29話目 射日
砂漠を脱すと、峡谷に差し掛かる。
雨と川と、悠久のときを経て削りだされた大地は荒涼として漠々《ばくばく》。耕作も放牧にも向かない痩せた土地は、人の手が入っていないために虫や小動物の宝庫であり、切り立った崖にはそれを狙う多くの鳥が巣くっている。
「弓術大会?」
これからオアシスへ向かうという隊商のおっさんから面白い話を聞いた。
「ああ。世界最高の弓使いを決める大会さ」
「そんなの聞いたことないぞ?」
「戦争でずっとやってなかったんだが、一昨年だったかに有志が復活させたらしいぜ」
「師匠! ボク、聞いたことあります。お父さんも若い頃に参加したって」
「へえ」
リナーの目がきらり輝く。もじもじ上目遣いして、
「あの、ボク……」
「出てみるか?」
「いいんですか!?」
返事を聞くや、パアッと明るく両こぶしを胸の前で握って喜んだ。
「いい経験になるだろうし、それに――なあ、大会って賞金とかでるの?」
「多少はな。昔みたいにそれで家が建つってほどじゃないみたいだけど」
いずれにせよ金欠の俺たちにはありがたい話だ。
(リナーの腕なら勝てる!)
モニカも同意見のようだ。俺たちは賞金がいくらもらえるのかワクワクしながら、大会が開かれるという場所へ向かった。
アンティグワへの途上、渓谷を見下ろす台地で弓を手に集いし達人たち。
「師匠、行ってきます!」
「ああ。てっぺん獲ってこい!」
リナーを送り出した俺たちは観客席へ向かった。
「ねえダーリン。あんなちびっこで勝てるの?」
「まあ見てろって」
参加者は長身巨躯ばかり。手にした弓も大きく、お手製の小さな手弓を持つリナーは少し離れると埋もれて見えなくなる。でも、
「デカさで勝負は決まらない」
聖都一の弓使いの名は伊達ではない。そうだろう?
(頼む。俺たちを金欠から救ってくれ)
リナーが表彰式に呼ばれたとき師匠としてコメントを求められたらどう答えようか、俺は頭の中でデモンストレーションしながら観客席に着いた。
大会は制限時間内にどれだけ多くの鳥を弓で狩れるかを競うポイント形式で、速いとか高いところを飛ぶとか、射にくい鳥が高ポイントに設定されている。
(リナーには不利だな)
リナーが得意とする森とこことでは生息する鳥が異なる。崖に巣をつくるツバメ、渡るガン、荒涼を見下ろすタカ。いずれも俊敏で視界も開けているために狩るには速く強い矢を射なければならない。
(頑張れ)
なお狩った鳥はあとで皆で食べるらしい。
競技開始の合図は鏑矢で。射ればびゅーっと音が鳴る。
一斉に散る参加者たち。リナーは崖のそばで低く飛ぶツバメに狙いを定めたようだ。小弓であることを活かして次々と矢を射かけ、撃ち墜としていく。
「いいぞ!」
小さく軽やかに飛び回るツバメを射るには並外れた弓の技術もそうだが、飛行ルートを予測する知識も必要になる。リナーの狩りの経験が生きる形だ。
ほかの競技者が的を絞り、矢をつがえる前にツバメを射ていくので、徐々に周囲から人が去っていく。
あとは独壇場。思う存分に腕を振るい、得点はぐんぐん伸びて終了までに100点を超えた。
「すごかったな」
合計111点。大会記録は88点だと聞いたから新記録だ。
「あんまり狩るとツバメさんが可哀相なので、この辺にしておいたっす」
「おお!」
むふーと自信たっぷりなリナー。うんうん。よくやった。俺も鼻が高いよ。
優勝間違いなし、かと思いきや同点一位がいるらしい。
(あいつは……)
屈強な大会参加者の中でも頭ひとつぬけて高い背、山のように盛り上がった僧帽筋からメロンのように張り出した肩、すらり伸びた腕は手首が股下にくるほど長く――。
「まさかロビン・ハンド!?」
貌つきは歴戦の勇士さがら。それもそのはず。ロビンはかつて暁の騎士団に所属した凄腕の弓士である。
こんな話を聞いたことがある。ある夜会のおり酒に酔ったロビンは、
――余が弓を 世一とぞ思ふ 望月を 射付けることも 易く思へば
そう豪語するや天上の月めがけて弓を射たが、会が終わるまでついぞ矢は落ちてこなかったという。
当時、賢者として騎士団を率いていた俺はそんな男が入団すると聞きおよび頼もしく思っていたが、その実態は味方の陣中奥深くに引きこもって絶対に出てこない臆病者であった。
(あいつ、弓使えたんだな)
日暈(※太陽のまわりにできる光の環)をくぐっただの、矢を射ったら虹がかかっただの噂の多くは眉唾ばかり。数多の戦場をともにしたが、一度としてやつの矢が敵を射抜くところをみたことがない。
ただ、リナーと肩を並べるあたりまったくの作り話でもなさそうだ。
(つうか暁の騎士団ってホントろくなやついないよね)
ロビンはこんなところでなにやってんだ? 魔族の侵攻が激化してるってのに、呑気に弓技大会かよ。
(俺が言えた義理じゃないけど)
同点の場合は一対一での再試合がおこなわれるとのこと。
両者は弓を手に崖の上に移動した。
夕暮れ。辺りは暗く、多くの鳥は巣に帰っている。
唯一目につくのは、白い頭、黄色いクチバシ、柿渋色の羽をもつクリフホークと呼ばれる鷹。鳥類でもっとも高いところを飛ぶクリフホークは頭上遥か遠く、雲のすぐ下をゆっくり旋回している。
「まずいな」
「なにがまずいんですの?」
鏑矢が飛ぶ、と同時にロビンはその大きな体躯を目いっぱい使って大弓を引く。重藤の弓がぎりり音を立て、ひょうと放てば、見よ。矢が天へと昇っていくではないか。
矢はクリフホークの翼の先、風切り羽をかすめた。制御を失い、クルクル回って落ちてくるところ、二の矢がもう片方の風切り羽をも裂く。
「よっと」
ロビンは長い腕を伸ばし、落ちてきたクリフホークをキャッチした。
「やるっすね」
「どうも」
ロビンはこれで十分と腕を組んでリナーの試技を見守っている。
負けじとリナーも弓を構え、射るが、矢はクリフホークのもとまで半分ほどを残して落ちた。
「リナーの弓じゃ、あそこまで届かない」
「そんな……」
モニカの顔が曇る。
弓力が足りないのだ。どんな達人であろうとこればかりはどうしようもない。
「不公平ではありませんの?」
気の毒だが、
「取り回しの良い小弓を使って点を稼いだんだ。いまさら言ってもね」
勝負事だ。扱いづらい長弓、張りの強い弓を引き切るロビンの腕を褒めるしかない。
リナーだってわかってる。だから言い訳ひとつせず、ぎゅっと口を真一文字に固く結んで矢を射る。が、ダメ。
(リナー……)
悔しいだろうな。父親が作ってくれた弓のせいで負けるのは。
森で狩りをするだけならさほど張りの強い弓は要らない。が、広い世界で戦うのなら状況に応じて様々な弓を使いこなさなければならない。それでこそ達人なのだ。
残りの矢は三本。リナーはじっと辺りを見渡し、崖際へと歩き出した。
「危ない!」
飛び出そうとするユリアを制し、
「ジェイ! あの子、ヤケを起こしたんじゃ」
「大丈夫だ。見てろ」
落ち着かせる。
(なにか閃いたな?)
リナーは淵で立ち止まった。前髪が風に舞う中、弓を力いっぱい引き絞る。
(……風?)
なるほど。崖にぶつかって生じる上昇気流を利用するのか!
大型の鳥はこの風を操って高く飛び上がると聞いたことがある。
放たれた矢は風に乗ってさっきより高く撃ちあがった。しかし、まだ届かない。矢は崖下へと消えた。
いまひとつ工夫がいる。
(どうする?)
リナーは二本の矢を取りだすと、まずは一本つがえ、射る。と、すかさず二の矢をついだ。
(速射!?)
間髪入れず放たれた矢は直列に並び、高度をぐんぐんと上げていく。やがて力尽きた一の矢を二の矢が追い抜いた。
「そうかスリップストリーム!!」
一の矢は風よけ。本命は二の矢。矢は空を舞うつがいのクリフホークを二本まとめて射抜き、撃ち墜とした。
吹きすさぶ風を読み切る目。神業と呼ぶべき連射。正鵠を射抜く腕は見事というほかない。
リナーがこの年のチャンピオンだ。皆が若きチャンピオンを讃え、惜しみない拍手を送った。




