14 一難去って
視界いっぱいに広がる大理石の床と、床に手をついている自分の腕。……この腕は、いつからこんなにも無力になってしまったのか。
自分自身に幻滅して、クラウスは歯を食いしばった。
クラウスの目の前、幻想の竪琴を奏でているハンナの顔を下から見上げ、思わず目を逸らす。……自分の失言が招いた結果に、どうしようもなく居た堪れない悔しい思いが胸を突く。
「クラウス……やべえよ、どうにかしねえと」
床に這いつくばったジークが苦しげに呻くも、完全に体が言うことをきかないようだ。クラウス自身も幻想の竪琴の旋律に毒され、立ち上がることはおろか体を起こすこともできない。
これが、心を解き放たれたハンナのクリスタルの力。
初めて任務を共にしたときは、あんなにも無力で頼りない存在だったというのに……。
頭上に輝かしい光が現れたのは、その時だった。
「……?」
ぎこちない動作でどうにか首を動かして頭上を見上げ――目を見開く。
ジークも同じような表情になった。
空から、天使が舞い降りたかと思った。
大袈裟な表現かもしれないが、彼女の姿はまさに天使をも思わせる美しい3対の白い翼をその背に生やしていた。その黄金色に輝く瞳を悲しげに伏せ、降り注ぐ日の光と共にゆっくりと降りてきた。
それを目の当たりにした人々の口から、感嘆とも崇拝とも取れる溜息がそこかしこで上がる。
結界の周りを徘徊していたシャドウが反応し、ぞろぞろと彼女の前へと集まっていく。しかしシャドウなどに構うことなく、地に降り立った彼女は迷いのない足取りでまっすぐハンナと媒体の元へと向かていく。
シャドウも飛び掛かることなく、光を恐れるように一定の距離を開けてアズの後ろを恨めしそうにぞぞぞ、とついていく。
「――!」
近づいてくる気配に気づいたのか、目を開けて虚ろな表情のまま顔を上げ――目を見開いた。表情のなかったハンナの顔に、見る見るうちに恐怖とも畏怖とも取れる影が刻み込まれていく。小刻みに顔を振り、ハンナは目に涙を貯めてアズを見上げた。
「ハンナ……」
アズが悲しげに問いかけると、彼女は首を振り続けた。
「あ……あたし、こんなことしたくないの……やりたくないの。……なのに体が言うことをきいてくれないの……あたしの体なのに……。みんなをこんなに苦しめて……」
すると、それを聞いたアズの顔から悲しげな表情が消え、とても嬉しそうに微笑んでハンナの前に片膝を付いて彼女を見上げた。
「やっぱり!あたしは絶対にそう思ってたよ。ハンナはこんなことしたくないはずだ、これがハンナの本当の力な訳がない――って。ゾイスが言ってた事、信じたくなかったの」
だから、ハンナを信じてよかった。
アズはそういうと、もう一度嬉しそうに微笑んだ。
「う……」
途端にハンナの目から大粒の涙がボロボロと零れ落ちる。いつの間にか幻想の竪琴を奏でる指も動きを止めていて、自分の体に力が戻りつつあることを実感する。
「……」
こんなことがあるのだろうか。
クリスタルマスターがノワールによって心をこじ開けられてしまうという事例は前にもあった。短時間だったとはいえ、ノワールに操られて完全に自我を失っていたというのに、何故ハンナは理性を保てているのだろうか。アズが現れるまでは人形の如くただ黙って幻想の竪琴を奏でていただけだというのに。
アズは、彼女にとって自我を取り戻せるほどかけがえのない存在なのか。
あるいは、クラウスが思っていた以上にハンナの心は強かったのか。
「辛いよね?すぐ元に戻してあげる」
そう言うと、アズはすっと立ち上がり、左手でハンナの胸の前に、右手で媒体の胸の前にそれぞれ手のひらを差し出す。するとそこへ小さな光が集中して、光の線となって両者の胸を突きぬけた。
ハンナと媒体の背から、赤黒いもやが溢れるように流れ出て、霧のように霧散して消えて行った。
媒体だった男性が意識を手放して倒れこむ所をジークが抱き留め、安堵の溜息。結界の外を徘徊していたシャドウたちも媒体がいなくなったことでこちらも霧散して消えて行った。
ハンナも一瞬だけふらついたが、なんとか耐えて幻想の竪琴に寄りかかって深く息をはきだした。赤黒いもやを払ったことによって、幻想の竪琴が本来の姿を取り戻す。
「ふう……」
役目を終えたことで気が緩んだのか、疲れたように息をつくとアズの背に生えていた翼が光の粒子となって消えた。崩れるように床に座り込み、額の汗をぬぐう。
「なんかずっごく体がだるいや」
「きっと、長い時間具現化することに慣れてないせいですね」
だいぶ落ち着きを取り戻したハンナが言う。そして、何かを思いついたようにアズを、そして自分やジーク、周りにいる人々を順番に見回し、
「今ならちゃんと出来るかも……」
と独りごちた。
ハンナの指がそっと、幻想の竪琴の透き通るような透明の弦に触れる。
♪~……♪……
指が弦を弾くたび、光の粒子と共に音が舞い踊る。力強いのに、華やかで気品に満ち溢れているハープの音色は、聞いているだけでも心が落ち着いてくる。それに加えてクリスタルとしての力が発揮されているので、奏者の想いが音に乗ってクラウスたちを優しく包み込む。
「すごい……綺麗な音」
ハンナの椅子にもたれ、アズは目を閉じて音に聞き入る。
「クラウス、無事か?」
見上げると、ジークが疲れたような笑みを浮かべてこちらを見下ろしていた。体力が戻ったのか、今更ながらにジークが立っていることに気づく。一般人の中にも、立ち上がったり歩き回ったりしている人々が見受けられる。
「今回はハンナにやられちまったなぁ」
「……そうだな」
両腕を高く上げて伸びをするジークに続き、クラウスも天井を仰いで深く息を吐いた。すると、視界の端、4階から屋上へ続く螺旋階段の上に、見知った人物を発見した。
「……師匠?」
「ん?……あー、ホントだ。ゼノ団長じゃん」
手すりに体を預け、しばらくハンナの演奏に聞き入っていたゼノがふっと目を開けてこちらを見下ろし、クラウスとジークに気づいてにこっと笑って手を振ってきた。――その後ろに、黒い影がのそりと動く。
「後ろにいるのってジン――じゃあないよな、あのサイズは」
ゼノの相棒、バーニングドラゴンのジンよりもずっと小柄なそれは竜だったが、種類が分からない。 鳥のような翼をたたみ、なにやら不機嫌そうに長い尾をぶんぶんとあっちこっちに振り回している。それにゼノがほんの少し迷惑そうに顔をしかめつつまた笑うのだった。
「クラウス、ほら、見てみろよ」
ジークに袖を引っ張られて振り返ると、ハンナの椅子にもたれ掛って幸せそうな表情のまま寝息を立てているアズの姿が目に入る。ハンナもどことなく楽しそうにそんな寝顔を見つめ、演奏を続けるのだった。
『緊急事態宣言を解除します。緊急事態宣言を解除します。園内に紛れ込んでいたノワールの排除を確認。医療関係者は、すみやかに一般人の容体を確認してください。クリスタルマスターは園内を見回ったのち、指令室へ報告。……繰り返す……』
エントランスに、緊急事態宣言解除のアナウンスが流れる。それを聞いて結界を解除し、非戦闘員が近くにいる一般人の傍に寄り、互いに声を掛け合った。
幸い怪我人もなく、力を取り戻したハンナの幻想の竪琴の力によって気力を取り戻し、どうにか事なきを得た。
数人の医療班がハンナとアズの周りに集まり、腰をかがめ、幸せそうな顔をして寝息を立てている彼女を見て微笑ましげに笑い合うのだった。
**
暖かい空気に頬を撫でられ、アズはゆっくりと目を開けた。
真っ先に視界に飛び込んできた大きな樹を見上げ、2、3回瞬きをする。乳白色色の光が照らす空間に、どこまでも続いているように見える草原。春のような暖かい風……。
そして、自分の隣に悠然と座っている、とても大きな白い竜。
「セピアノス」
呼びかけると、セピアノスは目を細めてそれに応えてくれた。
初めて会ったときは丸くなって寝ている姿をしていたので、こうして起きている姿を見るのはとても新鮮だ。「大きい」ではなく、セピアノスは「とても大きい」竜だった。地に伏せるように座り、長い首を蛇のようにもたげており、小さいアズを静かに見下ろしている。角と言える角は生えていないものの、角のような突起物は頭部にちょこちょこと左右対象に生えていて、長い真っ白な体毛が風に撫ぜられてサラサラと美しくなびく。
「私の姿が珍しいですか?」
じっと見つめていたせいか、どことなくくすぐったそうに首を傾げてセピアノスが言った。
「うん。初めて会ったとき寝てたでしょ?だからこんなに大きいなんて思わなかったの」
笑ってそう答えると、ゆっくりとセピアノスの顔が近づいてきた。見ているだけも吸い込まれてしまいそうなとても綺麗な黄金の瞳を細め、セピアノスは首を傾げる。
「これは貴女の夢の中であって、狭間の世界ではありません。だから私はこうして自分の姿を本来の形にして見せることができるのです」
「……あ、そうか。セピアノスの体は……」
「そう。狭間の世界に置いてきました。今の私は精神だけの存在なのであって、肉体はありませんから」
「……辛くない?」
思わずそう尋ねると、セピアノスの顔が離れていく。そして大きな樹を見上げ、小さく首を振った。
「辛くない、と言えば嘘になります。けれど、一時的とは言え、肉体を捨てなければ次元を超えることはできなかった……。これは避けることのできない選択でしたから」
「……」
「どうかそんな顔をしないでください、アズ。私はその時をずっと待ち望んでいたのです。肉体を捨ててでも次元を渡り、セイレーンをクリスタニウムへ導くことを……。貴女は私を恨みこそすれ、憐れむ必要などないのですよ」
「恨むだなんて……。あたしはセピアノスを恨んだりなんかしないよ」
アズはサクサクと草を踏みしめて歩きだし、セピアノスの前足の辺りによっこらしょと腰を下ろした。首を上に向けてセピアノスを見上げているとどうにも首が攣ってきてしまう。ゴロンと寝ころび、アズを見下ろすセピアノスを逆さまに見つめた。
「そりゃ、ホントは元の世界が恋しいよ?ユズも、学校の先生も、友達も、叔母さんも、心配してるかもしれない。……でもさ、セピアノスはあたしじゃなきゃダメだって言ってくれた」
「ええ。貴女でなければ駄目なんです」
「それが、何よりも嬉しくて。あたしって周りを見ないっていうか、目の前の事に必死になり過ぎちゃうっていうか……必要とされればどこまでもやり通したいって思っちゃうんだ。その人の想いに応えたい一心で」
「はい」
「だからさ、あたしに出来ることだったら、何でもやりたいなって思って……。世界を救えるかなんて分からないけど、できること一歩ずつやっていきたいな」
「貴女は世界を救いました」
「……へ?」
きょとんとしてセピアノスを凝視する。世界を救ったって……あれ?あたしの役目はもう終わり?
「アズは、世界と言われて何を思い浮かべますか?」
……しかしセピアノスにそう問われ、アズは首を傾げて「うーん」と唸った。
世界と言われても、地球儀や社会科の教科書で見たような大陸の形でしか浮かんでこない。
「一言に世界と言っても、思い浮かぶ世界の形は人それぞれ。貴女にとっての世界とは、本の中に記された絵や図のように見えますか?」
「……うん」
正直に頷くと、セピアノスは「ふふ」と声に出して笑った。
「貴女は正直者ですね、アズ」
「……それは、どうもありがとうございます」
どういたしまして、とセピアノスが返すと、こう続けた。
「人は、海や大陸を象った模型を見て、それが世界だと判断しがちです。けれど、本当の世界は私たちのとても身近なところに在る――。そう、私のすぐ足元にも」
「……。……え、あたし……?」
「そう。貴女を含める、クリスタニウムに生きるすべての生き物――それらが寄り集まって、クリスタニウムという一つの世界となる。『1人は全て。全ては1人』。貴女はハンナという世界の一部を救ったのですよ、アズ」
「……世界の一部。人が……」
1人は全て。全ては1人。
どこかで聞いたことがあるような言葉。
「世界が混沌の影に呑まれるとき、世界は破滅へ向かう――の世界って、クリスタニウムの全ての生き物の事を指してるの?」
「ええ。しかし、混沌の影を呼び寄せてしまっているのはあくまでブレイクリスタルを使っているノワールです。そして、その根源も……」
「……ノワールの他にもまだ何かいるの?」
「この世界で誰よりも世界を呪い、誰よりも世界の破滅を願う者――真に世界を救うためには、その根源を断ち切らねばなりません」
……♪……♪……
「あ……この音」
「どうやら時間のようですね」
聞き覚えのある音色に体を起こすと、セピアノスも首をもたげて仰いだ。
「また会える?」
見上げて問い掛けると、セピアノスは大きく頷いた。
「夢の中でならいつでも会えます。……貴女と私は、一つの体を分かち合う共同体。またしばらく眠りにつきますが、私はいつでも貴女と共にあります。必要になれば、いつでも力を貸しましょう」
――また夢の中で会いましょう……アズ
…………
「ん……」
小さく呻いて、ゆっくりと目を開けた。何度か瞬きを繰り返し、アズはのそのそと上半身を起こす。
「アズ!もう体の具合は大丈夫です?」
横を見ると、サイドテーブルの椅子に腰かけて幻想の竪琴を具現化させているハンナが微笑んでアズを見ていた。
どうやらここは病室のようで、小さな個室にアズの寝ているシングルのベッドとサイドテーブル以外は何もない小さな個室だった。
「ハンナのハープのおかげですっかり元気!体ももう怠くないよ」
「よかったです!」
とても嬉しそうに笑って、ハンナは幻想の竪琴を自分の体に戻してアズのすぐ近くまで椅子を持ってきた。
「さっきまでクラウスくんも居たんですけど……仕事をするっていって任務に行ってしまいました」
「クラウスが?」
「はい。……わざわざ謝りに来てくれて」
目を伏せて、苦笑気味にハンナが言った。
「私がノワールに心を開かれてしまったのを、自分の失言のせいだ、すまなかった。って……。元々自分に自信がなかったから、クラウスくんのせいじゃないよって言っても、首を振るばかりで」
「……そっか」
頷いて、アズは俯いているハンナの顔を覗き込んで笑った。
「でももう大丈夫だよね。だって、本当のハンナの力は皆を癒すすごい力を持ってるってちゃんとわかったんだから!これからは自分に自信を持ってクリスタルマスターとして胸張って仕事できるもんね!」
「……はい!アズが私を信じてくれたから、助けてくれたから……私は私になれたんです。ありがとう、アズ」
「へへ、なんか照れちゃうな……」
まっすぐ見つめられてお礼を言われると、どうにもむず痒い。
けれど、それも悪くないと思えるのは、ハンナの笑顔が本当に心から笑えているからだとわかったからで、アズも嬉しくなって笑い返した。
上辺だけじゃない、本当のハンナの笑顔。それは、どんな感謝状や御礼金なんかよりも、アズにとってはずっとずっと価値のあるもの。
これが、世界を救うということ。
「おっ。目覚めたのか、アズ」
病室のスライドドアが開き、ゼノとアリスが揃って病室に入ってきた。
「ゼノ、アリス!来てくれたんですか?」
「ああ。たまたま通りがかったついでにね」
アズから向かって右側の窓際に回り込み、ベッドに腰掛けてゼノ。しかし、サイドテーブルに果物が入った籠を置いてハンナの隣に腰かけたアリスが意地悪い笑みを浮かべて、
「仕事中なんども抜け出してアズの病室を覗きに行ってた人がよく言うわね」
「えっ!?」
「……それを今ここで言うか?」
驚いて声を上げると、肩を落としてゼノが半眼でアリスを睨む。
「だって本当の事でしょう?素直じゃないんだから」
「こういう時はクールに決めるべきなんだよ、団長の立場からして!」
「心配してた、って言えばいいだけじゃない。皆そうなんだから。ね、ハンナ?」
「はい!」
女性同士で笑いあうところを見やり、ゼノは深々と溜息をついてからアズに笑いかけた。
「すごかったぞ?アズのクリスタル。まるで小さなセピアノスを見ているようだった」
「セピアノスをイメージしたんです。あの3対の翼にもそれぞれ役割を持たせて、用途に応じて臨機応変に戦えたらなって」
「アズが降りてきた時、空から天使が降りてきたと思いました!」
「そんな大げさな……」
苦笑して頬をぽりぽりと掻くと、「リンゴでいいかしら?」と果物ナイフを持っているアリスに問われ、笑顔で頷いて返した。
「あいにく副団長としての義務があったから指令室を離れるわけには行かなかったけれど、私もぜひこの目で見てみたかったわ」
シャリシャリととても綺麗にリンゴの皮を剥いているアリスの指の動きを観察しつつ、思い立ったことを言った。
「今ここで具現化しますか?」
「「「駄目!!」」」
瞬間、3人にすごい剣幕で止められた。ぎょっとしてベッドの上で縮こまると、3人はわたわたと、
「いくらセイレーンでも、初心者が連続でクリスタルを具現化させるもんじゃない!心と体にどれだけの負担がかかると思ってるんだ?」
「ましてやセピアノスの力が宿ったクリスタルなのよ?大きな力に心が潰されてしまったら生ける屍になってしまうわ!」
「そんなの嫌です!お願いだから無茶しないでください!」
「…………えっと」
ゼノとアリスは目を見開いてアズに詰め寄り、ハンナに至っては手で顔を覆い泣き出す始末。
……え、そんなにクリスタルって出しちゃいけないもんなの?
「全ての生き物がクリスタルを持っているにも関わらず、クリスタルを具現化してクリスタルマスターになれる人が少ない訳はそこにあるのよ」
「難しいってことですか?」
聞くと、ゼノが腕を組んで頷いた。
「ただ難しいだけじゃない。その人の素質も、クリスタルとの相性も関わってくるし、もっと言うと天性的なものもあると言っていい。もちろん後天性なものでクリスタルを具現化させる者がほとんどだが、生まれ持った才能を成長していく段階で心の中で育てなければならない。例で言うならクラウス、ハンナが天性的な才能の持ち主だ」
「ハンナ?」
ちらっとハンナを見ると、少しだけ頬を染めて「恥ずかしい話です……」と俯いた。
「生まれ持った才能は開花させなければ意味がない。ただの宝の持ち腐れになってしまう。心と体が成長していく過程の中で、その才能をどう芽生えさせるかがポイントになる。……ハンナの場合は、もっと早くに気を配っていてやれたら、と思うよ」
「そんな……私の心が弱かったから」
ふるふると頭を振って、ハンナがゼノを見た。しかし、ゼノは意味深な視線をアリスに送る。
「私たちが揃ってここに来たのは、アズのお見舞いだけじゃないのよ。ハンナ」
「え?」
きょとんとしてアリスを見るハンナに、彼女は可愛らしくウィンクをして見せた。
「貴方のその幻想の竪琴の力を見込んでお願い申し上げるわ。そのハープの音色で、セピア・ガーデンに訪れた人々や、任務に疲れて帰ってきたクリスタルマスター達の心を癒してあげられないかしら?」
「――!」
と、胸元から取り出された小さなクリスタルをチラつかせ、アリスが綺麗に笑った。
「貴女が作って貴女が奏でてくれた曲を録音させてほしいの。もちろん私お手製の録音機能満載のオリジナルクリスタルだから、貴女の力をそのまま反映させるためだけにちょっと改造はしてあるけれど。……どう?ぜひ力を貸してくれないかしら?」
「も、もちろんです!――いえ、むしろぜひ私にやらせてください!」
目を輝かせて勢い込むハンナを見て、アズとゼノは顔を合わせて笑いあった。まだ会って間もないが、あんなに嬉しそうに顔を輝かせているハンナを見るのは始めてだ。
本当は音楽をやりたくて仕方なかったんだな、と今になって思う。階段でぶつかった時に取り落としたあのたくさんの楽譜を思い出し、ハンナはとても音楽を愛しているのだと実感した。
これが、きっと彼女の本当にやりたい事だったんだろう。
「貴女ならそう言ってくれると思っていたわ。けれど、収録は後日にしましょう。貴女もまだ昨日の事件のせいで心が十分に回復出来ていないんだから」
「――え!?昨日?あたしそんなに寝てたんですか!?」
思わず素っ頓狂な声を上げて皆を見回すと、
「ん?まあ、丸1日寝てたな」
「ぐっすりだったわよね」
「とっても幸せそうな寝顔でした」
……あのまま眠りこけていたのか、あたし。
内心ぐったりしつつも体の調子もすっかり戻っているような気がした。ハンナのおかげで怠さもないし、気分的には絶好調だ。
「はい、リンゴどうぞ」
「あ、ありがとうございます!いただきまーす」
差し出された小さなお皿を受け取り、一口大に切り分けられたリンゴを爪楊枝で刺して一口。シャクシャクと噛みしめると何とも言えない甘味と酸味が口いっぱいに広がる。
「俺もー」
「アズに剥いたのに、ゼノったら」
顔を綻ばせていると、横からゼノの手が出てきてひょいとリンゴを摘まんで口の中へ。アリスが眉を寄せて不満そうに口を開いたが、アズは気にせずにこにこと笑って「あたしは気にしないですよ」と言った。
もぐもぐと口を動かしながらゼノがうんうんと頷き、
「ま、アズが元気になってよかったってことで一つ」
「意味が分からないわ」
げんなりと見返すアリスに笑いかけ、アズはサイドテーブルに乗っている籠からリンゴを一つ手に取り、
「ホント、すごく体の調子がいいんです。今ならこのリンゴも片手でぐしゃっと握りつぶせそうなくらい――「グシャッ!」――……」
「「「……」」」
何が起きたのか、一瞬分からなかった。
その場にいた全員で茫然とアズの手の中で無残にも握りつぶされてしまったリンゴを凝視していると、病室のスライドドアが開いてジークとウィルがひょこっと顔を覗かせて、
「アズが起きたって聞いた――ん、だけ……ど」
アズを見てジークが硬直。しかし、
「ああ、リンゴを片手で握り潰せるくらい元気になったんだね、アズ。よかった」
なぜか朗らかに優しく笑うウィルを全員で見つめ、いや、そこ違うだろ、と内心で突っ込むのだった。
アズがリンゴを握り潰すという構図が書きたくてダラダラと書き綴っていたら、だいぶ時間がかかってしまいました……。
握力いくつあればリンゴを片手でぐしゃっと出来るんですかねぇ……ちょっと夢ですよね、ぐしゃってやるの(ぇ