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第1話 扉は自分で開けるもの


 割れてしまったガラスの欠片を探しているようだ。

 破片は、あちらこちらに飛び散っている。どんなに拾いあげても、目に見えないほど粉々になったものは、もう元には戻らない。探すことすらも叶わない。


 そしてある日突然、それは裸足の足を傷つける。

 そのときにはもう、ガラスが割れたことすら忘れてしまっている。

 

 小さな痛みでさえ、そのときにはもう、忘れてしまっている。



 ミラ・ウァイブラードの頭の中には、明日という言葉がない。


 時間はただ通り過ぎていくもの。通り過ぎるといっても、ミラの生きている道に通り過ぎる者などいるはずもない。

 時間はガラスのように透明なもの。見えないし、身体をすり抜けても何も感じない。


 それなのに何故、自分の体は成長するのだろう。不思議でならなかった。昨日まで着ていた服の丈が合わなくなる、ミラにとってそれは、嬉しいことではなかった。むしろ、成長が怖いとすら感じていた。

 

 自分の痛みを忘れてしまった少女は、今日という日の終わりを、ずっと待っていた。


 頭を撫でる優しい手、抱きしめる腕の中の温かさ、子守唄のような魔法の呪文。優しくて尊い人、それが母だった。そんな記憶ももう、雑に消した落書きのようにおぼろげだ。



 四歳の時、母はミラの前から姿を消した。その瞬間、ミラの世界は閉ざされてしまったのだ。


 母の失踪後すぐ、一緒に暮らしていた祖母と二人きりの生活が始まる。

 多分、優しかったのだと思う。

 食事を用意してくれたし、破れたミラの服を繕ってくれたこともあった。

 でも、ミラが母のことを口にすると途端に怖い顔になって、言い聞かせるように、何度もこう言った。


「お母さんのことは忘れなさい、これはあなたのためよ。ミラ、よく聞いて。あなたは外に出てはいけない。あなたには悪い魔法がかけられているの。死んでしまう、恐ろしい魔法よ。いい? 絶対に外に出てはダメ」


 悪い魔法、そう言われて咄嗟に思ったのは昔、母に読んでもらった絵本のことだ。


 綺麗なお姫様が魔法をかけられて死んでしまうというものだった。ラストはハッピーエンドなのだか、途中のその場面はとても恐ろしく、自分まで魔法をかけられたかのような気持ちになった。


 「魔法は綺麗なものよ」母は、怯えるミラにそう諭した。

 

 実際、母の魔法はとても綺麗だった。絵本に描かれた生き物を立ち上がらせ、ミラの遊び相手にもしてくれたのだ。絵本から飛び出してくる生き物は、みんなキラキラしていて、愉快だった。家の中を星空いっぱいにする魔法もとても素敵だった。夢の中にいるような、夜空の中に溶けてしまいそうな、不思議な感覚だった。


 母のような魔法が使いたくて、絵本をたくさん見ているうちに文字を覚え、母の言葉をよく真似していた。

 四歳、母がいなくなる少し前にミラははじめて、魔法を使った。


「レイクバ」


 そう言って、絵をなぞる。一番好きな絵本のキャラクターが淡い光を放ち、自分の方に飛んできたあの瞬間を、ミラは一生忘れないだろう。この魔法があったから、ミラは母がいなくなった悲しみを紛らわすことができたのだ。


 結局、この魔法を母に見せることは叶わなかった。母の誕生日に見せて驚かそうと思っていたのに、ミラは思う。もしも、先にこの魔法を母に見せていたら、何か変わっていただろうか。


 母のことを聞いてもはぐらかされ、外にも出してもらえない。

 毎日本を読んで食事をして眠りにつく、そんな日々が続き、気がつくとミラは、十五歳になっていた。


 髪はのび、薄いオレンジ色の長い髪は毎日一つに結っていた。本を読むとき邪魔だからだ。

 部屋の中の掃除、料理はミラの仕事だ。日々同じ時間に同じことを繰り返していた。

 読む本は沢山あった。母の部屋は本でいっぱいで、幼いころは全部を読み切るのには随分とかかるのだろうなと思っていた。

 

 ミラは、数え切れないほどの本をもう、全て読んでしまっていた。

 そんなある日、祖母が息を引き取った。体はもとからそんなに強い方ではなかったようだ。黒が多かった髪はほとんどが白くなり、動きもとてもゆっくりになっていた。最期はベッドから起き上がれなくなって、そのまま目を覚まさなかった。

 

 長生きな方だと思う。祖母が亡くなる前の晩、小さな声で、でもはっきりとした意志を持って祖母はミラに話をした。

 もしかしたら、自分の死期を悟っていたのかもしれない。そういう魔法があると昔、本で読んだことがあった。

 ミラは手を握り、話を黙って聞いていた。


「ミラ、ごめんなさい。あなたがちゃんと大人になるまでは、安全な所で育てたかったのだけれど、私は、もう無理みたいだから……聞いて……」

 握る手に力を込める。


「あなたのお母さんは……大罪人なの……」


 言葉を理解するのに、時間がかかった。大罪人? 何か罪を犯した、ということが言葉として分かっても頭が追い付かなかった。


「魔法を使って……人を……殺したの……そして今何処にいるのか、誰にもわからない……」


 どうしてもその言葉と母が結びつかなかった。知らない人の話を聞いているようだった。


「あなたはこれから大変な目にあうかもしれない。魔法使いの心は、みんながみんな広いわけじゃないの。あなたが何も悪いことをしていなくても、そういう目で見られることを覚悟しなければならない……。酷なことを言うわ……あなたはこの先、大罪人の娘として生きていかなければならない」


 手が、どんなに握っても冷たく感じられた。震えている。どちらの震えか、分からなかった。

「あなたは誰よりも優しい、私はそのことを知っている。あなたの優しさは魔法よ、とても尊くて素晴らしい魔法、負けないでミラ……お願い」


 祖母が古い魔法の呪文を、小さな声で言った。

 祖母はただ、ミラを守りたかったのだ。


 本当はもっと、もっと聞きたいことがたくさんあった。母が大罪を犯したことは本当なのか、何があったのか、母は今どうしているのか、聞きたくてたまらなかった。でも、ここまで守っていてくれたのだ。祖母にこれ以上何かを聞くことはできない、そう思った。



 祖母が亡くなって、十年ぶりくらいに外に出ようと決意した。

 自分に魔法がかけられているというのは、きっと祖母の嘘だ。

 

 ドアの外に一歩踏み出す。土や草の匂いがする。床とは違う温かな感触が裸の足に伝わった。


 最初は目を開けていられないくらい眩しかった。太陽の刺激はこんなに強かっただろうか。肌を滑る風はこんなに心地良かっただろうか。駆け抜け、形を変える雲はこんなに美しかっただろうか。


 祖母を大きな木の下に埋葬して、近くの花を供える。祈るように目を閉じた。そのまま力が抜けてしまった。草の上は気持ちが良い。


 ミラを守るように草が伸び、取り囲む、ベッドのようだ。確か、魔法植物の本に載っていた。名前は忘れたが、乗った人の思いや感情によって成長スピードや形が変わる草、本当だったらもっと感動するはずなのに、ミラはとても眠たかった。


 深く眠ったことがなかった。今は、眠ってしまいたい、何も考えたくない、そう思った。


 暖かい場所だった。


 ここはどこだろう。薄いピンク色の花の木があたりにあった。立ち上がると、違和感に気がつく。両手が何だか小さい。幼い子どもの手だ。手だけではない、ミラは幼少期の姿になっていた。 

 

 なんだか考えることが面倒になって、草の上に寝転んだ。デジャブのような気がしたが、他にやりたいことがなかった。


『ミラ』

 耳に届いてすぐ、そんなはずがないと頭を振る。

『ミラ』

 幻聴じゃない、確かに聴こえた。母の声だ。

「おかあさん」

 起き上がっても誰もいない。迷子のような気持ちになり、本当に小さな子どものようにその場にうずくまった。




「……ナサイ」

 綺麗な声、記憶の中の母が私の方へ手招きをする。

 

 行きたいのに足が動かない。足下を見ると草が絡まっていた。まるでミラを行かせないようにしているかのようだった。



「起きなさい」

 目を開けると、見たことのない藍色の髪をした女の人が立っていた。


 長い髪が膝下まで伸びている。癖っ毛なのか到る所絡まっていて、草や枝や花が引っ掛かっていた。真っ黒なつばのついた帽子には、オレンジ色の花が刺さっている、真っ黒いマントはそっけない感じだ。

 

 でも、黒、といっても何とも言いようのない深くしっかりと作られた色、という印象を受けた。昔の記憶を辿ると、確か母も外に出るときはこんな格好をしていた。

 帽子の中の瞳は、髪の色と同じ深い藍色で、吸い込まれそうだ。

 

 母や祖母以外の魔女と会うのは久しぶりだった。


「ミラ・ウァイブラード、あなたがそうね?」


 有無を言わせない業務的な声だった。

 頷いて、まず考えたのは、祖母の言葉『大罪人の娘』。もしかしたら、何かされるのだろうか、どこかに連れていかれるのだろうか。

 

 ミラは慌てて起き上がると、家の中に駆け込んだ。扉を閉める。女性は慌てることなく、ゆっくりと扉の前で止まった。扉の外にいる、足音が聴こえた。


「単刀直入に言う。私と一緒に来て、魔法学校に通いなさい」

「……学校?」

 

「私は、『ミュルスン魔法学校』の先生、ローアン、あなたを迎えに来た」

 少しだけ、声が和らいだ気がした。


「ミュル……スン」


「ずっとここにいる気なの? この家の守りの魔法はもう切れている。あなたは自分が何者か知っているのでしょう? 危険よ。学校に通って正しい魔法を学びなさい」


 今ミラには頼れる大人がいない。親戚だって知らない。外での買い物の仕方すら知らなかった。


「私が信じられない? でもまあ、決めるのはあなたよ。そして、扉は自分で開けるものよ」


 それっきりローアンは何も話さなくなった。気配からそこにいるのは分かった。

 ミラは、唱えた。


「レイクバ」


 片腕が温かくなる。柔らかい光を放つ丸い生き物と視線を合わせた。ミラの友達だ。


 本の中からミラ自身が呼び出した。魔法をそのままにしているから、呪文を唱えると出てきてくれる。二つのクリッとした目がミラを心配そうに見つめる。


 綺麗な魔法、ミラは昔から、魔法が大好きだ。

 外の世界を知りたい、学びたい、正しい魔法が何なのか分からないけれど、知りたい、そう思った。


「ユス、私、外の世界を見てみたい」

 

 ユス、と呼ばれた丸い生き物は、コクリと頷きミラの首もとに擦り寄った。


 ギュッと抱きしめて、姿勢を正す。

 扉に向かって立ち上がり、ゆっくりと力をかけた。

 さっきは気にならなかった、古いドアの軋む音が確りと聴こえる。


 一歩、外に出た。

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― 新着の感想 ―
主人公のミラが幼い頃に母と祖母を失い孤独に暮らしてきた中で自らの魔法の才能と向き合う物語がとても丁寧に描かれていて心を揺さぶられました。特に祖母の死によって母の大罪人という過去を知る場面は衝撃的で彼女…
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