18話目 修行
聖都郊外にそびえる神山モンタナディオス。聖剣リーヴァルティを携えた天使が舞い降りた地として、また山岳信仰の聖地として畏れられている。
本来なら立ち入ることは許されない禁足の地だが、剣の達人テクニカは特別な許可を得て居を構えているらしい。
「なんてとこに住んでんだ」
深山幽谷に道はない。俺は木の根を越え、斜面を登る。
半日経っただろうか。美しい湖に出た。そのほとりにテクニカの家があるという。
「あれか」
水辺に丸太を積み上げて作られた小屋がぽつんと立っている。
「たのも~」
ドアを叩く。しばらくしてキィッと開き、しわくちゃのみすぼらしい男が、
「どなたでしょう?」
蚊の鳴くような声で応対した。
「テクニカさん、ですか?」
「はい。そうですが」
「俺はジェイと申します。こちらで剣の修行をさせてもらえないかと」
紹介状を手渡す。受け取るテクニカの腕はあまりに細く白い。まるでミイラみたいだ。
(これはダメだな)
どうやらテクニカは剣を置いて久しいようだ。無駄足を踏んだと思ったが、
「よろしいでしょう」
「え、いいんですか?」
「はい」
そうでもないらしい。
「あの、よろしければテクニカさんの技をみせていただけないでしょうか。教団の方からはすごい剣の達人だとお聞きしています。いったいどのような剣を振るわれるのか、ぜひ拝見させてください」
「わかりました」
テクニカはふらふら表に出て、落ちていた木の枝をよろよろ拾う。手のひらでポンポンしながら家の裏手に。積み上げた薪の一本を取りだして、切り株の上に置く。
「いきます」
スッと枝を一振り。
(ん?)
もちろん、薪は微動だにしない。なのにテクニカは、
「いかがでしたか?」
額の汗をぬぐい、一息入れた。
(なに言ってんだ?)
いかがもなにも、薪は切り株の上。ピンと立っている。というかこのおっさん、枝拾って振っただけで息あがってんだけど、大丈夫か?
テクニカの手にした枝よりひと周り、ふた周りも太い薪。表面に疵でもつけたのか、検めるべく鷲掴みにすると、
「バ、バカなっ!?」
斬れている! さっきテクニカが取り出したときにはなんともなかった。なのに、木の枝をちょっと振っただけなのに、真っ二つ、まるで初めからそうであったかように上半分だけが持ち上がる。
断面はやすりをかけたかのように滑らか、ささくれひとつない!
「先生! 今日からよろしくお願いします!」
俺は深々と頭を下げた。これほどの技を目の当たりにしてなんの迷いがあろうか。
(ようやく、ようやく師と呼べる人に巡り合えたのかもしれない)
涙があふれてくる。この人の下で学べば、俺の剣はきっと夢に届く。
「私の下で学ぶ以上、半端なままでは下山を許しません。よろしいですね?」
「覚悟しております!」
厳しい修行が始まった。
先生ぬ連れられて森へ。
「見なさい」
季節は初秋。山の中腹に生えた木々は一足早く色づき、わずかだが木の葉が舞い散る。
「貴方ならあの木の葉をどう斬りますか?」
「え? まあ、こう腕を振って」
「ではここに座ってそれをイメージしてください」
「はあ?」
それだけを言って先生は家に帰った。
(意味がわからん)
イメトレってやつか。とりあえず言われたとおりやってみよう。
倒木に腰かけ、風に舞う木の葉を眺めながら剣を振る姿をイメージする。縦、横、斜め、下から上に、たまに突いてみたり。
(こんなんで剣が使えるようになるのか?)
あれほどの技を見せられた以上、信じるしかない。邪念を払い、一心に剣を振る。
日が昇り、暮れ、沈むころ、
「いかがですか?」
先生があらわれた。
「いかがも何も……」
「木の葉は斬れましたか?」
「頭の中ではたくさん斬りましたけど」
「そうですか」
この日の修行は終わり。家に帰って食事をとって眠る。翌日、
「では昨日と同じように」
同じことの繰り返し。
一週間経った頃、俺は我慢の限界を迎え、
「先生! こんなものが落ちていました」
手ごろな枝を拾ってきて、先生にみせた。
「素振りにちょうど良さそうですがどうでしょう」
「そうですね」
先生はパッととりあげ、炉にくべてしまった。
「ありがとうございます。手ごろな薪がなくて困っていました」
融通が利かないところはマスケルそっくり。
(クソッ)
一カ月、二カ月、半年、そして一年が過ぎた。
「斬れましたか?」
「斬れるか! バカ!!」
さすがに目が覚めた。
「想像しただけで斬れるなら苦労しないんだよ!」
「そうでしょう」
テクニカはにっこり笑う。
(きっしょ)
こいつが笑うとこ初めて見た。怖いんだけど。
「いま貴方は斬之不斬への第一歩を踏み出しました」
「は?」
「極めればやがて活人剣に至るでしょう」
そういってテクニカは木剣を渡してくる。
「今度は実際にこれで葉を斬ってください」
言われるままやってみる。
(え、もしかして俺、すげー剣術使いになってんの?)
先生を信じて振った木剣は一閃、舞い散る木の葉を両断した。
「おおー」
なんかわからんが使えるようになっている気がする。が、
「続けなさい」
「いつまで?」
「葉が斬れなくなるまで」
テクニカはまた変なことを言って去った。
(斬れるようになりたいからここに来たってのに)
もう訳がわからん。俺はこんなところでなにをしているんだ? この一年で強くなったのか? こんなことを続けていて魔王に勝てるのか?
(魔王。まさか勇者に討たれた、なんてことはないよな?)
……逃げるか? マスケルとは違う。あの足腰じゃ俺は捕まえられない。だが、このままなにも得られないまま聖都に戻ってどうする? モニカには罵倒されるだろうし、リナーには呆れられるかもしれない。
(どうする、どうしよう、どうすればいいんだ)
かき乱れた心のまま木刀をめちゃくちゃに振り回す。斬れる、斬れる、斬れる。葉は四分五裂に。心は風に吹かれ空へ。
(魔王……)
俺の剣はいつ君に届く?
(わからない)
とはいえほかにやることもなく、邪念を祓うように、ただ剣を振り回す日々。
一カ月、二カ月、半年、またしても一年が過ぎた。
「いかがですか?」
「……」
朝露が輝く森。ひらく蕾、息づく葉。
長い修行を経て、ひとつ気づいたことがある。
マスケルもテクニカも剣聖になれなかったのはなぜか? 簡単なことだ。互いに欠けているものがあるからだ。力と技。そしてそのふたつが必要なのだと受け容れて、呑みこむだけの度量がふたりにはなかった。
心技体。ひとつとして欠けては剣は完成しない。
木剣を振る。木の葉は斬れない。斬る必要がないからだ。
「極めましたね」
すべてはあるがまま、思いのまま。ならば斬るも斬らぬも自在。
心はもう大地を照らさない。技は理に左右されない。体はもはやこの世界に囚われない。
「貴方は私の先に行ってしまわれた」
「世話になったな」
剣。剣と化したのだ。
修行は終わりだ。行こう。魔王が待っている。




