22話目 競馬
勇者と別れた俺たちは森を越え、だだっ広い平野に出た。
「地平線が見えますわ」
王都育ちのモニカには珍しいのだろう。馬の背から望む地平は星が丸いことを教えてくれる。そう馬。二年前、故郷の町ハインリグで買った馬は聖都の牧場に預けられ、リナーが大事に世話をしていた。
「えらいぞ、リナー」
「恐縮っす」
リナーもだいぶ大きくなったから頭を撫でるのはそろそろやめておこう。……頼むからそんな目で見ないで。上目遣いしたってダメだから。
いま中学生くらいだろうか。未成熟な子どもの顔とふとしたときにみせる大人の顔とが混ざり合い、どこかあやしい色気を醸している。
(おそろしい)
とんでもない人たらしを森から連れ出してしまったのかもしれない。この子はきっと多くの人を泣かせちゃうんだろうな。
ぐっと堪えて前を向く。背中にぞくりとしたものを感じながら沈む陽を追って平原を進んだ。
しばらくすると辺りが旅人たちで賑わう。
「なにかあるのか?」
「兄ちゃん知らないのかい? この先にある町で競馬大会が開かれるんだよ」
なるほどどおりで周りは見事な馬……馬?
「なあモニカ。あれはなんだ?」
「キリンですわね」
「リナー。あれなにか知ってる?」
「ゾウです! 初めて見ました」
競馬なんだよな?
首をかしげる隣を「あらよっと、ごめんなすって」人力車が追い抜いていった。まさか、あいつ大会に出たりしないよな?
「とんでもない大会のようだな」
「……掛け値なし。地上最速を決める大会さ……」
いつの間にか渋いおっさんがぴたり並走し、ブツブツなにかつぶやいてくる。
「リナー、今日はいい天気だね」
「……あの日から俺はいつだってRainy Day。すべてがBubble、弾けちまうのさ……この世界で……」
「モニカ。ちょっと急ごうか」
「……歩みを止めようとHeartbeatは止まらない。だから俺たちは生き急ぐのさ……」
リナー、モニカと示し合わせて足を早める。が、おっさんも馬の脚を早めてついてくる。
「頼む、おっさん。ちょっと離れてくれ」
「……ここはMy Way。譲れないのさ、これだけは……」
おっさんからは逃げられない。仕方なく道を譲り、先に行かせて距離をとることにした。
(なあモニカ。めっちゃ怖いんだけど)
(ああいう手合いとは関わってはダメですわ)
「……恐怖は足をすくませる。でも止まっちゃだめだ。……Dreamが待っている……」
この野郎。背中越しでもうるせえな。
結局、姿が見えなくなるまで待機し、町に向かった。
「さすがにいないよな」
町の入口。木のゲートの上部に「世界一の名馬が集う町 チェスター」と看板が掲げてある。
(デカくでたな)
どう考えても世界一の馬の産地は我が故郷ハインリグだけどな。
と、ゲート脇の立て看板に、
「駄馬をお求めの方はハインリグへ(笑)」
とある。
(ほほう)
こっちはまったく気にしてなかったけど、なるほど、チェスターさんはよっぽど俺たちの背中を恨めしく見ていたようだな。
(一番の辛いところよな)
羨望や嫉妬の眼差しに晒されるのは勝者の払う税金だ。
(ああ、それで競馬大会か!)
無名のチェスターさんが町おこししようと一生懸命頭をひねったんだろうな。馬と書いてハインリグと読まれるくらい名の知れた馬の産地(元)出身者としては、その涙ぐましい努力に感じるものがある。
「師匠?」
「いや、大丈夫だ。さあ、早く中に入ろう」
ゾウとキリンがゲートをくぐれず難儀している横を抜け、中に。
じき日が沈む。俺たちは急ぎ宿を探した。
「……ここは俺の馴染みの宿。Warriorが集う憩いの場所さ……」
宿の扉を開けるとおっさんがパジャマに着替え、歯を磨いている。
「別のとこにしよっか」
「そうですわね」
競馬大会の参加者で宿はどこも満杯でかなり値の張る宿に泊まるはめになった。
「師匠は大会でないんですか?」
「え、どうして?」
「賞金がもらえます」
部屋で一息つくなりリナーが訊いてくる。
(参ったなあ)
リナーは俺がなんでもできると思っているふしがある。
「俺はいいけど、馬がなあ」
どこの宿も軒先には名馬がずらり並んでいた。これほどの大会になると良い血統の馬にそれなりの訓練を積んで臨まなければ勝負にならないだろう。なんの準備もせず出ていい大会ではない。
「心配いりません。ボクがちゃんと訓練しておいたっす」
「それはわかるけど」
馬の状態は良い。二年前と比べて足腰しっかりしたし、号令にも素直に応じる。なにより走るのを楽しんでる。道中、手綱を引く俺がたまに引っ張られるくらいだ。ただ、
「そういう馬じゃないから、競争には向かないんだよなあ」
所詮は荷馬。いわゆるサラブレッドには到底かないっこない。
「師匠は血統ですべてが決まると思いますか?」
「そうは思わないけど、用途が違うっていうか」
「師匠は才能ですべてが決まると思いますか?」
「そこまでは言わないけど、なんだって向き不向きがあるというか」
「師匠! 師匠は勝てないからって逃げるんですか?」
ピクッ。逃げる……? この俺が……!?
(おいおい。俺はハインリグ生まれ、ハインリグ育ちの男だぜ! 前世では)
馬なんてもんは六歳のころには乗り回していたっての。馬だってそうだ。同じハインリグの生まれ。ちょっと血統が悪いからってそれだけで勝負が決まるわけじゃない。
「リナー。俺は向いてないとは言ったが勝てないとは言ってない」
隣でモニカがため息をついた。
「そこまで言うならやってやろうじゃないか。あのしょーもない連中に本物の走りをみせてやる!」
「師匠、さすがです! ミカヅキも喜ぶっす」
あの馬、ミカヅキって名前付けたのか。入れ込んでいるな。
(リナーの手前、無様な戦いはできない。ちゃんと準備しよう)
翌日からコースの下見、馬の調整を始めた。
そして大会当日。
「……ついにこの日が来たか。伝説の朝。最速が俺を呼んでいる」
できるだけのことはやった。厳しい調教だったがミカヅキもよくついてきてくれた。
「師匠、頑張ってください!」
「おう」
男は速さに魅せられる。かけっこ、自転車、バイク、車。ひりつくような甘い痺れの中、どれだけアクセルを踏めるか、ブレーキを待てるか。速さはいつだって漢比べだ。
「……いつかの少年はやがて男になるのさ……」
「悪いがおっさん。今日はアンタのポエムに付き合えない」
会場に着くなり親し気な顔しておっさんが寄ってきた。が、もうそんなことで心は揺るがない。俺は今日、勝利を手にするんだ。下々《しもじも》の戯言など耳に入らない。
スタート地点。おっさんとふたり馬を並べその時を待つ。と、入場ゲートの方で歓声があがった。
「……来たな……」
まばゆいほどの白い毛並み。天を衝く一角。穢れを知らぬ馬、ユニコーン。騎乗するはサウスペンシア伯令嬢、シルビア・アルシオーネ。
「おっさん、あいつは?」
「……大会十連覇を誇るChampion……生ける不敗神話さ……」
なるほど風格がある。落ち着き払った振る舞い、厳かなたたずまい。鋭い眼光の奥で闘魂が揺らいでいる。あれは強者の面構えだ。
(ん?)
俺よりずっと年上に見えるけど、ユニコーンって処女しか乗せないんじゃ……。年に一回の大会を十連覇中……おぞましい!
(解放してあげなきゃ)
呪縛から彼女を救えるのは俺しかいない。
「つまりアイツを倒せば俺がChampionってことね」
「……誰も倒せないからLegendなのさ……」
「ふっ」
おっさんが諦めたような口調で言うから、思わず笑ってしまった。
(心にもないことを)
目をみりゃわかる。おっさん。アンタ、本気だ。これっぽっちも負ける気なんてない。勝ちにきた、そういう目をしている。周りの連中だってそうだ。どいつもこいつも獲物を前にギラついてやがる。
(面白くなってきたな)
まっ、勝つのは俺とミカヅキなんですけどね。
俺たちははやる心を抑えながら、その時を待った。
レースは平野の先、川を越え、森を抜けた先にあるポストに手紙を投函し、いち早く戻ったものの勝ち。ルールは地上を走破することのみ。ほかは一切不問。
魔族の急襲を知らせた郵便屋の激走を記念して開かれている大会であり、手紙はその名残だ。
大陸中の走り屋を集めた一大イベント。スタート地点、係の人が腕をあげる。
「Ready!」
ぴゅーと炎の魔法が空高く打ちあがり、
「GO!」
弾けるとスタート。熱い一日が幕を開ける。




