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第3話 ヘブンリーブルーの魔女


「どうしよう……」


 ぎゅっと拳に力が入る。何か感触があった。


 さっきまで何も持っていなかったはずだ。ゆっくりと拳を解くと、一枚のカードがあった。


『PORO』


 宿の名前だろうか?ここに行け、ということなのだろうか。

 ローアンの魔法であるということは、はっきりしていた。

 ミラは外のことをほとんど知らない。本に出てくることは分かるけれど、古い本が多かったので、その情報が正しいとは限らなかった。


「ひえ!」


 足が勝手に動き出す。ローアンのくれた靴のせいだった。走るまではいかないが、早歩きでずんずんと足が歩みを進める。


 ようやく止まった、それでも建物は周りに数軒ある。


「……せめて、玄関前まで連れて行ってくれたら良いのに……」


「ねえ、あなた。それ、私と同じ所じゃないの?」


 凛とした聞き取りやすい声で、ミラのカードを指さす。ミラより少し背の高い女の子だった。


 セレスト、いや、ヘブンリーブルーだろうか、綺麗でつやつやした真っ直ぐな髪にまず目がいった。


 綺麗な魔女だ、と思う。他の魔女をほとんど知らないミラでも容姿が整っているということが分かる。明るい空、脳裏にそんな言葉が浮かぶ。


 洋服は、ローアン先生の目の色のようなワンピースに黒いズボン、高そうなブーツを履いていた。


 隙がなさそうな洗練された見た目に反して、パンパンに膨れたこげ茶色のリュック、それが少しアンバランスだ。


 でも、それによって少しだけ、親しみやすさを感じたとは、絶対口にはできないとミラはこっそり思った。

 固まっているミラの顔の前で、手をひらひらさせる。


「大丈夫? あれ? あなた見ない顔ね。エレメンタリースクールにはいなかった。名前は? 私は、ルミ・ウェルグル」


 自信満々に、綺麗な発音で自分の名前を言った。それを聴いて、ミラはドキドキしていた。名のっても良いのだろうか。この綺麗な魔女は、ミラの名前を聞いて、去ってしまうのではないだろうか、そんなことが頭をよぎる。


 なかなか名のらないミラに、しびれを切らしたのか、ルミはもう一度聞いた。


「あなたの名前を教えてくださる?」


 ミラは覚悟を決めて、息を吸った。


「……み、ミラです」


 思った以上に小さな声になったが、ルミには聴こえていたらしい。


「はじめまして、ミラ! えっと、ミラ・何て言うの?」

 再びドキッとする。観念して、声を出した。


「ミラ・ウァイブラード」


 今度はつっかえずに言えた。何となく閉じてしまっていた目をそろりと開ける。


「ウァイブラード? 珍しい姓ね。よろしく、ミラ。さっそくだけど、宿を探しているんでしょう、それ、私と一緒だから行きましょう」


 どうやらルミは、この名の魔女を知らないらしい。整った眉が少し傾いた気がしたのは、思い違いだろう。


 もしかしたら、知らない魔女の方が多いのかもしれない。少し気分が上がって、ルミにつづいた。


 きびきびと姿勢正しく歩いていくルミは、きっと良いところのお嬢さんなのだろうな、と思った。 

 ミラとは全く違う、何て素敵なのだろう。


 後ろについて歩くと、結構すぐにルミが足を止めた。何の躊躇いもなく扉を開く。


 ミラには家の違いが全く分からなかった。このあたり一帯、同じレンガ造りの家なのに、何か印でもあるのかと扉をよく見てみると、なにやら模様が描かれていた。


 円と四角と三角と、後はトナカイのシルエットが中央にある。カードに描かれていたものと同じだった。


 隣の家の扉を見てみると、全く違う印が付いている。屋号みたいなものだろうか、後でルミに聞いてみようと、ミラは思った。


 奥には先が見えないほど続く、廊下が見えた。部屋の中は、昔からミラの家にあるドールハウスのように可愛くて、星の形をした小窓が複数あった。


 帽子掛けなんかは、天井に届きそうなくらい高い。

 様々な種類の帽子がかけられている。帽子といってもそれぞれ個性がある。ポケットがたくさん付いているものもあったし、ふわふわの綿毛がついたものもあった。帽子掛けの途中に棒キャンディーも刺さっている。


 あれは本で見たことがある。

 舐めてみないと何が起こるか分からない、愉快な飴だ。髪がその色に変わるとか、舐めている間は火を噴くことができるとか、同じ飴はこの世に一つもない、魔法のキャンディー。

 この魔法ができたとき、物凄いブームになって、街中の子どもたちが虫歯になったというのが、記事になっていた。


「こんにちは、ヨールさん」


 部屋の真ん中、アンティークのソファに、どっしりと座っていたお爺さんが、どうやらヨールという魔法使いのようだった。白い鬚を撫でながら、皺の刻まれた顔がこちらを向く。手には金色の指輪が輝いていた。目がとても優しい、薄い茶色。


 細められるそれが、相手に好感を持たせるみたいだ。

 棒キャンディーを咥えたままというのが、何とも子どものよう。四月なのに、赤いセーターを着ている。刺繍がされていた。

 立ち上がって見えたズボンは、おしりの所が少し破れていた。


 ミラは、自分の体が強張ったのがわかった。初めての人に会うのは、やはり緊張する。

 しかも、男性に会うのは、記憶上これが初めてだ。

 母は結婚せずにミラを育てたらしい。父親というものを、ミラは知らなかった。


「やあ、ルミ、久しぶりだね。大きくなって、何年振りだろう」

 温厚そうな深みのある声が、ミラを落ち着かせてくれた。

 ソファには、シナモン色のマントが無造作に置かれている。


「何ヶ月か前、来たばかりですよ。何度目です、この会話は」

 呆れたようにルミは言うが、顔は綻んでいた。

 相当親しいのかもしれない。ミラはきょときょとと目を彷徨わせる。


「どんどん綺麗になって。本当に、この間までこんな小さかったのになあ……おや? 珍しいな、連れが一緒とは、お友だちかい?」

 ようやくミラに気が付いた。ヨールと目があう。


「ああ、えっと、ミラよ。私と同じ、明日入学試験を受ける魔女」

 そうよね?と、目で確認される。こくりと頷いた。


「よろしくお願いします……ヨールさん?」


 ヨールは一段と目を細めると、ミラの手を両手で握った。これが、握手かと、ミラは他人事のように思った。

 手を解かれると、拳の中に棒キャンディーが入っていた。大人の魔法使いは、拳の中に何か入れるのが好きなのだろうか。


「よろしく、大歓迎だよ。今、ドーナツが焼きあがったばかりだから、夕飯前だけど、皆でお茶にしよう」


 スキップをしながらキッチンへ入っていった。そういえば香ばしくて甘い匂いがしている。思わず、すうっと深呼吸をした。


「ねえ、気になっていたんだけど、あの廊下って変じゃない?」


 先が見えない廊下の方を指さす。家の裏側をちゃんと確かめたわけではないが、こんなには広くないはずだ。いったいどういうわけなのか、知りたかった。


「え? そんなの空間魔法に決まってるじゃない、どこの家もそうよね?」

 パチパチと目を瞬かせる。


「あ……そうなんだ、ごめんなさい、私実は、これまであまり外に出る機会がなくて……知らないことが多いんだ」

 本当は十年くらい出ていないが、嘘は言っていない。


「そうだったのね。じゃあ、何でも聞いて! 私、教えるのは上手いの」

 にっこり笑う。お手本のような綺麗な笑顔だった。

「ありがとう」

 真似して少し口角をあげてみる。上手くできているか不安だった。


 キッチンの方から足音がした。

 大きなお皿に、これでもかとのせられている。


 丸くて拳くらいの大きさのそれをみて、お腹が鳴る。香ばしくて甘酸っぱい匂いが強くなった。

 何も食べていなかったミラは、自分がとてもお腹を空かせていたことに気がついた。でもすぐにお皿に手をつけられなかったのは、それが、ミラが見たことのないお菓子だったからである。


 丸くて焦げ目が付いていて、ソファに置かれているマントみたいなシナモン色をしている。

 よく見ると、表面には銀色の細かい粒がついていた。匂いからして美味しい食べ物に違いない。

 

 ルミが躊躇することなく、手を伸ばしてそれを掴んだ。二つに割ると、中からじわっととろみのあるローズレッドの蜜が溢れ出た。今まで見た、どの赤色よりも綺麗な色だった。零さないようにルミは二口でそれを口に入れた。まだ熱かったのか、はふはふと白い吐息が漏れている。


 真似するようにミラも、それを割っておそるおそるパクリと、口に放り込んだ。


 ほうっという溜息が思わず出る。

 うっとりするほど美味しく、甘い食べ物だった。ソースは酸っぱいのかと思いきや、疲れた体に滲みわたるような、優しい甘さのある蜜だった。外側の生地はふわふわで、生地自体にもほんのりと味がついている。

 表面にまぶしてある粉は、じゃりじゃりとした舌触りで、ソースの甘さに恐ろしくマッチしている。片方だけでも素晴らしく美味しいのに、両方が合わさることで、最高に幸せなお菓子になっているのだ。


 これが、ドーナツ、ミラは心の中で何度も唱えた。


「やっぱり、ヨールさんの庭で採れたドーナツが、一番美味しいわ」

 ルミは二つ目に早くも手を伸ばしながら、うっとりと言う。


「庭!」

 ミラは聞き逃さなかった。ヨールが作ったのではなかったのか。


「ああ、これも知らなかったのね、まあ、ドーナツは採れない地域もあるから……ごほん、ほらあそこ、見て」

 窓の方を指さす。ライトで照らされているから、夜でも外の様子がわかった。


 家の高さくらいの大きな木。実が生っている。シナモン色、あとロゼ、紫のしましまがついているものも何個かあった。


「ドーナツの木よ。あそこに生ったのを収穫して、油で揚げて、シュガーフラワーの花粉をかけるの。この時期にはこれを食べないと、春は始まらないわ。ヨールさんの家のドーナツは、特に絶品! 毎年魔法動物にも狙われるから、早めに収穫しちゃうのよね」

 

 ヨールは口元についたソースをぺろりと舐めた。褒められて嬉しいのか、鼻歌まで歌い始める。


「ラッキーだったね君たち」


「ヨールさん、色が違うものもあるけど、あれは取らないんですか?」

 今お皿にのっているのは皆、シナモン色のものだ。

 それを聞いた二人は顔を見合せ、にやりと笑った。


「ミラ、あのね、色が変わったドーナツは……まずいのよ。あの、どぎついピンク色のなんかは最悪! 色が派手になればなるほど、まずくなるの。その理由もあって、早めに収穫してしまうのよ」

 ルミが顔をしかめながら言った。


「思い出すなあ……ルミが小さい頃、あれを食べて三日間くらい寝込んだことを」

 ヨールが窓の外を見る。

「だって! 色がついたほうが美味しいんだと思ったんだもの。大人だけこっそり食べているのかと、勘違いしていたのよ」

 真っ白な頬がドーナツの蜜みたいな、ローズレッドに染まる。

 部屋の中で過ごしていたミラよりも白い彼女のほっぺたは、まっさらなキャンバスのようだ。


「それでも、魔法動物の中には、それを好んで食べるやつもいる。だからああして、わざといくつか残しているんだ。彼らには世話になっているしね」

 いたずらっぽくウインクをする。


「やっぱり人手が足りないの?」

 途端に心配そうにルミが尋ねた。

 頬の赤みがさっと引いて、ミラはそれが少し残念に思えた。


「うーん……まあ、この時期だけだよ。気にしないでおくれ」

 ルミの肩をとんっと軽く叩く。


 ミラは、こんなに美味しいものをごちそうになって、何かお礼をしなければと思っていた。

 自分に何ができるだろうか、魔法もそんなに知らないし、ルミのように、ここでの知識がない。

 なんとなく部屋を見渡してみると、本棚に目がいった。実は入ったときから気になっていたのだ。

 自分が読んだことのない本、それはミラにとって、とても魅力的なものだった。


「……あの! 私、出せると思います!」


 二人が不思議そうな顔をして、ミラを見つめる。

 やって見せた方が早い、ミラはそう思った。本棚に近寄って、いくつか本をぱらぱらと捲る。


 何冊か取り出して、テーブルの上に並べた。


「み、みててください」

 すうっと深呼吸をして、手に力を集中させる。大切なのはイメージだ、楽しくて幸せな気持ち。そう、今食べたドーナツみたいな。


「レイクバ」


 本が独りでにパラパラと動き出し、それぞれの挿絵のページにたどりつく。

 フクロウは鋭い刃のような翼を羽ばたかせ、黒猫は火を噴きながら、眩しいくらいの黄色い輝きを放っているのはコウモリだ。

 そしてハットをかぶった陽気な蜂、光をまとい、彼らが立ち上がる。

 そして勢いよく部屋の中を飛び回り始めた。


「みんな! ちょっと落ち着いて! あ、まってったら、あつっ!」


 黒猫を抱きかかえようとしたら、前髪が少し炎で燃えてしまった。

 おかげで目の近くまであった前髪が、眉の上で切りそろえたかのようになっている。

 何とか火を出すのを止めさせ、「ミンナ」に声をかける。


「ミンナ、聞いて。これから、ヨールさんがお仕事大変なとき、ミンナの力を貸してほしいの。きっと美味しいおやつもくれるわ。お願いできるかな?」


 ミンナはこっくり頷くと、また部屋中を飛び回り始めた。外がどうやら楽しいようだ。


 ドーナツを小さくちぎってあげてみる。何の躊躇もなく食べたかと思うと、ぱっと顔を綻ばせ、高く飛びあがった。気に入ってくれたみたいだ。


「あ、勝手にごめんなさい。ヨールさんこの子たち、きっとお役に立ちます。本当は食べなくても大丈夫なんですけど、たまに、おやつをあげてもらっても良いですか? あ! 自分たちで好きなときに、本に戻ったり出たりできますので! ミンナにかけた魔法は、そのままにしておいても良いですか?」


 よく考えたら迷惑だったかもしれない、ずっと黙っている二人に不安になる。ルミはさっきから、ぷるぷると体を震わせている。


「ミラ! こ、ここここの魔法、どこで覚えたの? 教科書には載ってない魔法よね? 本の中の魔法動物を外に出すって!! 高度な魔法のはずよっ」


 そこには、目をキラキラさせたルミがいた。

 教科書を見たことがないので、ミラにはよく分からなかった。


「あ、うーんっとこれは、知り合いから教えてもらった魔法で、私、他の魔法はあんまり上手くないの。本で読んだことは、何とか自分でできるようになったけど……。学校に行ったことないから、同じ年の子が、どこまでの魔法を習っているのかも分からなくて……」


 言いながら、段々と声が小さくなる。顔がちゃんと見られなくなった。

 ルミは至って冷静に答えた。


「なるほど。十歳から十四歳まではエレメンタリーや、学校でなくても誰か勉強を教えてくれる先生がついているものだけど、ミラはそこには通ってなかったってことよね? それでも、こんな凄い魔法が使える! 例え、独学だとしても、きっとあなたは、エレメンタリーでの勉強並み、それかそれ以上のことが学べているはず。大丈夫。それに、分からないことがあったとしても、私が教えるって、さっき言ったはずよ」

 いつの間にか、握手をする形になっていて、ミラは手に力を込めた。

 最初にルミに出会って本当に良かった、そう思う。

「ありがとう、ルミ」

 両手で祈るように、手を包み込む。


「そ、れ、に、エレメンタリーでの勉強は、本当に基礎の基礎の基礎、これからが本番なんだから!」


 少女たちを温かく見守るヨールが、二人の手に自分の手を重ねながら、こう言った。


「ミラさん、ありがとう。わたしのために、こんなに素敵な魔法をプレゼントしてくれて。君は優しいね。お礼にドーナツだけじゃなくて、今夜は他にもたくさん美味しいものをごちそうしよう」


「「やった!」」


 二人の声が被る。顔を見合せ、微笑んだ。

 何かを感じ取ったのか、本から出てきた魔法動物たちは、おとなしく彼らを見つめていた。


 黒猫が、ミラの足元に擦り寄る。その温もりが、とても心地良かった。

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