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クリスタル・クロニクル  作者: 氷柱
13/48

11 シャドウ

 先ほどの放送があってから、ガーデン内にはけたたましい警報音が鳴り響いていた。階段を下りながらちらりとエントランスを見ると、全員が広いエントランスの中央にどんどん集まっている。


「今から結界を展開します!この結界は人族や獣人族、獣族であれば展開していても出入りは出来ますので落ち着いて集まってください!」


 受付をしていた黄色い制服を着た人たちが一般人の人に呼び掛けている。よく見ると手になにかクリスタルのような物を掲げており、数十人ずつの間隔で一般人の周りに一人ずつ立っている。

 全員が手に持っているクリスタルを頭上に掲げると足元から光が迸り、人と人を繋ぐように繋がって光の円を描いていく。そしてそのまま円が浮かび上がり、一瞬にして複雑な細かい模様が刻み込まれ、ドーム型に膨れ上がって優しい光と共に人々を包み込む。


 もうこの世界にも慣れたつもりでいたが、あまりにもアズにとっては非現実的なことが起こったのでエントランスに気を取られてしまい、目の前をしっかり見ていなかったアズがはっと我に返った時には遅かった。


「「きゃあっ!」」


 どんっ!と鈍い音がぶつかり合い、アズは反動で後ろに倒れそうになった。しかし持ち前の運動神経の良さと鋭い反射神経のおかげでとっさに手すりを掴んで難を逃れ、ぶつかってしまった相手の腕もがっしりと掴んでどうにか持ちこたえる。しかし、何か紙の束のような物がバサバサと階段と床一面に散らばってしまった。


 ぶつかってしまった相手は無事だったので、とりあえずは安堵して深く息を吐き出した。


「すみません、前を見ていなくて……大丈夫ですか?」


 腕を掴んだまま尋ねると、相手の少女はぽかんとした表情のままずれていた眼鏡をくいっと上げてゆっくりと体勢を戻した。見たところアズと近い年齢だろうか、ゆるゆると癖のある長い髪を後ろで束ね、襟足をサイドにほんの少し残して前に流している。とても大人びた雰囲気を持つ少女だった。


「こ、こちらこそすみませんでした……。とてもすごい反射神経をお持ちなんですね」


 もう一度眼鏡をくいっと直し、少女はまだ驚いた表情のまま口を開く。アズはつい照れて頭を掻いた。


「運動神経と反射神経いいことだけが取り柄なもんで……」


 と言っている最中に先ほどぶつかったときに散らばってしまった大量の紙が目に入り、アズは「あーっ!」と悲鳴を上げた。


「す、すみません!紙こんなになっちゃって……!」


「え?あ。大丈夫ですよ!」


 慌てて屈み、階段に散乱している紙を拾うと、少女も床に散らばっている紙を拾い始める。表になっている紙に記されたものを見て、アズは首をかしげた。


「これ……楽譜?」


「そうです、楽譜なんです」


 アズは音楽があまり、というか全くの不得意で、音符も記号もろくに読めない。低音の「ド」はおたまじゃくし(とユズの前で言ったら爆笑されてしまった)に横に一本線が入っているので分かるのだが、他の音は全然わからなかった。

 そんな音符がこれでもかというほどびっしりと記された楽譜を全部広い終え、少女に差し出した。


「音楽をやっている人なんですか?」


「趣味で……ちょっと。あ、申し遅れました。私はハンナ・ディオールと言います」


 はにかみながら、ハンナは頭を下げた。


 音楽のことで悩みでもあるのだろうか、ハンナがとても寂しそうな顔をしたのをアズは見逃さなかった。それがなぜか心に引っ掛かる。


「……あたしはアズ・キサラギです。一応クリスタルマスターなんですけど、色々あって避難する途中で……」


 と言ったところで、ハンナが大事そうに胸に抱えている楽譜を持った手が目に入る。その左手の中指に光る指輪を見つけて瞬きをした。


「あ……」


 ハンナもアズの言いたい事に気がついたのか、左手を動かして苦笑した。


「私も一応クリスタルマスターなんです。……とは言っても、何の役にも立たない落ちこぼれなんですけど」


「落ちこぼれ……?」


 言っている意味がよくわからなくて首を傾げると、「そこのお2人!早くこちらへ!」という男性の声。暗い表情で項垂れていたハンナの手を掴み、アズは結界へと連れて行った。


「えっ……あの、アズ?」


「一緒だね」


「え?」


「あたしも落ちこぼれなんだ。得意なのは体を動かすことだけ。それ以外は得意じゃないし、出来ないこともいっぱい。クリスタルも出せないし、皆に迷惑かけるだけ。――あたしたち、一緒だね」


 肩越しに振り返ってにこっと笑うと、手を引かれるままだったハンナはぽかんとした表情になる。


「今はとりあえず避難しよ?それからでもいいでしょ?」


 にこっと笑うと、暗い表情だったハンナの顔に少しだけ明るさが戻ってきた。






**






「くっそ、一体どこに……!」


 長い廊下をひたすら走りながらゼノは舌打ちをして辺りを見回す。緊急事態の警報が鳴り続けてもう5分以上経つ。早く見つけなければ。


「逃げ足の速い奴め」


 罵った所で耳元にある無線機が鳴り、ゼノは「見つかったか?」と鋭く尋ねた。


『いいえ。残念ながら見つかってはいないわ。それに、シャドウが次から次へと湧いて出てきてあちこちで乱闘騒ぎよ』


「早く媒体を見つけないと洒落にならねえな、こりゃ……」


 世界一安全であるはずこのセピア・ガーデンにシャドウが現れるなんて、世界の不信感を煽ってしまうだけじゃなく一般人を巻き込んでしまってはクリスタルマスターの名折れだ。なんとしてでも見つけ出さなければ。


『媒体もいいけれど、その大元も見つけて懲らしめてくれないと困る――きゃあっ!』


「アリス!?」


 無線機の向こうでアリスの悲鳴が起こり、ゼノは足を止めて耳に無線機を押し付けた。


「おい!アリス!」


『だ……大丈夫よ、こっちには手練れのクリスタルマスターが居るから。急に飛びついてくるから驚いちゃっただけ』


「……頼むから驚かせんなよ」


『あら、心配してくれてるの?嬉しいけれど、私の心配なんていいから早く媒体とノワールを見つけて欲しいわね』


「分かってる。……けど、これだけのシャドウがいるってことは、もしかしたら媒体もそれなりにいるのかもしれないな」


『……可能性としては大きいけれど、それだったらすぐにでも見つかるはずでしょう?』


「そうなんだが……どうもシャドウたちの動きが読めなくてな。何を命令されたのかは知らないが、目的を持って動いてるようには見えない」


『……あるいは、目的を見失っている、とかね』


 アリスの意味深な言葉にゼノは眉をひそめ、視線を床に落とす。


 もしかしたら、と嫌な予感がよぎった。






**






「ええっ!?シャドウを知らないんですか!?」


 結界の境界線ギリギリに2人で立って数分が過ぎた。周りの人々が怯えたような表情で囁きあう度に聞き取れる「シャドウ」という名前についてハンナに尋ねると、信じられないというような反応が返ってきた。


「うん、詳しくは知らない」


「信じられません……」


 信じられないと言われても、知らないものは知らない。アズはちょっとだけムキになり、頬を膨らませた。


「シャドウってことは影なんでしょ?それくらいわかるよ」


「え、まあ、影と言えば影なんですけど……なんの影かまでは知らないと?」


「……うん、まあ」


 言われて俯く。するとハンナが慌てたように「すみません」と謝った。


「知らないものは知りませんよね。どういう所で暮らしていたかはわかりませんが、きっとシャドウなんて現れないような人族が集まる街だったんでしょうね」


 羨ましいです、と、ハンナはとても悲しそうな顔をする。


「えっと、シャドウはですね、人の心の闇から生み出される、闇が具現化した存在なんです」


「闇?」


「はい。喜怒哀楽に例えるなら、負の感情、と言えます。怒り、悲しみ、憎しみ、嫉妬……そんな負の感情が人の心の中で大きくなっていくと、その人の心のクリスタルに大きな隙間が生まれてしまうんです。そのままではシャドウが生まれるなんて事にはならないんですけど、その人の心に付け込んで心の隙間を無理やり押し開ける人たちがいるせいで、そこから闇が溢れだしてシャドウになってしまうんです」


 そこまで聞いて、ふと思い当たる名前が出てくる。

 シャドウと同じく、ゼノの口から聞いた名前――。


「……ノワール?」


「あ、知ってるんですか?」


「名前だけ……どういう人たちなのかわかんなくって」


 首を振って答えると、ハンナは「もちろん悪い人たちですよ」と怒った表情になる。


「ノワールは、自分たちの心のクリスタル以外にも、異例に所持しているある特殊なクリスタルを持っているんです。それはブレイクリスタルと言って、人の心に直接干渉出来るという、使い方によってはとても恐ろしい力を秘めたクリスタルです」


 そしてもちろん、ノワールはその力を悪用しているのだとハンナは言った。


「ブレイクリスタルの力を使って、心に隙間が開いている人に言葉巧みに囁きかけ、その人の心を無防備にします。そしてその隙間を無理やりこじ開け、そこからシャドウを生み出すんです」


「一体なんのために?」


「――このクリスタニウムを壊すために、らしいです」


 ハンナが声を潜めて囁くように言った。


 何もかもセピアノスの言っていた通りだった。

 セピアノスが言っていた「混沌の影」がそのシャドウで、溢れださないようにするためにクリスタルマスターがいる。シャドウを放っておけば増え続け、溢れ返って世界が崩壊する――。


 そこまではわかるのだが、どうも「溢れかえる」の意味を理解するのに苦しむ。どこからどこまでが「溢れて」しまうのか、臨界点はどこなのか。


 ハンナに聞いてみても、困惑した顔で首を振られただけだった。


「それは……考えたこともないです。ただシャドウが世界に溢れれば、よくないことが起こるとしか」


「そっか……。じゃあさ、そのシャドウを出している人を見つけてどうにかすればシャドウは消えるの?」


「はい。ノワールに心を開かれてしまった人達を「媒体」と言い、クリスタルマスターの力でその媒体の心の隙間を閉じることが出来ます。そうして初めてシャドウを倒せることになります。いくらシャドウ単体を攻撃して消滅させても、シャドウが溢れている元をどうにかしないと……」


「なるほど。うん、理屈は分かったよ。要は、今このガーデン内にノワールとその媒体がいるってことだよね?」


「そうなります……。けど、実はそれが一番問題なんです」


「?」


「今このガーデン内にノワールがいること自体おかしいんです。このセピア・ガーデンの周りには特殊な結界が張られていまして、ブレイクリスタルを持つノワールやシャドウは絶対に入れない仕組みになっています。……それなのに、一体どこから」


「……」


 腕を組んで考えるハンナを見ていられず、アズは思わず目を逸らした。


 思い当たる節があったからだ。


「きっと今頃みんなでノワールを探していると思うのですが……」


「――!」


 目を逸らしたその先に何か見えたような気がして、アズは目を見開いた。ここからまっすぐ見える、壁と螺旋階段の下の方……。






 日の光の届かないその暗く沈んだ陰に紛れるように、ゆっくりと床から這い出てくる真っ赤な二つの小さな光が、はっきりと見えた。






「……アズ?どうしたんです?」


 アズの様子がおかしいことに気付いたのか、ハンナが首を傾げてアズの見ている方に振り向いた途端、耳を塞ぎたくなるような甲高い女性の悲鳴がエントランスに響き渡った。


「しゃ……シャドウだ!シャドウが来たぞ!」


 1人の男性が叫ぶと、それに呼応するかのようにどよめきと悲鳴が次々に巻き起こる。みんながシャドウから少しでも離れようと一斉に反対側へ詰め寄り、「痛い!」とか「押さないで!」という悲鳴がいくつも上がった。


「……っ」


 ぞわりぞわりと床から這いだしてくるシャドウは、本当に「影」だった。

 人の形をしているようにも見えるが、それは到底人とは程遠い姿をしている。身長はアズよりも低いが、腕と見て取れる部分は恐ろしく長い。頭部はとても小さく、目はなく赤い2つの光がぼんやりと光っている。床に垂れ下がった腕を引きずりながら歩いてくる姿はホラー映画よりもリアルでとても気味が悪い。

 体もうっすらと透けて見えるが、やはり影。向こう側の景色をそのままに、日にあたると余計に薄くなって見える。それでも赤く輝く目の光だけは妙に爛々としており、それがまた背筋を凍らせる。


「おかしいです……どうして襲ってこないの?」


「え?」


 悪寒を押さえながら聞き返すと、ハンナはシャドウを指差す。


「シャドウは媒体の想いによって動く影です。心を無理やり開かれてしまった媒体は自我を失ってノワールの操り人形になり、ノワールに命令されたことをそのままシャドウに伝え、シャドウはそれに従って動くものなんですけど……今のシャドウは、なんだか動きが鈍いというか、何かを探しているというか……」


「探している……って――」


 そこまで口に出して、アズはハンナからゆっくりとシャドウへ視線を向ける。




 たぶん、シャドウが探しているのは「セイレーン」だ。

 今この騒ぎを起こしている張本人であるノワールは、海の上でヴェールの尾によって叩き落とされたあの男の人で、その人は尋問をするために今セピア・ガーデンに連れて来られているはず。


「……逃げたんだ」


 ぼそりと呟いて、ゼノとアリスが指令室に呼ばれた理由がようやくわかった。


 ノワールの男はアズを「セイレーン」だと思っている。それは間違っていないが、今のアズは「セイレーン」としての力を発揮できていない普通の人間だ。恐らく相手はそれを知らず、「セイレーン」としてのアズを探すようシャドウに命令をしたに違いない。


 そしているはずのないセイレーンを探して、シャドウは見つけることができずにああして彷徨っている。


「(ああ、これって結構まずいんじゃないのかな……)」


 ゆっくりと、しかし確実に歩み寄ってくるシャドウと真っ向から対峙して、アズは引きつった笑みを浮かべた。


 何がまずいかって、なんだか先ほどから胸のあたりがじんわりと熱を持ち始めているのだ。これはセピアノスの精神がアズの中に入ってきた、あの温かさと全く同じもの。


 ……あれだけ助けを求めた時には一切無反応だったのに、今になって覚醒を始めたのか。アズの心臓は耳元に聞こえるくらい大きく脈打っていて、次第に息が荒くなる。じわじわと胸が熱くなる。



 ――……アズ



 セピアノスの声が聞こえた瞬間胸がカッと熱くなり、それと同時にふらふらと歩いていたシャドウがびくっと体を強張らせる。驚いて目を見開くと、シャドウの口と思しき場所に亀裂が入り、目と同じ真っ赤な色をした口腔をがばあっと開け、


「キキャアアアァァァァァァッ!」


 金属と金属をこすり合わせたような悪寒の走る鳴き声を上げ、一気に飛びかかってきた。



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