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■ シーン10

「それから、今までずっと?」

じっと黙って卓也の話を聞いていた時枝が、ようやく口を開く。

時枝が差し出したサンドウィッチはすっかり食べつくされ、

コーヒーカップも空になっていた。

苦笑いしながら

「かれこれ10日間くらいですかね。金がなくなりそうだったんで、

3日前から路上で歌うようになって……」

と卓也が答えた。

篠崎からは、ついに連絡は来なかった。

この10日間というもの、卓也の携帯電話は一度も鳴らなかった。

最初の二日間は、いつ電話が鳴るか落ち着かなかったが

3日目からは諦めとなり、5日目には予感は確信へと変わった。

それでも諦めきれず、一度、名刺に記されてあったレコード会社に電話を入れてみたが

『篠崎』という男は存在していなかった。


やっぱり、騙されてたんや・・・・


そう思うと途切れることのないマグマのような怒りがこみ上げて

悔しさと情けなさが体中に溢れ、自分の浅はかさを呪いながら卓也は自嘲した。

「俺って、やっぱアホなんです。考えてみたら、最初から怪しかったのに

信用して・・・・」

ため息をつきながら言う卓也に

「そんなに自分を責めるもんじゃないわ」

と時枝が返す。

「慰めてくれなくても、いいんです。時枝さんだって……

ほんまはアホな奴やと思ってるでしょ?」

「慰めてなんかいないの。正直言って、世間知らずだとは思うけれど

アホだとは思ってない」

きょとんとする卓也に、時枝は言葉を続けた。

「私はね、自分の夢に向かって、騙されていたとしても

新しい世界に飛び込もうとした貴方をすごいと思うの。

今日まで東京から逃げなかった貴方を偉いとも思うよ」

「そ、そんな……。時枝さん、買いかぶりすぎ…」

照れ笑いしながら、卓也の内心はくすぐったいような気持ちがこみ上げてきたと同時に

ますます目の前にいる女の真意がわからなくなっていた。


見た感じからして、自分よりも十歳以上は年上だと思われる時枝の顔は

化粧っ気もなく地味な印象だが

よく見れば目鼻立ちは整っていて、それが逆に何を考えているのか

わからない印象を与える。

しかし、時枝の話し方を聞いていると悪い人間にも思えない。

何よりも自分のことを頭から否定せず、じっくりと話を聞いてくれた時枝に

まるですべてを受け入れられたような安心感が湧き始め、

それは卓也の心をゆっくりと満たし始めていた。

少しずつ気持ちがほぐれ、自然と卓也の表情も穏やかになる。

時枝は卓也の表情の変化を見ながら、心の奥でますます興味をかき立てられている自分を冷静に感じ取っていた。

視線に気づいたのか、卓也が時枝を見つめ返すと時枝は

「もう一杯、コーヒーどう?」

と、あわてて立ち上がった。

向けた背中に若い視線を感じながら、何故かしら顔が熱くなる。

こんな年の離れた男の子に、どうしてこんなに気持ちが傾くのかしら。


本当に私はどうかしてるわ……


自分の感情を打ち消しながら、背を卓也に向けたまま

「これから、どうするの?」

と聞く時枝に、しばらく卓也は考えて

「どうするかは決めてないけど……。また路上で歌うしかないっすよ。

帰る金もないし、それより京都に帰る気もないし」

と答えた。

東京に着いた時、自分に誓った想いを卓也は捨てたくなかった。

絶対にこの街で音楽で生きていこう。

その誓いを捨てることは、自分自身全てを否定することになる。

騙されていたとしても俺は東京にたどり着いた。

今、ここでこうしていることにも何かの意味があるのだろう。

だとすれば俺はその意味を知りたい。掴み取りたい、まだ見えない真実を・・・・

卓也の頭の中に断片的な歌詞が思い浮かぶ。

咄嗟に浮かんだメロディに乗せて

軽く頭でリズムを取りながら、心の中で出来上がった部分をリピートしてみる。

世界のすべては音楽で溢れ返り、自分以外の存在はない。

卓也がもっとも愛するべき時間だ。

どんなことがあっても、自分の中から湧き出る音に身を委ね、

まだ形のない楽曲を捉え、ひとつの作品に仕上げていく過程が

卓也にはたまらなく至福の時間に思えるのだ。

ふと我に返り、視線を目の前に定めると、温かい湯気の向こうに

時枝が静かに微笑んでいた。

「あ……、す、すいません。俺、入り込んじゃってて」

「ううん、気にしないで。私は楽しかったから」

謝る卓也にそう言うと

「ねえ、突然で驚くかもしれないけれど……。

卓也くん、ここで暮らしてみない?」

冗談でしょうと言いかけた卓也の目の前には真剣な、

それでいて穏やかなやさしいまなざしの時枝がいた。

だが、卓也の心の中には一滴の毒にも似た

薄暗い不信感が少しずつ広がり始めていた。


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