第35話 黒猫のヘーゼルさん2
「あれ? ヘーゼルさああん」
寮へ戻る途中、草の陰で不思議な動きをしている黒猫が見えた。
今日は水玉模様のマントを隠すようにしている。
何かに追われているような、不審な動作だった。
ミラに声をかけられると、ビクッという心臓の音がこちらに聞こえそうなほど驚いて、固まり、振り向いた。
明らかにホッとした表情になる。
「なんだきみか……」
声の正体がミラだと分かると、すっと立ち上がりマントをなびかせた。
「どうかしたんですか?」
すると、よくぞ聞いてくれましたと言わんばかりの勢いで、ミラに飛びついた。もふもふが気持ち良い。
「聞いてくれたまえ! あのレモンの悪魔をどうにかしてくれないか!」
黒い羽根の生えたレモンが、不気味に笑う。とてもシュールだ。むしろ可愛い。
きょとんとしているミラに、じれったくなったのか、小声でヘーゼルが話し出した。
「フィレだよ、トゥーリ・フィレ。あいつがレモンの悪魔だ」
確かに、レモンといえばトゥーリだ。だか、どうしても悪魔とトゥーリが結びつかない。
常識人で冷静で、非の打ちどころがない魔女だ。
欠点は、しいていうなら、無表情なところだろうか。
寮生はそんなトゥーリを好ましく思っているはずだ。無論ミラも。
「トゥーリと何かあったんですか? 教えて、ヘーゼルさん」
毛を逆立てていたヘーゼルは、少し落ち着いてきたのか、ゆっくりとその出来事を語った。
「あれは、ぼくが外を箒で掃いているときのことだった。生徒達はみな授業中、誰も通らないはずなのに、急に背筋がひやっとした。振り返ると誰もいないのだ……ぼくはおかしいな、と思いながらも掃除を続けた。あまりにも量が多いから、風の魔法も少し使って掃除をし始めた、その時だった。レモン色の風が僕を包み込んだんだ。次の瞬間には、ぼくのマントがなくなってしまっていた……。どこを探しても無いんだ。だがな……しばらくすると、何事もなかったかのように傍に、マントが……」
ぎゃああっとヘーゼルが、自分で叫んだ。
「それで、どうしたらトゥーリがレモンの悪魔になるの?」
ふわふわの手を左右に振る。肉球が僅かに見えた。
「犯人はもちろん、トゥーリ・フィレなんだな。あんな正確に風の魔法を使えるのは、あの魔女しかいない。ウェルグルやスティゼもできるやもしれんが、あの二人は、こんなことしないのだ。勿論上級生も然り」
「ふうん」
ミラの気のない返事を、全く気にすることなく続けた。
「問題は、そのマントがとても綺麗な状態で戻ってきたという点だ。洗いたてのようだったのだ」
「良かったじゃないですか」
「ぼくは、きっとあの魔女に狙われているんだ。魔女たちの言葉を話す魔法動物が珍しいから、きっと実験をしようとしているんだな」
耳がしおしおと垂れる。
「考え過ぎですよ。ほら、汚れていたから、お洗濯してあげたかったのかも。話しかけるのが恥ずかしかったとか」
トゥーリは恥ずかしがったりはしないな、とミラは口に出してから気づいた。
「だけどな……」
納得できないという顔をしている。
「そしたら……私がトゥーリに、それとなく聞いてあげますよ。分かったらすぐに伝えに行きますから」
これを聞いたヘーゼルは、ピンと耳を立てた。
「頼むぞ! それとなくな! それとなくだぞ!」
ヘーゼルと別れたミラは、思案した。聞いてみるとは言ったものの、完全に無計画だったのだ。
こういうとき頼りになるルミは、エルダーに呼ばれていていない。
いつもよりゆっくり歩いていると、ラベンダー畑に埋もれるようにしてオーロラが立っていた。
とても楽しそうに。
丁度良い、トゥーリのことなら彼女に聞くのが一番だろう。そう思ったミラは、声をかけようとしたが、何かが引っ掛かるような感じがした。
何が、と聞かれると上手く答えられないが、何かが違うと思った。
あんな無邪気な笑い方を、オーロラがするだろうか。
結局、オーロラには話しかけられなかった。
寮の扉を開こうと手をかける。こちらに引こうとする前に、勢いよく開けられ、鼻をガツンと打った。
「あらあら、ごめんなさいね。もう帰ってくる頃だと思ったのよ」
そこには、ローアンがいた。
寮のラウンジのソファに、どかりと座る。
ミラは冷たいタオルで鼻を冷やしながら、お茶の準備をした。ロッタ特製、リラックス効果のあるハーブティーだ。
「好い色ね」とローアンが呟いた。
「ローアン先生、全然学校にいなかったから心配していたんです。お元気そうで良かった」
タオルを置いて、自分の分のハーブティーに口を付ける。
「ちょっと野暮用でね。それはそうと、ミラ、何か困っていることはないかしら?」
咄嗟にヘーゼルの顔が浮かぶが、すぐに、今じゃないな、と考え直す。
「ええっと……ああ、買い物に行きたいです。実は私、日用品とか結構、みんなから借りていて、ずっと何とかしなきゃとは思ってたんですけど……。お金は一応、まだ少し残っています。ただ、あの……私、恥ずかしいことに、買い物の仕方が分からないんです」
カップなどの食器類はルミから、シャンプーや石鹸は、半分リラにお金を払って使わせてもらっていた。 買い物の仕方が分からない、と中々ラベンダーハイツの皆に言えずにいたのだ。
「仕方ないわよ。私もうっかりしていたわ。話を聞きに行くのが遅くなって、ごめんなさいね。お金はそのうち、あなたにもできる仕事で工面することになるでしょうけど、まずは、使い方を学ばないと!」
はい!と元気良く返事をした。胸を撫で下ろす。
「じゃ、今度の休み、ルミも誘いましょう。その方があなたも良いでしょ? あと、他にも誰か誘いたい人はいるかしら?」
ラベンダーハイツの魔女たちは、どうやらそれぞれで買いに行っている子が多いようだ。
何度も、一緒に行って良いか聞こうとしていたが、照れくさくて誘えなかった。
ルミは入学時点で、多くの物を部屋に運んでいた。
そういえば、買い物に行っている様子がない。
「あ! じゃあ……」