24 薔薇の人
行きかう人々をなんとなく眺めながら、手に持っているクレープなるものを一口頬張る。口の中いっぱいに広がるイチゴの甘酸っぱい味と甘いチョコレートの組み合わせに思わず頬が緩んでしまう。なんておいしい食べ物なんだ……クレープ。食べだしたらもう止まらない。ぱくぱく。
初めて食べたおいしいクレープに舌鼓を打ちつつ、ヴェールは大きな噴水のある中央公園のベンチに腰を下ろして人を眺めていた。
アズとの任務でこのルディアナ王国を訪れていたのだが、猫を探すだとかで別行動を取って1人城に向かってとことこ歩いていたら男に声を掛けられた。
「お嬢ちゃんかわいいねえ。どこからきたんだい?」
甘いいい匂いのする小さな店から顔を出してにこにこと笑う男に、ヴェールは可愛いと言われて気分よく答えた。
「セピア・ガーデン。任務で来てる」
「ほう!ってことはクリスタルマスターか?おっちゃん尊敬しちゃうね」
「まあね」
ふふん、と腰に手を当ててふんぞりかえっても男は気分を害さないらしく、「そうかいそうかい」と更ににこにこ。今のヴェールは一応“女の子”なので、人の姿をしているときは一人称も“俺”ではなく“ボク”と言うようにアズに言われている。
「ゼノの団長は元気でやってるか?ここんとこルディアナにも全然来なくてなあ」
「元気っていうか毎日やつれてるよ。いろんなストレスを抱えてるんだって本人が言ってた」
「ははは!四の五の言いながらあんだけ濃い連中を束ねられんのは団長だけだって!よくやってるよ本当に」
「伝えとくよ」
手を振って歩き出そうとしたら「お、ちょっと待ちな」と呼び止められる。
「何?お……(じゃなかった)、ボク急いでるんだけど」
「ほら、これ食ってけ。うちのクレープはルディアナ1うまいって評判なんだぞぉ」
「くれーぷ?」
聞きなれない言葉に反応して男に近づいて見上げると、「ほい」と三角形の食べ物を渡された。受け取ってふんふんと匂いを嗅ぐと男に笑われる。
「なんだ?お嬢ちゃん食ったことないのか?うんまいぞお」
「うんまい?ふーん……確かにいい匂いだね。ありがとう」
「おう。団長にもよろしく伝えておいてくれ」
にっこり笑って男が「また来てくれな」と手を振る。ヴェールも空いた手で手を振り、その場を後にした。
そして、今に至る。
「食べ物ってタダで貰えるもんなんだな。お腹すいたらまた行ってみよ」
ぺろりとクレープを平らげ、ヴェールは立ち上がって伸びをする。先ほど届いたアズの念話によれば、捜索対象の猫は運悪く国から出て行ったようだ。合流したほうがいいかもしれない。
西門の方へと歩き出したその時、足元から声がした。
「ぎゅいぃ」
「……ん?」
ふと声のした足元を見れば、何やら無駄にケバケバしい蛍光ピンク色の小さな竜がヴェールを見上げていた。……これが噂の、
「パピードラゴン。……愛玩竜ね」
人による人のためだけに品種改良されたとかいう愛玩竜――パピードラゴン。ペットとして飼えるように改良された竜には小さな翼しかなく、爪も牙も人に危害を加えないように丸く変化させられている。ドラゴンの目も、人の母性本能を掻き立てられるようにくりくりとした大きな目に。カラーバリエーションも豊富に。体の大きさも世話のしやすいお手頃な猫くらいのサイズに。
何もかもが人のペットに成り下がるために遺伝子を弄繰り回された、哀れな竜のなれの果てだった。
「ぎゅっ!」
「なんだよ。同類の匂いでもするっての?」
「ぎゅぎゅっ!」
こくこくと頷いて足にすり寄ってくるパピードラゴン。ヴェールはしばらく黙って見下ろしていたが、膝を折ってドラゴンの頭を撫でた。
「……悪いけど、俺とお前は同類じゃないんだよ。俺も、お前も、本当の竜じゃないんだ……」
「ぎゅいん?」
ぼそりと呟くと小首を傾げて見上げてくるドラゴン。確かに可愛い。守ってあげたいという気持ちがふつふつと湧きだってくる。
しかし、この可愛さは人工的に作られたもの。この目も、この手も、この翼も……。
何もかもが、人によって作り変えられてしまったもの。
ここに来てからパピードラゴンは遠目からでも何度か見てきた。人に抱かれて買い物をしていたり、首輪にリードを繋げて散歩をしていたり。
まるで犬のようじゃないか、と吐き気がこみ上げてきた。
年齢的にはとっくに成熟期であろうに、この見た目は幼少期のものと何ら変わりない。このドラゴンたちは老いて死んでいくまでこの容姿のままなのだろう。
「ぎゅぅぎゅ?」
「ん、ごめん。ちょっと考え事してた。お前ももう帰りな。飼い主がいるんだろ?」
俯いていたヴェールの顔にドラゴンの鼻がこつんと当てられる。頭を撫でてそう言えば、ドラゴンは思い出したようにとたとたと四つん這いで談笑している女性の元へと走って行った。
「あら、エリー。どこ行ってたの?もう、目を離すとすぐいなくなるんだから。さ、帰りましょ」
ひょい、と女性に抱かれ、パピードラゴンは人ごみの中へと消えて行った。
「……」
なんとなく動く気が起きず、しゃがんだままぼうっと人を眺めていた。
アズには悪いけど、もうしばらく……このままでいたかった。
**
「アズ……ゆっくりなのよ?」
「分かってるよ。……ほーらムムちゃん、こっちおいで~」
手を差し出しながらにじり寄っていくと、茂みの奥に光る2つの黄色の目がカッと見開かれた。
「フーーーーーッッ!」
物凄い剣幕で威嚇され、アズは「ひっ!」とみっともなく悲鳴を上げて身を引いた。これ以上近寄ろうものなら飛び掛かってきそうだ。恐ろしくてこれ以上むやみに近づけない。
「アズ、腰が引けてるの!」
「だって怖いんだもん!めっちゃ唸ってるもん!」
「……ロックドラゴンの威嚇を真っ向から受け止めた人が言うセリフ?」
溜息をつかれた挙句に「あの時の方が勇ましかったの……」と呆れられる始末。さすがにバツが悪い。アズはぐっと口元に力を入れ、キッとムムに向き直る。
「こうなったら最後の手段よ!これを見なさい!」
威勢のいい言葉と共に腰についているポーチからばっと取り出したのは、マダムの旦那さんに借りた赤いハンカチ。すると茂みの奥でムムがびくりと跳ね上がる。
……お?効果アリ?
「ほ~らムムちゃん、大好きなマダムの匂いのするハンカチだよ~。こっちおいで」
「フ……フシュッ」
ぱたぱたとハンカチを振ると、なんだか勢いのすぼんだ唸り声。ふしゅってなんだ。
「なんだか怒ってるのよ」
「へ?なんで?」
「よく解んないけど・・・・・・・“それを俺に近づけんじゃねえ!”って言ってるの」
「言ってるのって・・・・・・言葉解るんかぃ」
半眼で突っ込むと「もちろんなのさ!」となぜか胸を張るリリムについついため息が漏れる。
「じゃあこっち来るように交渉してきてよ」
「合点承知!」
びっと敬礼をして猫に近寄っていくリリムの後姿を見ながらゆっくりと後退し、アズは深々とため息をついてその場を離れた。動物と会話ができるならもっと早く教えてほしかった。聞かなかったアズもアズだが。
「むう。だいぶ離れちゃったな」
腰に手を当てて空を仰げば、木々の合間に見えるルディアナ城はかなり遠い。距離にして2、3キロはあるんじゃないだろうか。うまく猫を捕まえても、あの様子では抱っこして戻る間にまだ逃げ出しかねない。……あのハンカチのせいで。
「実はマダムが嫌で逃げ出したのでは……?」
ポツリと呟き、有りえる……と一人でうなずいた。確かに香水の匂いがプンプンしてたからなあ。アズもあまり香水や芳香剤の類は好きではない。人工的な匂いよりもこういう自然そのものの天然な匂いの方が好きだ。
「……ん?」
ルディアナ城を眺めている内に、ふと思い出す。そういえばこの間、ゼノが国王陛下から城で開かれるダンスパーティへの招待状が来たからぜひ出席してくれないかとかなんとか言ってたような。
「ダンスなんて踊れない……」
アズの地区で催される夏祭りの盆踊りが関の山。ひらひらふわふわの綺麗なドレスなんか来て男の人と向き合って踊るなんて絶対に無理だ。恥ずかしくてそんな事できっこない、といくらゼノに泣きついてもさすがに取り合ってもらえなかった。いくらゼノでも国王陛下には頭が上がらない。っていうかアズが我儘すぎる、というのもあるのだが。
そもそも、アズがセイレーンである事を国民だけのみならず、世界に隠して大混乱を避けるように配慮してくれているのは他でもない国王陛下のおかげ。ガーデンの皆や城の一部の人間は、アズがセイレーンであるということを公にしないように気を使ってくれている。
……ここまでしてくれている国王陛下の期待を裏切るのも、というか裏切れない。絶対。
「ん?」
ルディアナ城から視線を外して、アズは視界に入った光景に首を傾げた。水が光を反射させてキラキラと輝いている。池でもあるんだろうか。
ちらりと肩越しに振り向けば、何やら神妙な顔をしたリリムが猫と顔を突き合わせてうにゃうにゃと話し合っている。まだ時間がかかりそうだったので、アズはとりあえず暇つぶしに池の探索に行くことにした。
池だと思っていたのはどうやら違うようで、たどり着いてみればそれは大きな湖だった。
大きい、と言っても、距離にして端から端まで大体1キロほどの大きさだ。それでも水は澄んでおり、小さな魚が何匹か泳いでいるのがよく見える。……なんか変な腕みたいなものが生えていた気がするが、あえて見なかったことにする。
「わ、冷たっ!」
ひんやりとした冷たさに肩をすくませ、それでも心地いので手を浸らせておいた。
ぼんやりと湖に視線を投げると、あちらこちらに光っているアクアクリスタルを見ることが出来る。水深はごく浅く、一番深そうな所でもせいぜいアズの身長くらいだろうか。水の流れ込む河口がない所を見ると、この水はすべてアクアクリスタルから湧き出たものだろう。
だいぶクリスタニウムの事に詳しくなってきた。ふうむ、と唸りながらそんな事を考えていると、ふいに獣の息遣いが耳に入ってきた。はっとして体勢を低くする。
「あっ……」
茂みの向こうから音もなく現れた4頭の獣――ハイノウルフ。違う方を見ている様子だと、どうやら狙いはアズではなさそうだ。
「何かいるの……?」
訝しんだアズはハイノウルフたちが見つめる先を追うようにして顔をずらし――目を見開いた。
アズからは遥か向こうの、湖のほとりに佇む1人の女性。
おそらく、ハイノウルフたちのターゲット。
「(あんなとこに人がっ!)」
アズが確認して駆け出すよりも早く、ハイノウルフの一頭が先陣を切って地を蹴った。アズもとっさに立ち上がり、水を蹴散らして駆け出した。
「逃げて!!」
あらん限りの声で叫ぶと、ほとりに佇んでルディアナ城を見上げていた女性がゆっくりと振り向いた。ここからでは顔は見えない。ハイノウルフに気づいていないのか、だとしたら危ない。
「――間に合ってよ!」
走っても飛んでも間に合わない。アズは女性の方へと手をかざし、特訓に特訓を重ねて習得したとっておきの技を繰り出す。
女性とハイノウルフとの間に壁を作るイメージを頭の中で作り上げ、
――大気凝固。
「固定!!」
ぶん!と手を横に薙ぐと、女性の目の前に圧縮された透明な壁が現れる。すでに地を蹴って飛び掛かっていたハイノウルフは空気を圧縮させてできた壁にぶち当たり、「ギャウンッ!」壁に跳ね返されて湖に叩き付けられた。
水しぶきから顔を背けていた女性の前になんとかたどり着き、姿勢を低くしてアズに威嚇している残りの3頭を牽制しにかかる。
「まだ来るようなら次は骨折るよ」
手の関節をバキバキと音を立ててならせば、耳を後ろへ倒し、唸りながらもゆっくりと後退していく狼たち。頭を振って立ち上がった狼も恨めしそうにアズを睨み、名残惜しそうな気配を残して林の中へと駆けて行った。
リーダーを追うように残りの3頭も林の中へ消えたことを確認すると、アズは女性に向き直った。
「大丈夫ですか?」
「……」
女性は答えず、ただにっこりと柔らかい笑みを浮かべた。
太陽の光を受けて輝く彼女の髪は、とても綺麗な蜂蜜色。薔薇を思わせる真っ赤な口紅を引いた形のよい唇はふっくらとしていて、目も鼻立ちもとても気品がいい。一言で言えば上品な顔立ちをした女性だった。
おまけに薔薇の香水を付けているようで、ふんわりと辺りに薔薇の香りが漂う。
綺麗なドレスでも来ていればお姫様と見間違う彼女は、もったいないことに真っ黒なローブを着こんでいる。……でもこれ、どこかで見たことあるような。
「どうもありがとう。名前も知らない親切なお嬢さん」
ローブについて考えていると、女性が口を開いてまた柔らかく微笑む。見た目に似合う凛とした落ち着いた声。アズもにこっと微笑み返す。
「アズって言います。大事なくてよかったです。……でもなんでこんなところに?」
「探し物をしていたの」
ゆっくりとルディアナ城を見上げ、彼女は微笑んだまま続けた。
「どうしても見てみたいものがあって。でも来てよかった。この目で見ることが出来たんですもの」
そうしてまたアズに向き直り、首を傾げてくすくすと笑う。
「私、クリスティナ。また会いましょう?アズ」
「あっ……」
止めようとした手を中途半端に上げかけたが、クリスティナはふわりと薔薇の香りを残して歩き出してしまった。ふわふわとした蜂蜜色の髪をなびかせ、彼女は林の中へと消えていく。
「……」
姿が見えなくなるまで見送り、アズはゆっくりと手を下ろす。……なぜだろう。心がもやもやする。
綺麗で、お上品で。でも、どこか夢見心地な雰囲気を漂わせる不思議な女性。会話もなんとなく噛み合っていなかったような気がする。
それに、ハイノウルフが飛び掛かってきたと言うのにまったく動じていなかった。普通の女性なら悲鳴を上げてもおかしくない状況だったのに、むしろ真っ向から静かに狼を見据えていた彼女の顔には何の表情も浮かんでいなかった。
「……何者なんだろう」
薔薇色の唇に、薔薇の香水――薔薇を連想させるクリスティナの消えた林を見つめ、アズはポツリと呟いた。
「アズ!どこ行ってたのよぅ!」
クリスティナの事を考えながらさくさくと草を踏みしめて戻ってみると、何やら責められるように声をかけられる。正座で猫と向き合ったリリムが自分の隣に座るようにばしばしと叩く。
「ちょっとこっちきてムムちゃんの話聞いてあげてよぅ!聞くも涙の語るも涙なんだからぁ」
「何があったの?」
よっこらせと腰を下ろしてムムを見やると、何やら耳をぺったーんと垂らしてペルシャの名が泣くような情けない顔をしてぐしぐしと泣いている。……猫って泣くのか。知らなかった。
「マダムが過保護なんだって!どこ行くのも何するのもずっとマダムと一緒なの!しかもトイレにまで付いてくるってんだから過保護の域を超えてるのよ!これじゃストーカーよぅ!可哀想よぅ!」
「うにゃ!にゃおぉ~ん!!」
「しかもムムちゃんにお嫁さん+子供が出来るのを嫌がったマダムが近日中に去勢手術をやるって言ってるらしいの!これも酷いの、サイテーなの!」
「……それで逃げ出したんだね」
顔をしかめて問いかけると、言葉が解るのか頷きながら「うにゃうにゃ」と何か喋っている。
「どうにかマダムの所には戻ってもらわないと、これも任務だからさ」
「!?」
ばっと顔を上げてすがるような顔をしてくるムムを落ち着かせ、「大丈夫だから」と声をかける。
「あたしがマダムによく言っておくよ。ムムが嫌だと思ってることなんでも言って?それをあたしがマダムに伝えてあげる。マダムもムムの事大好きだからきっとお願いを聞いてくれる。……だからとりあえず戻ろう?」
両手を広げて「おいで」と言うと、ムムはしばらく躊躇するようにうろうろと歩き回っていたが、リリムに促されて渋々アズの腕の中に収まった。
ルディアナに戻るまでに自分の要望をリリムを通してアズに伝え、アズはそれをマダムに伝えた。マダムは驚き戸惑うようにしてムムを見つめていたが、目じりを下げて「今までごめんなさいね」とムムを抱きしめた。
「いやいや、本当にありがとう。ムムも帰ってきて、これでママもいつものママに戻ってくれるよ」
旦那さんが嬉しそうに目を細め、アズの手を握って笑う。アズも嬉しくなってしっかりと手を握り返した。結局ムムの本音を聞き出すことにしか用を成さなかった赤いハンカチも返却し、アズはマダムと旦那さん、そしてムムに手をふって別れた。ムムの要望をすべて受け止めていたマダムだったので、きっともう逃げ出すほど嫌なことはしないはず。これでもう大丈夫だろう。
「1件落着ね」
裏路地に入り、辺りに人がいないことを確認してリリムが口を開いた。アズも頷く。
「うん。リリムがいてくれて大助かり!呼んでも来ないどっかの竜とは大違い」
「ヴェール……どこで何してるのかなぁ」
「置いて帰ってやりたいのもやまやまなんだけど、あたしまだ長距離ってうまく飛べないんだよね。すぐに疲れちゃう」
「でも固定使ったんでしょ?気を失わないってことはアズも成長してるってことなの」
リリムに言われ、確かに……と納得する。
この期間中に取得した防御技――固定。戦場の女神の3つある能力のうちの1つで、防御に特化した技なのだ。攻撃特化型の番と平行して出せないのが難点だが、防御のみで使用するならば十分その役割を果たせる。
大気中の空気を瞬間的に圧縮して固め、透明な壁を作り出すことが出来る固定は使い方次第で様々な用途に応用できる優れた能力。その反面、空気の少ない、またはほとんどない水中での使用はほぼ不可能。壁を作るまでの空気を集められないと使用することができない、というデメリットもある。
これを編み出すまでには苦労した……。まあ、ラムの実を潰さないように神経を使うほどのものでもなかったのだが、それでも大変だったのだ。
その甲斐あって、満足できる能力に仕上がったのは言うまでもない。
「大通りに出るよ。隠れてて?」
「はいの!」
リリムの体が光に包まれるのを確認してから、大通りに出る。東通りには貴族街の人々が多いので、なるべく距離を開けてすれ違う。少しでも服が触れ合おうものなら「汚れた!」とか難癖付けられそうだ。
たとえ世界が違えど人は人。悲しいけど、どこの貴族も生まれや育ちは重要視している。一般庶民であるアズとでは月とすっぽん……じゃなかった、雲泥の差だ。
「あっ」
中央公園に入った所でリリムの小さな声。周りの人々に変に思われないように「何?どうしたの?」と小声で尋ねると前方を指差した。
人型のヴェールが噴水前のベンチに腰掛けぼうっとしていた。
「……」
心ここに非ず、といった感じだ。だからシンクロが使えずに呼びかけても反応がなかったわけだ。何を呆けてるんだか。
つかつかと歩み寄ってヴェールの目の前に仁王立ちしたところでようやく視線が動く。ゆっくりとアズを見上げて目をぱちぱちと瞬き、たら~っと冷や汗を流す。ようやく表情らしい表情を顔に出した。
「あ……終わっちゃった?」
「ついさっき」
にっこりと笑って答えればますます引きつった顔になっていくヴェール。きょときょとと辺りを見回して「今何時?」と尋ねてくる。
「3時過ぎ」
「……1時間もここにいたのか、俺」
ぼそっと呟かれた独り言をしっかり聞き取ったアズは盛大に溜息をつき、小さくなっているヴェールを見下ろした。
「一体なにやってたの?呼んでも答えてくれないし。探せばこんなところでぼーっとしてるし」
「や、ちょっと情報収集を……ね?」
「ふう~ん」
手を伸ばしてヴェールのほっぺを掴んでぐいっとひっぱると「いひゃい!」と悲鳴を上げるヴェール。構わずに言い放った。
「口の横にこんな茶色いシミ付けて情報収集ね?」
「!?」
ぎょっとしたヴェールが慌てて自分の口元に手をやり、手に付いたそれを見て更に青くなる。仄かに香るこの香りは間違いない。チョコレートだ。
「誰からもらったの?」
「……北通りにあるくれーぷ屋のおっさんから」
「クレープ!?あたしが一生懸命任務やってるって時にクレープ食べたの!?しかも北通りにあるってころはルディアナ一おいしいって評判の!?あたしだって食べたかったのにー!――はっ、お金!お金はどうしたの!?」
「……お嬢ちゃん可愛いね、これ食ってけよっていうから貰った。だから払ってない」
よろり、と眩暈を覚えてベンチに座り込む。
なんて羨ましいんだ……。
「……もういいや。お金は今度来たときに返そう。今日はもう疲れた」
「……ごめん」
ぽつり、と小さく謝るヴェール。そうもしょんぼりされると怒りが急激にしぼんでいく。
「いいよ。帰ろう。お腹減ったしさ」
「うん、減った」
「……」
とりあえずは、帰ってお腹いっぱい食べてからまた怒ろう。