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文台 二

孫堅はここから西に百五十里(75キロ)ほどにある富春に住んでいるらしい。他にも聞きたいことはあったがそれ以上に孫堅は健の話を聞きたがった。


健が何か聞く前に孫堅が質問を浴びせかけてくるのだ。しかもそれに答えるのがなぜか不快ではなかった。


そもそも何故健は、最初に会った時にこの男の話に耳を傾けてしまったのだろう。まず初めにこの男が何者か問い質すのが先ではなかったのか。


乗ってきた船を舫いで繋ぎ、孫堅ともう一人の男黄蓋が健の先導で自分達が暮らす集落までついてくることになった。


富春から会稽は同じ川沿いにあるため、小船できたのだろう。そして一度海へ出て、岸伝いに南下してここへ来た。そんなことも孫堅から直接聞いたのではなく、なんとなく自分で想像したことだった。


「詳しい場所はこの辺りの、あんたらと取引のある者達に聞くつもりだったが、たまたま倭人のあんたに会えたのは僥倖だったな。此れは幸先がいい」


「商売の話ではないよな。わざわざ富春から俺たちと取引したって、なんの儲けにもならんし」


健達倭人はほぼ自給自足で、時々採れた魚などを近くの村の人間達と、僅かな衣服などと換えてもらうだけだ。孫堅は取引と言ったが、商売と呼べるようなものでもない。


「だから面白い話しを持ってきたんだと言ったろ」


健は仲間の中で一番の健脚で、遅れれば置いていくいくぐらいのつもりで歩いているが、孫堅も黄蓋も難なくついてくる。


黄蓋もよく見ると、孫堅以上の偉丈夫だったが、不思議と孫堅と並ぶと影が薄くなってしまうのだ。


一刻半(四十五分)ほど歩き山奥の集落にたどり着いた。最初にたどり着いた五十人と数年ごとに海から渡って来るもの達、自分達のことを聞き付けて中華の南の各地から集まってきた倭人で、この集落では今は百五十人ほどの人間が暮らしている。この地で産まれた子供達も何人もいる。


今でも父は族長のような存在で、代表の者と話したいという孫堅を父に引き合わせた。


「銭唐県の賊を討滅したいのです」


簡単に名乗りあったあと、孫堅はいきなりそう切り出した。


「なぜあなたがそんなことをしなければならないのですか。地方軍に任せればよいことでしょう」


「会稽郡太守はすでに軍を派遣しましたが、散々に打ち破られました。これ以上の軍を派遣するとなると大事になります。他の太守に泣きつけば会稽郡太守の立場はなくなるでしょう。そのため太守は義勇兵を募りましたが、手を挙げるものはいません。寧ろ周囲の民は許昌のもとへと走る始末です」


保身のために、あくまで会稽郡の中で処理しようというのだろう。しかし、そうしてる間にも賊の略奪は続いているのだ。銭唐の川岸に砦を作り、勝手にそこを通る船から関税と称して物品を奪い取り、逆らうものは容赦なく斬り殺すのだという。川は重要な交易路だ。陸路での輸送もできなくはないが、会稽郡を中心に物流はかなり滞っているらしい。


「賊を討ち取れば褒賞が出ます。位官への道も開ける」


「あんたはそれが欲しくて戦うのか」


思わず口を挟んでいた。この孫堅という男がそんなものに興味を示すようにはどうしても思えなかったのだ


「いや。俺の住む富春まで賊の手は伸びてこない。しかし、俺の親父は瓜を売っているのだが、その瓜を船で運ぶ際、儲けの殆どを持っていかれた。俺はそういう理不尽が我慢ならないのさ」


「私たちは海で漁をして、麓の村々なのでそれを米や野菜に変えてもらう。元々我々倭人は川など使っていない」


「つまり、あなた達も褒賞はいらないうえに、賊に運河を押さえられたところで、さほど実害はない。なので俺たちと一緒に戦うことはできないと」


「我らもこの国から重い税をかけられている。この国のために働く気などありはしませんな」


「この国の人間でもありませんしね。だからこの国の民が苦しんでもあなた方には関係がない」


「そういうことです」


「しかし、先ほどあなたは漁をして食料や物品と交換してもらっていると言った。つまりこの国の人間の営みの中に、確かにあなた達も入り込んでいる。それでも関係ないと言えるのですか」


孫堅の目が強い光を放った。健はわずかに躰が強張るのを覚えたが、父はただ疲れたようなため息を洩らしただけだ。


全てを諦めたような目。父はまだ四十前のはずだが、その疲れた顔は異様に老けて見えた。


「だがご子息はやる気のようだ」


父の後ろでやり取りを見ていた自分に不意に視線が注がれる。父も微かにこちらを振り向く。


「俺はついさっきご子息に出逢ったばかりだが、とても退屈そうな目をしていた。そして力をもて余している。この集落の若者も何人か見かけたが、みな同じような者だった。そもそもあんた達はこんな賊とのいさかいよりも、もっと大きな戦いを経験してきたのだろう」


「ただ逃げてきただけさ」


「違うね。あんたは戦ったんだ。戦って戦い抜いて、そしてみんなを守ったんだ。海を渡るのも戦いだろ」


「そうさ。だから次代に繋げた命をあなた達漢人のために失わせたくないのだ」


「だが健は死んでるぜ。ただ飯を喰い息を吸ってるだけさ。行き場のないものを抱えたまま生きながら死んでるんだ。俺達にとっちゃ地獄だぜ。あんたが健を殺してるんだ。それが守るってことになるのか」


何かが溢れ出しそうだ。


「健はまだ十四だ」


一瞬孫堅が目を丸くする


「そうか。ちょっと驚いた。もう少し上だと思った。でも俺だってまだ十七だ。だがその辺の大人には負けたことはない」


「命のやり取りをしたことはあるまい」


「もっと外に目を向けてみなよ。この国はあんたが思う以上に乱れている。街を守るために賊徒を殺したこともある」


腹の底でいつも何かが暴れ回っていた。なぜ自分はこんなところにいるのか。なぜ父は戦いから逃げたのか。自分だったら逃げない。自分は戦う。


「父上」


「お前は黙っていろ」


「俺は父上のことを臆病者だと思っていました」


「その通りさ。そしてお前は臆病者の息子だ。戦うなどできるわけがない」


「違います。父上は臆病者なんかじゃなかった。本当はわかっていました。」


「なにを」


「父上と一緒にここへ来た人間はみんな言っている。誰よりも勇敢だったと。一番の武人だったのにみんなを生かすために自分を殺した」


役人に頭を下げる姿しか見てこなかった。ただ、幼い頃何度か太い木の枝を剣に見立てて稽古つけて貰ったことがある。そのときに確かに父の強さを感じた。なのに役人に頭を下げなければならない父が不憫だった。一番悲しかったのは息子に不憫と思われていることだった。山を駆け回り躰を鍛えた。海で泳ぎ、誰よりも体力をつけた。だが自分に稽古をつけてくれたときの父にはまだ及んでいない。


「父上、俺も父上のように戦いたい」


気づけば、涙を流していた。父の目からもひとすじ涙が伝っている。

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