■ シーン8
何度も浅い夢を見ながら、やがて頬に差す金色の光に薄く目を開けると
窓の外に高いビルが流れるように見えた。
卓也はあくびをしながら目をこすると、今度は大きく目を見開き
都会の景色に見入った。
「東京に着いたんや。ほんまに・・・・」
京都の街ではお目にかかれない、摩天楼と呼ぶにふさわしい高層ビルの谷間から
朝日が輝きをまして、昇り行く様を見つめる卓也は
高鳴る胸の鼓動を感じながら眺め続けた。
目覚める前の摩天楼の街は卓也が想像していたよりも美しかった。
「やっぱデカイよなあ。東京って」
思わず口からこぼれる言葉。
6時を過ぎる頃から車内アナウンスが流れ、まわりの乗客もざわめき始めると
卓也の胸はさらに高鳴った。
これからこの街で新しい生活が始まる。
どんな毎日が待ち受けているのだろうか。
そう思うといてもたってもいられなかった。
不安がないわけではなかったが、今の卓也には期待の方が大きかった。
まばゆいほどの朝日を眺めながら、絶対この街で、音楽で生きていこう。
必ず成功してやるんだと改めて卓也は心に誓った。
やがて最終停留所の東京駅にバスが着くと、卓也は勇んでバスを降りた。
東京とは言え、朝の空気は幾分か澄んでいるような気がする。
初めての東京の空気を胸いっぱいに吸い込んで、卓也は第一歩を踏み出した。
まだ朝早い東京駅は人影もまばらで閑散としている。
京都の何倍もの人波を想像していた卓也には少し物足りなかったが
見るものすべてが全部“東京”なのだと思うと無性に嬉しく感じた。
とりあえず駅のトイレで顔を洗い、腹ごしらえのための店を探すことにする。
運よく見つけた喫茶店でモーニングセットを頼むと、
卓也は携帯電話を取り出し篠崎の電話番号を呼び出した。
時間は7時を過ぎたところだ。
いくらなんでもこんな朝早くから篠崎に連絡するには気が引ける。
運ばれてきたトーストをほおばりながら卓也はしばらく考えて、
9時まで東京の街をぶらつこうと決めた。
決めたと言っても初めての東京だ。行くあてなどあるわけはない。
でもまあ行き当たりばったりも面白いかな。
冒険してみるのも悪くはないし、いかにも俺らしい。
そう考えて卓也は小さく、ふふふっと笑った。
今の卓也には、どんな些細なことも喜びと輝きに満ちていた。
ただぼんやりとしていても不思議と頭の中に新しいメロディと歌詞が思い浮かぶ。
「お、これいけるやん」
自画自賛だと内心思いながら、卓也は何度も頭に浮かんだメロディを繰り返した。
メロディを忘れないうちに一度ちゃんとこの声で唄ってみるか……
そう思うともう、じっと座ってなどいられない。
今はまだ断片的なこのメロディを、早くひとつの曲に仕上げたくてたまらなくなるのだ。
卓也は残りのトーストとコーヒーを平らげると、足早に喫茶店を出た。
鼻歌まじりにレジで精算した卓也を、怪訝そうな顔でウェイトレスが見送ったが
卓也にはその視線さえも気にならなかった。
すべてが希望に続くんだと、その想いだけで体中が一杯で弾けそうだった。