第10話:カレーと感情
「それじゃあ、二人の邪魔はしないでおくね。」麻里は手をひらひらと振りながら、僕たちに別れを告げた。
「さっき、俺たちも誘えって言ってなかったか?」赤郎が不思議そうに尋ねる。
「冗談だよ~。それに……」麻里は首を左右に振り、欠伸をしながら続けた。「ちょっと昼寝したくなっちゃった。」
「夜更かししたんだろう?なんでそんなに遅くまで起きてたんだ?」眠気に満ちた麻里の目を見て、僕はつい聞いてしまった。
「当ててみてよ、樹雨くん~」
「言わないならいいけど。」僕はため息をつきながら答える。「あと、『部活計画書』は君の机に置いておいたよ。」
「ありがとう、樹雨くん。」麻里はいつものように眩しい笑顔を見せた。「体育の授業でまたね。」
……体育の授業?
……ったく、俺は何やってんだよ……!?
「どうしたの、樹雨くん?」
麻里の声で我に返る。
「……………何でもない。」僕は手を振って別れを告げた。「じゃあ、またな。」
*****
麻里と別れた後、僕と赤郎は校庭へ向かう。
「まさか、ここで昼飯を食べるわけじゃないよな?」
「俺たちがここで食べるわけないだろ!俺の一番好きな場所に連れて行くんだ!」赤郎は嬉しそうに叫び、手足を大きく動かしながら歩いている。
校庭を横切ると、そこには陸上トラックやバスケットコート、バレーボールコートがあった。
昼時の校庭は人影がまばらで、散歩したり雑談したりする生徒が十数人いるだけだった。
「よっ!赤郎くん!」遠くから、僕たちを見つけた背の高い男子が手を振ってきた。
日に焼けた肌、金髪に染められた髪、そして「Volley Boy!」と書かれたカラフルなシャツ。どう見ても赤郎のバレー部の先輩らしい。
「よっ!放課後の練習でな!日向先輩!」赤郎は叫ぶと、僕に振り向いた。「うちのバレー部のキャプテン、日向刃月先輩だよ!聞いた話じゃ、3年Zクラスらしいぜ!」
少し歩くと、学校の別のエリアにあるB棟に着いた。
普段僕たちがいるA棟(A1棟からA4棟)が教室と事務関係のエリアなら、B棟はクラブ活動や特別活動の拠点だった。
以前見た学校の地図によれば、この棟の左右にはB1とB2の校舎が並んでいるはずだ。
「ここで何をするんだ?」
「もうすぐ着くぞ!」赤郎が言う。
彼の言う通り、階段を登る必要はなく、目的地は一階にあった。
「じゃーん!到着だ!」
赤郎は階段横の部屋の扉を勢いよく開けた。そこにはバレーボールが入ったカゴと、棚に並ぶユニフォームが見えた。
「ここが俺たちのバレー部の休憩室だ!」
赤郎は少ないスツールのひとつに座り、僕にも座るように促した。
「バレー部のメンバーはここで昼飯を食べないのか?」
「みんなは外で、コートのそばに座って食べるんだ!」
赤郎は休憩室の設備を説明しながら、グリーンカレーをかき込んでいた。
「あの棚には、部員たちのシューズが置いてあるんだ!」
彼は口いっぱいにカレーを頬張りながら、棚に並んだ青いスポーツシューズを指さした。「これは俺のバレーシューズだ!」
「バレーボール専用のシューズがあるんだな。」
「当たり前だろ!バレーにはバレーシューズ、バスケにはバスケットシューズ、卓球には卓球シューズ……うぅ……ゴホッ!」
食べるのに夢中だったのか、赤郎はむせ始めた。
赤郎の表情が歪み、異変に気づく。
「大丈夫か!?」
僕は赤郎の背中を力強く叩き、喉に詰まったものを出させようとする。
「慌てるな、しっかり吐き出せ!」
一回、二回、三回……
「ゴホッ!!!」
「どうだ?」
赤郎は大きく咳をして、元の表情に戻った。
「助かった……」
「無事でよかった。」僕は安堵の息を吐いた。
騒動が収まった後、僕は今日の昼食を楽しむことにした。
今日の昼食は自家製のチキンナゲットおにぎりだ。
コンビニで買った塩むすびの中に、麻里さんがくれたチキンナゲットを詰めた、僕にとっては贅沢な一品。
「これが手作り弁当の楽しさってやつか?」僕は独り言を呟いた。
一口かじると、悪くない味だ。歯ごたえのある米とサクサクで塩気の効いたナゲットが絶妙にマッチし、どんどん口に運んでしまう。
「赤郎、さっき言ってた話って、何だったんだ?」僕は、赤郎が昼飯に誘った理由を思い出させた。
「そうだ!俺には大事な話があるんだ!」赤郎は残ったグリーンカレーを飲み込み、スプーンを置いた。「めちゃくちゃ大事な話だぞ!」
「何の話?」
赤郎の顔がみるみる赤くなっていった。
視線は床を見つめ、怯えたように揺れている。
赤郎は小さく息をつき、体をぎこちなく前後に揺らしていた。
焦りと不安が、空気をじわじわと染めていく。
「無理に話さなくてもいいよ?」
僕がそう言った途端――
「俺……俺……」
次の瞬間、赤郎は自分の顔に拳を振り下ろした。
「俺……俺は麻里さんが好きだ!」赤郎は僕が想像もしなかった大音量で言った。「頼む、俺たちを結びつけてくれ!!」
「は?」僕は一瞬、理解が追いつかなかった。「つまり、俺が日比野赤郎と麻里香織の『大国主神』になるってこと?」
「大国主神って誰だよ?」赤郎はキョトンとして聞き返す。
「知らなくてもいいよ。君の言う『縁結びの神様』と同じようなものさ。」僕は頭をかきながら答える。「そんなに麻里さんが好きなら、直接言えばいいじゃないか?」
「さっき知り合ったばかりでいきなり告白なんて、女子から見たら無鉄砲な奴だと思われるに決まってるだろ!」
いやいや、最初に赤郎と話した時から、君は十分無鉄砲だったぞ。
「正直に言うと、俺はきくんが潜在的なライバルになると思ってるんだ。だから、直接話しておこうと思ってさ。」赤郎は落ち着きなくキョロキョロし、麻里さんがどこかから出てくるんじゃないかと警戒しているようだった。
「だって、見れば分かるだろ?きくんと麻里さん、結構仲良さそうだし。」
「まあ、友達ってところかな。」僕はそう結論づけた。
僕自身は、潜在的なライバルになっているとは思わない。
でも、麻里さんみたいな可愛い子が僕を好きだと言ってくれるなら、もちろん付き合いたいと思う。
ただ、麻里さんとの普段の関係を考えると、その可能性は限りなく低い気がしていた。
どうしてそう思うのか?
どれだけ外向的な人でも、好きな相手の前では照れたりするものだ。
例えば、今の赤郎は顔を真っ赤にして、見るからに恥ずかしそうだ。
でも麻里さんには、僕に対してそんな素振りは一切ない。
そう考えると、僕が麻里さんに好かれている可能性は低い。
「そこまで言うなら、協力するよ。でも、僕は恋愛経験が豊富ってわけじゃないし、縁結びの神様みたいなことは、あまり期待しないでくれよ。」
「やった!ありがとう、きくん!」赤郎は僕の返事を聞くと、声を上げて笑った。
人助けするのは悪くないし、恩を売っておくのも悪くない。
でも、体育の授業が終わった後で、その話はまだ意味があるんだろうか?
*****
水曜日の午後は体育の授業で、今日はバレーボールをやるらしい。
もし僕の趣味をリストアップした本があるとしたら、「運動系」の項目は確実に空白になるだろう。
机の下に頭を突っ込み、迫りくる体育の授業に向き合いたくない気持ちでいっぱいだった。
「多分、この体育の時間、僕は端っこで座って休むしかないんだろうな……」
そう思いながらも、さらに不安な考えがじわじわと忍び寄ってくる。
「最悪だ、もし無理矢理コートに立たされたら、間違いなく醜態をさらすことになる……」
僕はずっと運動が苦手だった。
中学生の時、運動が苦手なせいで二年間もいじめられた経験がある。言葉の暴力や身体的な攻撃は日常茶飯事だった。
今、僕が心配しているのは、これからの体育の授業で「人気のあるネット小説作家」という僕のイメージが台無しになる可能性があるということ。
それどころか、ここ二日間でできた友達からも嫌われるかもしれない。
「悔しいな……」
「なんで文学専門なのに、体育まで受けなきゃいけないんだ……」
心の中で焦りが芽生え始め、僕の内面をむしばんでいく。次々と浮かび上がるネガティブな思考が、吐き気を催させる。
「運動もできねぇのかよ……」
「ちょっと小説を書けるだけで、調子に乗ってるんじゃない?」
「こんな陰気なやつは、踏みつけられて当然だろ!」
脳内で響くかすかな嘲笑。中学時代、クラスメイトから向けられた軽蔑の視線が、今でも鮮明に蘇る。
あと三十分後には、村上樹雨という名のピエロがコートの上で無様に転げ回り、観客を楽しませることになるだろう。
時間が刻々と過ぎていく。僕は、どうにかして体育の授業を回避する方法を考えなければならない。
……
……
「あの……ちょっと気分が悪いので、保健室に行ってきます。」




