4話目 誕生
ああ、青い星よ。遥かなる故郷よ。私は帰ってきた。
目を開けると見知らぬ天井……天井?
(ところどころ穴が空いているんですが)
木漏れ日のように、天井の穴から差し込む陽がまぶしい。なんてロハスな家だろう。きっと雨が降ったらシャワーは要らない。
「あらぁ、起きたんでちゅか~?」
人の声がする。顔をのぞかせたのは、
(オーク?! いや人間か?)
見知らぬ、たぶん女だった。
「は~い。じゃあおっぱいあげましょうね~」
おい、馬鹿、なにをする。その手をどけろ。汚らわしいものを近づけるな。
「イヤイヤでちゅか~? でも、おっぱい飲まないと大きくなれまちぇんからね~」
「ア、アァー!」
大胸筋としか言いようのないおっぱいは、ある意味で魔王より大きくて硬くて、びっしりうぶ毛が生えていた。
「じゃ、ねんねちまちょうね~」
穢された。もうお婿にいけない。口の中に残る毛を吐き出すことすらできず、俺は涙で枕を濡らすのだった。
異世界生活二周目。誠に遺憾ながら俺はオーク、もとい平民の子に生まれた。片親の貧しい家庭で母は元冒険者。いまは村の警護を主な仕事としているようだ。
早々におっぱいを卒業し、自らの足で立ち上がる。
「あんよが上手、あんよが上手」
母の手を振り払い、水を貯めた桶のもとへ。ふちに捕まって中を覗き込む。
(ほっ)
母を見るたびに不安に駆られていたが、幸いにして普通の顔をしている。
(父親はどんな男だ?)
全然母に似てないから父親似なんだろうけど、よほどの物好きに違いない。というか被害者かもしれない。寝込みを襲われ、無理やり……。
(おぞましい)
うん。忘れよう。父はいない。
たくましい母のもとですくすく育った俺は五歳になった。
「ほら、どうした!」
この頃には母の指導の下、剣術を習い始めた。決戦に勝利した魔王は支配地域をどんどん広め、世界の情勢は予断を許さないらしい。そんな中でも生きていけるようにとの母の教えだった。
(いや俺、魔法得意なんですけど)
残念なことに母は読み書きができず、魔法も使えない。そんな彼女から学べることは剣術くらいしかなかった。
「腹ががら空きだよ!」
木剣が腹にめりこむ。
「ぐはっ」
せりあがる胃液を吐き出しながら、家の前の道をゴロゴロ。母は見た目通りの馬鹿力でまるで加減がなってなかった。
「ちょっと、大丈夫かい?!」
駆け寄る母。丸太みたいな腕、心配そうな顔。
(DV男ってこんな感じなのかなあ……)
この日も意識を失って、稽古を終えるのだった。
月日は過ぎ、七歳。このくらいになると貴族の家では子弟を学校に通わせるが、平民の子は基本学校にいけない。特別優秀であれば別だが、
(学校なんて行ってもなあ)
人生三周目ともなるとさすがに退屈だ。
前世は飛び級しまくって青春らしきものの欠片も味わえなかったため、あえてそれを求めに行くというのも悪くはないが、
「はぁ~」
平民の子では相手にされないだろう。貴族の子としてもてはやされた経験が俺をみじめな気持ちにさせる。
「ジェイ。洗濯物干しておくれ」
「あいよ~」
そうそう、俺はジェイという名前になった。とても気に入っている。
「賢者様って呼ばれるのも悪くなかったけどなあ」
家でイスに座ったまま、窓の外、たらいからちょいっと魔法で母の服を浮かし紐へ。
「こら! なに横着してんだい!」
「別にいいだろ!?」
この歳の子がこんなにも魔法を自在に操っているのに、
「体を動かさないとなまっちまうよ」
魔法を使えない母はそのすごさに気づけない。そんなものか、くらいに思っている。
(まあ、前世ではほとんど体を動かさなかったからなあ)
賢者だったときは歩くのもおっくうで、なんでも魔法で解決していた。本もコップもペンも、欲しいものは魔法で運ぶ。どうしても外にでなきゃいけないときは魔法で浮かんで移動していた。なんだったら王様の呼び出しに代理の精霊を向かわせたこともある。
「しょうがない」
もう魔法じゃダメなんだ。これを期にあらためるか。
立ち上がり、ドアから外へ。たらいを手に、自分の足で歩き、踏み台を使ってひとつひとつ洗濯物を干す。と、
「人食い狼が出たぞ!」
村人があわてた様子で走ってくる。
「ジェイ。家に入ってな」
母は慌ただしく準備を整えるや大剣を手に飛び出していった。
「気を付けて」
俺たちが暮らす村は魔族領にほど近い。国境の森は人気がなくモンスターがはびこっているため、ときおりこうして人里にあらわれる。
「最近多いなあ」
母は強いから心配いらないんだけど、今日はなんか胸騒ぎがする。
「狼か。こないだも討伐してなかったっけ?」
ふとした違和感。気になる俺は後を追いかけることにした。
村の広場。
「まったくキリがないねえ」
狼の群れを相手に筋骨隆々《きんこつりゅうりゅう》とした女、ジェイの母親が戦っている。
側面から飛びかかる狼を大剣で斬り飛ばした。返す剣も早い。頭上から振り下ろした渾身の一撃は二頭の狼をまとめて両断した。
「ほら、はやくかかってきな」
一帯に転がる狼の死体。仲間の惨状を前に戦意を失ったのか、狼は距離をとり、遠巻きから吠える。
この戦い、女に分があるのは明白。が、敏捷性に差があり、攻撃を仕掛けてもらわなければ女の剣が届くことはない。
(変だね)
頭のいい狼が真正面からでは敵わない相手を前に、一向に引き上げる気配がない。
女ではない、別のなにかに怯えるように低くうなり、全身の毛を逆立てている。と、
「やあ、ごきげんよう」
「誰だい、アンタ」
狼の背後、薄暗い森から黒い礼服に身を包んだ男が現れた。
「私はグレゴニール・アウシャビス。あなた方の言うところの魔族です」
グレゴニールは「どうぞよろしく」といった具合に、かしこまってみせる。
「魔族が人間の村になんのようだい?」
「大した用件ではないのですが、私の飼い犬がいなくなってしまい探しているのです」
彼はわざとらしく辺りを探るようにして歩き、転がっている狼の死体をわざとらしく踏みつけ、
「おっと、あぁこの子です。おぉ私のかわいいプレデアプタ。いやサラダヴィオだったか。どうしてこんな姿に?」
にやりと笑った。
「アンタがこいつらの飼い主か。魔族ってのは犬の躾もできないのかい?」
「これはお恥ずかしい。人族の一匹すらも狩ることができないとは……」
パッと腕を伸ばすと魔法陣が宙にあらわれ、
「お仕置きが必要ですね」
大きな植物のツタが飛び出して、周囲の狼を蹴散らした。
「なにやってんだい!?」
「躾ですよ」
残忍にして残虐。不出来な飼い犬はさっさと処分して、新しいのを連れてくる。グレゴニールはそういう男だった。そして、
「まったく。私の手をわずらわせるとは……」
「かわいそうに。躾がなってないのは飼い主に似たんじゃないのかい?」
プライドが高く、人間に見下されることをなによりも嫌う。
「下等種族が、生意気な口を。よろしいでしょう。ここはひとつ犬どもに、手本を見せてあげましょうか」
「来な!」
剣と魔法。村の存亡を賭けた戦いが始まった。