアズもホッと胸を撫で下ろして、長い長い息を吐く。
『上手くいったね、アズ!』
「うん、イチかバチかだったから、ホントよかっ……あ」
『……ねえちょっと。今イチかバチかって言わなかった?ねえ?』
思わず口を滑らせてしまい、慌てて口を塞ぐもすでに遅く。
『俺に信じてって言ったよね?大丈夫だからって言ったよね!?あれ嘘だったの!?』
「や、う、嘘じゃなくてね?でもちょっと確信も持てなくて……あ、いやいや、ちゃんとうまくいくって解ってはいたんだよ?でもあんまり自身なさげに言ってもダメなような気がして……」
『ダメに決まってるだろ!?それでもしホントにダメだったらどうする気だったんだよ!』
「あ……の、ほら、ヴェールは他の竜とは違うし、その、体も頑丈そうだし、だ……大丈夫かなあ~……って」
えへっ、とあさっての方向を向いてわざと可愛らしく笑って見るも、次の瞬間、いつの間にか人型になっていたヴェールに勢いよく両頬を引っ張られてぐいぐいと上下に振られた。
『俺の体のど・こ・が、頑丈そうに見えるって!?こんな鱗もなければ装甲付けてるわけでもない、しっとりふかふかな柔らかい俺の体のどこが堅そうに見えるってんだよこらぁ!!』
「ご、ごめんなさいホントにごめんなさいっ!」
『ぜ~ったい許さんっ!うまく行ったからよかったものの、結果論だけじゃも~許さん!!』
「いやあ~!ホントごめんなさい~!」
しばらく状況も忘れてがっくんがっくん揺さぶられるわ怒鳴られるわ謝り続けるわで、お互い疲弊して屋根に座り込んでぜーぜーはーはーと息も荒くようやく気持ちも落ち着いた頃、ヴェールが切り出した。
『てか、あの獣人どこ行った?』
「あっ!」
すっかり忘れていた事態に、アズは大きな声を上げて立ち上がる。慌ててあたりを見回し、吹き飛んだはずのアルテミスの姿を探した。
『せっかくうまく行くかも解らないめちゃくちゃな作戦成功させてまで伸したってのに、逃げられちゃったら俺の苦労ってなんだったんだろうね~って感じ』
「も、もう!いつまでもねちねち言わないで一緒に探してよっ!」
いちいち嫌味を言ってくるヴェールをなんとか立たせて2人で探すと、雨どいのあたりにうつ伏せで倒れているアルテミスの姿を発見した。もうすこしで落ちそうなほどきわどい場所に伸びていたので、アズは焦って助け起こした。
「あ、危なかった……死んでないよね?」
『なに、殺しちゃまずかったの?』
「当たり前でしょっ!?殺すなんて言ってない!」
『え、マジ?手加減一切してないんだけど……生きてるかな』
縁起でもない言葉に、頭から血の気がサーッと引いていく。すぐさま首元に手を当てると脈を確認できた。思わず安堵の息が漏れる。
『敵に情けを掛けるとは、アズも青いね~』
「あ、アルテミスは……ガーデンに連れて行くって言ったもん。それにあたしは……アルテミスとこんな事がしたかったわけじゃない」
『ふ~ん』
ヴェールはそっとアルテミスの体に触れ、何度か頷いて手を離した。
『生きちゃいるけど、まあ奇跡的って感じだね。獣人じゃなきゃ死んでたよ』
「そ……っか」
とりあえず、生きていたことに安堵する。そして今の状況を思い出し、屈んでいるヴェールの顔を見上げて顔を引き締めた。
「みんなのところに行く。連れて行って」
『ん、了解。でもこいつどうするの?たぶん3、4時間は起きないだろうけど、もし万が一目覚ましたら逃げられちゃうよ?仲間もまだいるかもしれないし』
「うっ……そうだね。えっと、どうしよう」
キョロキョロとあたりを見回すも、体を縛り付けられそうな物は何もない。だからと言って連れて行くわけにも行かないし……。今更ながらに、ストールを置いてきてしまったことを後悔する。
『とりあえず、この下の部屋にでも押し込んどこうよ。何か縛る紐もあるかもしれないし』
「そ、そうだね!そうしよう」
竜型に戻ったヴェールに運んでもらい、適当な部屋に連れて行く。幸い下の部屋は来客用の客室だったらしく、ベッドと衣装タンス、机と椅子が置かれている綺麗な部屋だった。天蓋付きの豪華なベッドだったので、その柱に寄りかからせるように座らせ、ベッドのシーツでぐるぐるとキツめに縛る。
「大怪我してるし、このくらいキツければ身動き取れないでしょ」
『ちゃんと加減した?キツくし過ぎて血のめぐり止めてないよね?』
「……ちゃんと加減したから大丈夫です」
ヴェールとのやり取りもそこそこに、急いで窓から部屋を飛び出す。そのまま一気にホールへと向かうも、アズは胸に手を当てて荒い呼吸を繰り返した。
それに気づいたらしいヴェールが、前を見たままアズに問いかけた。
『ちょっと具現化させすぎたんじゃない?体に相当な負荷がかかってるけど……持ちそう?』
「持たせるよ……だって、まだあと2人いるんだから……」
『いや、あと3人』
「さっ……!?え!?」
『3人。赤髪と、黒フードと、もう1人見たことない奴。へんな仮面被ってた』
「仮面……?」
『そいつがホールを破壊した張本人だと思う。多分かなり強いよ』
予想外の発言に思わず動揺し、番が一瞬消えかかった。
……ダメだ、緊張の糸を張りつめるんだ。戦場の女神を持続させるためにも。
すう、と揺らいだ心が冷めていく。
『あ、ほらアズ。見て』
言われるままの方向を見下ろせば、月の光を受けて淡く金色に輝く大きな塊が見える――アールレヴィの姿だった。
蹲り、大きな巨体を小さく丸めて時々痙攣を起こすように震えているのがここからでもよくわかる。
「――!ヴェール!」
ヴェールはアズの呼びかけに答えるように、アールレヴィの元へと降下していった。
「レヴィ!」
苦しそうに体を丸めているゴールデンドラゴンに走り寄り、状況を確認する。――先ほどヴェールが言っていた“動かなくなった”という言葉を意味を、ここでようやく理解した。
『その声……アズ、か?』
「うん、あたしだよ!どうしたのレヴィ、何をされたの!?」
グルルル……と低く唸る彼は顔も動かせないようで、アズの声に反応する。体を回り込んでアールレヴィの視界に入る位置に移動し、金色の目を覗き込んだ。
『わからない……突然体が金縛りにあってしまったようで、まったく身動きが取れなくなってしまった。まるで見えない何かが体中に纏わりついて圧迫してくるように……』
「見えない、何か……?」
アールレヴィの金色の鱗を触ってみるも、なにも感じない。
困惑してあたふたと考えを巡らせていると、アールレヴィが苦しそうに口を開いた。
『この金縛りのせいで、私が城に張り巡らせておいた加護が消えてしまった。……だが消える前に、城内に3つの違和感を感じた。冷たく、突き刺さるような違和感――おそらくブレイクリスタルの波動だ。それを持つ者はノワールしか考えられない』
「……うん」
『その内の1人から発せられた嫌な気の波動を感じたのを最後に、体が動かなくなってしまった。……おそらくそいつの仕業だろう』
「そのノワールがどんな外見をしてるのか……わかる?」
『いや。……ただ、外観までははっきりとわからないが、私には影のような靄で相手の姿を感じ取ることができた。それによると、3人の中で一番背の低い影だった』
「3人の中で一番背が低い……だね。わかった、それだけわかれば十分だよ。ありがと、レヴィ」
そう言ってレヴィから離れ、待機していたヴェールに向かって歩き出す。するとアールレヴィに呼び止められた。
『私の体が動かないばかりに……すまない、アズ。……アリアエルを頼む』
「うん!任せて」
『今のアズの“任せて”は全っ然信用できないけどね』
「ちょっ!もう、ヴェール!空気読みなさいっ!」
ぺしっとヴェールの頬を叩き、その背に跨る。飛び立とうと翼を広げたヴェールに「あ、ちょっと待って!」と制止をかけ、アズはアールレヴィに問いかけた。
「レヴィ、さっきあなたが感じたブレイクリスタルの波動は3つって言ったよね?」
『……?ああ、そうだが……それがどうかしたのか?』
「4つ……じゃなかった?」
『いや?私が感じたのは3つだ』
その答えに、アズの眉間に皺が寄る。
会場に3人のノワール。けれど、アルテミスもブレイクリスタルを宿したノワールだった。
確かにさっきまで対峙して、尚且つそのブレイクリスタルの反応もあったというのに、なぜアールレヴィは4つの波動を感じなかったのか。
アルテミスは侵入してきたレイズたちよりも長く城内にいたし、その時のアールレヴィも金縛りになどかかっていないから波動を感じていてもおかしくはないはず。……なのに、なぜ?
『……』
アズの疑問は消えないままヴェールは飛び立ち、そして回想前の冒頭に戻る。