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クリスタル・クロニクル  作者: 氷柱
29/48

25 ダンス・レッスン‐①

明けましておめでとうございます。


今年も「クリスタル・クロニクル」をよろしくお願いいたします!



「姫様!」


 優しい光が差し込む渡り廊下に、年配の女性の声が響いていく。


「姫様、お返事してくださいまし!姫様!」


 パタパタと駆けていく複数の足音に耳をそばだて、アリアは息を殺して物陰に隠れていた。お気に入りのピンクのドレスが汚れても構うものか。暗闇の中でくすりと笑う。


「いったいどこへお出かけになられたのか……もうすぐ舞踏会用のドレスの採寸をするというのに」


「大臣の情報によりますと、お勉強の息抜きに中庭にお出になられたと伺っておりますわ」


「すぐに連れ戻さなくてはお勉強の時間にも差支えます。姫様のことですからどこかに隠れてらっしゃる可能性も高いですわ。みんなしっかりと探すように」


「はい!」


 大きな声で返事をし、また慌ただしく駆けていく足音。その足音が遠ざかるのを確認し、ひょっこりと顔を出して目視確認。うん、大丈夫そうだ。


『アリア。いつまで隠れているつもりなんだ?』


 扉をそっと閉めたところで声。アリアは立ち上がってドレスの裾に付いた皺を払い、声の主に向き直った。


「みんなが私を見つけてくれるまで、よ」


 くすっと笑って見上げると、薄暗い中でもよく見える金色の輪郭がちらちらと闇に舞う。呆れたような溜息が聞こえた。


『まったく……お転婆は直らないな。少しは大陸を総べる一国の姫である事を自覚したらどうなんだ?』


「そういうレヴィこそ、王家に仕えるゴールデンドラゴンであることを自覚した方がよろしいのではなくて?」


 わざとかしこまった口調で切り替えし、ドレスの裾を持ってお上品に振る舞って見せる。


 アリアとレヴィがいるここは、今は使われていない倉庫だ。アブノーマル種の中でも大きい方に分類されるゴールデンドラゴンのレヴィでもすっぽりと入れてしまうほど大きな倉庫に、アリアは隠れていた。


『自覚もなにも無いと思うんだが……』


「自覚があるのなら、いつまでも私のお遊びに付き合ってくれるものではなくてよ?――だから私はあたなに甘えちゃうんだわ」


 ぺろっと舌を出して肩をすくめてみせると、何やら苦笑された。ゆっくりと顔が近づいてきて、至近距離でレヴィが首を傾げた。


『いつまで経っても君には敵わないな』


「……そう言ってくれるあなたが大好きよ。アールレヴィン」


 そう言って、アリアはレヴィの顔にそっと額を合わせる。


「私、すごく待ち遠しいの。もうすぐ舞踏会が開かれるでしょう?セイレーンをこの目で見れる日がくるなんて夢みたいで……じっとしていられないの」


『ああ、私もだ』


「でしょう?それにゼノも来てくれるし……何よりあの人に会えるから。すっごく楽しみなの」


 額を合わせたままくすくすと笑いを漏らすと、レヴィもすっと目を細めた。


『そのためにも綺麗なドレスを調達しておく必要があるだろう?あまり侍女たちを困らせるなよ』


「……レヴィ、最近父さまと口調が似てきてない?」


『気のせいじゃないか?』


「……」


 なんとなく釈然としないが、一行に見つけてくれる気配のない侍女たちにしびれを切らし始めているアリアは仕方なくレヴィの言葉を受け止める。腰に手を当てるなど姫にそぐわない態度で「そうね」と渋々頷く。


「今日はこのくらいにしておこうかしら。これ以上時間を使ってはみんなに迷惑をかけちゃうわ」


『もう十分かけているだろう』


「……もう、空気読んでよ」


『む……すまない』







**







「……というわけで、舞踏会の返事はこっちで返しておいたから、しばらく任務は控えて踊りの練習に勤しんでくれ」


「……うっす」


 ムムちゃん捜索任務から一夜明けて。指令室にて。


 大きな黒い革張りの豪華な椅子に座ったゼノが若干申し訳なさそうな顔をしてアズを見上げていた。覚悟はしていたが、いざ面と向かって言われてしまうと嫌だなぁ、と思ってしまう。顔に出やすいタイプであるアズはやはり出てしまったようで、


「……嫌か?」


 とゼノに聞かれてしまった。


「正直言っちゃえば嫌……です。でもこれ以上わがまま言ってゼノを困らせたくないので、頑張って踊れるように精進します」


 困り顔のゼノを見て、嫌々と首を振ることもできずに結局言いきってしまった。ホッとしたような顔をされてしまえば「ま、頑張ればいっか」と若干ではあるが開き直ってしまうもの。ゼノの笑顔恐るべし。


「ではさっそく講師を紹介しよう。――ハンナ、クラウス」


「えっ!?」


 びっくりして背後を振り返れば、にこやかな笑みを浮かべたハンナと、なぜか不機嫌オーラ全開の仏頂面をさげたクラウスが立っていた。


「ハンナはダンスのコーチ。クラウスはパートナー役で参加してもらう。――いいな、クラウス?」


「…………………………………………………はい」


「(間が長いっ!)」


 逆らえないなりの精一杯の抵抗なのだろうか。たっぷりと間を置いて答えたクラウスがアズにちらりと視線をやり、これ見よがしに深々と溜息。


 ……ちょっとムカッ。


「舞踏会は二週間後に予定している。そんなに時間はかからないだろうが、それまでにダンスも作法もマナーも身につけておくように」


「分かりました」


 クラウスの態度にムスッとしつつゼノに返事をかえす。


 二週間もあれば心に余裕もできる。アズは二週間と言わず一週間でダンスをマスターするつもりだ。何よりあのクラウスの態度がとにかく気に入らないっ……!


 たかがダンスだ。運動が得意なアズはすぐにでも覚えられる。見てろクラウスめ。












 ……と、高をくくったアズが愚かであった。


 ずむっ


「……」


「……」


 向かい合い、手を取り合うアズとクラウスの間に長い沈黙がおりた。


 アズの手を引いてリードしたクラウスにつられるようにステップを再開した瞬間、


 ずむっ


「……」


「……」


 再び停止。


「……おい」


「……はい?」


 低く抑えたような声に冷や汗を流しながら応じれば、冷たく突き刺さるような視線が頭のてっぺんに降り注ぐ。


「覚える気あるのか?」


「…………あります」


「じゃあ、何故俺の足を踏む?嫌がらせか?それともステップの動作が脳に浸透していないのか?」


「こ、後者であると思われます……」


「練習を始めて4日も経つのに?」


「……」


「す、少し休憩しましょうか!ねっ?」


 手を取り合いながらもピリピリとした空気を隠そうともしない2人に、講師であるハンナが慌てて間に入ってアズの肩を抱いてクラウスから引き離す。このままでは取っ組み合いでも始めてしまうところだった。心の中でハンナにお礼を言う。


「……ハンナ。あたしって才能ない?」


 金色の髪をかき上げながら椅子の方へと歩いていくクラウスの後姿を半ば睨むように見つけながら、小声でハンナに問いかけた。


「そんなことないです!きちんと練習すればすぐに覚えられますよ。ただ……」


「ただ?」


 ちらり、と意味ありげにクラウスを盗み見して、アズに向き直ってふうと溜息。


「ダンス初心者の練習相手がクラウス君じゃ、ちょっとハードルが高すぎると思うんです。彼は人に合わせることが苦手……というか出来ない人なので」


 ハンナの言葉にしばらく絶句した後、なんでそんな奴を自分の練習相手にしたのかと疑問に思う。


「……それって明らかにゼノの人選ミスだよね?」


「はい……。私も、なんでクラウス君を練習相手に指名したのかわからなくって」


 困ったように頬に手を添えてハンナ。確かに意味がわからない。


 初心者と合わせて踊れないような人間と組まされて練習しろなどと、ゼノもずいぶんと鬼畜染みた事を言うものだ。なんの意図があってかは知らないが、上から冷たい目で見下ろされて「こんな事もできないのか」と呆れられれば、こちらが悪くなくとも気が滅入る。というか自信喪失、いや、戦意喪失?


 どちらにしろ、精神的に大ダメージを受けた事には変わらない。


「このままだといくら教えてもクラウス君が合わせてくれないと先に進みません。思い切ってパートナーを変えましょうか」


「えっ!?変えてくれるの?」


 団長命令だからずっとクラウスと組まなければならないと思い込んでいたアズは顔を輝かせてハンナに詰め寄った。あんな嫌々な顔をした奴と顔を向き合わせ続ける事になると思っていたのだから、喜びも一塩。ハンナの両手をぎゅっと掴んで(でもしっかり加減をして)必死にお願いした。


「お願いします!一生懸命練習するからどうかパートナーを変えて下さい!ぜひともっ!!」


「そんなに嫌か?」


「嫌です!!」


 即答してから、はっ!……と我に返る。


 ……今、誰に即答した?


「く……クラウス君」


 ぎくしゃくと首をひねって肩越しに振り返れば、重々しい効果音でも付きそうなくらいに冷たい目をしたクラウスが立っていた。額に青筋まで見える。

 

「ほう?師匠の命令だから仕方なく付き合ってやってるのに随分な物言いだな?」


「つ……付き合ってくれるなら付き合ってくれるなりの接し方ってもんがあるでしょうがっ!クラウスは全然優しくない!むしろ鬼だ!!」


「言うに事欠いて鬼か。自分の物覚えの悪さを棚に上げて良く回る口だな。その回転速度を少しは頭の方に回したらどうだ?」


「なっ……」


 喉まで出かかった言葉が引っ掛かり、口をぱくぱくと動かしただけで終わる。あまりの言いぐさに用意しておいたセリフでさえも一気に吹っ飛んだ。怒りでわなわなと体が震える。


「ダンスの基本動作1つでも覚えられたら相手になってやる。千鳥足のお前とじゃ、こっちはまともなステップも踏めない。他を当たるんだな」


「クラウス君!」


 窘めるようなハンナの声を無視して、顔を背けてクラウスは言いたい事だけ言ってさっさと出口へ歩いていく。


「……」


 その後ろ姿を睨んでいる自分の顔は、一体どんな表情を作っているだろうか?


 睨んでいるのは確かだが、やるせない想いと何も言い返せない悔しさ、湧きだってくる怒りと負けた事による闘争心がすべてごちゃまぜになって、きっと今の自分の顔は泣きそうな顔になっているに違いない。


 視界の端がほんの少しだけ滲んでいるのが、その証拠だと思う。


「……」


「アズ……」


 なんと声を掛けたらいいのかハンナが言い淀んでいる。アズは服の袖で目をこすって頬を両手で思い切り叩いた。


「ごめんね、ハンナ。練習相手探すの手伝ってもらえないかな?」


「も、もちろんです!」


 何度も頷いてくれるハンナに微笑み、アズは額の汗をぬぐって上着を取りに椅子に歩き出す。


「他にパートナーになってくれそうな男の人っていないかな?クラウスよりも優しくて、気が短くなくて、口も悪くなくて紳士的で面倒見のいい人がいいんだけど」


「え、ええと……。ガーデンにいる人は皆大丈夫だと思います。あ、気が短い点で言えばロージーはちょっとアウトですね。後は……」


「俺とかどうかな?」


「ぅひゃっ!?」


 椅子に置いてある上着を取ろうと身をかがめたところで突然後ろから腰を引き寄せられ、アズは裏返った声を上げてよろけた。


「や。見てたよ、修羅場」


 アズの腰を抱きしめて後ろからおかしそうにくすくす笑うウィルの顔の近さにドギマギしつつ、


「ウィル……びっくりするからやめてよ」


 半眼で訴えると「ごめんね」と笑顔で体を離した。


 どうもウィルは気配を絶つのが上手い様で、気づいたら横や後ろにいる、という事も多い。最近は特に気配なく近づいてきてアズを驚かせては満足そうに去って行くと言う通り魔的存在になりつつある。


「アズの驚く顔が面白くてつい」


「趣味わる……」


 聞き覚えのある声に振り向けば、いつの間に来たのかハンナの隣にジークまでいる。


「まさか、さっきの見てたの?」


「うん。最初から最後まで」


「アズの泣きそうな顔までしっかり」


「げ」


 何故かホクホク顔で語る2人に顔をしかめ、アズは溜息をついた。


「いやぁ、クラウスが喋る喋る。俺はそこに驚いたぜ」


 腕を組んで頷くジークにアズは「はあ?」と更に顔をしかめた。


「そこに驚く?」


「驚くよな、あんなに喋るクラウスを見れば」


「うん。びっくりした」


 どこら辺に?


 首を傾げるアズの目の前でハンナも「そういえばそうですね」と戸惑い気味に頷いている。


「なんで?毒舌吐いて嫌味言いまくるなんていつもの事じゃないの?」


「親しい人たちにはね」


「…………ごめん。もっかい言ってくれる?」


 耳に手を添えてそう言えば、ジークが噴出して笑い始める。


「そういう反応すると思った!あはははははっ!」


「え、え?意味わかんないよ?」


「つまりね、クラウスはツンデレってやつなんだよ。素直になれない。だから嫌味な事ばかり言っちゃう」


「そんな可愛らしいキャラには見えないんだけど」


 信じられない証言に相当顔が引き攣っているに違いない。アズを見たジークが腹を抱えて大爆笑だった。


「可愛くなくてもそういうキャラなんだよ。本当に嫌いな人とか関わりたくない人とかにはとにかく無視、話さない、関わらない。これクラウスの大原則ね」


「なにその大原則……」


「一緒に居れば嫌でもわかるって。嫌味もクラウスにとっては愛情表現の一つ。……ま、もちろんゼノ団長の場合は違うけどね」


「それ、クラウスに言ったら断固否定してたよな!“なんて都合のいい解釈だ。理解に苦しむ”って」


 うわあ……、言いそうだ。


 しかし、アズとしてもとても信じられない。あの嫌味が愛情表現だなんて。むしろ嫌われようとしてるだけなんじゃないだろうか。……うん、そっちの方が可能性ありかもしれない。


「なんだかんだ言いながらいっつも助けてくれるし、アズが影に襲われた後だってずっと寝ずの番してくれてたし」


「うん……」


「本当はいい奴なんだけど、素直に自分の気持ちを表現できなくて言動がきつくなるんだよな。それが誤解されがちなんだけど」


「……うん。あたしも最初嫌われてると思ってた」


 階段で初めて会ったときの事を思い出してそう言うと、ウィルとジークは顔を見合わせて「まさか」と呟いた。


「クラウスが初対面の女の子をあんなに無遠慮に凝視してることに俺たちは驚いてたよ。ね?」


「ああ。そりゃもう驚いた」


「え、あんなに睨んでたのに?」


「睨んでるんじゃないよ。クラウスはもともと目つきがちょっとキツイだけで本人は普通の顔をしてるつもり。クラウスの前でそれ言うと傷ついちゃうから内緒にしてね」


「そ、そっか。気を付けるよ」


 そう考えると、クラウスは少しはアズの事を仲間と認めてくれているのだろうか?そうだといいのだが……素直にそうだと思えない自分がいる。


「さて。ダンスのお相手はどっちをお望みかな?」


「俺にしとくか?手取り足取り教えてやるよ」


「うーん……」


 ウィル、ジークと交互に見比べ、どうしようかと悩んだ。


 ジークは女の人に慣れているようだし、その点はウィルも一緒だろう。ジークの言う手取り足取りは冗談だろうが若干信じられない部分もある(酷い)。この一ヶ月でだいぶそれぞれの性格というものが解ってきたので、アズは10秒くらい考えてウィルを指名した。


「ちぇ~。やっぱウィルかよ」


「うん、俺の日頃の行いが良いからね。当然の結果だと思うよ」


「へーへー。……――アズ、ちょっと」


「ん?」


 ちょいちょいと手招きされて近寄ればウィルから少し離れた所まで連れて行かれ、こそっと耳打ちされた。


「あいつ紳士的な顔してっけど、笑顔でとんでもないことするような奴だから油断すんなよ」


「……とんでもないこと?」


「ま、そのうち解る」


 にやっと笑ってジーク。……とんでもないことってなんだ。詳しく教えてくれないなんて何か裏がありそうで怖い。


「んじゃ頑張れよ。健闘を祈る」


 ひらひらと手を振って出口へ向かうジークの背中に「どこか行くの?」と尋ねれば、


「食堂。腹減った」


 という返事が返ってきた。そういえばもうすぐお昼の時間だ。アズはウィルとハンナを振り返って挙手をした。


「先生!あたしもお腹がすきました!」


「あら、もうこんな時間。それじゃいったん休憩して午後から練習を再開しましょうか」


「はーい」


「じゃあ俺も食べようかな」


 というわけで、先に出て行ってしまったジークを追いかけて4人でお昼ご飯を食べに食堂へと向かうことになった。

 










 クラウスの生態(失礼)について4人で盛り上がっていると、食堂付近に来てジークがぴくりと何かに反応した。


「なんか騒がしいな」


「揉め事?」


「かもな」


 ウィルの問いに頷いて見せ、4人は少し小走りで食堂に向かった。


 そこで目にした光景に、ハンナを除く3人が呆れた表情になった。


「ああん?てめえ、もっかい言ってみろよ!」


 食堂のカウンターに身を乗り出し、困り顔のシェフに威勢よく啖呵を切っている亜麻色の髪を持つ少年の後姿に、アズたちは溜息をつかずにはいられない。


「ですから、材料がまだ届かないのでハンバーグランチは作れませんと何度も……」


「それがおかしいだろ!?なんで材料がねえんだよ!昼飯の時間になるまでに調達しとけよそんぐらいよぉ!!」


 おうおうと質の悪い不良の兄さんよろしくガンを飛ばし始める始末。さすがのアズもただ傍観しているわけにはいかず、遠巻きに見ていた食事中の人々の間を縫って歩き出した。


「ちょっと止めなよ!みっともない」


 声をかけるとシェフがこちらを見て助かったとばかりに顔を綻ばせる。亜麻色の髪の少年は「ああ?」とガラの悪い物言いで肩越しに振り返り、


「――は、ハンナ!?」


 ハンナの姿を見つけるなり素っ頓狂な声を上げてカウンターから降りた。 


 この少年こそ、今まで名前だけよく出てきたわりにはちっとも姿を現さなかった人物――ロージー・ナイトレイ。亜麻色の短い髪にちょっとキツめのどんぐり眼が印象的な、ガーデン1のやんちゃ坊主だ。


「ロージー。シェフを困らせちゃ駄目ですよ。あんな大きな声出して……みなさんにも迷惑がかかります」


「で、でもよ!喰いたかったんだ、ハンバーグランチが……」


「「ぶはっ!!」」


 しどろもどろと言い訳をするロージーに耐えられなかったのか、ウィルとジークが同時に噴出して口元を押さえた。


「なっ……なに笑ってやがんだてめえらっ!ブった切るぞコラ!」


「ご、ごめっ……ぶ、くくくくっ……!」


「ひっ……ひひひひひひ!!」


 ウィルは詫びを入れているが、ジークに至っては壊れている。笑い方すら誰だかわからないほど腹を抱えての大爆笑に、ロージーもカッと赤くなって2人を怒鳴りつけた。


「笑うんじゃねえよっ!マジで殺すぞ!」


 こんなにも笑われてしまうロージーも不憫だが、でも仕方ないとアズは思う。あんなに不良染みた性格ししているのにハンバーグが食べたかったなんてシェフに駄々をこねた挙句に頬を染めてハンナにしどろもどろに言い訳する姿……2人が笑っていなかったらアズが噴出していた。このギャップは反則だと思う。


「ぶはははははっ!」


「だーっ!笑うなったら笑うな!」


「ロージーはとりあえず落ち着きなよ。2人も笑い過ぎ。これじゃどっちもうるさいよ」


「アズの言うとおりです。ウィルもジークも笑わないであげて下さい」


 ハンナがアズの言葉に頷いて2人を窘めると、ロージーは横目でアズをキッと睨む。その顔には悔しそうな色がありありと浮かびあがっている。


 それには理由があって。


「気にいらねえ……気に入らねえぜアズ・キサラギ!!俺はぜってーお前を認めねえからなっ!!」


「急になに?」


 びしぃっ!と指を刺されて顔をしかめると、ロージーは再びわめきたてる。


「突然現れて勝手に馴染みやがって!気づいたらハンナと友達なんかになってやがって!お前一体何様だ!?」


「……別に何様でもないけど」


 言ってる意味がめちゃくちゃだが、要はハンナを取られた事に対して怒っているのであって、ロージーはアズに嫉妬しているのだった。


 そう。ロージーはハンナの事が好きなのだ。それはもう女のアズに嫉妬してしまうくらいに。


 本人は必死に隠しているつもりらしいのだが周囲にはバレバレであり、ハンナに近づく虫(男の人)にはすべてガンを飛ばして制裁し、彼女にとって自分が一番であるように日々何かに努力しているらしい。そんな空回り気味なロージーの気持ちを理解できていない天然娘のハンナは、彼の努力もむなしく、ロージーの事を弟のように想っているのだとか。


 いつまでもこんな子供染みた事をしていれば一生男として見られることはない。


 誰もがそう思う中で、やはり間違いに気付く事のないロージーは今日も空回っているのだった。


「どうでもいいからご飯食べようか」


 ポン、と肩に手を置いて笑顔のウィル。あんなに爆笑していたのに飽きてしまったのか、いつもの笑顔で“どうでもいい”ときた。つくづくマイペースな腹黒王子様だ。


「なっ!散々人のこと笑っておいてどうでもいいってなんだよ!?」


「初々しいのも若者の青春って感じでいいんだけどね。俺って飽きるの早いから」


「意味わかんねえよっ!」


「あたし生姜焼き定食にしよっかな」


「お前はメニューじゃなくてこっちを見ろーっ!!」


 何故か涙目のロージーに怒鳴られれば、いまだに笑いが収まらないジークが再び大爆笑。お腹が減ってどうにかなりそうなのだ。今はロージーなんかよりも肉。とにかく肉が食べたい。ロージーを構っている暇なんかない。


 アズはぎゃあぎゃあと喚いているロージーをほっといて、ハンナと共にカウンターへと向かった。













「疲れた……」


 髪から滴る滴をタオルで拭きながら、溜息と共に今の気持ちを吐き出した。昼食の後、ウィルとタッグを組んでひらすら基本動作の繰り返し。時間を忘れて動き回ったのはとても久しぶりだ。学校のクラスマッチ以来かもしれない。


 だけど、ウィルとハンナのおかげでステップの基本動作は一通り飲み込むことが出来た。


「筋肉痛にはならないと思うんだけどな……」


 痛くなるほど軟な体ではないが、慣れないことをするとどうにも体が重く感じてしまう。肩を揉みつつ、自室に戻るために1人静かな廊下を歩いていく。時刻は夜の11時を回った所だ。


 お風呂は2階の多目的フロアにあり、大きな大浴場が男女別で2つずつある。クリスタルマスターに与えられる部屋にはシャワーが備え付けられているのだが、1人でシャワーを浴びるよりも大浴場に行って裸の付き合いをしながら他愛無い話をする方が好きだったので進んで通っている。第一クリスタルマスターの部屋にあって職員の人たちの部屋にないなんて信じられない、差別もいいところだ。そう思っているのはアズだけではなかったようで、ハンナもジークも大浴場を利用している。


 目の前にエントランスが見えてきた。そこで、ふとドアの隙間から漏れる明かりがアズの視界に入ってきた。


「ん?」


 気になって足を止める。扉に掛かっているプレートを見上げれば、“図書室”と書かれていた。


 セピア・ガーデンは11時が消灯時間。廊下や使っていない部屋の明かりはいつも11時には消す決まりになっている。それでも20メートル程の間隔で備え付けてある小さなライトクリスタルのおかげで真っ暗と言うわけでもないので歩くのに不自由はない。


「誰かいるのかな……?」


 ドアに近づいてそっと中を覗きこんでみれば、何やら遠くの方で椅子に腰かけている後姿が見えた。机の上に置かれたスタンドに付いているライトクリスタルの仄かな光が、ぼうっとその人物のシルエットを頼りなげに浮き上がらせている。


 薄暗いし距離もあるのではっきりとはわからないが、あの金色の髪は――クラウスだ。


「(夜の図書室で何やってるんだろう……)」


 気になり出すと、居ても立っても居られない性分。アズはそっとドアを開けて室内に入ると、気配を消してゆっくりと近づいて行った。


「……」


 相当集中しているらしい。アズの気配にまったく気づいていないクラウスは机に向かったまま、ずっと左手を忙しなく動かしている。カリカリと何かを書き綴る音……報告書でも書いているのだろうか。


 クラウスの座る椅子のすぐ傍に到達した。手を伸ばせば触れられる程の距離だというのにまったく気づいていない。彼の集中力が凄まじいのか、それともアズの気配の絶ち方が上手過ぎるのか。


 昼間のクラウスの言動にむかっ腹を立てていた事を思い出し、思い切り背中を突き飛ばして脅かしてやろうかと意地悪いことを考えていた時、ふと彼の頭越しに机の上に広げられているノートが目に入った。


「……」


 ノートに書き込まれているものは報告書の文章ではない。反省文でもレポートでもない。


 それは、文字だった。


 ノートには、文字の羅列がびっしりと書き込まれている。それはもう呪詛の如くよくわからない文字がひしめき合い、うねうねとした線は文字と言うよりも暗号に近い。それでも辛うじて形を成しているようで、なんとなく、本当になんとなく読み取ることが出来る。


 そんなよくわからない文字を、クラウスは手を休めることなくカリカリと凄いスピードで書いていく。右手には本。何の本かはよくわからないが、頭がノートと本を行き来するように少しだけ左右に揺れていることから、それを参考に文字を書いているのだと分かった。


 それにしても……。


「これ、字?」


 声を掛けた瞬間、クラウスは飛び上がった。


 机に思い切り膝を強打し、物凄い音を立てて机が揺れた。その衝撃で倒れそうになったスタンドを慌てて押さえてアズは目を瞬く。こんなに驚くとは思わなかったからこっちのほうがびっくりしてしまった。


「なっ……いつからっ……!」


 膝を強打しつつもノートを見られたくないのか両手で隠しながら驚いたようにクラウス。スタンドを掴んだままの体勢のアズと顔だけ向き合う形になったので顔が近い。アズは慌ててスタンドから手を放して顔の距離を離した。整っているせいで間近で直視することができない。


「や、ついさっき来たばっかりだから。別に盗み見しようなんて考えてないよ?」


 じろりと下から睨まれて(これは本当に睨んでいる)弁解すると、しばらく黙っていたが釈然としない様子で口を開いた。


「気配を消してまで近寄って来ておいて、か?」


「それは……ちょっと脅かしてやろうと思っただけで」


「……」


 嘘をついていないかを探るように、じっと睨み据えてくるクラウス。嘘でないにしろ、黙ってノートを覗き込んでしまった事に対しては少しだけ罪悪感もある。アズは小さく首を傾げた。


「字の練習?」


「……そうだ」


 返事は帰って来ないとばかり思っていたので、尋ねておきながら驚いて目を見開く。当然クラウスに怪訝な顔をされた。


「なんだその顔は」


「え、いや……。なんで字の練習してるの?書けないの?」


 まさかと思いながら再度尋ねると、クラウスはアズから目を逸らして机に向き直ってボソリと呟く。


「書けない」


「……学校、行ってないの?」


 聞いてはいけない事かもしれないと思いつつも口から出てしまう。クラウスは左手にペンを持ち、ノートの上に手を置いた。


「学校、という場所は俺にとっては必要のないものだった。だから行ってないしどういう場所なのかも知らない」


「……そう、なんだ」


 淡々とした答え。もう幾度となく繰り返してきたような流暢な話し方。


 アズはそれ以上聞くことが出来ず、ペンを弄ぶクラウスの手をじっと見つめた。


 ガーデンの人間に過去を聞くのはご法度だ。自らが過去を明らかにするのは良しとしても、話したがらない相手から無理やり聞き出すことはしてはいけない。質問して答えなければそれ以上の追及は場合によっては罰せられることもある。


 それほど、セピア・ガーデンの人々は過去に敏感になっているのだ。


「あたしでよければ教えようか?」


 突発的に浮かんだ提案をそのまま口に出してクラウスを見れば、肩越しにアズを見上げて怪訝な顔をしている。


「クラウスにも出来ないことがあるんだなって思ったら、急に親近感湧いちゃって」


 ちょっと照れくさくて頬をかきながら提案すると、クラウスは目をぱちぱちと瞬く。……あ、それ可愛いかも。


「お前はこの世界の文字を読み書きできるのか?」


「うん。本も読めたし字も書けるよ。あたしの世界の文字と一緒だから驚いたけど」


「……」


 腕を組んで考えるクラウス。そんなに悩むほどアズに教えてほしくないのだろうか?


 髪がまだ濡れていた事を思い出してタオルでわしわしと拭いていると組んでいた腕を解き、クラウスがアズに向き直った。


「――解った。頼んでもいいか?」


「うん、お安い御用」


 頼まれたことについ嬉しくなって笑いながら頷けば、クラウスは顎に手を当てて何か考えるような仕草をする。


「何?なにか問題?」


「……いや。お前に謝らなければ、と思ってな」


「?」


「出来ないことがあるのはお互い様なのに、お前は俺を見下したりなんかしなかった。それどころか自分の時間を割いてまで付き合ってくれると言った。……これが生きている人間とのコミュニケーション、いや、思いやりの心なんだな。――今日はすまなかった」


「えっ、い、いいよ別に!そんなふうに謝られると逆に恥ずかしい……」


 頭を下げたクラウスに手を振って答えると、顔を上げた彼は不思議そうな顔をしてから、


「……おかしな奴だな」





 ふんわりと、見た事もないくらいに、とても柔らかく微笑んだのだった。





ツンデレ……。


これってデレたのか?(汗

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