8 クリスタル
「この世界に生きるすべての生き物は、皆自分の中に自分だけの心のクリスタルを持っているの」
静かに話すアリスの横顔を見ながら、アズは無意識に自分の胸に手を持って行った。
「生まれてから死んでしまうまで、人は生涯ずっとクリスタルと共に人生を歩んでいく。良いことも悪いことも、すべてクリスタルは思い出としてその身に様々な情報を刻んでいく。……良いことも、悪いことも、すべてね……」
そう言うと、アリスは両手を自分の胸にそっと添え、続けた。
「良くも悪くも、強い心の持ち主だけが、こうして心から想いを抽出してクリスタルとして具現化させることができる」
と、突然アリスの胸から柔らかな光が溢れだし、アズは目を見開いた。アリスの差し出された両手のひらの上に青く透き通った拳大ほどの大きさのクリスタルが浮かび、ゆっくりと回りながら光り輝いている。
「……信じられない」
「こうしてクリスタルとして取り出し、何らかの形状に出来る人の事を一般にクリスタルマスターと呼んでいるわ」
アリスのクリスタルをまじまじと凝視して、あることに思い当たってゼノを振り仰ぐ。
「じゃあ、ゼノさんのさっきの弓……あれもクリスタルなんですか?」
「うん、ご名答」
あの青く輝く美しい弓はゼノの心のクリスタルだった。……アリスのクリスタルを見つめたまま、アズは尋ねてみた。
「あたしも……クリスタルを出せますか?」
「それは貴女次第ね、アズ」
きっぱりと切り返され、アズは思わず「うっ」と言葉に詰まってしまう。てっきり「大丈夫よ」と言ってくれるものだとばかり思っていたのに。
「……とは言っても、セピアノスが選んでこの世界に連れてきた勇者様だもの。その点は大丈夫だと思うのだけれど」
「ま、何事も心の持ちようだな。いい方に考えれば、自ずと自分の本当の力を引き出せる時が来る」
「……そんなもんなんですか?」
「そんなものよ。誰だって、自分に秘められた本当の力に気づかないものだもの。今はまだ、焦らずにゆっくり行きましょう?」
ね?と首を傾げられ、アズは自分の膝頭に視線を落として「はい……」と呟いた。
あれだけ「勇者様」だの「救世主」だの「セイレーン」だの言われた後だというのに、もしアズが自分のクリスタルの事すら知らなくて何もできないただの16歳の女の子だと知ったら、きっと皆は落胆するに違いない。
……そこまで考えてから、あ、そういえば。と顔を上げた。
「さっきから気になってたんですけど、セイレーンてなんですか?ここに来る前から気になってたんですけど」
ゼノに会ったときも、このセピア・ガーデンに来たときも、会う人会う人全員に言われた「セイレーン」。名前のようにも聞き取れるが……。
すると、出したときと同じようにクリスタルを胸の中に戻していたアリスが思い出したように「気になるわよね」と頷いた。
「セイレーンは、この世界で「聖なる女神」を意味する言葉であり、セピアノスと共にこの世界を救う救世主の呼び名でもある意味の深い名前なのよ。もちろん、貴女がそのセイレーンなんだけど」
「せ……聖なる女神だなんて大げさな。あたしは運動が得意なだけの、ただの女子高生です……」
恥ずかしさのあまりに頬を染めて顔の前で手を振ると、アリスとゼノがさも楽しそうに声を上げて笑った。
「ホント、貴女を見たときはびっくりしたわ。「まさかセイレーンがこんな幼い少女だなんてっ……」って。でも喜びの感情の方が何よりも強かったから、思わず抱きしめちゃったの。……プレッシャーをかけてしまったらごめんなさいね?」
「もう十分かかってます……。どうしよう、あたしこのままクリスタルも出せなかったら、世界を救うどころか何も出来ないです……」
「アズがそんなんじゃ出るもんも出ないな」
よっこらしょっ、と弾みをつけてゼノが立ち上がり、腕を上げて大きく伸びをした。柔らかな風がゼノの髪を撫で、サラサラとそよ風に舞う。
「クリスタルってのは、人の心そのものだ。想い方1つで善にもなるし、悪にもなる。自分の事が分からなくなって自分自身を見失うと、クリスタルはその輝きを徐々に失っていく」
ゼノの足元に黄色の小さなボールがコロコロと転がってきた。「あ、団長だー!ボールとってー!」と、遠くで2人の小さな男の子が手を振っている。
「難しく考えるから心は迷う」
アズとアリスが見守る中、ゼノは腰をかがめてひょいっとボールを拾い、大きく振りかぶった。
「難しく考えない単純でまっすぐな奴だけが、クリスタルの本当の力を引き出せる」
ぶんっ!と投げたボールは綺麗な弧を描いて、まっすぐ子供たちの方へと飛んでいく。風に翻弄されることなく、まっすぐ、まっすぐに……。
「あ」
両手を上げてスタンバイしていた男の子たちの頭上をあっさりと通り越し、ボールは少し離れた場所にテンテンと転がって行ってしまった。
「もー、強く投げすぎー!」
「団長下手っぴー!」
「やー、悪い!ごめんなー!」
ボールを追いかけながら男の子たち。ゼノは笑って謝っていた。
「――俺の言いたい事、わかったか?」
手を払いながら戻ってきたゼノに問われ、アズは顎に手をやって数秒考えてから、首をかしげて答えた。
「……単純に考えろ。って事ですか?」
「そ。世界を救える、救ってみせる!……とか勢い込めば、アズの心はできる!って思いこむ。それが大事」
「……まあ、例えはめちゃくちゃだけど、いい線いってるわね」
アリスが頷くと、ゼノは「だろ?」と子供のように笑った。
「自分に自信を持つのよ、アズ。貴女はセピアノスに選ばれて、セイレーンで、そしてこの世界の救世主。確かに世界の行く末を担っていると考えると気持ちが重くなるだろうけど、でもそれって、逆に言えば貴女にしか出来ないことなの。他の誰でもない、貴女1人にしか出来ないこと。……それって、とてもすごいことだと思わない?」
「あたしにしか出来ないこと……?」
「そう、貴女にしか出来ないこと。貴女の代わりなんていないわ。この世界は貴女を必要としているの」
「……っ」
「必要としている」……アズの心に、じんわりとしたものが湧きあがってくる。
「あたし……なんだか出来るような気がしてきました」
真剣な表情でアリスとゼノを見上げると、2人は顔を見合わせてから満面の笑みで頷いてくれた。
「その調子よ、アズ!」
「君がその想いを強く望んだとき、クリスタルは必ず答えてくれる。心ってのはそういうもんだよ」
「はい!」
自分がセピアノスに選ばれた事には、絶対意味がある。出来ないと思ってしまえば、それは現実になってしまう。
心の在り方で力が手に入るというのなら、アズは単純でもお人好しだと言われても構わない。
――あたしにしか出来ないなら、あたしは絶対に世界を救えるんだ!
想うことが力になるこの世界で自分を信じられないようでは世界なんて救えっこない。
思い込むだけでも、何も考えないよりはマシだ。自分の心にそう言い聞かせ、アズは自分の胸の前で拳を強く握りしめた。