第2話:学校とまり
黒板に貼られた席順表に従って、僕たちは正式な席に移動した。
「皆さん、こんにちは。私は古久保幸子です。神戸高校一年Z組、いわゆる『特別才能クラス』へようこそ。」
講壇の前で挨拶している女性は、どう見ても三十代前半くらいの年齢だろうか。我々のクラス担任の先生らしい。
「このクラスの名前が示す通り、ここにいる皆さんは、何らかの分野で特に優れた才能を持つ精鋭たちです。」
古久保先生は真剣な表情で説明を続けた。
「もちろんですが、中学校のように数学や理科といった科目を教えるつもりはありません。基本的には、クラスの運営や事務的なサポートをするだけです。」
「やったー! 退屈な学科から解放されるなんて最高だ!」
僕の隣に座っている男子生徒が叫びながら、右手を空に突き上げた。まるで拳を振りかざすポーズだ。
彼は短髪で、左耳にはシンプルな黒いイヤリングをつけている。シャツの袖口から見える腕はかなり鍛えられていて、普段から筋トレをしているのが伺える。
「日比野君、私の話を遮っちゃったわね。」
「ははっ、ごめん!」
古久保先生は話を続けた。
「でも、ひとつ言っておきますね。後々、皆さんの専門分野に合わせてプロの講師が指導を行います。ちなみに、私は『文学』の担当です。」
先生の視線が僕に向けられると、周りの生徒たちは次々にざわつき始めた。
「文学?」
「……え? もしかして文学創作とか?」
「……それとも文学鑑賞?」
なんとも全身がゾワゾワするような視線だ。
こっそり戸塚さんの様子を窺うと、彼女は悠然と自分の漫画を描いていた。
彼女の席は窓際の後方、まさに「主人公ポジション」。どうやら、後ろの席なら授業中に他のことをしていても目立たないとでも思っているようだ。
実際はまるで逆だ! 講壇に立ったことがあるなら分かるだろうけど、最後列はむしろ一番目立つんだから。
一方、僕の席は窓際の前列、いわゆる「陽キャポジション」。陰キャとは言えないけど、絶対に社交的なタイプでもない、「ウェイ~」を口癖にすることもない。
「それでは皆さん、自分の専門の指導の先生を探しに行ってくださいね。先生方は廊下でお待ちですよ。」
「やったー!」僕の隣に座っている日比野君がまた騒ぎ出した。「バスケ!スポーツ!汗だく!」
まぁ、大丈夫だろう、これで後はこの男の騒音も聞かなくて済む。
人が動き始める中、僕はゆっくりと講壇の前に歩いて行った。「古久保先生、それで、次はどこで授業を受ければいいんでしょうか?」
「ごめんね。」
「え?」
「村上君、授業は明日から始めようか。今日はこれから英文学のセミナーに行かなきゃ。もし暇だったら、連載を進めてみたらどうかな? しばらく更新してなかったでしょ!」
僕の「文学」の指導教官、古久保幸子は、クラス会が終わるとこの一言を残して去っていった。「私は君の連載小説のファンなんだからね。」
「人気のあるネット小説作家」として知られている僕だが、実際に一番時間をかけているのは、皆がよく読む長編連載小説の方だ。
ふむ、恐ろしい読者が僕の仕事量を増やそうとしている。とはいえ、先生の言葉もここまで言われると断りにくい。事実だから仕方ない。
僕は自分の席に戻り、鞄からノートパソコンを取り出した。それは原稿を書くためだけに使う、シンプルな文書作成機だ。文字を打ち終わると、目の疲れが止まらず、目が痛くて乾いてきた。僕は窓の外を眺めて、少し目を休ませようとした。
僕たちのクラスは、道路に面したA1棟の4階にある。他の普通クラスは、僕たちのクラスよりも下の階にあるらしい。でも、特別才能クラスの生徒は普段、特別教室に直接行って授業を受けるため、班会の時だけが一度に全員の顔を見る機会だと聞いている。
みんなの専門の授業はどんな感じなんだろう?
*****
昼休み、僕はコンビニのおにぎりを持ちながら、食事をする場所を探してあたりを歩き回っていた。
ちょうど9月の開学シーズンで、まだ夏の余韻が残っており、今日の気温も30度を超えていた。神戸高校の校舎は海辺に立っていて、絶え間ない海風が空間を湿気させ、蒸し暑くしている。僕は数歩歩いただけで、すでに全身に汗が滲んできた。
こんな天気は熱中症になりやすいから、外で体力作りしている日比野君が心配だ。
突然、肩を軽く叩かれた。
「おお! これが『知識の泉である作家様。』じゃないか?」横から女性の声が聞こえてきた。
振り返ると、そこにはピンク色のボブヘアの女の子が立っていた。髪の毛は僕の肩あたりの位置にあって、身長は僕より少し小さいくらいだ。
「ちょっと待って、君は…麻里さん? この学校に通っているの?」
麻里香織、僕の中学の同級生で、ほとんど接点はなかった。僕はその時、ネット小説の連載に夢中で、あまりクラスメートと関わることがなかったからだ。
「もしかして、朝のホームルームの時、僕のことに気づかなかったの?村上くん。僕も君と同じ、1年Z組の生徒なんだよ。」
「ごめん、朝のクラスルームで人が多すぎて、麻里さんのことに気づかなかったんだ。」
ちょっと待て、さっき言っていたあのニックネーム、あれは戸塚が僕に付けたものじゃなかったっけ? それなら、麻里さんはどうしてそれを知っているんだ?
「もしかして、こんなこと考えてるんじゃないですか?『麻里がさっき言っていたニックネーム、あれは戸塚が僕に付けたものじゃなかったっけ? それなら、麻里さんはどうしてそれを知っているんだ?』ってね?」
相手は挑むのな目で僕をじっと見つめ、すぐにため息をついて言った。「はぁ……、村上が高校に上がったばかりでこんなに可愛い女の子と出会うなんて、これはダメだね。」
麻里さんが僕に近づいてきて、右手のひらを僕の胸に押し当てた。「でも、君が僕の名前を覚えているってことは、君の心の中では、まだ僕のことを気にしているんじゃない?」
予想外の行動に僕は驚いた。嫌な気はしなかったけれど、麻里さんもなかなか可愛い女の子だし。でも、僕は彼女とそんなに仲良くない。中学の同級生だとはいえ、今まで一度も話したことがなかった。
僕は後ろに一歩下がり、麻里さんとの距離を取ろうとした。「君、こんなことして恥ずかしくないの? それとも、僕のことを異性として見ていないのか?」
「村上さん、ほんとに冗談が好きね。君、そんなにカッコいいんだから、もちろん異性として見てるわよ。でもね、君があまりにも暗いから、逆に深く知り合うチャンスがないのよ。」麻里さんはそう言ったかと思うと、突然僕を抱きしめた。
「うう……うおい?! ちょっと待って……」
「おいおい~、話を最後まで聞いてよ!」
麻里は自分の体温で僕を包み込んで、優しいジャスミンの香水の匂いが漂ってきた。微かに相手の心拍が聞こえるけど、僕の心臓の音の方が大きく感じる。
「麻里さん、僕、汗だらけなんだけど……」
「大丈夫だよ。」麻里は片手で僕の唇を覆った。「大丈夫だよ、村上君。」
人は死ぬ前に人生の走馬灯( そうまとう )を見ると言われているけど、今の僕はそれを見ている気がする。ただ、僕は死んでいるわけじゃなくて、ただ一人の女の子に抱きしめられているだけだ。
「ねぇ、村上君、もう少し私に注目してよ。」麻里の顔がかなり近くに来た。「戸塚さんのことなんて忘れちゃって、私のことを心の中に入れてくれれば、私のことも受け入れられるでしょ?」
だんだん麻里さんが変だなと思い始めた。
「ごめん、麻里さん。手を離してもらえますか? ちょっと僕、先に行かなきゃ…」
「え!! ごめんなさい。……怒らせるつもりじゃなかったんです。」麻里は手を離し、「あの…嫌わないでね、お願い…」
彼女の可愛らしい様子に、少し心が痛んだ。「それなら…一緒に昼ごはん食べに行かない?」
「本当に!?」麻里さんは嬉しそうに跳び跳ねた。「じゃあ、お弁当取りに行って、すぐに元の教室で会おうね。待たせないから!」
どうやら麻里さん、元気を取り戻したみたいだ。