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■ シーン2

関西から来たあの若者は、どういう経緯でこの街にたどり着いたのだろう。


普段はどこで何をして、何を考え何を求めて歌い続けているのだろう。




職業柄、時枝は考えずにはいられなかった。


マンションに帰っても、何故かあの若者のことが頭から離れない。


時枝はパソコンを立ち上げると、最初の一行に


『魂をつかまれた瞬間』


と打ち込み、しばらく画面を睨みつづけていたがすぐに別のファイルを立ち上げ


仕事に取り掛かった。


時枝はフリーのライターとして、いくつかの仕事を抱えているが


いずれは小説家になることが夢だ。


学生時代からいつか自分の小説を書き上げたいと考えていたが、


職業として小説家を選ぶことには迷いがあった。


世の中に『小説家志望者』が掃いて捨てるほどいることや、


公募される小説の賞は狭き門であり、新人賞をとったとしても、


それだけで食べていけるほど小説家の道は甘くはないこと。


そして何よりも作品を世に出し続け、商品として売れなければならないこと。


小説家を職業として自立していくことの厳しさ難しさを、時枝はよく知っていたのだ。


自分にそこまでの覚悟はあるだろうか。


長い間自問自答を繰り返してみたが、今一歩、足を踏み出せないまま時間だけが過ぎていく。


結局、そこまでの覚悟が自分にはないのだと一度はあきらめて出版社に就職もした。


しかしこの選択は皮肉にも時枝の作家志望の熱を再び蘇らせることとなる。


5年間、出版社に勤めたところで時枝はあっさりと仕事を辞め


フリーのライターとして活動をする道を選んだ。


すぐに小説家への道を選ばなかったのは、自分の食い扶ちを確保するためである。


時枝が就職してから相次いで両親は他界していたし、兄弟もなかった時枝は両親と共に住んだ


今のマンションに住み続けていたが、両親の残してくれた遺産を食い潰すだけでは


残りの人生は生きていけない。


いずれ作家として活動するにしても経済的に自立し、文章を組み立てる力も養わなければならない。


その利害が一致したのがライターという道なのだ。


フリーライターという仕事も安定した職業ではなかったが、


文章を書くという仕事は時枝にとっては有難かった。


とにかく書くこと。たくさんの文章を書き多くの経験を積み、言葉を磨き


そのうえで自分の小説を書き始めても遅くはないだろうと貪欲に時枝は仕事に取り組んだ。


出版社時代の知り合いから、仕事をもらいうけるために頭を下げてまわり


依頼を受けるとどんな仕事でも喜んで引き受けた。


せっかく取材をして納得のいく文章が書けたと思っても、大概の場合は編集者の手によって削られ


書き直しを言い渡されて最初のうちは随分と惨めな思いもした。


こつこつと地道な努力をして10年、おかげで今は自分一人、


贅沢さえ言わなければ何とか食うには困らないほどの収入はある。


そろそろ自分の作品を書いても生活に支障は出ないだろうと思ったが


実は書きたい題材が今のところ浮かんでこないという悩みを抱えていた。


どうしたものかと時枝が考えあぐねていたところに出逢った、あの若者に対する不可解な自分の気持ち。


時枝は彼を小説の題材にしてみてはどうだろうかとぼんやり考えた。


「うっ、うぅ・・・・」


突然の痛みが時枝を襲う。


ここ最近、度々襲う頭痛が時枝を苦しめる。


一度痛みが始まると、しばらくは何も出来ない状態が続く。


時枝は諦めてパソコンの電源を切ると、ベッドに転がり横たわった。


深い闇の中で痛みに耐えながらも、その耳にはまたあの若者の歌声が蘇っていた。






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