そこにAIはあるのか
普段とは、ちょっと趣向が異なりますが、自分はこう思っていますというだけの話です。
最近、小説界隈でもAIの話題が流れてきます。
個人的に、AIで生成した小説を読みたいとは思いません。
絵や漫画などもそうですが、人が何かを創作する時、作品には何らかの思いが込められていると考えています。「こういうテーマを伝えたい」「自分の思いをぶつけたい」「この作品を出してチヤホヤされたい」とか色々あると思います。
私が他者の作品を見る時は、そこに込められている「思い」を見たいという部分があります。
もちろん、込められている「思い」を全肯定する訳ではありませんけど。
つまり、人間が創作するという行為は、動機は何であれ本人の意思によるものです。
対してAIは「(こういう)小説を書け」と言われて書くだけです。「それっぽい」「正解と思われる言葉」を並べて「小説っぽい」ものを生成してくれるだけです。
そこには何の「思い」もありません。
なので、私自身は、何の「思い」も込められていない作品には食指が動かないという訳です。
もちろん、自分はそう思っているというだけで、AIで小説を生成して(規約の範囲内で)投稿する方や、AI小説を面白いと言う方を否定するものではありません。感じ方は人それぞれですし。
AI生成作品に対して感じる「モヤッと感」の原因の一つとしては「なんかズルいじゃん」と感じるというのがあると思われます。
ちょろっとプロンプトを書いてボタンを押すだけで「それっぽい」絵や文章を数秒で生成してくれる、それを生かしてSNSや投稿サイトに大量の作品を投稿して注目を集めるといった使い方をする人もいます。
絵も文章も手書 (描)きしている側から見れば、堪ったもんじゃないと感じるかもしれません。
しかし、冷静に考えれば、そもそも同じ土俵に立っている訳ではないので、別に「排除」するために正面から戦う必要もないかなと個人的には思います(『棲み分け』は必要かと思いますが)。
それでもなお、「なんだかなぁ」という感情は残ります。
どういうことなのかを少し考えてみたのですが、自分を含め多くの人は、あらゆる創作物を見る時に「創作をする人は、それに対し真摯に向き合っているものだ」という期待を抱いているのではないでしょうか。盗作やトレパクが発覚すると、ここぞとばかりに叩く人が湧く現象の根っこも、そこにあるような気がします。
文章を自分で書く場合、どんなに拙い作品でも一言一句が自ら選択した言葉で構成されている訳です。
絵の場合も、たとえデジタル作画であっても、どんな線を引いてどんなツールを使って塗って、どんな加工を施すかまで、全て自分で選択した結果が作品になります。同じツールを使っても、各人の技量やセンスの差が残酷なまでに現れてしまうのです。
しかし、AIで文章や絵を生成するということは、それらの選択を放棄し、機械に丸投げしているということになります。そこに、「創作」に対する「不誠実さ」を感じるのかもしれません。
ただ、「創作をする人は、それに対し真摯に向き合っているものだ」というのも勝手な期待に過ぎない訳で、「ラクして『作品』を生成して評価されたい」と思う人がいるのも、別に不思議ではないというだけの話です。
個人的には、後者にはなりたくないとは思っていますけどね。
また、AIで生成した作品を「自分が書 (描)きました」と偽る方については軽蔑してしまうだろうなぁと思っています。




