第9話 ヴェズルフェルニルの羽
安定している枝の上に立つ。
ミラは、ルミのすぐ側で魔法の準備をした。
ルミが唱える。さっきよりも慎重に、そして力を込めて。
「フリーヤ!」
尖った氷が混ざる吹雪が、木々を、葉を押す。それでも先には進まない。
きっと、先へは行けない、バリアのような魔法がかけられているのだ。
中々魔法は破られない。
どのくらいが経っただろうか、ミラもルミを支えるだけでなく、木々に風の魔法を放ったが、長く持ちそうもない。それに、ルミの身体は大分冷えている。氷のように冷たい。
前髪から横にかけて、白く凍っている。
だめだ、このまま続けていたら凍死してしまう。
「ルミ、一旦止めて、別の方法を考えよう。ルミ、ねえ、ルミッ!」
彼女は返事をしない、それどころか魔法はどんどん強くなっている。
氷が、ルミを飲み込もうとしている。
怖い、心の底からそう思ったのは初めてだった。
ミラは、ルミを失うのがとても怖い。
お願い、届いて。
「ルミっ!」
もう一度、声をはりあげたとき、ミラの風の魔法がぐんと強くなった。氷の勢いも上がる。自分では全く意図していない力だった。
さっきまで目には見えなかった、壁のようなものが姿を現し、亀裂が入る。
雷が落ちてきたかのような、轟音がとどろいた。魔法はそのまま突き抜けていく。
ミラが最近、ようやく見られたもの。
雲一つない、真っ青な空が広がっている。
空まで魔法が届いたのだ。
途端に体が浮遊する。空気が風となり、一気に空へ吹いたのだ。
巻き込まれた二人は為す術もなく、上へと投げ出される。
その時だった。
夜明けのような色の翼が、目の前を通り過ぎる。一直線に上へ、自分の生きる場所へ飛び立つ。
彼は、空で生きるべき魔法動物だ。
開かれた翼は日に照らされて、本来の色を取り戻す。
暗い色だと思っていた。本当はもっとずっと明るく、優しいスカイブルーだった。
翼が二回、羽ばたかれる。
起こした風が、ミラたちを投げだした風とぶつかり、打ち消す。大きな鳴き声がした。
ヴェズルフェルニルがもう一度起こした風は、そのまま二人を包み込んだ。ゆっくりゆっくりと、地上に連れていかれる。
左手でルミの手を握る。体温が戻っていた。大きなふかふかの羽に乗っているかのような感覚だった。
開かれた空は連鎖するように広がり、森全体を陽だまりの中に連れていった。
仰いだ空は、ずっとそこにあったはずなのに、世界に今、はじめて生まれたみたいな澄んだ色をしていた。
「あっ!」
今確かに見えた。三羽、中くらいのと小さいの、同じ色の翼をしている。
「仲間が、家族がいたんだね」
ふわふわと落ち葉のように地上へ落ちていくミラは、右手を空に伸ばした。
「まだ夢を見ているみたい……」
地上に降りてきたものの、起きたことの大きさゆえに、その場に座り込んでしまった。
未だルミは、焦点の定まらない瞳でいる。
「ルミ」
小さく名を呼ぶと、ようやくこちらを向いた。
「ありがとう、あなたがいなかったら私、どうしたらいいか分からなかった。本当にありがとう」
そう言うと、ルミはフフッと笑った。
「髪に葉っぱがたくさん付いてるわよ。ほら、ここ」
手を伸ばし取ってくれる。
落ちた葉っぱを親指と人差し指で掴み、クルクルと回す。
「……『ありがとう』は私の方よ。ミラがあんな風に言わなかったら、私は何もせず、見ないふりをしていた。私は、私を完全に失くす所だったわ、ありがとうミラ。あなたは、とても優しくて……不思議な子ね」
手でもてあそんでいた葉をふうっと吹き、空へ飛ばす。空へ帰っていく。
照れくさくなって、ミラは言った。
「ルミの髪にも葉っぱ、たくさんついてるよ」
うそっ恥ずかしい、とルミは頭を左右に振る。石鹸のような、爽やかな香りが辺りに漂った。
ふと上に目線を向けると、スカイブルーの羽が、ふわふわと落ちてきているのが見えた。
さっきミラたちが落ちてきたようにゆっくりと、そうして、ミラの手の上に着地した。
「これは? ヴェズルフェルニルの羽?」
光にかざすと透けて見える。光を集めるように輝いている。両手に収まるほど小さい。
こんなに小さな羽が集まって、あんなに大きな翼になっているのかと思うと、ひときわ美しくみえた。
「ヴェズルフェルニルの羽はね、とても貴重なものよ。販売されているものはそのほとんどが偽物なんだけど、それは、間違いなく本物ね」
うっとりと見つめる。
ミラは迷うことなく、彼女の前にそれを差し出した。
「え?」
「ルミにあげる。こんな貴重なもの、私には扱いきれない。それに、さっきのは、ルミの力があったからできたことだよ」
その手を、ルミは優しく押し返した。
「これはあなたのものよ、ミラ。ヴェズルフェルニルが選んだの。持っていて。きっと、いつかあなたの助けになるわ」
ね?と、言い聞かせるようにルミは言った。
しばらく沈黙した後、ミラはそれを大切にしまった。
「ありがとう、ルミ」