22話 担任、投降
週末とあって、賑わいを見せる駅前のファミリーレストラン。
どこからともなく笑い声やらが聞こえてくる中、
「えっと……」
「香ちゃん……」
俺らの席だけは、あまりにもどんよりした雰囲気に包まれている。
その要因は、おそらく目の前に座る人なんだろう。コーヒーの喉を通る音がはっきり聞こえる程の静けさが、なんとも言えない。
「はぁ……」
俯きながら、何度も溜め息をついている端午先生。ここへ来てからずっとこの調子だ。
その姿にはいつものキリっとした面影は見られない。
(いやぁ……どうしたものか)
路地裏でその顔が見えた瞬間、俺と彩夏が端午先生だと分かった様に、端午先生もまた井上姉弟だと分かったんだろう。
乾いた笑い声が聞こえて来たかと思うと、ゆっくり立ち上がり俺と彩夏の顔を交互に眺めていた。そして、どこか諦めたかのようにポロポロと泣き始める。
そんな状況に、これはいかんと彩夏がハンカチを差し出し、どこか落ち着ける場所を探して辿り着いたのがここだった。
とりあえずホットコーヒーを頼んだものの、果たして落ち着けたのだろうか?
なにげなく彩夏へと視線を向けると、偶然にも目が合い小さく頷いた。おそらく先陣を切って声を掛ける気らしい。ここは年上の力を拝借すべきと、返事をするのように頷く。
「あの香ちゃん? 大丈夫?」
「……大丈夫……じゃない……」
(うわっ! 弱弱しい声……まじで端午先生か?)
「あの……もし良かったら何があったか教えてくれない? そりゃ私と四季は元生徒と生徒、香ちゃんは先生って立場だけど、あんなトコ見たら不安になるよ」
「……そうだね。あんな姿見られたもんね。あぁ……終わった」
「なにがあったの?」
「ははっ……ここまで来たらどうでもいいや。笑い話にでもしてちょうだいよ」
そこから端午先生は、さっきの出来事に関して淡々と口にした。現場を見られてということもあって、もうどうでいいと思っているのか、更に赤裸々な話を口にする現担任へ、どういう感情を向ければいいのか分からなくなる。
「つまり、ダメ男に惹かれてしまうと?」
「そう……」
結論から言うと、端午先生は婚期に焦りを感じていた。
元々どこか淡々とし、昔から仕事でも学業でも誰にも負けたくないという性格が災いして、付き合うという経験自体が少なかったらしい。その上、30歳を目前とした年齢と周りの友人らが結婚していく様子に焦りを感じた。
学校での雰囲気からは全く想像も出来ないが、誰しも色んなものを抱えているんだろう。
そんな時に利用したのがマッチングアプリだ。現に何人かとは会って、食事などもしていたらしいのだが、その場所はほとんど隣県のここ繁華街だったらしい。
なぜ距離のある場所なのかというと、近場では生徒や知り合いに見られる可能性を危惧したからだそうで、自分がそういうアプリを活用しているのを知られたくないという、変なプライドだったそうだ。
実際にお付き合いをするに至ったことはあったらしいが、その過程でどうしても仕事関係の話になると相手と張り合ってしまった。負けたくない。弱いところも見せたくない。そんな気持ちが抑えきれずに、結局関係が悪くなり離れる。
甘え下手なキャリアウーマン気質の強い女性にありがちなパターンだろう。
ただ、そういったことを繰り返していくうちに、1人の男と出会った。それがいわゆるダメ男と呼ばれる人だ。
最初に顔合わせした時には心底ガッカリしたものの、自分を尊敬するような言葉や雰囲気に、徐々にまんざらでもない感覚を覚えたらしい。
今まで男性=張り合うライバルだと思っていた端午先生にとって、ご飯を奢ってあげて『ありがとう』と言われることは初めての経験だったそうで、それが決定的だった。
自分が必要とされている。
私を頼ってくれる。
なんか可愛い。
そんな感情に溢れてしまったそうだ。
実際、ダメ男にハマる女性の性格として頼られることで自身の存在意義を見出し、幸せを感じるというものがある。
どちらかというと、自分から行動をしていくことが多かった端午先生が、頼られたことで感情が爆発したと考えると理解は出来る。
それからは付き合うに至る人は全て、一般的に見ればダメ男と呼ばれる人達ばかり。
頼られたり甘えられる分、自分の存在意義を感じて幸せになれるとなれば……見境なしにそういう行動をとってしまうんだろう。
結局、全員から重すぎる。面倒。怖い。そういった理由で別れを切り出されてきたらしい。さっきバンドマンが言っていたことがそのまま当てはまる。
まさに端午先生の隠された秘密というのだろうか。本心というべきだろうか。
とはいえ、担任の赤裸々は結構衝撃的だった。
「いや端午先生。それにしたって、こっちにもアパート借りてるってヤバいですって!」
「そうだよね……ヤバいよね……」
いつでも家に来て欲しくて、こっちにもアパートを借りていると聞いたときは唖然とした。
普段は学校近くのアパート。土日はデートの約束はもちろんのこと、突然の連絡にも対応できるようにこっちのアパート。平日であっても、連絡があればタクシーを使ってでもこちらに来ていたらしい。
(だって、来たいって言われたら断れないじゃない。頼ってくれてるんだから。なんて端午先生の口から聞いた時は、開いた口が塞がらなかったぞ)
「そんで香ちゃん。あのバンドマンがついさっきまで付き合ってた人ってこと?」
「うん。たかちゃん、デビューしたら結婚するって言ってくれてたんだけどね……」
傷心しきった端午先生。
それでも大分落ち着いたのか、随分口数は多くなってきている気がする。
とりあえず、コーヒーのお代わりでも注文しようとした時だった。
「それで?」
顔を上げた端午先生が、俺達を眺めて問い掛ける。
「それでって?」
「こんな姿見られたんだ、学校にでも言う?」
「何言ってるの香ちゃん!」
これまたどこかで見たことがある光景に、下塚さんと菊重の顔が思い浮かぶ。
あの場に居たのが俺だけだったら、俺が何を言おうと端午先生が勘違いだと言えば、世間は先生の言うことを信じたはず。
彩夏だけだとしても同様だ。
ただ、今回はバッチリ2人に目撃されているということもあって、端午先生的には逃げ場がないと悟ったんだろう。
「そんなことしても、俺にメリットないですよ? それに担任としても先生としても、俺は端午先生のこと尊敬してますから」
「そうだよ? 香ちゃん。私だって、弟のこと見守ってもらいたいし、在学中は色々お世話になって感謝してるんだから」
「でも……ガッカリしたでしょ?」
「そりゃ驚きはしましたけど……」
「けど、私達今日は何も見なかったことにするから? ねっ、四季?」
「そっ、そうですよ」
(とは言ったものの、連休明けから今まで通りに接することが出来るか不安だな)
「なんか悪いわね。井上姉弟。そう言ってもらえると、少し楽になるよ」
「それは良かったぁ!」
「あぁ、色々とお世話になった。…………井上? 同好会の顧問って決まった?」
「えっ? それがまだで……」
「あっそ。なら、私やってもいいよ」
それは思いがけない言葉だった。
俺としては勿論、皆から第一候補として名前が挙がっていた端午先生が顧問になってくれるなら言うことなし。それに最初から顧問にあれこれお願いしようとは思ってもない。可能な限り自分たちで活動していこうと決めていたからには、端午先生の負担も軽いはず。
「いっ、いいんですか?」
「必要最低限のことはやるよ。その代わり、面倒ごとだけは勘弁ね?」
「もっ、もちろんです!」
「やったじゃん! ありがとう香ちゃん!」
「いいって。なんか話したおかげで、今までの自分の愚かさに気が付いた。婚期とかどうでもいいや。その内良い人現れるだろうし、マッチングアプリも消すよ」
そう話す端午先生の顔は、どこかスッキリしたような気がした。
俺としても、同好会の最後の関門であった顧問が決定したことは喜ばしい。結局お互い良い結果になったのだと実感する。
「あぁ~、なんか急にお腹すいてきたな。よっし、食うか! 彩夏? 四季! 好きなもの食え。今日は先生がおごってやる」
「えっ? いいの? 香ちゃん!」
「良いんですか?」
「当たり前だ。食えるだけ食って、今までのバカな自分を卒業だ! ほら! 注文しろ!」
「ありがと~」
「ありがとうございます!」
こうして、ひょんなことから同好会の顧問が決定した。これもまた彩夏がライブのチケットを購入し、俺を誘ってくれたからこそ起こった……ある意味奇跡なのかもしれない。
(そう考えると、彩夏に感謝しなきゃな)
しみじみと感じた土曜の夜だった。
ボランティア同好会発足まで、あと同好会申請書の提出のみ。
ついに同好会発足に向けて条件が整いました!
次話も宜しくお願いします<(_ _)>