35 波乱の舞踏会‐③
約1年半ぶりの再開になります…亀更新ですみません><;
「……でね、私がその男の子をやってけてやったの。女の子をいじめる男なんて男じゃないもの!」
「ほほほ、さすがはアリアエル。勇ましい姫に育ったものよ」
「ありがとう、シルヴィナ様!」
「今度、わらわの宮殿にも顔をお出し。そなたの勇ましくも気高く美しい心をマルスにも教えてやってくれぬか?」
「はい、喜んで!」
頬を染めながら満面の笑みを浮かべて頷くアリアエルを見て、シルヴィナはその深紫色の双眸を細めて柔らかく微笑んだ。和やかな良い雰囲気が辺りを包み込み、見てるこちらも自然と笑顔がこぼれる。
獣人のアルテミスという男を追いかけてアズが会場を後にして、あれから10分程経つ。後を追いかけようとしたクラウスとその場に居合わせていたゼノがまとめてアリアに捉まってしまい、ダンスの合間にある休憩時間にて、南大陸を統治する王都サエラキアの女王であるシルヴィナ・ウル・サエラウス女王殿下との会談(と言う名の世間話)に立ち会っている。
サエラキアでは金が多く採掘され、黄金国家で世界にその名を知らしめた。ゼノも何度かクライスセブンの仕事で訪れた事があるが、サエラキア宮殿はほとんどの装飾が金で施されていて、初めて見た時はあまりの輝きに眩暈を覚えた。
その国の象徴である金を世界へ輸出しているサエラキア産のアクセサリーは、もちろんルディアナでも人気が高い。セピア・ガーデンのクリスタルマスターの証であるこの指輪も、サエラキア産の金で加工されているのだ。
無論、その国の女王であるシルヴィナもこれでもかと言うほど黄金アクセサリーを身に着けている。文化の違いがあるので口に出すことはないが、頭のてっぺんから爪の先までもがじゃらじゃらと音を立てるほど身に着けられていて、動きにくくはないのか……と思ってしまう。
「……して、セイレーン殿は何処へ? ぜひ一度話をしてみたいと思うているのじゃが……」
「あ、そうだわ。ゼノ、アズがどこにいるのか知ってる?」
「10分ほど前に会場を出ていきましたが、まだ戻りません」
胸ポケットから出した懐中時計に目を落としてそう報告すると、「そうか。では、もう少々待つとしよう」とシルヴィナが頷いた。
「……遅いですね」
「ああ」
会話に戻ったアリアエルとシルヴィナから少しだけ距離を取り、クラウスの呟きに頷いた。あまり主役が席を外していると不審に思われてしまう。しかも大勢の人間が見ている中で獣人を追いかけてしまったからなおさらだ。
「少し席を外す。クラウスは王女の傍にいてくれ」
「…………了解」
少しの間を置いてクラウスが頷いた。本当は自分が探しに行きたいのだろうが、城内を把握している自分の方が何かと都合がいいだろう。クラウスの肩を優しく叩いて、ゼノはその場を離れた。
アズの出て行った扉まで歩みを進めるさなか、ゼノはふと違和感を感じて視線を走らせた。華やかに賑わう会場の空気とは別の、どことなく緊張感漂う何かを感じたのだ。
「……?」
会場の中にちらほらと見える、銀色の甲冑を身に纏う数人の騎士が小走りで駆けていく。その表情にはピリピリとした嫌な緊張感を纏っており、一目見ただけで何か問題が起きたのだろうという事が窺える。足を止めて目で追うと、その兵士達は玉座の下で会場を見ていたある男の周りへと集まっていく――クライスセブン団長、グランツェルだった。
「しょうがねぇな……」
やけに嫌な予感がする。ゼノは小さく呟くと、進行方向を変えて彼の元へと大股で歩み寄った。
「……そうか」
兵士から耳打ちされたグランツェルが神妙な顔つきで頷き、厳格な目を更に細めた。足音を響かせて近づいていくと、気がついたのか視線を上げて目を見開いた。
「ぜ、ゼノ団長……」
「何があった?」
挨拶も笑顔も無しに単刀直入で聞くと、グランツェルは目を伏せて事情を話した。
「城門に配置させている警備兵と連絡がつきません。それだけではなく、城内の一部の兵たちからの応答もありません」
「……一部?」
怪訝な顔をして尋ねると、グランツェルはゆっくりと頷いた。
「城門からこのホールへと続くルートに配置させている兵士たちにだけ、連絡が取れないのです」
「侵入者か」
「そう考えるのが妥当かと思われます。今からクライスセブンのメンバーとここにいる数名の兵士を各配置場所に向かわせて様子を――」
グランツェルの言葉は最後まで続くことなく、背後で突然起こった爆音によってかき消された。
「――っ!?」
立て続けに襲ってくる爆風に煽られながら腕で顔を覆ってやり過ごすと、辺りには爆発によって破壊された壁が砕けて粉末化した粉塵が立ち込めていて、何が起こったのかはっきりと把握できない。咽ながらもゼノは咄嗟に叫んだ。
「陛下と王妃を安全な場所へお連れしろっ!!」
「はっ、はい!!」
爆風に煽られて床に倒れていた二名の兵がぎょっとしたように急いで起き上がり、そのまま走り出す。本来なら兵士らをまとめるのはグランツェルの仕事だが、長年の経験から咄嗟の事態の対応にはゼノの方が反応が早い。何とか持ちこたえていたグランツェルはハッと我に返ったあと、「申し訳ありません!!」と顔を青ざめた。
「お前は悪くない、自分の仕事にかかれ」
「はっ!」
人々を避難させるべく粉塵の向こうへと消えていくグランツェルを見送りつつ、腰のベルトに装着させていた小さなホルダーに手を伸ばす。
「(こうも視界が悪いと厄介だ)」
ホルダーからさっと取り出すのと同時に手のひらに乗せ、思いを込めて叫んだ。
「吹き荒れろ、エアロクリスタル!!」
手のひらに乗せた半透明な緑色のピュアクリスタルが輝きだし、その小さな原石から風が渦巻いた。
それは円を描くように小さな渦を作り、周りに舞っていた粉塵を晴らすように大きく吹き荒れ、辺り一面の視界が一瞬にして晴れた。
常に肌身離さず持っているこのホルダーの中には、いくつかの種類のピュアクリスタルが入っている。自然が作り出した天然の魔原石は、人や動物の想いに呼応し、圧縮させた魔力を一時的に引き出させる事ができるのだ。使い方を誤れば人を傷つけてしまう危険な代物だが、携帯していればいざと言うときに役に立つ。
素早くクリスタルをポケットに戻しながら爆発音のした方に顔を向け、ゼノは思わず目を見開いた。
「……い、ばら?」
出入口である扉を突き破るように破壊して、赤黒い光を放つ太い数本の茨が会場に出現していた。あの光の反応はどう見てもブレイクリスタルによるもので、それが意味する事態を何よりも警戒しなければならないにも関わらず、ゼノはその茨から目が離せなかった。無意識のうちに体が震える。
茨……薔薇……。
真っ赤に咲き誇る薔薇が、脳裏である女性を連想させた。
蜂蜜色の髪を持つ女性が、とても幸せそうな顔をして腕に抱いた赤子を見つめている――。
――……ローズ。
透明な凛とした声が、頭の中で静かに囁いた。
**
「けほっ……けほ」
自分の下からむせる声が聞こえ、クラウスは「ご無事ですか?」と声をかける。突然の爆発に驚きはしたものの、距離が離れていたため爆風から庇うことは出来たようだ。腕の中に納まっていたアリアエルが自分の状況に気が付いて「きゃっ」と悲鳴を上げた。
「く、クラウス様、お怪我は!?」
「問題ありません」
頷いて答えると、突然遠くの方で風が湧き上がった。今度は何事かと体を強張らせた王女に続いて顔を向けると、ピュアクリスタルを使って立ち込める粉塵を巻き上げているゼノを視界にとらえた。解ってはいたものの、無事な姿を確認して小さく息をついた。
「クラウス様、いったい何が起こったのですか?」
「恐らく、敵が侵入してきたのだと推測されます」
扉を突き破るような形でホールの真ん中に出現した赤黒い巨大な茨を横目に、クラウスは事務的に答える。ブレイクリスタルの影響を受けて起こる赤い発色は、明らかにノワールが絡んでいる。だとすればまずい。
これから起こりうる事態を思案していると、小走りで駆けてくる足音と自分の名を呼ぶ少女の声が聞こえた。
「クラウス君!……と、アリアエル王女!!お二人とも、お怪我は?」
「問題ない。そっちの状況は?」
傍に走り寄ってきたハンナは、クラウスの問いかけに息を切らしながら答えた。
「今、兵士のみなさんと一緒に貴族の方たちを安全な場所に誘導しています。アリスは聖騎士の方たちとシャドウの一時的な足止めをしてる最中ですが、それほど持たないと言っていました。媒体が見当たらないんです」
「……そうか」
湧き上がるシャドウの元となる媒体を見つけて処置しなければ、時間差はあれど奴らはほぼ無限に現れる。媒体の位置を察知できるのは自分自身だけ――。クラウスは頷いた。
「すぐに合流する。お前は先に戻って避難を完了させて師匠の援護に回れ」
「は……はいっ!」
こくこくと頷いて、ハンナは踵を返して崩れかけた袖の方へと走っていく。その後ろ姿を確認した後、クラウスはアリアエルに向き直った。
「王女殿下、ここは危険です。すぐに避難を――」
肩に手を添えて歩き出そうとしたその時、崩れた扉の奥で何かが動き、生き物のようにのたうちながら放心しているゼノ目がけてすごい速さで閃いた。
「――師匠!!」
思わず血相を変えて叫ぶと放心していたゼノがはっと我に返った。しかし、鞭のように撓った茨に勢いよく弾き飛ばされてしまい、反対側の壁に背中を強打して崩れ落ちた。隣でアリアエルが「ゼノ!!」と悲鳴を上げる。
「あっはは!あっけねえの~」
聞き覚えのある笑い声――クラウスは殺気の籠った瞳をその相手に向けた。
「警備もザルだし結界も何てことねえし、すべてにおいて生ぬる過ぎ。平和ボケかますのも大概にして欲しいぜ。なあ、ラフィエル?」
「……無駄口を叩くな」
「ひゃ~、お前ってホントクールだね。もっと楽しんでこうや」
破壊された扉から現れた3人――赤髪のレイズを筆頭に、シャドウをぞろぞろと引き連れたノワールが侵入してきた。黒い外套を着ているのは2人で、一人はフードを深めに被って素性が伺えないラフィエル。こいつは常にレイズと行動を共にしているので何度か見たことがある。
そしてもう1人はラフィエル程でもないがこちらもフードを深めに被っており、何よりも印象的なのが真っ白な面を付けていることだった。三日月形にひん曲がった目と口が道化師のそれを連想させ、なんとなく気味が悪い。初めて見るノワールだが、フードから溢れている一束の長い髪が女のものであることを伺わせる。
「楽しむ暇があるならさっさとあの男を縛り上げろ」
「はいはい、仰せのままに。――C、やれ」
レイズが顎で合図すると、Cと呼ばれた面のノワールが無言で頷いて、すっと右手を伸ばした。すると足元からボコボコと床を突き破って現れた赤黒い茨が2本、ゼノ目がけて素早く伸びていく。
「――! 師匠!!」
はっとして駈け出そうと体を前に倒した瞬間、レイズが視界からかき消えた。しまったと思ったときにはすでに遅く、背後から鋭い蹴りが襲い掛かる。
「がっ――」
「そーいやお前も居たっけなあ?“団長大好きドールくん”」
咄嗟に受け身を取って床に激突することは避けられたが、それが気に食わなかったらしいレイズが舌打ちと共に続けて蹴りこんできた。目で追っても見えない蹴りは本能で避けるしかない。
「――ッチ、マジで気に入らねえ」
剣呑な光を湛えて睨み据えてくるレイズに、殺気の籠った目で静かに睨み返す。
「いつでもどこでも金魚のフンみたいにゼノの後ろを付いて回りやがって……目障りなんだけど?」
「それは光栄だな。お前に好かれるくらいなら死んだ方がマシだ」
「……じゃあ今すぐ殺してやるよ」
纏っている殺気が一気に凝縮した。こちらも迎え撃つために破壊の大剣を具現化させようと胸に手を伸ばすと、ラフィエルの苛立ったような声が割り込んできた。
「早まるな。こちらの用事が先だろう」
「うるせえ、邪魔すんな!俺は今からこのスカした野郎と決着つけんだよ!!」
噛みつくように叫ぶレイズをしばらく無言で見つめ、ラフィエルは小さくため息をついた。
「……今のお前は、まるで駄々を捏ねる幼い子供のようだ。これが任務でなければ好きにすれば構わないが、任務中に勝手な行動を取るのは許せない。私にまでトバッチリが飛んでくる」
「……チっ。わかったよ……」
舌打ちと共に吐き捨てるようにそう呟くと、横目でこちらを見て嘲るように笑った。
「大人しくしてりゃ、どっちも殺さないでいてやるよ」
レイズが顎で示す先には、赤黒い茨で四肢を拘束され壁に縫い付けられたゼノの姿があった。意識はしっかりと戻っているようだが、先ほどのダメージが大きいようで抗おうとはしなかった。
「でも、他の人間は死ぬかもな。抵抗する奴には手加減無用って言われてるし――」
「何が目的だ?」
話をさえぎるように口をはさむと、レイズは苛立った様子を見せずに口角を上げて笑った。
「これから色々準備があるんだよ。そのためにこの国の頭を潰して、少しでも邪魔者を消しとく。この国は残しておくと何かと厄介だからな。それに……」
ちらりとホールの窓を見やり、目を細めた。
「実験は成功だ。これで各国の結界も無意味になる。ついでにアズも掻っ攫えるんだから一石二鳥だよなぁ」
「……アズを、攫う?」
他にも気になる発言があったが、なぜか無意識に口に出してしまった。
「ああ、一ヶ月くらい前に合う約束してたんだけど、いろいろ立て込んでて全然会いに行ってやれなくてさぁ。だからこうして攫いに来てやったってわけ!女の憧れなんだろ?」
何が楽しいのか、嫌にニコニコと笑いながらレイズが話す。その後ろではラフィエルが額部分に手を当てて呆れたように首を振っているのが見える。……女の憧れが攫われる事だなんて初めて聞いたのだが、内容が内容なだけに聞き捨てならない。
「あ、ついでに教えておいてやるよ。この場に不釣り合いな獣人いただろ?薄気味悪いくらい白い色した兎型のやつ。――あれ、俺らの仲間だから」
「……!」
アズが追いかけて行ったあの兎の獣人……もし本当にノワールだとすれば、今頃は――。
「あいつのクリスタルは“音”に能力を持たせるクリスタルだから、接近戦で、尚且つ物理的な戦闘スタイルのアズとは相性最悪ってな!今頃は捕獲されてるんじゃねえの?」
「……そのために、あいつが1人になるよう誘導したのか」
「そゆこと。まあ、上手く事が運んだってのもあるけどな。な、ラフィエル!」
「……お前は本当に口が軽い。よけいなおしゃべりはするなとあれ程言ったのに……」
「しょうがねえだろ。こんなに上手くいくなんて思ってなかったし、ラフィエルだって五分五分だって言ってたじゃん」
「……レイズ、この際だから言わせてもらうがな、」
ラフィエルがレイズを叱咤する会話を聞き流しつつ、クラウスはさっと周囲の状況を把握するよう視線を巡らせた。クライス・セブンと兵士たちの働きにより、ホール内に残っている貴族たちはいない。しかし、出入口付近には数名の兵士たちが王女を守るように囲い、体を揺らしながらじっと見つめてくる下級シャドウたちと睨み合いつつじりじりと扉に向かって後退している。クリスタルを具現化できる聖騎士でないのが心もとないが、居ないよりはマシか。シャドウたちも襲い掛かることなく、ノワールの指示を静かに待っているようだ。
ゼノは先ほどのダメージが深かったようで、茨に縫い付けられたまま身動きが取れないでいる。しかし同じく視線を巡らせていた彼はクラウスの視線に気が付くと、アイコンタクトで玉座を見るよう促した。
そして玉座を見れば、すでに避難していると思った国王が立っていたので、思わず眉間にしわが寄った。なぜ退避していないのか――メイドや王妃が居ないが、クライスセブンの団長、グランツェルが1人残って必死に退避を促しているところを見ると、自分の意思で残っているように見える。
その厳格な顔にある青い双眸に、ひどく冷たい怒気が揺らめいていたことを、クラウスは見逃さなかった。
「――あ、そうそう。もうひと仕事だ、C」
レイズの合図により、再び仮面のノワールが動いた。
先ほどのレイズからの攻撃を回避した事によりクラウスから離れてしまったアリアエルに、あの茨がずるずると伸びていく。それに気が付いた兵士たちは守るように身構え、アリアエルは驚いて身をすくめたが「アリア、逃げるんだ!」というゼノの叫びに押され1人走り出す。
しかし、もう遅かった。
「やっ……いやあぁぁぁ!」
「無駄無駄。普通の人間じゃ逃げ切れないって」
足元の大理石を突き破って現れた細い茨に足を掴まれ、バランスを崩した所をそのまま数本の茨で拘束されてしまった。身をよじって必死に抜け出そうとするも、生き物のように巻きついてくる茨はさらに彼女を締め上げていく。
「そんなに暴れると、綺麗な肌に醜い傷が付いちゃいますよ?麗しの王女様」
くっくっと楽しそうに笑いながらアリアエルを見上げ、仕上げとばかりに手を振って合図をする。すると、アリアエルを助けようと槍を手に向かってきた兵士たちを茨が一掃。全員吹き飛ばされ、壁に叩きつけられてしまった。
「アリア!!」
「っ……!」
ゼノの声に押させるようにして破壊の大剣を具現化して駈け出そうとすれば、「おっと」と笑いながらレイズが首だけをこちらに向けて口角を上げた。
「動くなよ。大事な大事な姫様の頭がなくなっちまうぜ?」
「く……」
思わず顔をゆがめて歯を食いしばる。この状況を打開するための行動パターンをいつくか頭の中でシュミレートしてみるも、たどり着く結果はどれもゼノかアリアエル、どちらかの死が纏わりつく。レイズやラフィエルはもちろんだが、今一番の厄介な相手はあの仮面のノワールだ。やろうと思えばゼノとアリアエルを同時に殺すこともできるだろう。
「準備できたぜ、ラフィエル。あとの交渉は任せた」
「待て、レイズ。どこに行く?」
「兎んとこ。そろそろアズを捕まえられただろうからちょっと見てくるわ」
「お前……私が今どういう状況なのか理解して言っているんだろうな?」
「はいはい、解ってるから安心しろよ。つーわけで後よろしく」
適当に返事を返しながらひらひらと手を振って歩き出すレイズに、「……貴様、後で覚えていろ」と苦々しくラフィエルが吐き捨てた。
初めからこのつもりだったのだろう。ゼノの自由を奪い、アリアエルを人質にとり、抵抗できない国王の命を奪う――。敵であるこの大国にたった数人で乗り込み、ここまで追い詰められるとは誰も予想できなかった。あのゼノでさえも。
それほどまでに、ノワールという組織は強く、大きくなってしまったのだ。
「――さて。待たせたな、国王」
バサリと黒い外套を払い、ラフィエルは檀上から見下ろすアレクセイ国王陛下を見上げ、「選ぶがいい」と、ゆっくりと手を差し出した。
「おとなしく自らの首を差し出してこの場を収めるか、それとも自らの首の代わりにこの国のすべての命を差し出すか……。賢いお前なら時間を与えずとも答えは出ているだろうがね」
「……」
「もちろんお前の首を差し出せば、他の者の命までは奪いはしない。誓って、約束しよう」
「いけません国王!断じて信じてはなりません!!」
はっとして声のした方に視線をうつすと、茨に抑え込まれながらももがいているゼノが必死の形相で叫んでいた。
「そいつらの口約束など信用できない!約束、誓い……そうのたまっておきながら、一体いままで何人殺してきた!?何人騙してきた!?」
「それはレイズや他の連中がしてきた事だろう。私は約束を守る性質だ」
「ぶざけるな!ノワールの言うことなど信じられるか!……信じるものか」
「よい、ゼノ」
遮るように降りてきた静かな静止の声に、その場にいたすべての人間がアレクセイを見上げた。
アレクセイはいつも通りの厳格な顔つきを少しも崩すことなく、「もうよい」と再度繰り返した。
「何がどうあれ、お前たち賊の狙いはこの私一人なのだろう?それで気が収まるのなら好きにするといい」
「さすが国王陛下。話が早くて助かる」
「陛下!!なにを仰るのですか!?」
「何度も言わせるなゼノ。私が良いと言っている。……後の事は任せた」
ちらりとアリアエルを一瞥し、階段をゆっくりと降り始めるアレクセイに、たまらずアリアエルが「お父様!!」と目に涙を浮かべて叫んだ。茨の棘が食い込むのも構わず、必死に暴れる。
「嫌です、嫌ですお父様!それならば私が――」
ばさり、と遠くで羽ばたく音が聞こえたのち、不意に頭上が暗くなり、アリアエルが唐突に言葉を切った。そして自然と、その場に居たすべての人間が一斉に天井を振り仰いだ。
瞬間、
「――!!?」
それを視界に入れたラフィエルが一瞬体を強張らせたのち、間髪入れずに後方へ飛び退った。直後に一本の剣が鈍い音と共に深々と大理石の床に突き刺さる。紙一重だったのか、ラフィエルの外套の裾を少しだけ抉り取っていた。
見覚えのある剣だった。鳥の翼のような湾曲を描く、純白のそれは――。
「アズ……何故ここに……」
ボロボロに破け、見る影もなくなった純白のドレスを身にまとった傷だらけのアズが、ラフィエルの悲痛な呟きと共に静かに降り立った。
振り乱された髪も、傷だらけの肌も、脱ぎ捨てられたヒールも、すべてが何故か彼女らしいと思えて。
あんなにめかし込んで上品に振舞っていた姿よりも、今の方がずっとずっと彼女らしいと思えて。
何故か解らないが、こんな状況にも関わらず、ホッとしている自分がいることに対して、クラウス自身が驚いていた。