No.0 目覚め
視界は、白濁した膜を通したかのように曖昧だった。
最初に感じたのは、背中から伝わる無機質な冷たさだ。硬い金属製の寝台が、体温を持たぬ「器」の熱を容赦なく奪っていく。耳を打つのは、規則正しく刻まれる駆動音と、遠くで響く液体の流れる微かな音だけ。
肺に流れ込む空気は、消毒液の匂いが混じった、ひどく乾燥して冷え切ったものだった。
「……あ、……」
声にならぬ吐息がこぼれる。指先を動かそうとしても、自分の意思が末端まで届くには、あまりに身体が重い。
ここはどこだ。 自分は、誰だ。
思考の海を漂っても、そこに答えとなる「記憶」は存在しなかった。ただ一つ、脳の奥底に深く刻み込まれた無機質な認識だけが、彼に自らの存在理由を告げている。
――お前は、造られた。何らかの目的を果たすための、空っぽの器として。
「目覚めたか。No.0(ナンバー・ゼロ)」
頭上から降り注いだのは、慈しみなど微塵も含まれていない、氷のように冷徹な声。
重い瞼をようやく押し上げると、そこには高い天井と、複雑に絡み合う配管、そして彼を見下ろす観測者たちの影があった。
彼は名前を持たない。過去も持たない。 ただの「番号」として、この地下の檻から、すべての物語が始まろうとしていた。
実験室の空気は、落胆と苛立ちを孕んで淀んでいた。
「――無反応だ。火、水、風、地……どの属性結晶にも共鳴を示さない」
白衣を纏った男が、無機質な記録板に鋭い筆致で「不適合」の文字を刻む。寝台の上で無数の電極に繋がれたNo.0は、ただ人形のように虚空を見つめていた。感情を動かす術を、この器はまだ知らない。
「色なしの失敗作か。外見だけは規格通りに美しく仕上がったというのに、中身がこれではただのガラクタだな」
もう一人の男が吐き捨てるように言い、興味を失った手つきでNo.0の腕から端子を乱暴に引き抜いた。彼らにとって、この「器」に宿る微かな呼吸や、その瞳に映る光の明滅などは、観測する価値のない誤差に過ぎない。
「廃棄処分だ。地下の集積所へ放り込んでおけ」 「了解。……ところで、次世代の『最高傑作』となる個体の魔力伝導率の計算だが、現行の理論値をさらに30%引き上げる必要があるだろう」
男たちの意識は、すでに目の前の「失敗作」から離れ、まだ見ぬ次の完成体へと向けられていた。彼らにとって、No.0はすでに存在しないも同然の数字に成り下がっていた。
引きずられるようにして連れて行かれた先は、光の届かぬ冷たい檻だった。
鉄格子の重苦しい音が響き、No.0は冷たい石の床に放り出される。 隣の檻からは、微かな腐臭と、乾いた硬質の音が漏れ聞こえていた。そこには、役目を終えた、あるいは役目を与えられなかった「失敗作」たちの残骸が、積み上げられ、散乱している。 同じ顔、同じ肌、同じ造形をした、かつての同胞だったはずのパーツ。
それらは、声を発することも、熱を持つこともない。
檻の中に、生命の鼓動は自分の一つしかない。静寂だけが、重く、深く、この地下空間を支配していた。
No.0は、隣の檻にある自分と同じ顔をした「頭部」の残骸を、感情の欠落した瞳で見つめ返した。自分もやがて、あの一部になるのだという認識だけが、冷徹な事実として彼の回路を巡っていた。




