9 世界の事情
どうやらクリスタルは、この世界ではとても一般的に使用されているようで、アズの世界でいう「電気」と同じ役割を果たしているようだった。
アリスの話によれば、クリスタルは人の心から抽出されるものだけではなく、自然発生した天然のクリスタル「ピュアクリスタル」という秘石があるらしく、発生する場所によってそれぞれ秘められた力が違うのだそうだ。
例えば、アズが最初に見つけた噴水に取り付けられた水の湧き出るクリスタル。あれが俗に言う「ピュアクリスタル」というもので、川の深い所や湖、滝壺なんかに水草のように密生してひっそりと生えているのだそうだ。それを採取して、アリス達クリスタルエンジニアらが加工を施して噴水や貯水タンクの中に組み込む。そうすることで、このセピア・ガーデンのように浮島で水の手に入りにくい場所でも、安心して生活していけるのだった。
電気がなければ明かりもつかない、テレビも見れない、料理も作れない、と何も出来ないのと同じように、この世界の人々もクリスタルがない生活なんて考えられない、ということだった。
「街灯や室内の照明や何かは雷の発生しやすい場所に生えるライトクリスタル。ガスや火を起こすファイオクリスタルは熱い砂漠とかに。水を湧きあがらせるアクアクリスタルは、まあ、さっき言った通りの場所に生えるわ。他にも色々あるのだけれど、今挙げた3つのクリスタルがあれば地上で十分生活していけるわね」
食べ物の確保は保証できないけれど、とアリスはウィンクした。
人の手の届く所にあるピュアクリスタルは採取を繰り返すせいで純度が低いものばかりで、加工しないと使えないものがほとんどのようだ。加工なしで力を発揮できるほど高純度のピュアクリスタルが欲しければ、命をかけて竜族や獣族のテリトリー内に入らなければならない。……だが、一般人の生きて帰れる確率はほぼ皆無に等しいらしい。
「ま、それは一般人だったら。の話なんだけどな。俺たちクリスタルマスターだとか、クリスタル採取を目的として仕事してる獣人族とかになると話は別だ」
「獣人族」。また新しい言葉が出てきて、アズは「異世界っぽい!ファンタジーの世界だ!」と1人ではしゃいでいた。
ゼノ曰く、この世界には主にアズたち「人族」と「竜族」、そして少ない割合で「獣族」と「獣人族」に分類されるという。もちろん他の部族もいるらしいのだが、それは滅多に姿を現さないので一括りにはせず呼称で呼んでいるものがほとんどだそう。
「獣族」と「獣人族」は名前が似ていてややこしいと思いきや、名前の通りにまったく別の生き物に分類されている。
「獣族」は知能が高く、独立した個々の文化を持つ頭のいい獣たち。アズの世界に例えるなら、狼やらライオンなんかを指す。つまり普通の動物たちだ(とは表現するものの、アズの世界でいう「普通」とはまた少し微妙に違う姿をしていたり、まったく見たことのない姿をしていたりする)。
そして「獣人族」は、人と獣が合わさった姿をしているのが最大の特徴。人の姿に近いのに、頭に猫の耳が、お尻に尻尾が生えている、いわゆる動物の擬人化と言われている姿だったり、見た目も顔も狼なのに、人のように二足歩行で歩いて人の服を着て人の言葉を話す驚くような姿だったりと様々。
まさに異世界!まさにファンタジー!……な世界だった。
「アリスさんがまだ見たことない部族っているんですか?」
と聞いた瞬間におでこに不意打ちのデコピンを食らい、「あうっ」と悲鳴を上げておでこを押さえた。
「さん付けはやめて頂戴。なんだか背中がむずむずするのよね」
おでこをさすりながら「す、すみません」と謝ると、アリスは笑ってくれた。
「私がまだ見たことのない部族は……そうね、エルフはまだ一度も見たことがないの」
「エルフ!?妖精ですか!」
驚いて聞くと、「そう、妖精」と頷くアリス。……なんでもいるなぁ、この世界って。
「一括りにエルフって言っても、いろんな種類がいるらしいの。けれど、人の愚かな行いに見切って姿を消して以来、人前に姿を現さなくなったと言われているわ」
「愚かな……行為?」
「戦争とか争いとか、同じ部族で何度も傷つけあって、殺しあって……エルフが呆れるのも無理はないわね」
そう言って、アリスは自嘲気味に笑った。
**
「ここがエントランス。唯一、一般人の立ち入りが許可されているフロアよ」
そう言って案内されたのは、白く大きな神殿の中にあるとても広いフロアだった。真っ白な大理石が床一面に広がり、目の前にフロントのようなカウンターがあり、そこに黄色い制服を着た男女がたくさんの人を相手に受け答えをしている。
そのフロントの両脇に、緩やかな螺旋を描いて2階、3階、4階と階段が続き、上を見上げれば上段はすべて吹き抜けになっていた。天井はガラス張りで、空がより近く感じられる。太陽の光もたくさん注ぎ込み、室内だというのにそこら辺に鉢植えや花瓶が置かれ、そして太い柱に絡み付くようにして、樹が太陽を目指してたくさんの葉を広げている。
人々のざわめきに心踊らせつつ、ゼノとアリスから離れないように気を付けながら後をついていく。目に入る人すべてが人族で、獣人族は見当たらない。
――と、思っていたその時だった。
「あー、いたいた。だーんちょー!」
向こうからハツラツとした声と共に、ぱたぱたと駆け寄ってくる足音。2人の影からひょこっと顔を出して覗いて、アズは自分の目を疑った。
「ユリア。今日もお仕事お疲れさん」
立ち止ったゼノの元に走ってきたのは、アズが探していた獣人族の女の子だった。――しかも、アズの世界でも有名なあの猫耳娘。跳ね癖のある髪に埋もれるように上部左右にぴょこんと生えた三毛の三角耳に、瞳孔が縦に割れた猫のような切れ目。両頬から伸びる計6本の髭と猫みたいな逆三角の小さな鼻に、お尻から突き出てふらふらと動き回るふわふわの尻尾……。
本物の猫娘キター!!
アズは興奮のあまり、胸中で叫びまくっていた。
「お世話様~。ほい、団長にリノ婆からラブレターさ」
ユリアと呼ばれた三毛猫娘は肩から斜めに下げている赤い鞄から1枚の手紙を取り出し、ゼノに手渡した。
「げ。婆さんかよ。たまには顔出せって?」
「さあね~。あたいは手紙と荷物を運ぶだけが仕事だから。受け取りのハンコちょうだい」
にこっと笑うと犬歯が露わになって、そこがまた猫らしかった。
「彼女はユリア。セピア・ガーデンで配達員をしているの」
ふむふむとアリスの説明に頷いていると、ふいにユリアと目が合う。途端に彼女の縦長の瞳孔がきゅっと細くなった。
「んな?もしかして新メンバー?」
とたとたと小走りで近寄ってきて、ぐいっと顔を近づけてくる。あまりの急接近に内心たじろぎながらも「アズです、よろしくお願いします」と笑って見せた。
「あたい、獣人族猫科のユリアさ。ふ~ん、アズってゆうの。ま、あたい人族じゃないけど仲良くしてよ」
そう言って、ユリアは屈託のない笑みを浮かべて手を差し出してきた。
「もちろん!あたしの方こそよろしくね、ユリア」
手を握り返すと、ユリアはなぜか驚いたような顔をする。アズが不思議に思って首をかしげると、ユリアは「アズって変わってんね~」とまた笑う。
変わってる?あたしが?
「普通の人族は、あたいら獣人族となんて握手したがらないもんさ。ま、あたいは特に気にしないけど、アズは獣人族平気なんだ?」
「平気とかっていうか……会うの初めてだし」
「またまた~。アズは冗談が下手だな」
ケタケタと可笑しそうに笑うユリアを困ったように見て、ゼノになんとなく視線を向ける。先ほどのようにアズの正体を明かしてしまえばこの場が大混乱になることは目に見えているからだ。
するとゼノはそれに察してくれたようで、ユリアの額を指で突いて話を逸らしてくれた。
「ほら、いつまで仕事サボってんだ。まだ渡しに行く手紙も荷物もあるんだろ?」
「んなっ。サボってないわ!これは立ち話!まったく失礼な……」
突かれた額を押さえ頬を膨らませてユリアが踵を返すと、ぶんぶんと上下に激しく揺れる尻尾が目に入る。
確か猫が怒った時の動作だったような……と、アズは思わず笑ってしまった。
「んじゃまたね、アズ。こんどはヘタレ団長がいない時ね」
「うん!またね、ユリア」
互いに手を振って挨拶を交わしあう後ろで「え、ヘタレって俺のこと?」とアリスに聞いているゼノの声が聞こえた。
**
階段を上りながら、ふとユリアの言っていた言葉を思い出し、アズは先に上っているアリスに話しかけた。
「あの、さっきユリアが言ってたことって……本当なんですか?」
「え?――ああ、あの事?」
アリスは思い出したように頷き、アズの隣に並んで小さな声で話してくれた。
「人族と見た目が違ってしまうだけで謂れのない差別を受けたり、偏見のせいで獣人族と関わりあいたくないと思う人はたくさんいるわ。……というか、その割合がほとんどと言ってしまえるのだけど」
アリスは深く溜息をつき、「酷い世の中よね……」と悲しい顔をした。
見た目が違うだけで獣人族を差別し、対等な立場として扱わないというのがこの世界の姿だとアリスは言った。それはアズの世界と何も変わらない、酷く醜い人の偏見が生み出した差別の世界だった。
現実世界も、この異世界も……世界は隔たれているけれど、内面は何も違いはないのだと思うと、アズは無償に切なくなった。
「ユリアは本当にいい子だし、とても仕事に熱心で積極的よ。セピア・ガーデンの中では差別をするような心の狭い人はいないから、あの子やほかの獣人族の子達はとても可愛がられているわ。きちんと向き合って接している私たちだからこそ、あの子たちのいいところをたくさん見出せるの。……傍にいて初めて解ることばかりだわ」
「……」
それを理解できない人族で溢れているこの世界で、彼らはどんな気持ちで日々を生きているのだろうか。アズにはわからなかったが、ユリアのあの笑顔を思い出すたびに、ここでの暮らしは彼女にとってとても幸せなものなんだろうと思えた。
――そう、思いたかった。
「……アズ?」
気遣わしげにアリスに名前を呼ばれたその時、上の階からバタバタと慌ただしく降りてくる足音が聞こえてきた。何事かと顔を上げたアズの視界に飛び込んできたのは黒い制服を着た若い男性で、ゼノとアリスを見て「み、見つけた……!」と息を切らせて近寄ってきた。
「団長、副団長……やっと見つけましたよ」
「どうした、何事だ?」
ただ事ではない雰囲気を察したゼノが口を開くと、男性は耳元に手をやって何度か頷き、
「申し訳ありません、少々問題が発生致しまして……至急指令室までお越しいただけますか?」
ゼノとアリスは互いに頷きあい、アリスはアズに向き直って困った顔をした。
「ごめんなさいアズ。私たち急用が入ってしまって……」
「あ、あたしは大丈夫です!2人の用が終わるまで1人で待ってられますし……」
慌てて手を振ると、先にいたゼノが階段を下ってアズの前に立ち、アズの左手を取った。
「?」
「本当はもう少し後に渡す予定だったんだけど、まあ急用が入ったからな」
そう言って、アズの左手中指に金色に輝く綺麗な指輪を嵌めてくれた。青く澄んだサファイアのような石が埋め込まれた、細かい模様がたくさん入っているとても美しい装飾が施されている指輪だった。
「これはセピア・ガーデンのクリスタルマスターの証だ。ガーデン内の全フロアを歩くためにはこれが必要になるし、身分証明書の役割も果たす。だから肌身離さず付けているように。分かったか?」
「あ……はい、ありがとうございます」
アズが頷くと、「たぶん1時間くらいかかるから、その間に好きなように探索してみな」と言われた。
「ごめんなさいね、アズ。また後で会いましょう」
「はい。いってらっしゃい」
頬を撫でられ、くすぐったい思いで首をすくめる。2人は男性の後について階段を上がって行き、アズは見えなくなるまでその場に立って2人を見送った。
……さて、どうしようか。
好きなように探索してみな、と言うことは、要は色んな所に言ってもいいと言うことだ。
指輪を嵌めていれば一般人の入れない所にも行けるということでアズの心は高鳴り、わくわくとした思いで階段を上り始める。
やっぱりここは2階から順に見て回ろう。1時間でガーデン内をすべて見て回ることはできないだろうけど、時間の許す限り歩き回ってみるのもいいかも。
うきうきとした足取りで階段を上っていると、突然エントランスから女性の黄色い悲鳴が聞こえた。
「わっ……何?」
驚いて手すりから落ちないように身を乗り出して覗いてみると、アズが通ってきた玄関口から現れた3人の姿が目に入る。エントランスにいた人々がその3人の前に道を作る所を見ると、一般人でないことがわかる。
「男の人?」
ここからだと顔がよく見えないが、輪郭や格好からして3人とも男性だと分かる。相当の外観をしているのか、一般女性からの黄色い悲鳴は止まない。それどころか崇拝する溜息すら聞き取れる。
……一体何者?
アズは階段の上からエントランスを見下ろしたまま、興味津々に3人の行方を目で追うのだった。