第16話 レモンイエローの魔女
その子はそう言うと、見えない糸のようなものをくいっと引くような動作をした。
ふわり、オーロラの体が向きを変える。そう、これは。
「風船みたいね」
ルミが先に発した。その声に答えるように、レモンの彼女が言った。
「ああ、ルミ。こんにちは、いやこんばんは、いや、おかえり」
「何でも良いけれど。あなたの同室の子、どうしたのよ?」
ミラは部屋割りを思い出そうとしたけれど、名前までははっきりと覚えていなかった。
さっきの一瞬で、ルミは部屋割りを完全に覚えたようだ。
オーロラの部屋の子は、確か、と考え始めた時、レモンさんがこちらを見た。感情が読めない目だった。
「あなたは、はじめまして。よろしくミラさん。私はトゥーリ。トゥーリ・フィレ」
「よろしく、ミラで良いです……あ、名前」
まだ、自分は名乗っていないはずだ。
それに気がついたのか、あくまで淡々と、トゥーリは喋った。
「掲示板見た。あなた以外みんな顔見知りだから、他の子たちも覚えているはず。あなたもどんな子がいるかくらいは覚えていた方がいい。ざっくり説明すると」
残り五人の紹介を、本当にざっくりとしてくれた。
例えば、ロッタ・カモミールは赤髪だけれど炎の魔法はとても下手、だとか反応に困るものだった。あっさりと、何かを読み上げるように話す。
「あ、それでルミの質問だけど。オーロラ、寝るとき浮くの。ベッドとこの子の腕に、守り蜘蛛の糸を巻いて固定してみたんだけど、しばらくしたら取れちゃって、いなくなってたってわけ。寝ながら魔法使うから、ほんとびっくり」
全くびっくりしていない顔でそう話す。
そのまま風船を運ぶように、糸を引いて行ってしまう。何だか風のような魔女だと思った。
でもきっと、面倒見が良いのだろう。
トゥーリが去った後も、レモンの香りが廊下に残っていた。
「相変わらずね、トゥーリは。まあ、でもあの子なら、オーロラは安心ね……」
どこか寂しそうだった。オーロラとルミは幼馴染みたいに言っていたし、何か心配事でもあるのだろうか。
「よく寝る子なの? オーロラは」
そう聞くと、ルミの表情はとても優しいものになっていた。
「ほんっとうによく寝る子よ。エレメンタリーの時も先生に怒られてばかり。でも、勉強は苦手じゃないのよ。当てられたら答えるし。昔はよく一緒に遊んだんだけど……」
そこからは、段々と小さな声になっていった。
「いつからかな? 遊ばなくなっちゃって、オーロラはあんまり笑わなくなったし、心配なのよね。それと、多分……今あの子、起きていたわ」
「え? それってどういう」
「ううん、気にしないで」
でも!と両手を叩く。
「トゥーリがいれば大丈夫よ、きっと」
すかさず言う。
「ルミもいるからね。私、寮の子たちと仲良くなれたら良いな」
顔が曇った気がしたが、それはほんの一瞬で、すぐにいつものルミの顔に戻っていた。
廊下の一番端の所が、二人の部屋だった。
荷物が部屋の前にあったから、すぐに分かったのだ。
中は、両端に古そうなベッド、奥にそれぞれ壁に向かっている机があり、大きな窓からは空が見えた。
そこからバルコニーに出られるようで、なかなか広かった。洗濯物とかは、ここで干せそうだなとミラは思った。
椅子を持って来て、外でお茶をするのも良いかもしれない。
リネンのカーテンは新品のように綺麗だ。
壁にはラベンダーなどのドライフラワーが吊り下げられていた。ハーブの香りが、心を落ち着かせてくれる。
「タンスがないわね」
ルミが冷静に言った。
「確かに」
「いろいろ揃えないといけないようね」
そうなるとお金がいる。ミラは祖母が残してくれたお金を、少し持っているだけだ。もちろん四年間持たないだろう。
「家を出た時に、ここは学費無料って聞いていたんだけど、寮生活のお金はさすがに必要だよね」
すると、ルミは少し考える素振りをした。どうやら表情からして、あまりピンと来ていないようだ。
しばらくした後、ああ、とルミは手を打った。
「うん、そうね。確かに寮での生活費はかかるわ。私は入学前に、一族の仕事を手伝ってお金は貯めてあるの。自分の力で何とかするのも、立派な魔女になる者として当たり前だしね。でも、在学中に稼ぐ魔女もいるのよ。学業に支障をきたさなければ、禁止はされていないから。先生に聞いてみましょう?」
ルミはそう言うと、窓を開けた。花と草の匂いが混ざった風が、部屋の中に入ってくる。
外はもう暗い。ただの星空だけれど、ミラにはやはり美しく見える。暗闇に開けた穴から、光が差し込んでくる。
長い一日だった。
不安なことが多いけれど、こうして友だちもできた。きっと、楽しいことも待っているはずだ。
別の家で眠るなんて、生まれて初めて。
これからこの『ラベンダーハイツ』が、四年間ミラの家になるのだ。