33 波乱の舞踏会‐①
「……納得できねぇ」
「聞き飽きたんだけど。そのセリフ」
椅子の背もたれに顎を乗せて不満そうに呟くジークにちらりと視線を投げる。正しい椅子の座り方を教えると共に、諦めの良さも教えてやらないといけないらしい。いい加減鬱陶しくなってきた。
アズ達がルディアナ城へ向かって、あれから2時間。自分とジークがガーデンで待機(もとい留守番)を言い渡されてから、かれこれ8時間。それだけ経てばいい加減諦めてもよさそうなものだが、この男は一向に諦める気配がない。いくら受け入れろと言っても、
「行きたかったのに!」
「団長命令だから仕方ないでしょ?」
「どうして俺なんだよ~!いつもいつもクラウスばっかじゃねえか!羨ましい!!」
この始末だ。こっちの方が呆れてものが言えない。子供か。
なぜ団長が自分を居残りに任命したのかを理解出来ないのかする気がないのかは解らないが、それなりにジークの事を買っているからだということに気付けないでいるこの男が憐れでしょうがない。しかし、わざわざ教えてやる義理も情もないのであえて何も言わないでいる。言ったところで今度は泣くんだろうし、なんて喜怒哀楽の激しい男なんだろうか。面倒くさい。
相手をするのにも疲れてきたので喚き続けているジークをほっといて本に視線を落としたところで、思わず苦笑が漏れた。
「いつの間にいたの?リリム」
いつからそこにいたのか、開いている本の上に寝転がって内容を読んでいるらしい小さな妖精に声をかけた。すると顔だけこちらに向けて、
「今来たの」
むすっとした顔でそれだけ言って、再び本に視線を落とした。
「……」
勘弁してくれ。
どうやらめんどくさいのが1人増えてしまったらしい。
**
「(今頃むくれてるだろうな~、リリム)」
ダンスの合間の休憩にて、メイドさんから手渡された綺麗な赤いジュースを片手にアズは思わず溜息をついた。こんな煌びやかな席でなんてバチ当たりなんだろうかと自覚しつつ、アズはテラスから一望できる宝石のような星空を見上げた。
行きたいと言い張るリリムに居残りを言いつけたのは他でもないゼノだ。妖精に団長命令が適応されるのかは不明だが、本人が(しぶしぶ)従ったところからして、自分なりにガーデンのルールを守ってくれているらしい。
一緒に連れてきてもよかったんじゃないかとアズは思ってはいるけれど。
「ゼノの考えだしな……あたしは色々言えないし」
呟いて、憂鬱な気分を振り払うようにグラスを煽った。
10人連続で申し込まれ、ヘトヘトになったところで陛下が外で休んでくるようにとテラスに案内してもらった。国王陛下じきじきにそんなことをされては恐れ多くてたまらない、と言っても聞く耳持たず。当然ながら逆らう事が出来ずに案内してもらったのだ。
色んな殿方と手を取ってみたが、1人1人に癖があってなかなか面白かった。テンポが遅い人、少し早い人。自分なりにアレンジしている人もいれば、ただくるくると楽しそうに回るなど、まさに十人十色。ダンスがこんなに面白いものだとは思わなかった。
ただひとつ、思った事がある。
「……」
ちらり、と中を覗き見て、探していた人物を見つけて知らず知らずのうちに小さく溜息。視線の先にいるのは、楽しそうに踊っているアリアと相変わらずの無表情でいるクラウス。……なぜ可愛らしいお姫様を目の前にして笑みの一つも出ないのか不思議でしょうがない。
アズが10人相手にしている間、あの二人はペアも変えずずっと一緒だった。もちろん離そうとしないのはアリアの方であって、クラウスは言われるがまま彼女とずっといる。
そして、自分はどうやらクラウスと踊りたがっているようだった。自分の事なのに他人事のようにそう思った。
「……ちらちらこっち見るくせにさ」
見るだけで寄って来ない。それどころが目が合った瞬間にすぐに目を逸らして、何事も無かったかのように踊りを再開する。微笑んでくれるわけでも誘ってくれるわけでもなく、本当に存在を確認しただけと言うか、勝手に居なくなってないか確認されただけのような。……子供じゃないんだから、こんな広いホールで迷子になるかってんだ。
「……ちょっとは踊ってくれてもいいじゃんか、クラウスのばーか」
また辺りを見回してアズを探し始めるクラウスに、テラスから見下ろしたままべ~っと舌を出してやった。進んで申し出てくれたわけじゃないにしろ、2週間も一緒にレッスンした仲だというのに……。それを想うと、また小さな苛立ちを感じてしまった。グラスの中身を一気に煽り、もうひと踊りしてやろうと鼻息荒く踵を返したところで、はっとして立ち止った。
「こんばんわ。アズ」
「び……っくりしたよ、アルテミス。いつからそこに……ってか、なんでここに?」
純白のタキシードに真っ白な兎の耳が目を引く、スカイワーフの獣人――アルテミスが、柔らかい笑みを浮かべて後ろに立っていた。
「貴女がここでグラスを煽りながらホールを眺めている所から居ました」
にっこり笑ってそう言うアルテミス。つまりは最初から後ろにいて独り言までしっかり聞かれていたということになる。
「……」
「そんな顔をなさらずに……せっかくのお顔が台無しになってしまいます」
くすくすと笑うアルテミスはゆっくりとアズに近づいてきて、優雅な手つきで自らの胸に手を宛がい、おじぎをした。
「もしよろしければ、わたくしめと一曲踊って頂けませんか?レディ」
差し出された手を見下ろし、アズは一瞬だけ躊躇した後苦笑した。もしかして、わざわざ自分なんかと踊るために抜け出してきてくれたのだろうか。おかしな人だ。
「喜んで」
もちろん断る理由なんてない。苦笑したまま手を取ると、アルテミスに不思議そうに首を傾げられた。
「如何なさいました?」
「ううん、面白い人だなぁって思って」
「私が……ですか?」
「うん、変な意味じゃなくてね。物好きな人だね、アルって」
「仰る意味が解りません。私は貴女と踊りたい。……ただそれだけなのですから」
ホールへと誘いながらそう話すアルテミスの横顔を見上げ、セイレーンとしてのアズではなく、一個人であるアズと踊りたいと言ってくれた彼の優しさに心が包まれた。3日前にされた手の甲へのキスの事だって、会場に着く前には顔も見れないだろうと思っていたのに、いざ目の前にしても変に緊張したり上がったりしなかった。彼を取り巻く空気や雰囲気がすべて和らげているような、中和しているような不思議な感覚。
それを改めて実感し、アズは胸中でもう一度、しみじみと呟いた。
――本当に、物好きな人だ。
**
「クラウス様、最後にもう一曲だけお相手して下さいませ」
「御意」
自分の手を握りしめて微笑む王女に頷く。
次の演奏が始まるまで時間があったので飲み物を取りに王女をその場に残して一旦離れる。ダンスの合間に短時間の休憩が入るのだが、その合間に女性に飲み物を渡す――紳士のたしなみというものらしい。ゼノに言われた事を忠実に熟すクラウスは、自分に与えられた任務と同様に捉えている。目上や王族に対する言葉づかいも対応もすべて叩き込まれている。クラウスはただそれを確実に熟しているに過ぎない。
会場を回っているボーイからイーズベリーのカクテルを1つ受け取り、ふと思い出して辺りを見回す。先ほどから姿が見えないのが少し気がかりだった。
「クラウス」
聞きなれた声に振り向くと、ゼノがいつもの笑みを浮かべてこちらに歩いてきた。
「お姫様のお相手はどうだ?ちゃんと紳士として振る舞えてるか?」
クラウスもほんの少しだけ表情を緩め、それに応じた。
「はい。問題ありません」
「そうか、それは何より。……ところで」
不意に真顔になったゼノが一歩近づき、クラウスの耳元に顔を寄せて囁いた。
「アズとヴェールの姿が見えないが、大丈夫か?」
「……竜の方は確認済みです。アズは……」
言い淀んで目を伏せると、ホールにざわめきが走る。ゼノと同時に顔を上げてそちらを見ると、バルコニーへと続く階段から下ってくる2つの姿があった。1人は探していたアズで、もう1人は見知らぬ白い獣人の男だった。
「おお、いたいた」
ほっとしたようなゼノの表情は、隣の男を見た途端に変わった。訝しげに目を細める。
「クラウス、知り合いか?」
「いえ」
即答したクラウス本人も眉を寄せたまま獣人を見つめる。初めて見る顔だが、周りがざわつこうともお構いなしにアズと楽しそうに談笑している。親しいようだ。
「どんな人間とも親しくなるのは大いに結構だが、この場で獣人と踊るのはあまりよろしくないな……」
ゼノが顎に手を当てて呟く。確かに、2人が現れてから会場の人間はあの2人に釘付けだ。もちろん良い意味ではない。
例え獣人への差別が法で禁じられていたとしても、この世界では獣人は人間とは異なった生き物として扱われている。国の人間すべてが偏見を捨て切れているわけでもないし、ましてや法で禁じられている分、関わろうとしない人間が多く集まっているのが、この場に大勢いる貴族達なのだ。
オーケストラ要員としてだけ招待された獣人が世界を救う役目を担うセイレーンと手を取り、これから舞踏会に参加しようとしている……。その行為が今、非難がましい視線とともに2人に突き刺さっている。
……何なんだ、あの男は。
「師匠、俺が行きます」
ゼノの返事を待たずに歩き出した矢先、アズが気づいたのか目が合った。――とたん、
「……」
眉間に眉を寄せ、ぷいっとそっぽを向いてそのまま男の手を引いて歩いて行ってしまった。歩き出したままの格好で固まり、そのまま2人の歩き去っていく後ろ姿を見送った。
「……」
なんだ、これは。
今。
物凄く。
「お……おーい。……クラウス?」
引き攣った笑みを浮かべ、遠慮がちに声をかけるゼノにも何も答えず、クラウスはただ2人の後姿を見つめ、思った。
なんか、物凄く、ムカついた。
**
「いーい?周りが何と言おうと、絶っ対に気にしちゃ駄目だからね!」
演奏が始まり、人のあまり多くない所で踊りながらアズはそう言った。会場に入った時から視線の突き刺さる事突き刺さる事……。挙句の果てにひそひそこそこそとうるさいったらありゃしない。不機嫌丸出しの所にクラウスまで現れて、思わずあんな態度でその場を離れてしまったけれど……まあ、奴の事だからいつものように無関心で全く気にしてないのだろう。
「堂々と胸張って!アルは男前なんだから、自信持っていいんだからね」
「……」
周りの嫌な空気を振り払うように力説すれば、アルテミスは目を見開いて驚いたような顔をしている。おかしなことでも言っただろうかと首をかしげれば、不意に目を細めて「ぷっ……」と噴出した。
「な……なんで笑うの!?」
「い……いえ、おかしくて笑っているのでは」
くすくすと頬を染めて笑う彼は本当に幼く見える。目を閉じて楽しそうに笑うアルテミスの顔をまじまじと凝視してしまった。まつ毛まで白いなんて知らなかった。
「嬉しかったのです。私の為にそこまで言ってくれる人間などいなかったものですから」
「……良い出会いがなかったんだね」
しみじみとそう尋ねれば、「そうですね」と微笑み、思い出すように目を閉じた。
「生まれてから一度も、好感を抱いた人間はいませんでした。私の一族がどうなったのか、どこへ消えてしまったのかも分からない……。私はずっと独りでしたから」
「ひとり……?お父さんとお母さんは?」
「分かりません。物心ついた時から、私は何も持っていなかった。家族も友人も、自分の物と言える物は何も」
聞いてはいけない事を聞いてしまった気がする。しかしアルテミスは空色の眼を開くと、貴女が気にするような事ではありません、とまた微笑んだ。
「貴女のような人間に会えていれば、私も今とは違う人生を歩んでいたのかもしれません。――けれど、戻れるはずのない過去など、私にはどうすることもできない。抗う事も、償う事も……。すべては過ぎ去った過去に過ぎないのだから」
「……」
「定められた命の中で、私には何が出来るのだろうか……と考えるようになりました。答えを見つけた今は、例え、その結果が誰かを苦しめるものだとしても、私はそれにすべてを賭けようと思っています。そのために、今まで生きてきたのですから」
「見つかったんだね、自分に出来ること」
嬉しくて尋ねてみれば、アルテミスは目を瞬いて「……はい」と微笑む。それはとても嬉しい事のように思えて、まるで自分の事のように思えて。
「良かったね、アル!」
心の底から笑い、想いをこめてアルテミスに送った言葉。
彼はもう一度目を瞬いて、
「……もっと早く貴女と出会っていたかった」
透き通るような綺麗な頬に、温かい涙を伝わせた。
なんて心臓に悪いんだろう……。
振り返って手を振ってくるアルテミスに手を振りかえし、火照った頬に手を添えて思わずため息をついてしまった。男の人の涙なんて、何年ぶりに見たんだろう。それこそ、今日の夢に出てきた涙ぐむ父親以来かもしれない。
たった一曲しか一緒に踊れなかったけれど、それでもアズは満足していた。アルテミスはもっと一緒に踊りたいと言ってくれたけれど、彼には彼の仕事が待っている。ただでさえ無理を言って時間をもらったらしく、これ以上延ばせば皆に迷惑がかかってしまうだろう。……少し名残惜しいのは内緒だ。顔に出なかっただろうか。
頬を両手で包み込んだまましばらく目をつむって深く深呼吸。動悸が収まるまでそのまま待ち、落ち着いたのを確認して目を開けた瞬間目の前に腕組みをしてこちらを睨むクラウスが飛び込んできた。
思わずぎょっと身構えたのは言うまでもない。
「い……いつの間に!」
「……誰だ、あの獣人は」
前髪がないせいで露わになった目の鋭いこと。思わずたじろぎそうになる程睨まれて、アズは内心ビクつきながらもクラウスの口から出た差別用語に顔をしかめた。
「獣人じゃない、アルテミス。あたしの友達」
「友達?……お前はどんな生き物とでも友達になるのか」
嫌に突っかかる言い方だ。すぐに顔に出てしまうアズは自分の顔が険しくなっていくのが解った。
「そうだよなんか文句ある?」
「文句はないが、自分の立場を弁えもしないお前が腹立たしくてしょうがない」
「は?」
意味がわからず更に顔をしかめた。別に悪いことをしたつもりはないし、そこまで言われる筋合いもない。この世界の人間が獣人を忌み嫌っているのは重々承知だ。それでも、
「クラウスにそこまで言われる意味が解らない。そもそも、なんであんたが腹立ててるのか理解できない」
「……」
言い返してくるだろうと思って放った言葉に、クラウスはなぜか目を逸らして言い淀んでいる。思わず眉をひそめて尋ねた。
「自分の事でもないのになんで怒ってるの?」
「それは……」
あのクラウスが言葉に詰まっている。視線を左右に巡らせ、顎に手を当てて呟いた。
「わからない」
「…………へ」
「わからないんだ。どうしてこんなに苛立っているのか」
「……なにそれ」
冗談でも言っているのかと思ったが、顔を見るからに冗談を言っているようには見えない。というか、あのクラウスが冗談を言う姿なんて想像できない。
真剣に悩んでいるような彼を姿を呆れたように眺める内に、腹立たしさがすうっと消えていく。なんだかなぁ……と頬をぽりぽりと指でかいた。自分の事なのに解らないだなんて、本当におかしな人だ。
「……あれ」
ふと視線の止まった先にアルテミスの姿を見つけて、思わず声に出た。彼は会場の出入り口となる扉を開けて外へ出ていってしまった。……メンバーの所に戻るなら、わざわざ会場の外へ出る必要などない。お手洗いはこのホールから直接行けるから余計に気になる。
気になってアルテミスの出て行った扉を見つめていると、ヒールの足音と「ひゃっ……!」と言う小さな悲鳴に我に返って条件反射で手を出した。
「わっ!」
差し出した手が何かを抱き留め、そこでようやく状況を確認できた。
「あ……相変わらず凄い反射神経ですね」
「ハンナこそ、危ないんだからヒールで走っちゃ駄目だよ……」
腕にしがみついているハンナを見下ろしてほっと胸を撫で下ろした。履きなれないとか言ってた割には平気で走るんだから……。クラウスも呆れたような無表情で見ていた。
「ごめんなさい、アルテミスを探していて……」
「アルを?」
「はい。アズに会いに行くって行ったきり戻って来なくて……。会ってませんか?」
「――あたし、探してくる」
「えっ、アズ?」
きちんとハンナを立たせると、踵を返してアルテミスが出て行った方へと足早に向かう。呼び止めてくるハンナの声が聞こえたが、答える余裕がなかった。
どうしてだろう。
合間を縫って小走りに駆けていくアズを不思議そうな顔で見てくる人々を気にする事も出来ないくらい、焦っている自分がいた。
顔も見えなかったのに、会場を後にしたアルテミスの後姿を見た途端……、
――なぜか、嫌な予感がしたんだ。