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この世界にセイレーンとセブンスドラゴンがやって来て、早いものであれから4日が経った。
セイレーンとして異世界からこのクリスタニウムに召喚された救世主は、ジークや他の皆が想像していた人物像とは似ても似つかぬ程にかけ離れていて、まさか女の子でしかも20もいかない年下のぴちぴち現役女子高生だとは誰一人想像もしていなかった。
落胆した人もいれば、外観や年齢なんて関係ないと手を叩いて喜ぶ人もいた。
世界は終わると絶望した人もいれば、世界は救われると泣いて神に感謝する人もいた。
実際、ジークとウィル、そしてあのクラウスでさえも驚きを隠せなかった。
あの少女――アズ・キサラギのクリスタル「戦場の女神」を、この目で見て、本当に、この世界は救われると思った。
なぜか、そう思わされてしまった。
「任務お疲れ様でした、クラウスさん!ジークさん!」
控えめなハープの音色で満たされたエントランスに入り、受付に顔を出せば可愛らしい受付嬢が満面の笑みを浮かべて出迎えてくれた。ジークはにっこりと笑って「おう、ただいま~」と返すも、隣にいるクラウスは返事どころかうんともすんとも返さない。
任務が終わってから、と言うよりも、任務が始まる前からなんとなく機嫌が悪い。目つきが悪いのは元からだが、今日はいつにも増してつり上がっているような気がする。
「はい。今回の報酬になります」
「……ん?ちょっと多くね?」
受け取った報酬の5万エルにしては少々重いような気がして問いかけると、受付嬢はにっこり笑って、
「はい!依頼先の方たちより先ほど連絡を頂きまして、今回の任務を熟してくださった御2人の勇姿に深く感銘を受けたとのことで、急遽報酬金額を増やしてほしいと」
「ふーん、そっか。じゃあ遠慮なく……」
「駄目だ」
「あっ!」
と、間髪入れずに横からクラウスに袋を掠め取られてしまい、非難の声を上げたが完全にスルーされ、
「俺たちは報酬に見合った仕事しかしていない。それ以上は貰えないと伝えておいてくれ」
「え……あ、はいっ!」
慌てて袋を受け取った受付嬢に袋を託し、クラウスはそれ以上何も言わずに踵を返して階段に向かう。ジークも急いで後を追い、クラウスの隣に並ぶ。
「ちょ……なんでだよクラウス!せっかく相手先が報酬増やしてくれるって言ってんのに。ここで貰っとかないと逆に悪いだろ?」
しかしそこでクラウスの形の良い金色の眉がぴくりと跳ね上がり、足を止めてジークに向き直る。底冷えするような非難がましい冷たい冷気をその目に称えて。
「任務中に女を口説くな、と何度言えば解るんだ?お前は」
「だっ……!」
あまりに突然だったので変な言葉が出てしまい、ジークは体を硬直させて固まった。痛い所を突かれてしまい言葉に詰まっているとそれも見抜かれ、
「思春期だとか発情期だとかくだらん言い訳を並べ立てる前にとっとと1人の女を囲って1人の女に欲情してればいいだろうがこの万年発情期男が。お前のせいで何時間無駄にしたと思ってるんだ?何人待たせたと思ってる?それで任務に見合った以上の報酬を貰おうとするなんてお前の頭は一体どうなってるんだ?烏滸がましいにも程がある」
矢継ぎ早に吐くだけ吐いて再び階段を上がっていくクラウスの後姿を呆然と見送り、
「このことはきっちり師匠に報告させてもらう。覚悟しておけ」
とどめの一撃を刺された。
**
「……で、本当に走って持ってきたのね」
呆れたを通り越して哀れみの微笑を称えたアリスと共に汗だくで床にへばっているウィードを見下ろし、アズは「お疲れ様でした……」としか言えなかった。
「だっ……だって、あ、アリスふくだんちょ……が、持って……来てって……言った……じゃ、……ないですか!」
ぜはぜはと過呼吸でも起こしているのではないかと思ってしまうくらいにウィードの呼吸は乱れており、足がぷるぷると震えている。アリスはそんな彼に首を振ってこれ見よがしに溜息をついて、
「何のために1人1つずつ無線機を持たせたと思っているの?手配してと言ったのに……貴方が自分で持ってきては意味がないわね」
「あ……無線機……げほっ」
ようやく合点がいったのが、ウィードは納得したのと同時に力尽きてしまった。
「まったく……竜に持ってきてもらえば時間のロスもウィードが疲れるなんて事もないでしょうに」
「あはは……。でも、ウィードさんの一生懸命さが伝わってきて、なんか嬉しいです」
ウィードから受け取ったクリアクリスタルが付いた綺麗な首輪を持ち上げ、ヴェールに見せた。
「ウィードに感謝しないとね、ヴェール」
『うん、するする。早く付けてよ、アズ』
竜独特の鉤爪の付いた4本の指をグッパグッパと握ったり開いたりしながら待ち切れないのか催促をしてくるヴェール。……そんなにクリアクリスタルが欲しいのだろうか。
「しょうがないなぁ」
苦笑してヴェールの首にそれを付けてあげる。きつくないか問うと『大丈夫』と頷く。
「よく似合っているわ、ヴェール」
アリスの言うとおり、その首輪はとてもヴェールによく似合っていた。
わざわざヴェール用に選んできてくれたのかもしれない。薄い紫にも見えるヴェールの体毛に映えるように、キメ細やかなラメの入った美しい青い刺繍が施された装飾は、見ているだけで心が癒される。正面にくるように持ってきたひし形のクリアクリスタルが光を受けてキラキラと輝く。
『これで良し、と。俺のためにご苦労だったね、ウィード』
転がったまま動かないウィードの頭をこつんと口でつつき、ヴェールはお礼(?)を言った。なんだかとてもご機嫌である。
首輪なんて犬猫じゃあるまいし!とか絶対言うと思っていたので、これはこれでなんだか意外だった。
「あら。もうこんな時間?アズ、今日の授業はここまでにしましょうか」
「あ、はい!どうもありがとうございました、アリス先生!……と、ウィード先生」
ヴェールに頭を突かれて意識が戻ったのか、よろよろと起き上がるウィードにお礼を言うと、
「いやいや……どういたしまして」
青い顔でそう答えた。
……だいぶ重症に見えるのはアズだけなのだろうか。
「ヴェール。貴方も一緒に飼育室に戻りなさいな。ここは竜の貴方には狭いでしょう?」
『えー。俺飼育室じゃなくてアズの傍にいたいんだけど』
「っ!?」
胸に手を当て、アズはぷるぷると喜びに震えた。
この、何とも言えない優越感と喜びが一緒になった感覚……。ユズではなくアズに尻尾を振ってとことこと走ってくる子犬を抱きしめたあの時のように、アズはヴェールの首に抱き着いた。
「あたしもヴェールと一緒にいたいです!」
『ぎゃあああぁぁぁ!首っ……首締まるぅー!!』
「……まあ、アズがしっかり見ていてくれれば別に構わないけれど」
感極まって力加減を間違えると危うくヴェールを絞殺してしまうところだった。力を緩めてぎゅ~っと抱きしめてアリスにアピールをすると、頬に手を当てて溜息。それでも頷いてくれたので、アズはヴェールの首に頬をすり寄せた。
「よかったね、ヴェール!ずっと一緒だよ」
『うん……その前に力の制御ちゃんと勉強してね。俺の命が消える恐れがあるから』
「頑張る!」
勢い込んで頷き、そこでアズはふと思いとどまる。
会議室の時計を見るとまだ4時半前。部屋に帰るにはまだ早いし夕飯にも早い。残った時間をまた勉強に使うのは精神的に嫌だが、体力はまだ有り余っている。……というか、体を動かして発散させたい。
「アリス。時間がまだ余ってるし、体も動かしたいので……修練場に行ってきてもいいですか?」
「これから?」
驚いたように聞き返され、アズは頷いた。
退院して園内を案内してもらった際に、2階の多目的フロアに修練場という場所があったのを覚えている。体を鍛えたり、2人や3人で組手をして戦う練習をする場所だとゼノに説明され、「戦い方や実戦の前組等はここで先輩たちからアドバイスをもらうといい」と言われた。
3日も寝たきりだったり机に座ってばかりだったので体がすっかりなまってしまった。今ならストレス発散にもちょうど良いと思ったが、アリスに首を傾げられ、
「貴女がそう言うなら別に構わないけれど……練習相手はどうするの?1人じゃ組手も出来ないでしょう?」
「……あ」
そう言われて相手のことをすっかり考えていなかった事に気がついた。
「今の時間帯ってあまり人がいないのよ。ほら、夕飯前だから。……無理しないで明日にした方がよくないかしら?」
「……そうですね」
気持ちが高まっていただけあって、心の落胆も大きい。しょんぼりして俯くと、ひんやりとしたヴェールの口に頭を小突かれた。
「わっ……。何、ヴェール」
顔を上げてヴェールを見ると、ふいっと顔を背けて何かをアズに示す。視線の後を追って会議室の出入り口を振り返り――、
「やあ。退院おめでとう、アズ」
分厚い本を片手に、ひらひらと手を振っているウィルの姿があった。
「ウィル!」
任務に出ていなかったのだろうか、白いワイシャツに黒いジーンズと落ち着いた服装姿の彼は優しい笑みを浮かべて会議室に入ってきた。
「みんな御揃いでどうしたの?……あ、ウィード。顔色悪いね。ヴェールも久しぶり。こんにちわ」
顔に浮かべいている笑みはとてもほんわかと柔らかいのに、話す内容はどこか抜けているというか、目の付け所が違うというか。
アズが退院しているこの3日間でハンナに次いで頻繁に会いに来てくれた人物なので、ウィルの事は他の団員たちよりもだいぶ理解できたと思う。飼育室ですでにヴェールとは顔馴染みになっているということにも驚いた。
彼は、王子様のような笑顔で毒舌を吐ける恐ろしくも優しい人物だった。
「ありがとう!……あ、それ、この間の」
「うん。今返しに行くところ」
ウィルの抱えている大きな本には見覚えがある。確かベッドの上で暇を持て余していたアズのために、ウィルが図書室から選んで借りてきてくれた本だ。1855ページもある辞書並みの分厚さを誇るこの本のタイトルは「新・妖精国物語第1部 ~邪竜神の降臨~」。女の子向けのファンタジー小説で、全3部作。もちろんアズは3日かけて全部読み終えた。
小説は好きだ。教科書とは違って、それぞれの世界観や物語がある。文字の羅列が苦手なアズでも時間を忘れて本の世界にのめり込める。
「ごめんね、返しに行ってもらっちゃって……それすっごく面白かった!今度第2部も借りてみようかな」
「そうしなよ。本編の他にも番外編とかいろいろあるみたいだから」
「本当?じゃあ早いうちに全巻制覇しとかないと!」
「女の子ってホント妖精の類が好きだよね。確かに珍しいけど、何をそんなに夢中になるのか俺には分からないなぁ」
「妖精はいつだって女の子のロマンだよ!あたしの世界にはいなかったから本やアニメの中でしか見たことないけど、この世界にはいるんでしょ?会ってみたいなぁ」
『……ねえ、本題からずれ過ぎ。話戻しなよ、日が暮れる』
今まで黙っていたヴェールに呆れたようにそう言われ、そうだった!と我に返る。
首を傾げているウィルに向き直り、アズは手を顔の前に合わせて頭をさげた。
「ウィル、今からあたしと組手してくれないかな?練習相手をさがしてるんだけど、今の時間って誰もいないから困ってたの!」
「え、今から?……しかもアズと?」
きょとんとした顔でそう問われ、アズは頷いた。
……が、
「ごめんね」
にっこり笑って速攻で断られてしまった。
「俺、リンゴみたいにぐしゃっと潰されたくないんだ。だからごめんね、はっきり言って俺じゃ役不足」
「りっリンゴ……!」
『ぶはっ!』
噴出して隣で爆笑しているヴェールを半ば呆然と見上げ、そう言えばウィルとジークにはリンゴぐしゃり事件(ゼノ命名)を現場で目撃されていると今更ながらに思い出す。
まだ力の制御の練習をしていないことを見越してか、ウィルの判断は正しいと言える。……言えるのだが。
「これじゃいつ任務に就けるのかもわからないわね」
溜息混じりに言うアリスの言葉がアズの胸に突き刺さった。
3日もベッドの上で体もろくに動かしておらず、退院しても勉強三昧。おまけに力の制御を勉強項目に追加して練習していくとなると……クリスタルマスターの任務を熟していくどころか、下手したらセピア・ガーデンから一歩も外へ出ることすら出来ない。ヴェールの背に乗って空の散歩に行くこともできない。
「適任な人物が今ここにいないんじゃなぁ……ちょうど良く帰ってきてくれてるといいんだけど」
「! あたしと組手してくれそうな人がいるの?」
「うん。……っていうか、たぶんあの人以外は無理だと思うな――あ」
会議室の外に目を向けたウィルが目を見開いて――途端に笑顔になった。
「すっごい、ナイスタイミングだよ!」
アズも会議室から顔を覗かせ、ウィルの視線の先にいる人物を視界に入れて、納得した。
「ナイスタイミング?……何事だ、ウィル」
相変わらず不機嫌そうに見えなくもない仏頂面で歩いてくる人物――クラウス・リオベルト。任務帰りなのか、黒い外套姿の彼の後ろにはなぜかとても憂鬱な面持ちのジークの姿もある。
「今ちょうどクラウスの話をしてたところなんだけど……って、ジークはどうしちゃったの?」
「どうもない。例の悪癖だ」
とても不愉快そうに腕を組み、肩越しにジークを睨みやる。
それで理解したのか、ウィルが「ああ、またなの」と呆れたように一言。
「いくら遺伝子レベルの問題だって言っても抑制できるでしょ。それが出来ないのはジークがお盛んだから?」
「遺伝子レベルだから抑えがきかねえんだよっ!お盛んなのはお前らだって一緒だろー!?」
「俺はまだ抑制できてるから。ジークみたいに見境無いわけないし」
「くだらない。とっとと1人の女を囲え」
ぎゃんぎゃん喚くジークに、にっこり笑みのウィルがすぱっと切り捨て、クラウスに至っては嫌悪感を隠すことなく露わにしている。
……何の話をしているんですか。さっぱりついていけませんが。
「廊下でなんて話をしてるの貴方たちはっ!場所を考えなさい!」
会議室から出てきたアリスに一喝され、3人は口をつぐむ。そしてのそのそと顔を出したヴェールを見て、クラウスとジークの顔色が一瞬にして驚きに変わった。
「おわっ!なんでこんなところにセブンスドラゴン!?室内だぞ!」
『室内だったら何?そんなに俺が怖いの?』
ジークを一瞥して、ふん、とヴェールが鼻で笑った
……ここに来てからだいぶヴェールの事がわかってきたが、どうも人に対して挑発的な言動が目立つ。人が嫌いなのか、それとも癖なのか……どっちにしても相手に悪い印象しか与えない。
ここは、ヴェールのパートナーである自分がきちんと教えてあげなければならない。拳をぎゅっと握り固く心に誓い、窘めるべくヴェールに向き合おうとしたその時、腕を組んだままのクラウスが一歩前へ出て口を開いた。
「俺たちが恐れているのは混沌の覇者だけだ。……間違ってもお前なんかじゃない」
『……へえ』
……なんでそこで挑発に乗ってしまうのか。明らかにヴェールの顔から嘲りの色が消え、青い瞳にはうっすらと敵意が宿る。
『ウィル……こいつとアズを戦わせようとしたんだな。――うん、いい考えだ』
「何の話だ?」
「あ、実はアズの組手相手を探してて……クラウスが適任じゃないかなと」
「……」
聞いていなさそうでしっかり話の内容を理解していたヴェールがウィルを一瞥し、1人で何度か頷いた。そして、
『よし、アズ。完膚なきまでに叩きのめしちゃいなよ。特にあの顔を』
「はっ!?ちょ……なに言ってんのヴェール!?完膚なきまでって……!」
『ボッコボコって意味』
「いや、意味なんて聞いてないから!あたしが探しているのは組手の相手でケンカの相手じゃ――」
「いいだろう」
アズの言葉を遮るように口を開いたクラウスはヴェールから視線を逸らし、セピアノスとはまた違った輝きをもつ金色の双眸でまっすぐアズを捉え、
「俺もセイレーンとは一度手合せをしたいと思っていた。そこの小竜の言いなりになるつもりはない。俺から手合せ願おうか」
「……は、はあ」
『こりゅう……?古龍……?――小竜!?今俺の事遠回しにチビ竜って言った!?ぐわあぁー!ムカつくぅー!この女顔がぁー!!』
遠回しも何もストレートな嫌味に聞こえたのはもちろんヴェール以外の全員。しかしヴェールが「女顔」発言をしたとたんにジークとウィルの顔が硬直。クラウスの目元がぴくりと引きつり、金色の双眸に剣呑な光が宿った。
ああ……セピアノス。
あたしの心の中にいるなら、今ここで答えてください。
貴女の遣わせたあたしの相棒は、どうしてこうも血の気が多いのでしょうか。
あたしの望む展開とは大きく逸れていくこの状況を、どうかセピアノスの力をもってして打開させて下さい。
如月アズ、16歳。
なんだか疲労とストレスで精神的に老けてしまったような気がする、今日この頃です。