45話目 前夜
ジェイらが魔王城に乗り込む前日。
王都と魔王城の中間、かつて賢者と魔王が激突した平野に人間と魔族、両軍が対峙していた。
人間側の軍を率いるのは勇者。一方、魔族軍は魔王御自ら指揮をとる。まさしくどちらの種族がこの地を支配するかを決す一大会戦である。
魔族陣営。床几に座る魔王の足元にマギアがひざまずく。
「魔王様。いよいよにございます」
「わかっている」
魔王が居城に籠ること二十年来。再び戦場に立つと決意したのはなにもロクサーヌにそそのかされたからではない。
――勇者。
賢者に受けた屈辱を晴らすため、己が宿命に打ち勝つため、戦わねばならぬ宿敵の来襲を聞きつけたからだ。
厳冬期、急ごしらえの陣容は薄い。特に魔王の懐を寒からしめるのは懐刀として組織した四天王のうちふたりが討たれたこと。聞けばひとりは敵国の都に単身乗り込んで敗れ、もうひとりは魔族一の剣士を名乗りながら、あろうことか人間の剣士に斬られたというではないか。
物笑いの種である。このような不出来な人物を重用した魔王の責任を問う声もある。さらに言えば残るふたりも重く使うに能わず。ひとりは二心あり、もうひとりは陽動作戦のひとつも果たせぬまま、おめおめと逃げ帰ってくる体たらく。
これでは諸侯への派兵の働きかけも鈍ろうというもの。
人族およそ二十万に対し、集められたのはせいぜい八万。これがいまの魔王の実情を示している。
勇者を叩き潰し、魔族の決定的勝利を得ようというにはお粗末なものだが、魔王の心は俄然弾んだ。
「魔王様万歳!」
うらぶれ、長い事、国政をないがしろにした王をいまだ信じる者たちの声が耳朶に響き心を奮わせる。ここに集いしは魔王を狂信する者たち。目には畏敬の念が宿っている。
「よいか、お前たち。敵は数にたのんで力押しにくる。固く守れば必ず突出する者らが出よう。勇者だ。勇者を本陣深くに引きずり込め。わらわ自ら討ちとってくれる」
魔王に勝利を。魔族に栄光を。そのためにも勇者、人族を照らす希望の光を消し去らねばならない。
魔王はじっとその時を待った。
一方、人間側は数の利を悟り、勢いづいていた。
「見事に魔族を出し抜きましたな」
「皆のおかげだよ~」
連合軍指揮官オーグス三世の陣幕。王の御前にて、聖都から派遣されたオビスポと勇者が話し込んでいる。
「雪の中、敵に気取られず軍を動かすのは大変だったでしょう?」
「なんのこれしき。魔王と戦う勇者殿の重責を思えばなんのことはありますまい」
人間の支配領域の大部分は大陸北部に位置するため、冬季は積雪により行軍が難しくなる。いままでは魔族にそれを利用され、有利に進めている戦いも仕切り直しを迫られたが、今回は逆手にとって不意を突くことに成功した。
「それで、ここからの作戦は?」
「もちろん、数の力でわーっと押していくよ」
「うまくいくでしょうか?」
「難しいだろうね~。物見の報告だと、敵は後方にいくつもの防御陣地を築いているみたいだから、たぶん正面切っては戦ってくれないんじゃないかな?」
「遅滞行動をとってくるということですな」
「うん。なるべく被害を抑えつつ時間を稼いで増援を待つって作戦かな。あとは僕たちを領内深くに呼び込みたいってのもあるかも」
「補給線を間延びさせ、兵站を脅かそうということでしょうか?」
「そんなところかな。ただでさえ雪で大変なのに、輸送隊を攻撃されたらたまったものじゃないね」
「冬季に軍を起こしたことによる弊害ですな。とはいえ防戦に努める敵軍に対し短期決戦を迫れば兵の消耗も著しいでしょうし、いやはや困りましたな」
作戦会議が煮詰まる中、モニカの母、ローザ・クラウンスフィードが顔を出した。
「黄昏の騎士団。準備完了した」
「ごっくろ~」
黄昏の騎士団とは、本作戦のため特別に編成された精鋭を集めた騎士団だ。
騎士団長にローザ、副団長にエレナ=ノーザランドを据え、各国の優秀な騎士を引き抜き、さらに勇者パーティの面々やアンティグワ三勇士といった名うての冒険者を加えたものになっている。
「皆、やる気満々かな?」
「ああ。死力を尽くして戦ってくれるだろう」
国境も民族も越えてこれだけの精鋭部隊を編成できたのは、ひとえに勇者の名声あってこそ。勇者はやはり特別だった。
「しかし急なことであったため仕方のないことではありますが、暁の騎士団のソードマスターズの皆様を迎えられなかったのは残念ですな」
「どこをほっつき歩いているんだろうな。あの三バカは……」
オビスポとローザはソードマスターズと親交があり、その実力を高く評価しているが故にひどく残念がった。
「あとは拳聖ジェイ殿も。魔王軍四天王すら凌駕する彼の協力が得られれば百人力でしたのに」
「いないのを嘆いても仕方ないよ~。僕たちだけで頑張ろうね!」
勇者は「エイ、エイ、オー」と拳を突き上げる。
「それで具体的な作戦はどうなっている?」
ローザがテーブルに置かれた地図に目を落とし、勇者に問うた。
「簡単だよ! 僕が魔王を倒す。以上!」
「魔王を倒すための条件は?」
「一対一で戦うこと!」
勇者はにへへと笑う。一方、ローザの表情は硬い。
「敵軍をうまく分断していく必要があるな」
「大丈夫! 全軍をあげて正面から攻撃すれば必ずこっちが勝つから、あとは逃げ出した魔王を黄昏の騎士団で追撃。僕が魔王を斬る。はい、これで勝ち!」
「退却するにしても魔王には直属の騎士団が護衛につくだろう。その数、一万は下るまい。こちらは五千しかないぞ」
選りすぐりの部隊であるが故の寡兵。とはいえ追撃には速さが肝要である。数を増やしたがために速度が落ちては勝機を逸する。
「単純な数のやりとりだと負けちゃうね。でも、こっちは魔王ひとり殺れればいいわけだから簡単でしょ?」
「どれだけの犠牲がでるかわからんぞ」
「魔王の命と引き換えなら全滅したってお釣りがくるよ!」
「……勇ましいな」
「勇者だからね!」
魔王さえ斃れれば勝利も同然。なれば騎士団の人命を引き換えにしても割に合う。分かってはいるがローザは団長として悩ましい。
「戦況を鑑みるに、そのような危ない橋を渡る必要があるだろうか? 着実に勝利を重ねていけば、いずれ決着がつくではないか?」
「ノンノンだよ、ローザちゃん。そんなことしてたら犠牲者は五千じゃ効かなくなるよ?」
勇者の瞳が怪しく揺れる。ローザはその目に破滅をみた。
(危うい。これが人類に平和をもたらす英雄の目だろうか? 憎悪や復讐といった後ろ暗い感情で濡れているではないか。人類の命運を託すに足る者は、もっとまっすぐな、純粋な目をしているもの。私はそんな目をした男を知っているというに……)
ローザは空を見上げる。澄み渡る青もやがては血の如き朱に染まり、ついには暗黒へ沈むのだろう。
そして光る星。当世の英傑たちが輝き、瞬く間に流れゆく無常の宇宙が広がる。
(モニカ。ジェイはどこにいる? 早く連れてこい)
千年に渡る戦争に終止符を打つべく、いま決戦が始まろうとしていた。




