34 波乱の舞踏会-②
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会場の扉を勢いよく開け放って飛び出すと、つんのめって転びそうになった。せっかく整えた髪も振り乱れ、スカートの裾がはためこうが気にならなくなっていた。
少しだけ上がった息を整える間もなく、扉の両脇に立って呆然とアズを眺めていた2人の兵士にアルテミスの事を尋ねてみると、
「ああ、彼なら鐘大塔の方へ行きましたよ」
「鐘大塔……?あの大きな鐘のある塔だよね?」
廊下の窓から見える大きな塔を見ながら問うと、兵士は頷いた。
「はい。あそこは一般人は立入禁止だとは忠告したんですけどね。一目近くで見たいと言って……」
「ありがとう!」
悪いと思いながらも兵士の言葉を最後まで聞かずに走り出そうとし、「あっ、いっけない!」ふと思い出してショールを取ると、
「これ、預かってて!お願い!」
「え――えぇ!? あの、ちょっと!?」
走るのにも邪魔だし汚しでもしたらゼノに申し訳ない。驚き顔の兵士の腕の中に無理やり押し付け、今度こそ走り出した。ワンピースの裾は制服のスカートと同じくらいの丈だったけれど、軽くてふわふわしている分舞い上がりやすい。仕方なく片手で裾を押さえる事にした。
「塔はあそこだから……あの突き当たりを右に曲がれば……!」
青いカーペットの敷かれた長い廊下を抜け、幾つもある扉には目もくれずひたすら走りきる。突き当たった所で迷わず右に体を向きを変えた所で、気がついて足を止める。
「……まさか開いてないなんて事……ない、よね?」
目の前には重々しく佇む大きな鍵付きの鉄扉が待ち構えていた。方角からして鐘大塔に続く扉であることには間違いないが……。
「立ち入り禁止って言ってたし……開いてるわけないか」
それではアルテミスはどこへ行ったのだろう。鐘を近くで見たいと言っていたらしいが、アルテミスの姿はどこにもなかった。
まさか、と思い駄目もとで取っ手に手をかけて押してみたが、鍵がかかっているのだから当然ぴくりとも動かない。ここから先へ行った可能性はなくなってしまった。仕方なく来た道を戻ろうとしたその時、溜息とともに視線を床に落とすと、何かが落ちているのに気がついた。
「……?」
しゃがんでそれを拾い上げると、月明かりに照らして形を確認した。それは――薔薇の花びらのようだった。
「なんでこんなところに……」
赤い花びらを見つめ、表、裏と意味もなくひっくり返してみる。首を傾げたままもう一度床に目を落とすと、青いカーペットの隅に数メートルの間隔を置いて薔薇の花びらが落ちていることに気がつく。
まるで目印のように落ちている薔薇の花びらに、思わず眉をひそめた。
床なんか見ていなかったから気がつかなかったが、追うように見ていくとアズが来た道に点々と落ちている。さすがにここまであからさまだと警戒してしまう。
「……」
考えていても仕方ない。口をキツく結び、アズは薔薇を追うように歩き出した。
「な、んでこんなところから……ひゃっ!」
バランスを崩しそうになって慌てて屋根のでっぱりを掴み、一呼吸置いてから恐る恐る足元を見下ろした。遥か眼下に広がるのはルディアナ城の中庭で、アズが今立っている場所は鐘大塔へと続く鍵付扉のあった廊下の屋根の上だった。先ほどまでは穏やかだった風は少し強く、場所が場所なだけに遮るものが何もないので風圧が辛い。クリアクリスタルはもちろんセピア・ガーデンに置いてきたので当然風圧によろめきながら、アズは乱れる髪を押さえ鐘大塔を見上げた。
薔薇の花びらを追えば、小さな個室の開け放された窓に続いていた。薔薇を落としていったのがアルテミスなら、誰かが自分を追ってくると考えた上でとった行動だろう。……果たしてこれが本当にアルテミスが落としたのかも不明なのだが。
こうまでして鐘大塔に行く目的はなんなのか――。ただアルテミスを探しに来ただけなのに、結局やっていることはいつもの任務とさして変わらないような気がするのはアズだけだろうか。
腑に落ちない想いで歩き出したその時、鐘大塔の上で何かが動いた。見間違いかと思ったものの、目を凝らして見れば、月の光を浴びて黒いシルエットがぼんやりと浮かび上がる。――見覚えのある、長い耳。
「……アル。なんであんなところに」
遠くてもわかった。あれは紛れもなくアルテミスの姿だ。何故あんなところに、一体どうやって――?
「っ……」
嫌な予感が、胸騒ぎが止まらない。原因の解らない言いようのない不安に、もどかしさを覚えた。
何かがアズを急かす。
「……セピアノス?」
胸にそっと手を宛がい、自分の中にいる存在に呼び掛ける。声としての答えはなかったが、呼応するように胸が熱くなる。
俯いていた顔をゆっくりと上げ、塔の上からまっすぐこちらを見下ろしているだろうアルテミスを見上げた。胸に手を当てたまま、アズは胸いっぱいに息を吸い、
――戦場の女神
「大気凝固、固定」
空気を固めた薄い板を想像して、具現化させた。
前回初使用した戦場の女神の三つあるうちの一つ、防御に特化した能力だ。大気中の空気を瞬間的に圧縮して固め、透明な壁を作り出すことが出来る固定は使い方次第で様々な用途に応用できる優れた能力――。
クリスティナと初めて会った時はハイノウルフから彼女を守るために防御壁として使用したが、今回は足場として使う。
目の前に出現させた固定に飛び、自分の飛べる距離にまた出現させ、さらに飛び移る――。これを繰り返せば足場のない場所でも不安定な場所でも選ぶことなく縦横無尽に飛び回れる上に、空からでしか行けないような高い場所へもすぐに行ける。
それでもメリットばかりがあるわけでもなく……。
「……はっ、はぁっ……!」
目的の場所に着く前にすでに意気は上がり気味。固定に向ける意識は半端なものではなく、それを出現させたり消したり維持したりという作業はかなり神経をすり減らす。アルテミスのいる塔のてっぺんに着く前に限界を感じて、一段下がっている踊り場へ降り立って体を屈めた。荒い息を何度も繰り返し、顔を上げてこちらを見下ろしている彼を見上げた。
「っ……なんで?」
ねえ、アルテミス。
なんで……――
そんな悲しそうな顔をするの――?
**
「……」
ごくり、と生唾を飲み込んで腕の中にある黒いショールを見つめている相方を半眼で見やり、肩を落として溜息。なんだか目がギラついていて怖い。
「なあ、ジル」
「……なんだ?」
突然話しかけられて若干ビクつきながら対応すると、相方は鼻息荒くこちらに顔を向け、
「これ、アズさんのショール……むっちゃいい匂いする……!か、嗅いでいいかな……」
「やめろお前正気かっ!!?」
ショールに顔を近づけてとんでもない事を言い出したので思わず掴みかかった。やばいこいつホントに女に飢えている。思っていたよりも重症だ。
「お前それは兵士としてアウトだろ!?城を警備する兵士の顔じゃねえぞ今のお前の顔!!」
「で、でも……」
「でもじゃねぇ!!頼むから止めてくれせめて俺の目の前ではっ!!」
必死に抵抗する相方からショールを引っぺがすと「俺が預かったんだよ!返せよっ!」とまさに飢えた雄の形相になっていた。兵士1人1人に与えられた銀槍の柄の部分で相方の腹をぐいぐいと押しやり、こちらも言い聞かせた。
「城を守るのが俺らの仕事だ!それ以外に気を散らすな馬鹿者!お前は兵士長殿からいったい何教わってきたんだよっ」
「うっせ!お前は嫁さんいるからいいじゃねえかよ!俺なんか彼女だっていないってのに!」
「俺が言いたいのはそういうことじゃないんだよ!趣旨違うだろうがっ!」
こんなくだらないやり取りが陛下にバレてしまえば即刻首が飛ぶ。それも自分の首まで……。
なにやってんだ俺は……と溜息混じりに呟いたその時、正面の方から足音が聞こえた。思わず体が跳ねる。
コツ、コツ……
相方も気がついたのか慌てて定位置へ戻り、姿勢を正す。助かったと思う反面、こんな時間に誰だと疑問に思う。交代の時間にはまだ早すぎるし、招待客なら遅すぎる来場だ。もし後者であれば正門にいる仲間からこちらに連絡が入るはずだから、招待客でないことは確かだ。
コツ、コツ、コツ……
足音からして複数。ますますおかしい。
「……おい」
同じく疑問に思ったらしい相方が訝しげに声を掛けてくる。それに頷いて応え、槍を正面に構えるように持ち直した。何かあれば、これで対処するしかない。
クリスタルマスターではない一般兵士である自分たちには、これしかないのだ。
「そこの者、止まれ!」
ゆっくりとした歩調で近づいてくる人影に向かって声を張り上げるが、一行に緩める気配はない。相手は3人、兵士の甲冑でなければ礼服でもない、普通のラフな格好をした赤髪の男を筆頭に、後ろに顔まで隠れる黒い外套を身に纏った人物が2人――。すべてが怪しすぎる。
「聞こえないのか、即刻止まれ!!」
異様な気配を感じてたじろぎつつも、退けない。退くわけにはいかない。
恐怖を悟られないように一段と声を張り上げた所で、ぴたりと男が歩みを止めた。内心ほっとしたのも束の間、男は腕をこちらに向け、口角を上げてニヤリと笑った。
「――ボン」
**
凄まじい爆音と震動が建物のみならず大気までも震わせ、アズは驚いて後ろへたたらを踏んだ。突然すぎて状況が理解できず、茫然と爆発の起こった方を見下ろす。
黒煙が上がっているのは、城の中でもひときわ多きな建屋――あれは、今まさに舞踏会が開かれているホールだった。
「な……っ」
なにが起こったの?
言葉に出そうにも、不規則に漏れる呼吸のせいで突っかかって出てこなかった。
あそこには人が大勢いる。ガーデンの皆も、貴族の人も陛下も姫様も――。
「み……んな」
「――ここからが本番です。アズ」
アルテミスの声にゆっくりと振り向く。塔の上から見下ろす彼は、先ほどと変わらない悲しげな笑みのままで、爆音など意に介さない様子だった。まるで、こうなることがわかっていたのかように。
「……アル、どういうこと?」
嘘だ。
「本番って……」
……嘘だ。
「あの爆発はっ……」
……嘘だって、言って――
「――アルテミス!」
「すべてはブレイオスの御心のままに」
彼が胸に手を宛がうのと、自分の周りにシャドウが湧きだすのとほぼ同時だった。
「――!」
反応するもすでに遅く、あっという間にシャドウの長い腕に視界が遮られ、屋根の上に勢いよく押し付けられた。
「かはっ――」
頭と胸を打ちつけて呼吸が止まり、頭の中で光が弾けた。一瞬意識が吹っ飛び、軽い脳震盪を起こす。一切の手加減がないシャドウの動きに驚愕した。
「今宵の宴はこれから始まります。――貴女はただ、ここから傍観していて下さればいいのです、アズ」
固い屋根に顔を押し付けられながらも、なんとか顔をずらしてアルテミスを見上げる。
「暴力も乱暴も好きではありませんが、致し方ありません……どうかお許しを」
手が宛がわれた胸からあふれ出す赤黒い光を見て、アズは更に目を見開いた。
「あちらの宴が終わるまで、どうかこちらでお楽しみください」
赤黒い光を纏ったクリスタルが具現化し、ヴァイオリンの形となって彼の手に収まる。
なんで
どうして
その二つの言葉が、アズの中でぐるぐると渦巻いた。
アルテミスはノワールだった
その事実が受け入れられなくて
悪い夢を見ているようで
「……して」
「!」
振り絞るように出した声に、ヴァイオリンを構えたアルテミスの動きが止まった。
「どお……して……」
屋根に打ち付けた際に出来た頬の傷に涙が染み、小さな痛みを伴ってアズの胸に深く突き刺さる。
「アル……」
みっともなく、無様に。
屋根に押さえつけられたまま、アズは泣いた。
自分に出来ることが見つかったと言った、先ほどのアルテミスの顔が浮かんだ。
――定められた命の中で、私には何が出来るのだろうか……と考えるようになりました。
自分に出来る事が見つかってよかったねと、アズは笑った。
――答えを見つけた今は、例え、その結果が誰かを苦しめるものだとしても、私はそれにすべてを賭けようと思っています。
それが、
――そのために、今まで生きてきたのですから……。
こんな結果だったなんて。
「ふ……うっ……」
「……」
声を殺して泣く自分は、なんて惨めなんだろうか。
友達だと思っていたのに。
「……アズ」
仲良くなれたと思っていたのに。
「私は、貴女を裏切りました」
「……!」
改めて突きつけるアルテミスの発言が、更に胸に突き刺さる。
「ですが、貴女に言った事は……すべて本心です」
目を瞬いて、アルテミスを見上げた。
「信じて頂けるとは思っておりませんが」
そう付け足して、彼は笑った。
「……」
――もっと早く貴女と出会っていたかった
あの時のアルテミスの言葉が、頭をよぎる。
裏切られたばかりで、今もアズを惑わす為にそう言っているだけかもしれない。むしろ、その可能性の方が高いと言える。
世界なんか壊れてしまえばいい――。世の中のすべてに絶望している者の集まりであるノワールはみな、頑なに世界を拒絶し、絶望してきた。
その一員であるアルテミスもまた、生きてきた時間の中で人間に絶望してしまったのだと思う。ただの推測でしかないけれど、人々が獣人を忌み嫌う世界であるならば、それが理由だと思う。
でも、例えそうであっても――。
「……そんなの」
どんな理由があろうと。
「間違ってる」
はっきりと言い切るアズを見下ろし、アルテミスは目を瞬く。
「間違ってるよ、アルテミス」
まっすぐに空色の眼を見据え、アズは体に力を入れる。とても冷たく、のっぺりと巻きついてくるシャドウを少しずつ押しのけ、気持ちが昂るのを感じる。
「どんな理由があろうと、ノワールに居る事は間違ってる。世界を壊すなんて言うのも間違ってる!」
「……」
「アルテミスの過去に何があったのかは解らない……でもね、人って何度でもやり直せるんだよ。どんなに辛くても、どんなに大変でも、信じて支えてくれる人がいれば何度でも立ち上がれるんだよ」
「……それはただの絵空事です。現実はそう甘くありません。……人間である貴女には理解し難いかもしれませんが」
「……あーもう、人とか獣人とか関係ないって何度言えば解るの!あたしが今向かい合って話をしてるのはアルテミスでしょ!?」
噛みつくように叫び、歯を食いしばって気持ちを集中させる。体の底から熱が湧きあがり、体にまとわりついているシャドウたちがびくりと体を強張らせて蒸発するように消失した。今の状態であれば、まだ具現化できる。
立ち上がったアズは驚いた顔のまま見下ろすアルテミスにビシッと人差し指を突きだし、押し倒されてくしゃくしゃになってしまった髪を結わえていたシュシュを取り払い、「いい?アルテミス!」と睨み据えた。
「人はやり直せる。何度でも何度でも、それこそやり直す気があるならいくらでも!アル、言ったよね?さっきの言葉は本心だって。ホントは後悔してるんでしょ?ホントはやり直したいんでしょ?きっかけさえあれば、ノワールになんか入らなかったんでしょ?」
アルテミスが目を細め、避けるように視線を外す。図星なのか、それとも違う事を考えているのか。
どちらにせよ、ここまで言い切った時点でもう戻れない。戻るつもりもないが。
「あたしが改心させてあげる。世界には酷い人間ばかりじゃないってこと……獣人を受け入れてくれる人たちがいるって事をね!」
「……私をどうするおつもりで?」
すっと目つきが変わり、空色の瞳に赤黒い光が混じる。具現化させたアルテミスのクリスタルの光をその瞳に湛え、こちらに警戒しているのがひしひしと伝わってくる。
せっかくのおめかしも、新調してもらったドレスもボロボロ。みっともないことこの上ないが、そっちの方が自分らしいと思えてきて。
「そりゃ、もちろん決まってるじゃん」
綺麗な格好のままでは到底できなかった表情でニヤリと笑い、口の端についていた頬の血をペロリと舐め、
「ガーデンに強制連行させてもらいます」
綺麗な自分をすべて脱ぎ捨て、戦場の女神の番を具現化させた。