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第9話:執筆とひびの

水曜日の午前中は、僕の自由時間だった。


執筆をしない時は、ぼーっと座っているのが好きだ。

今も教室の自分の席に座りながら、隣の窓の外を眺めている。今日も道路には車が行き交っている。


入学式があったのは月曜日。それから二日が経ち、僕は少しずつ特別才能クラスでの生活に慣れ始めていた。

不意に眠気が襲ってきた。昨夜、連載中の作品——『心の瑕疵』の最新話を書き上げたせいだろう。

「このままの流れでいけば、そろそろ完結させるべきかもな。」僕はつぶやいた。


『心の瑕疵』は僕が中学二年生の時に書き始めた、内面の価値観をテーマにした小説だ。これまでに十四巻まで執筆され、若者の間でそれなりに評価を受けている。

僕の予定では、今年中に十五巻を書き上げ、この作品を完結させるつもりだった。


普通の人からすれば、たった二年でこれほど多くの巻数を書き上げるのはまるで夢物語だろう。しかし、僕にとっては、アイデアが湧き上がるときには、眠っている時間以外は全て執筆に費やしてしまうものだ。


しかも、僕は原稿を一度も書き直すことなく、編集者にそのまま渡す自信がある。編集者がするのは誤字脱字を直すだけでいい。

これまで、編集者から原稿を突き返されたことは一度もない。


ただし、出版社側の事情もあるため、僕の小説が実際に書籍化されるまでには時間がかかる。現在『心の瑕疵』の書籍版はまだ第五巻までしか出ていない。


さて、ここで僕の悪い癖について話しておこう。

僕は完全にアイデア頼りの作家だ。一度ひらめけば、台詞も展開も次々に思い浮かび、作品の未来がはっきりと見えてくる。


だが、別の新しいアイデアが浮かんでしまったときには、それを我慢できずに新作を書き始めてしまうのだ。

こんな僕が小説を量産しすぎて、創作の時間がますます忙しくなってしまった。


昨夜、『心の瑕疵』の最新話を書き終えた後、新しいシリーズのプロットを書き出してしまった。

さらに、麻里さんから頼まれていた『部活計画書』の活動内容も仕上げることになり、気づけば夜中の三時まで机に向かっていた。


「村上くん、なんか元気ないね。」

聞き慣れた声が背後からかけられた。


振り返ると、紫色の長い髪が肩にかかる姿が目に入った。髪の一本一本が太陽の光を反射して輝いている。


「昨日は原稿を書いてて夜更かししたんだ。」僕は目をこすりながら、何とか眠気を覚まそうとした。


「コーヒーでも飲む?」


「僕、コーヒーは飲まないんだよね。」


戸塚さんの細い指が持つ箱には、『水彩』と書かれた付箋が貼られていた。

「今日は水彩画を描くの?」


「ばれちゃったか。」戸塚さんは箱を僕の目の前で軽く振った。「風邪はもう治ったよ。昨日は気遣ってくれてありがとうね。」


「それより、『生徒専用教室』の件だけど……」僕は言いかけて言葉を飲み込んだ。


「ああ、それね。」戸塚は鞄から教室申請書を取り出した。「まだ、君が同意してくれるかどうか分からなかったから。」


「ただ名義だけなら断る理由もないよ。」


「大感謝!!」戸塚さんは嬉しそうに手を叩いて微笑んだ。


手を擦りながら、戸塚さんが尋ねた。「村上くん、今朝は授業ある?」


「ないよ。この後は小説の続きを書くつもり。」僕はこめかみを押さえて、目の疲れを和らげた。


「『心の瑕疵』の続き、すごく楽しみにしてるんだよ。」戸塚さんも同じようにこめかみを押さえながら言った。「重信さんと小和田さん、互いの人生観を受け入れることができるのかな?」


「今、ネタバレしちゃう?」僕は冗談めかして言った。


「いや、自分の目で確かめたいから。」戸塚はそう言うと、時計を見て顔を上げた。「あっ、やばい!授業始まっちゃう。またあとでね!」


「うん、またあとで。それと、Gummyチョコレートグミありがとう。」僕は手を振った。


「ふふっ、僕もあれ好きなんだ。」戸塚さんも手を振り、教室を出て行った。


*****


僕の視線は、目の前のノートパソコンの画面から一度も離れなかった。誰も話しかけてこない。まるで僕の周りに見えない壁が築かれているかのようだった。


『心の瑕疵』の最終話を書き終えた瞬間、僕は大きく伸びをした。

時間が経つにつれて、空の太陽はさらに眩しくなり、暖かさを増していた。光は教室の窓ガラスを通り抜け、床にくっきりと人影のシルエットを描き出している。


その静寂の中、誰かが僕の肩を軽く叩いた。


「おっ、これってきくんじゃないか?」

教室に入ってくるなり、日比野赤郎が僕のそばに寄ってきた。

「何してるんだ?」


「さっきまで小説の最新話を書いてたんだ。」僕はノートパソコンの画面を指さした。「僕、実は作家なんだよ。」


「作家?かっこいいじゃん!!」赤郎は嬉しそうに拳を振り上げ、宙にパンチを繰り出した。「俺は体育館から戻ってきたところさ。ちょうど昼飯の時間だな。」


「うん、そろそろ食べる時間だね。」


うちの学校のチャイムは普通クラスにしか流れない。特別才能クラスにはチャイムが鳴らないので、自分で時間を確認して、昼休みや放課のタイミングを把握しなければならない。


「俺と一緒に昼飯食わないか?」赤郎はそう言いながら、カバンの中から弁当箱を取り出した。


「別にいいけど……」僕はふと気づいた。赤郎は昨日も一昨日も昼休みに教室にいなかった。「昨日は誰と食べてたの?」


「そりゃもちろん、俺のチームの仲間とさ!バレーボール部の仲間さ!」赤郎は弁当箱を開け、中に入ったハンバーグとグリーンカレーを見せた。


「グリーンカレー?」思わず声が漏れた。


「グリーンカレー最高!!」


「確か、ココナッツミルクとかナンプラーが入ってるよね。」


「ココナッツミルクとナンプラーも最高!!」


僕はカレー自体は嫌いじゃないけど、グリーンカレーはあまり好きじゃない。だから他人の弁当にグリーンカレーがぎっしり詰まっているのを見ると、少し驚いてしまう。


「でも今日はチームの仲間と食べないの?」僕は不思議そうに尋ねた。


「そうなんだ!今日は、きくんに話したい大事なことがあるからな。」赤郎の興奮が少し冷め、真剣な雰囲気になった。


「大事なこと?」


「えっと……その……俺……」赤郎は口を開いたものの、言葉が喉で詰まったように声が出てこなかった。


もしかして、言いにくいことなのか?


「ゆっくりでいいよ。」僕は優しく声をかけた。


赤郎の緊張は隠しきれず、周囲を見回して拳を握る手も小刻みに震えていた。


「ここじゃ言えねえ!」赤郎は立ち上がり、弁当箱を手に取った。「俺たち、場所を変えようぜ!ここは空気が重いんだ!」


「わかったよ。」僕も帆布のバッグからおにぎりを取り出し、立ち上がった。「赤郎、どこで食べるの?」


「俺についてこい!!」赤郎は元気よく叫んだ。


*****


路上、赤郎は一言も話さなかった。


歩く速度もいつもより遅く、きょろきょろと周囲を見渡しながら、表情は妙に硬い。

普段の明るくて少し抜けている印象とはまるで別人のようだった。


しばらくして、赤郎が口を開いた。「……きくん、あとで驚くなよ。」


待てよ、この感じ……まさか恋に悩む青春真っ盛りの男子じゃないか?


「驚かないよ、理解できるし。」僕は鼻を擦り、こめかみを押さえて深く息を吸った。


背中にふわっとした柔らかい感触があった。


「誰だ!?」まるで驚いた猫のように飛び跳ねた僕だったが、背中の感触は消えない。

振り返ると、見覚えのある女の子が手のひらで僕の背中を押していた。


「麻里さん?ここで何してるんだ?」


「あぁ!!ま、ま、麻里さん?」

赤郎が突然大きな声で叫び、僕までびっくりしてしまった。


赤郎は大きく息を吐き、周囲に拳を振り回しながら必死に平静を装っていた。

「な、なんだよ……麻里さんか!いや、きくんと昼飯行くところだぜ!」


「赤郎くんと樹雨くんが昼飯?」麻里は頬を膨らませ、地団駄を踏んだ。

「なんで私を誘わないの?」


「あぁ!悪い悪い!急に決めたからさ、特に相談とかは……はは!」

赤郎の声は次第に大きくなり、廊下中に響き渡っているようだった。


「言ってるのは君のことだよ、樹雨くん!」

麻里は僕をじっと見つめ、不機嫌そうな表情でまるで嫉妬しているかのような言葉を投げかけてきた。

「誰が今まで一緒に昼ご飯を食べてあげたと思ってるの?他の人と行くなら、ちゃんと私に一言あるべきでしょ?」


僕は慌てて二歩後ろに下がり、急いで謝った。「ごめん。」


「誰かと昼飯を食べるなら、それが礼儀だよ。覚えておいてね、樹雨くん。」

麻里はそう言って、いつもの笑顔に戻った。


「今日、君のためにチキンナゲットを多めに作ったからね。」

麻里は弁当箱を差し出し、僕の耳元で小声で囁いた。

「……美味しかったら、ちゃんと褒めてよね、えへへ~」


「きくん!麻里!何やってんだ!?」

赤郎が僕の肩を揺さぶった。「お前ら、一緒に昼飯食ったことあったのか?」


「うん、普通の友達と食べただけだよ。」

麻里が「普通の友達」とどんな距離感で接しているかを思い出しながら、僕は普通の感覚で説明した。


「樹雨くんの言う通り。ただのご飯だよ、赤郎くんが騒ぎすぎじゃない?」

麻里は視線を赤郎に移し、「それとも……君もナゲットが食べたいの?」と指差した。


彼女が指したのは、さっき僕に渡してくれた弁当箱だった。

僕も思わず弁当箱をちらっと見た。ピンク色の無地で、余計な模様やデザインはない。

これぞ「麻里の弁当箱」という感じだった。


「えへへ~赤郎くんが食べたいなら、それも食べていいよ。」


「ありがとう!!」赤郎は喜びを隠せず、さらに速いペースで空気を殴り始めた。


「……マジでウケるんだけど……」

麻里がぽつりと優しい声で呟いた。


「え?今何か言った?」僕は気になって聞いてみた。


「ううん、べつに~」

麻里はにっこり笑って、その場を流した。

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