28 ファントム
「どわあぁぁっ!!」
女らしさなどかなぐり捨てて、某狩りゲームの緊急回避よろしく真横に豪快に身を投げた。応用力に優れた新技の固定の事なんかすっかり忘れてた。
ドカアアァァァァンッ!!
アズに当たらなかったファントムの爪は物凄い轟音を立てて石畳の地面に突き刺さった。石の破片やら粉塵やらから守るために腕で顔を遮ったが、信じられない光景に目を逸らすことができない。
「影のくせに物理破壊出来るなんておかしい!どうかしてる!!」
思わず叫んでしまった。いや、叫ばずにはいられない。尻餅をついたまま呆然とファントムを見上げる。
当のファントムは地面に腕を突き刺したまましばらく停止。ギギギ、という効果音でも付きそうなくらいにぎくしゃくとした動きでゆっくりとアズへと顔を向けた。鈍く光る赤い瞳でじろりと睨んでいるように見えなくもない。もしかして避けた事に対して怒っているのだろうか。
「何でもアリじゃん……反則でしょ」
顔をアズに固定したまま腕を引き抜くファントムにつられ、アズも立ち上がる。まさかシャドウからワンランクレベルが上がるだけでチート並みの強さだ。しかも見境なく襲ってくるわけでもなく、少なからずも知能があると見える。翼らしきモノがあるところからして、きっと空も飛べるのだろう。……なにこの展開。
下唇を噛みしめてファントムを睨みあげていると、視界の端に黒い外套が翻る。ハッとして顔を向けると、口元に笑みを浮かべたラフィエルが別の路地の向こうへと消えていくのが見えた。……結局逃がしてしまった。追いかけようにも目の前に立ちふさがるファントムをどうにかしない限りはしつこく追ってくるだろう。
「アズ、そいつはシャドウを呼び寄せるの!気を付けて!」
「――リリム!」
げんなりとして溜息をついた頃、上方に吹っ飛ばされていたリリムが帰還した。そういえば先ほどもファントムの存在を教えてくれたのだ。「さっきはありがとね」と感謝を述べると、頬を染めて嬉しそうに笑った。
「シャドウを呼び寄せるってどうやって?召喚するとか?」
胸に手を当てて戦場の女神を具現化しながら尋ねると、リリムは首を傾げた。
「言葉の通り呼び寄せるんじゃないかな?リリムも見た事ないけど、前にクラウスが教えてくれたのよ」
「クラウスが?――――うわあぁっ!?」
頭をフラフラと動かしていたファントムが突然動きだし、突き刺さっていた腕を引き抜いたかと思うと激しく振り回してきた。思わず悲鳴を上げて後ろへ飛び退ってなんとかかわす。
「とにかく媒体を探した方が早いと思うの!」
「そ、それはわかってんだけど!こうも付きまとわれちゃ鬱陶しくて集中できないし、何より危ないよ!」
と、言ってるそばから次々と石畳やらベンチやらを豪快に破壊していくファントム。この状態で媒体を探しに表通りに出ようものなら被害は圧倒的に拡大する。最悪死人も出てしまうかもしれない。
それに何より、ファントムに拉致されているあの女の子を助けるのが先だ。人質を取られていては迂闊に攻撃できない。アズはファントムの動きを黄金色の眼で追った。
あの激しい動作を押さえた後で、番で一気に腕を切り落とす!
「できるよね、ヴェール!」
『よっしゃ、任せろ!』
アズの声に空から返答――次の瞬間、ファントムの頭上の景色が揺らめいて竜型のヴェールが姿を現した。リリムが驚いたように「いつの間にっ!?」と小さく声を上げる。
『くらえ!』
鎌首を後ろへ引き、肺いっぱい空気を吸い込んだあと、ファントムの背後に向けて霧状のブレスを勢いよく吹いた。これはミスト・ブレスと言うヴェールの特技の一つで、高濃度の特殊な霧を周囲に蔓延させることで相手の視界を奪い、方向感覚さえも狂わせる結構恐ろしい技だ。
しかもマジックミラーのような特徴もあり、相手からは周囲が見えなくても、外にいるアズからはしっかりとファントムの状態が確認できるという優れもの。便利なことこの上ない素晴らしい能力なのだ。
ミスト・ブレスがファントムを覆い隠してすぐさま、アズは番を構えて地を蹴った。状況が確認できずに忙しく辺りを見回すファントムの懐に飛び込むと、女の子を抱えている腕目がけて躊躇することなく番を振り下ろした。
「――!?」
ざん、というはっきりとした手ごたえと共に腕を切断し、解放された女の子を引き寄せて小脇に抱え込み、霧の中から抜けてファントムとの距離を取った。ミスト・ブレスは目くらましには便利な能力だが、持続時間が短いのが欠点だ。特に天候によって左右されやすく、今日のように晴れて日が差す時間帯は時間との勝負。霧が晴れる前に事を終わらせることが出来なければ返り討ちに合う確率が高くなる。
「もう大丈夫だからね」
グズグズと泣きじゃくる女の子に優しく笑いかけ、そっと頭を撫でる。女の子はアズの首に巻きついて小さく震えていた。可哀そうに、どこから連れて来られたのかも親がどこにいるのかも解らなかったので、とりあえずヴェールの背中に少女を乗せた。
「ヴェール、皆が避難している安全な所まで連れて行ってあげて。アリスやハンナが誘導してくれてると思うから」
『解った。……でも媒体はどうすんのさ?ファントムは消滅させたとしても、時間が経てばシャドウみたく復活するよ』
「うん……実はなんも考えてない」
『……マジ?』
引きつった顔でヴェールが呆れたように言った。とにかく最優先で女の子を助ける事しか考えていなかったので、ファントムや媒体に対しての作戦は本当に何も考えていなかった。
『ねえ、ちょっと。通信機が無いように見えるのは俺の眼の錯覚かな?』
「ん?錯覚じゃないよ。さっき試着してるときに邪魔だったから取っちゃった」
『……馬鹿じゃないの』
「ばっ……馬鹿って言う方が馬鹿なんだよ!何もそんな冷たい目で見なくてもいいじゃん!」
痛い所を突かれてしまい、アズはムキになって言い返す。耳元に付ける通信機型クリスタルは服の着脱時にはとても邪魔だった。なのでハンナに渡してそのままだったのをすっかり忘れてしまっていて、ヴェールは応援も呼ばずにどう切り抜ける気なんだこいつは的な事を思っているのだろう。……だからって馬鹿は言い過ぎだと思うけど。
「ま、まあ、なんとかなるよ、きっと。――ほら!霧が晴れちゃう、早く行った行った!」
ぺん、とヴェールの尻を叩くと『うわっ!』とひっくり返った声を上げて体を強張らせた。ヴェールの首にしがみついて怯えた眼差しのままアズを見つめていた女の子の視線に気づき、顔を近づけてにっこりと笑った。
「この子、あたしのパートナーのヴェールって言うんだ。君を安全な所まで連れて行ってくれるから、落っこちないようにしっかり捕まってて?いい?」
「…………うん」
少しの間を開けて、女の子もほんの少しだけ笑って頷いた。すると後ろで「アズ、来たのよ!」というリリムの声。番を構えてみれば、ファントムを覆う霧の周囲に黒い小さな影が湧き始めている。――どうやらシャドウを呼んでいるようだ。
「行って」
『……すぐ戻る。それまで持ちこたえてよ?』
「うん。大丈夫だよ、これくらい」
強気に笑って見せ、アズは歩き出す。ヴェールは何か言いたそうに渋ってその場にいたが、アズが振り返らないと解ると翼を広げて空へ飛び立った。
「さあて……」
ヴェールの羽ばたきによって起こった風が、アズの髪をなびかせる。乾いた唇をぺろりとひと舐めし、目の前に群がりつつある影の群れを睨みつけた。ミスト・ブレスの霧が晴れてしまったのか、シャドウを従えたファントムが苛立ったように赤い目を細めて浮かんでいる。
「かかっておいでよ」
ファントムが腕を振ったのを合図に、十体のシャドウがアズ目がけて一斉に飛び掛かってきた。リリムが小さく悲鳴を上げてアズの頭にしっかりと掴まった感触を確認し、番を構えて地面を強く蹴った。
シャドウを相手に戦った事は何度もある。小さな任務に行くたびに、何かしらシャドウに絡まれることが多々あった。シャドウが居るという事はノワールも居ると言う事なのだが、結局は見つけられずに媒体を処理して任務が終わることばかり。
ただケンカを吹っかけてきているだけなのか、それとも搖動のつもりなのか。意図はともかく、本当にノワールの姿を見たのは一か月ぶりであった。
だからこそ、何か嫌な事が起こりそうで怖かった。
「――アズ、また増えたの!」
「ああもう、鬱陶しい!!」
張り付くように接近してきては長ったらしい腕を伸ばして拘束しようとしてくるシャドウに舌打ちを漏らし、番を横に薙いで三体を同時に消滅させる。消しては増え、更に消しては倍増え、と中々減っていかない事にもどかしさを覚え、シャドウを蹴散らしながら横目でファントムを盗み見する。きっとアレがいるせいでシャドウの復活にかかるタイムロス時間が大幅に短縮されているのだ。
頭を潰し、手足を捥いでから親を探すしかない――!
「よし、それで行こう!ってかそれしかない!」
勢い込んで番を振りぬこうとした、その時だった。
――ホ…………シ……ィ
突然の鋭い耳鳴りに襲われ、アズは一瞬目の前が暗くなって動きを止めた。
――オマ……エ……ガ…………
耳鳴りの中に低く唸るような声が聞き取れる。正体の解らない底冷えした空気に、手がぶるぶると震えた。
――ホシイ!
「――あぅっ!!」
頭の中で鳴り響いた声が聞こえたのと同時に、首に強烈な痛みを感じて番から手を離した。戦場の女神に意識を集中させることが出来ず、一瞬にして具現化が解かれる。
「アズ、どうしたの!?」
痛みが強すぎてリリムに応える事ができない。首を押さえて話そうにも、出るのは声ではなく悲鳴――自分でも聞いた事がないような金切声のような悲鳴だった。
痛みと言う痛み、痛覚が何かに刺激されて激痛を伴い、アズは体を支えていられなくなって思わず地面に倒れこんだ。痛みと共に鋭い耳鳴り、そして先ほどの唸るような声がずっと頭の中でガンガンと鳴り響いていて、意識を失いそうになる。頭が壊れる――!
「これって、あの時の影の――!アズ、アズしっかりしてぇ!!」
あの時の影の……?
痛みに耐えながらリリムの言葉を聞き取り、そう言えば首を絞められたあの場所から激痛を感じている事に気付く。ヴェールは痕だと言っていたが――ああ、もう駄目だ。何も考えられない。
「――アズ!」
聞き覚えのある声が聞こえたのは、気のせいじゃないと思う。続いて靴が砂利を擦る音がすぐ近くに聞こえ、アズは目をうっすらと開けた。
「く、クラウス……!」
リリムの驚いたような、ホッとしたような声を捉え、大きい後姿を見上げた。アズが目を瞑っていた一瞬でファントムを消滅させたらしいクラウスは破壊の大剣を横に薙いで具現化を解き、アズを振り返って屈みこんできた。
「何寝てるんだ」
とても不思議そうに聞かれ、アズはこの状況で何を言ってるんだと顔をしかめた。
「……いや、別に……寝てるわけじゃ……」
「……!これは……」
異変に気付いたのか、首を押さえているアズの手を掴んで離し、クラウスの無表情の中に険しさが加わった。
「……どう、なってる?」
「紫色の手形がはっきりと浮き上がっている。……あの時の影だな」
紫の手形……想像して、アズは気味が悪くなって目を瞑った。
「アズ、大丈夫なの?まだ痛む?」
「……ううん、だいぶよくなってきた」
首の激痛は少しずつ和らいでいる。額に浮かんだ冷や汗を腕で拭い取り、仰向けに寝転がったままアズは深く息を吐き出した。
「アズが痛がってる間に浅黒いオーラにたいなのが出てきて首を絞めているように見えたの。……それ、きっと呪いだと思う」
「呪われるような事、まだ何もしてないと思うんだけど……」
げんなりして呟くと、じっとアズを見つめているクラウスと目が合った。
「これから何かするように聞こえるぞ。――立てるか?」
「あ、ありがと」
差し出された手を握り、引っ張られて何とか起き上がる。体が異常に怠く、首が火照って熱い。……やっぱり呪いかもしれないと思い知った。
「俺は媒体を片付けに行く。お前は副団長と合流しろ。今のままではシャドウとすらまともにやり合えない」
「……うん、わかった」
本当は付いて行きたかったが、今のままではクラウスの言うとおり、体を動かす事ですら億劫で戦う事なんて到底できそうもない。足手まといになるくらいならこの場を離れた方がよさそうだ。
「そういえば、媒体がどこにいるか解るの?」
ふと気になって尋ねてみれば、クラウスは表情を変えることなく頷いた。
「ここに来る間にも何人か片付けて来た。城下町の騒ぎも収束しつつある。後はファントムを操っている人間を片付ければケリがつく」
「クラウスって万能なの」
「お前はもう少し何かの役に立った方がいいと思うがな」
「!?」
はう、と声にならない悲鳴を上げてショックを隠し切れないリリムがフラフラとアズの肩にもたれ掛ってきた。そんなにはっきり言わなくても……。
「……先ほどウィルから連絡を受けたんだが、お前はノワールを追っていたそうだな。奴は今どこに?」
「え……と、ごめん。実は逃がしちゃって。たぶんもうここにはいないと思う」
「……」
何かを考え込むように黙ったクラウスの顔色を窺い、アズは小さく溜息をついた。逃がさないなどと言った割にはあっさり逃がしてしまい、人質にされていた女の子を助ける事が出来たのは良いとしてもファントム相手(というか正体不明の謎の痛み)にこのザマだ。セイレーンだというのにちょっと自分が情けない。
「……まあいい、今は媒体の処理を最優先にする。早く行け。アレはいつ再生するか解らない」
「解った……。気を付けてね」
声をかけると「後で合流する」と残し、アズが来た道に入って姿を消した。遠ざかる足音を聞きながら溜息をつき、痛みが治まった首に手を添えてアズは反対方向へ歩き出す。痛みはなくても体の怠さは消えない。やっぱり呪われてしまったのかもしれない。
「――ねえ、リリム。あの時あたしの首を絞めた影って、ブレイオスの思念体だって言ったよね?それって、ブレイオスもセピアノスみたいに肉体から精神だけ離れてここまで来たって事?」
「……うーん、ちょっと違うのよ。セピアノスは特別って言うか、特殊って言うか。ブレイオスの場合は、アズかセピアノスを想う――じゃないな、恨む?気持ちが強すぎてそれが影みたいな思念体になって現れたってだけだから、精神が肉体から離れるのとは全くの別物なのよ。……でも、思念体が物理的なダメージを与えるなんて話、聞いたことないの」
「ふうん……ますます思い当たらない」
手すりに頼りながら階段をゆっくりと登り、アズはさらに疑問に思っていた事を聞いてみた。
「ゼノやヴェールが“混沌の覇者が目覚めた”って言ってたけどさ、それって、今までは寝てたって事なの?」
「うん。アズは、ブレイオスがもともと邪竜じゃなくてセピアノスと同じ神竜だったって話は知ってる?」
「セピアノスから聞いたから知ってるよ。対を成していたって。……でも、どうして邪竜になったのかは知らない」
「……実はリリムも詳しくは知らないの。ただ、今から1,000年くらい前――ブレイオスが邪竜になってしまった時に、のちに英雄と称えられた女の人に封印されたって事は伝説として伝えられていて、それがアズの二つ名の“セイレーン”に繋がるんだって」
「え……じゃあ、1,000年前にブレイオスを封印した英雄っていうのが、セイレーンって名前の女の人だったって事?」
セイレーン――セピア・ガーデンに訪れた時にアリスから教えてもらった、セピアノスと共に世界を救う救世主を指す呼び名。現状、アズがそのセイレーンになるわけだけれど、そんな昔から繋がる、というか実在している人物がいたとは初耳だ。
「1,000年もの間語り継がれてきたことだけど、人間は忘れてしまう生き物であり、世代交代も他の種族に比べればずっと著しいの……。当時の事は伝承としてたくさん残っているらしいけど、それも尾ひれがついたりして曖昧になっているらしくって、昔の恐ろしい出来事が消えつつある事を恐れた人々は一部の限られた人間たちの間だけに真実を書き綴った書物をひっそりと引き継いでるんだって」
「……へえ。見てみたいな、その書物ってやつ。そうしたらブレイオスの倒し方のヒントくらいは見つかるかもしれないのに」
思いつきでそんな事を言ってみると、何故かリリムは黙ってしまった。
「あたし、何か変なこと言った?」
「……へん、じゃないけど。たぶんブレイオスを倒すのは無理だと思うの」
「どうして?」
「倒す事が出来たのなら、1,000年前のセイレーンは封印なんて事しないと思うの。封印って言うのは一時的なもので、いつの日か必ず解かれてしまう。結局は厄介ごとを後回しにしただけ。……ってことは」
「……倒せない?」
「そういう事になると思うのよ。……邪竜であろうと元は神竜。人間が神様を殺すなんて出来っこないの」
……それは、あたしじゃ世界を救えないって事?
そう言いかけて口を噤む。
こんなことをリリムに聞いても答えられないだろうし、何より責めているように聞こえてしまう。アズは下唇を噛みしめて前を見据えた。
夢の中でセピアノスが言っていた事を思い出す。
――この世界で誰よりも世界を呪い、誰よりも世界の破滅を願う者――真に世界を救うためには、その根源を断ち切らねばなりません。
「根源を……断ち切る」
倒せ、とは一言も言っていない。けれどそれにも当てはまるような意味の含まれる言葉でもあり、余計に混乱してしまう。
黙り込んでしまったアズを不思議そうに覗き込んでいたリリムだが、前方を見てハッと息を呑み、いそいそと光に身を包んで消えてしまう。アズも思考を中断して前を見ると、階段の上に1人の男性がいた。空を仰いで何かを凝視しているようだ。
全身真っ白のスーツをきっちりと着こなした20代前半ほどの男性で、緩い癖のある薄灰色の髪のてっぺんからは兎のような白く長い耳が2つぴょこんと生えている。――獣人族のようだ。
「わあ……」
あまりにも見事なウサ耳だったので思わず感嘆の声が出る。なんてふわふわしていそうな兎耳なんだろうか、さ……触ってみたい。
するとこちらに気付いたのか、ウサ耳がピクッと動いて男性の顔がアズに向き――とても柔らかく微笑んだ。
「如何なさいました?」
丸い片眼鏡を付けた誠実そうな男性が首を傾げると、当然だが耳も一緒に傾く。か……かわいい。バニーは女性と決まっているのだが、男の人のウサ耳もこれはこれでいいかもしれない。
「あ、と。ごめんなさい。兎の獣人さんに会うの初めてで……耳が気になっちゃって」
「可愛らしいお嬢さんは動物がお好きなのですね」
くすりと笑われ、「大好きです」とアズもつられて笑う。階段を下りてきてアズの傍まで来ると少し屈んで見せた。
「宜しければ触ってみますか?」
「え、いいんですか!?やったあ!」
突然の申し出に驚いて顔を輝かせ、わくわくしながらもそっと耳の背を撫でてみた。しっとりとしているのにとてもふわふわしていて、そして当たり前だがとても温かい。小さい頃父親に連れて行ってもらった動物園のふれあい広場で触った兎の耳と同じ感触で、とても懐かしく思った。
耳元に行くにつれ、くすぐったそうにピクピクと痙攣する耳に余計テンションが上がる。面白がって突いてみると男性が堪えきれなくなったように身を引いた。
「如何でしたか?」
「すっごく感動しました!こんなに大きなウサ耳なんて初めてだったから」
首の痛みも吹き飛び、嬉々としてそう答えた。すると男性は微笑んだまま首を傾げ、珍しいものでも見るような目でアズを見下ろした。
「……お嬢さんは獣人に偏見がないのですね」
「ないですよ。あたしから見れば、獣人も人もそう変わらないので」
「そうなのですか。……貴女のような人間に会ったのは初めてです。私の名はアルテミス。どうぞアルとお呼び下さい」
「あたしはアズです。アルテミス……とても綺麗な名前ですね」
心から素直に感想を述べると、アルテミスはほんの少しだけ目を見開く。――空を映したような、蒼く澄んだとても美しい水色の瞳だった。
それが、兎の獣人アルテミスとの出会いだった。