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24話目 最速

 木々のり合う深い森。張り出した根、突き出た枝。獣はおろか光さえとおらぬ落ち葉の海をゆく。


「むっ」


 少し先でキリンと乗り手が倒れている。馬を降り、辺りを探ると、


「罠か」


 木陰に隠れて黒いロープが木々の間に渡してあるではないか。ちょうど馬の首元にかかる高さで、行く手をふさぐようあちこち張り巡らされている。


(おかしい)


 森を抜けるルートがない。八方ふさがりだ。これでは仕掛けた側も通れないのではないか? と、


「ちょっと邪魔なんだけど」


 追い上げてくるものがいる。フェンリル。その背に小さな女の子。


(なるほど)


 馬より背が低いフェンリルの背にしがみつけばロープをくぐり抜けられる。これでひとりだけ前に出るつもりだ。


「お先にどうぞ」


 道を譲り、


「ベー」


 舌を出す少女を先に行かせてあげる。


(フフッ)


 普段は人の立ち入らない深い森。道はおろか、落ち葉が堆積たいせきして足場すら見えない。そんなとき気にすべきは落とし穴だ。先行してくれるというならこの上ない。

 馬にまたがって木剣を抜き、ロープを斬ってあとを追う。


「ちょっと、ついてこないでよ」

「嫌ならちぎってみせろ」

「む・か・つ・く!」


 少女は俺をこうとジグザグに木々を回り込む。

 見事だ。フェンリルは最高速度こそ馬に劣るものの小回りが利く。地の利を生かした走りか。


(思ったよりできるようだな)


 事前に罠を仕掛ける用意周到さ。状況に応じて走りを変えるテクニック。なによりフェンリルという騎乗に向かぬ獣を用いる技量と自信の深さ。


「おもしろい」


 あの歳で大したもんだ。やがては強敵ライバルになるだろう。


(だが、いまじゃない)


 ミカヅキがちらちらこちらをうかがっている。「どうした、追いかけないのか?」そう訊いている。


「もちろん、追うさ」


 手綱を手繰たぐり、馬にあわせて重心を左右にずらす。右に曲がるときは左に振ってから右に倒す。木の根を越えるときは後ろ脚に体重をかけて飛び越えるタイミングを合わせる。なるべく速度を落とさず、木の根のきわを攻めて最短をゆく。もともと力のある馬だ。やわらかい地面に足をとられることはない。

 徐々に少女に追いつき、迫る。


「どうした。そろそろ森を抜けるぞ」

「うっさいわね」


 ぴったり後ろに付けたまま森を抜けた。


「ミカヅキ!」


 平野ならこちらに利がある。一気に追い抜き、突き放す。


「ふざけんなッ!」


 少女の声すらもちぎって俺たちは先へゆく。



 ポストに手紙を投函とうかんし、折り返す。とはいえ来た道を引き返せば後進組にぶち当たる。どんな妨害をされるか予想できない。


(魔力の残量も少ないしな)


 再び氾濫はんらんした河川や崖を越えるのも難しい。


「行こう。俺たちが最速だ」


 ミカヅキはサラブレッドでこそないがスタミナには優れる。多少走行距離が伸びたとて問題ないはず。

 天上、かたむく日を背に、一路ゴールを目指す。



 森を迂回し、川の上流を渡り、崖の起点を越えて平原へ。と、


「なん……だと……?!」


 土煙。先行する白馬がいる。あれは、


「シルビア・アルシオーネ!」


 前回王者(チャンピオン)。しまった。俺が日和ひよっている間に前に出られた。


「クソッ」


 判断ミスだ。罠を踏みつぶし、ザコを蹴散らし、川を泳ぎ崖を飛び越えて最短をゆく。最速に対する執念、覚悟の差が出た。


後塵こうじんはいするとは……)


 やられた。完全に出し抜かれた。まさかこんなやつがいるなんて……と、


「ミカヅキ?!」


 ミカヅキはひとりでに加速し、後を追う。


「すまねえ」


 なにほうけてんだ俺は。


「助かったぜ相棒」


 ミスを悔いるのは後。いま考えるべきはどうやって追いつくかだ。小細工の利かない平野で馬力に勝るユニコーンに追いつくには?


速度強化スピードアップ


 魔法だ。これしかない。

 姑息なトラップを回避するためならともかく、こういうドーピングには抵抗がある。でも、いまはそんなこと言ってられない。

 勝つんだ。そのためにここまで来た。

 ミカヅキは駆ける。血統を越えて種族を超えて伝説の先へ。本来ならば敵うはずもない神話の生物ユニコーン。そいつに勝ったならそれはまごうことなき最速だ。


「よく追いついたな」

「ああ。女を追いかけるのは慣れてんだ」

「ふっ。捕まえられそうか?」

「ああ。問題ない」


 いこうミカヅキ。勝利の女神を抱くんだ。

 王者チャンピオンは強敵。認めよう。こんな大会を十連覇するなんてとんでもないことだ。ただ、まったくすきがないわけじゃない。俺が遠回りする中、こいつは危険な復路を最短で抜けてきた。消耗しているはずだ。


「どけ!」


 体をぶつけてけずりにかかる。


「くっ」

「おら、どうした!」


 荷馬の血が流れるだけあってミカヅキの馬体は大きい。れば折れるのはあっちだ。


(どうだ、ただの馬にあおられる気分は?)


 ユニコーンの血走るまなこ、飛び散る汗。たける心が体当たりするたびに伝わってくる。しかし王者がうまく御し、勝手を許さない。


(だったら徹底的にやってやる)


 馬首を反対に、勢いをつけて体当たり。が、ひらりかわされた。


「残念だ」


 王者のあざけるような笑い。背中にゾクリ冷たいものを感じる。


「君も後ろの連中と同じ。最速のなんたるかを知らないとみえる」

「なにを言っている?」

「君にとって最速とは何だ?」


 くだらない問答しやがって。


「最速とは勝利だ。勝って勝って、並ぶものがなければ、すなわち最速!」

「つまらない答えだ」

「あ”? じゃあなんだって言うんだ」

「最速とは光だ。誰しもがあこがれ、恋焦がれ、手を伸ばす、まばゆい光」

「フッ」


 思わず吹きだしちまった。


「ずいぶんロマンティックだな」

「君も、その輝きに魅せられてここまで来たんだろう?」


 どうやらこいつは本物らしい。


「俺が求めるのは栄光と金! それだけだ。それでいい。それこそが望み」

「むなしいな」


 認めよう。こいつは本物の王者チャンピオン


「一時の賞賛も、一事の栄光も、すべては泡沫うたかた。なぜ気づかない? 

最速を追う、永遠に続く研究の日々こそ幸せなのだと」


 彼女にとって勝利ゴールは通過点でしかない。


「競い、争い、醜く血にまみれた勝利の果てになにがあるか、俺は知らないし、興味もない。だが、俺はアンタに勝ちたい。王者チャンピオン。アンタが光を追うように、俺はアンタを追う!」


 良かった。こいつが王者チャンピオンで。


「ミカヅキ!」


 相手に不足なし! いくぞ。俺たちの走りをみせてやる。

 沸騰する血液、かすむ視界。魔力は尽きた。でも、まだ体が、心が動く。ここに来て今日一番の走り。が、


「残念だよ。君とは志を共にできると思ったのに」


 ユニコーンが白く輝く。めた末脚すえあし王者チャンピオンが底力をみせる。


(なんという伸び!)


 風。またたく間に一馬身、二馬身と離されていく。まったく追いつけない。これが王者とユニコーンの実力。ミカヅキも懸命に追いすがってはいるが、手も足もでない。

 栄光が遠のく。積み重ねた研鑽けんさんの時、速さに対する純度の差。

 結局、天性にはあらがえないのか? ミカヅキの闘志がしぼんでいく。


(まだだ。まだ終わらない!)


 相棒。夢を夢のまま終わらせてたまるか! 俺たちにとって最速は光じゃない。そこにある、手を伸ばせば届く「事実」だ!


王者チャンピオン。これはレースだ。タイムアタックじゃない)


 教えてやるぜ。勝負のあや、駆け引きってやつを!

 俺は大きく息を吸い、叫んだ。


「おい王者。昨日の夜はあんなに情熱的だったのに、今日はやけにつれないじゃないか!」

「は?! 君、突然なにを?!」


 動揺するのは乗り手だけではない。ユニコーンが、


「ヒ、ヒヒーン?!」


 いななき、あるじに疑いの眼差しを向ける。


「バカ! 嘘だ。だまされるな!」


 ゆるむ足。一瞬の隙を突いて前に出る。


「しまった」

「じゃあな」


 信頼関係を失くしたアンタらはもはや敵ではない。俺たちは地平の先にあるゴールめがけふたりで駆けていく。



 王者をぶち抜いた俺たちはついにゴールの前に。だが、ここに来てありえない事態におちいっている。


「まさかアンタが来るとはな」


 俺たちに並走する敵。誰が予想できたであろうか。


「あたぼうよ」


 人力車夫! ああ、もうめちゃくちゃだよ。

 ゴールで待ち構える大観衆のどよめきが、ガラガラ、人力車のけたたましい車輪の音でかき消される。


(こいつにだけは負けられない)


 競馬って言ってんだろうが。馬はどこだよ。皆、困惑してるよ。


「なあアンタ。車引く必要あるのか?」

「てやんでい! 車夫が車引かねえでどうすんだ」


 そりゃそうだけど、そういう問題か? 驚くほどのバカ野郎だがあなどるなかれ、こいつは早い。ミカヅキに負けじとっている。


「ここで負けたら競馬大会がマラソン大会になっちまう」


 なんとしてでもいち早くゴールにたどり着かなければ。

 残り百、五十、三十、十。そして、



「……最速とは俺のことさ……」



 ゴール寸前、人力車から飛び出たおっさんが車夫の肩からジャンプ。一番にテープを切った。

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