15話目 母
王都を出発した馬車は田園地帯を走る。
「空が青いなあ」
「……」
「お、鳥が飛んでいるぞ」
「……」
「あ、UFO!」
なんだこの空気の重たさは。向かい合って座ったリナーとモニカは互いに目を合わせないまま、時間だけが過ぎていく。
(第一印象が良くなかったもんな)
広場での悶着が尾を引いているのだろう。リナーはまだ子どもで、モニカはプライドが高いから互いに歩み寄れないとみえる。
(俺がなんとかするしかない)
場を和ませるために、ここはひとつ、渾身のギャグでも披露してやりますか!
「ふたりともこれから一緒に旅をするんだ。広場の件は水に流して仲良くしようぜ。俺を見てみろよ。剣聖なのに剣を持ってないんだぜ。水に流しちまった。なーんちゃって」
剣を持っていたら腹を切ったかもしれない。
沈黙。え、これ、俺が悪いんですか?
「師匠」
「お、どうしたリナー?」
「この馬車、どこ向かっているんですか?」
「あー……」
ちょっと言いづらい。まっすぐ目的地「巨人の墓」へ向かうなら、聖都行きの馬車に乗るべきだが、個人的にどうしても寄りたいところがある。
(母さん……)
前世での母。俺が死んだあとどうしているかひと目会いたい。
(幸せにしているだろうか?)
幸せに、なんて親不孝者が言えた義理ではない。わかってる。でも、大切な母だ。幸せを願わずにはいられない。
(俺みたいなバカ息子のことなんて忘れて楽しく生きていてくれたら)
馬車は田舎道をゆく。田んぼを抜けて、川を渡り、見たことのある山並み、故郷へ俺たちを運んでいく。
夕暮れ。馬車を降りると懐かしい牧草の香り。放牧の町ハインリグに着いた。
「こっちだ」
馬車停からふたりを連れ、評判の宿へ向かう。
「のどかなところですわね」
木造平屋が並ぶ町のメインストリートは、馬に乗った人や牛を連れた農夫たちが多く行き交う。遠くから子どもたちの楽しげな声、羊の鳴き声が聞こえてくる。
「王都で食べられている肉、騎士団が乗る馬、羊毛なんかもここで採れるんだ」
「知りませんでしたわ」
「土地がやせていて農業には向かないから畜産が盛んで、ここらじゃ子どもでも馬に乗れるんだぜ。騎士様も顔負けさ」
懐かしいな。小さい頃はそこらの牧場で飼われている馬を勝手に持ち出して、友達とかけっこしたものだ。
「詳しいのね」
「まあな」
しばらく歩くと柵にたくさんの馬が繋がれた宿に着く。
「ここの宿は一階が酒場になっていて、ここらで採れた新鮮な食材を使った料理が食べられるんだ」
率先して戸を押し、ふたりを中へ。
にぎわう店内。この地方独特の訛り、肉の焼ける音や匂い。母と一緒に食事をした日の思い出がよみがえる。
「すみません。一泊したいんですが」
「何名様ですか?」
カウンターで受付をしている女性は、前世では俺のひとつ下だった。
ふたりで馬に乗って原っぱを駆けたことがある。バレたら怒られる背徳感と落ちたら死ぬかもしれない恐怖感。緑の海と青い空。頬に感じる風、背中を伝う温もり。振り返ると、あの娘は三つ編みにした長い髪を風になびかせて、楽しそうに笑うんだ。
(大人になったな)
テキパキ仕事をする姿にあの日のあどけなさはない。でも面影がある。髪をかきあげる仕草、小指をピンと立てるんだ。
彼女が俺に気づくことはない。
「三名なんですけど、部屋をふたつとれますか?」
「ごめんなさい。今日は空きがひと部屋しかなくて。二階角部屋でベッドはふたつです。いかがしますか?」
振り返ってふたりを見る。
「相部屋でも構いませんわ」
「ボクも。ベッドは落ち着かないので床で寝ます」
リナーは俺と寝るとして、モニカがいいならいいか。
「じゃ、そこで」
俺たちは荷物を部屋に置いてから一階に戻り、食事をする。
「師匠、おいしいです!」
「なかなかのものね」
ここらの名物、子羊の肉に香草を混ぜたソーセージ。しっかり焼いたソーセージに大人はマスタード、子どもはケチャップをつけて食べるんだ。皮をとって中身だけ食べる人もいるけど、俺はこいつを頭からかじりついて、口の中に残った脂をパンでぬぐうように食べる。
「ふたりの口にあって良かったよ」
狩人と貴族。ふたりがおいしいというならやはりここの肉料理は最高だ。
俺はうれしくなって、ついお腹いっぱい食べてしまった。
「幸せだ」
部屋に戻り、イスにもたれかかって腹をなでる。
「今日はもう終わりですの?」
「ああ」
モニカがもじもじしている。どうやら寝間着に着替えたいらしい。
「ちょっと風に当たってくるよ」
俺は宿を出て、町を見て回ることにした。
もう辺りは暗い。星の明かりを頼りに銀行の角を曲がり、役場の前を通り過ぎ、小川にかかった石橋を渡る。
月。牧草のそよぐ丘、低い石壁に挟まれた道。その先にあるのは、
「母さん」
俺が生まれ育った家。母さんとふたりで暮らした思い出の場所はいまも変わらずそこにある。でも、まったく同じではない。伸びた庭の草、無くなったブランコ、くすんだ壁。
(家を出てから十六年か)
いまさら戻ったところでなにをどうするわけでもない。「前世で貴方の息子だった」なんて頭がおかしいやつだと思われて終わりだろうし、もう俺のことなんか覚えていないかもしれない。そもそもまだここに住んでいるのか?
道なりに歩いて裏手に回ると生け垣の向こう、窓から明かりが漏れている。
(ああ!)
あそこは寝室だった。寝る前、母はよく本を読みきかせてくれた。温かいベッド、古い書をたぐる音、ランプのまどろむ明かり、やすらかな母の匂い。
風が吹き抜ける。野を翔け、丘を越え、空へ。と、
(そうだ!)
今日は母さんの誕生日だ! なんで忘れていたんだろう。
走って家の側にある丘へ登る。
「ここだ」
岩場であまり草の生えないしじまの丘。寝室から見えるこの丘の向こうになにがあるのか、子どものころは異世界に夢をふくらませていた。
てっぺんにある大きな岩の上に立ち、魔力を練る。
七歳にして母の下を離れ、丘を越えて王都に行き、寮から学校へ通った。卒業後も王城の研究室に籠りっきり。
子どものころあこがれた魔法はいつしか戦いの道具になって、母さんに褒めてほしくて始めた特訓はやがて人々の賞賛を得るための術になって。俺はそういうのが嫌で嫌でたまらなかった。
(だからバカみたいな魔法ばっかり研究していたんだ)
同僚にはふざけるなと怒られた。でも、誰かを傷つけるための魔法なんて、そんなの考えたくなくて。
ひとつ、とびっきり好きな魔法がある。母さんに喜んでほしくて作った特別な魔法。誕生日に何度か見せたことがあるけど、いまでも使えるかな?
(母さん。見つけてくれるだろうか)
手を夜空にかざす。今日は月が明るい。負けるな。
「虹の花火」
打ち上がる彗星が夜に当たって七色に散る。
夜空に咲く虹の花。藤のように天から垂れる流星群。傷つけるためではなく、大切な人を喜ばせるための魔法。磨き上げた技、練り上げた力、蓄えた知識を総動員して作った俺のとっておき。でも、
(あぁ)
かつて大空を彩った大輪の花が、いまでは星がまたたくよう。まるで小さな小さな線香花火。あの頃のようにはいかない。
「クソッ!」
認めるられるか! 俺は俺だ!
もっと強く、光り輝けと祈り、打ち上げた花火たちが、つぼみのまま散っていく。
「ああっ」
栄光は去った。あの頃には戻れないんだ。
一夜を明かしてあまりあった魔力が、わずか数発で尽きてしまう。
(ごめん、ごめんなさい。母さん……)
本当にバカで、どうしようもなくて、きっと悲しませてしまった。せっかく産んでもらったのに、俺、なにも知らなくて。
死んでも、また女神さまがやり直させてくれるって、どこか軽く考えていた。
母さんにとっては、たったひとりの家族だってのに。
(バカ野郎)
涙がこぼれる。いまさら気づいたって、母が流したであろう涙は戻らないんだ。と、
「見てられませんわね」
「……モニカ」
見られた! こんな情けない姿を。
「あっちいってくれ」
背を向けるが、
「事情は聞きませんわ。ただ、貴方の力になりたくて」
その背を押すようにそっと手を載せてくる。
「わたくし、魔力量には自信がありましてよ」
魔力が流れ込んでくる。強くて、優しくて、温かな力。
「モニカ」
「さあ、続きをみせてくださいませ」
……ありがとう。
両手を空に。夜の帳を押し返すイメージで。
「虹の花火」
昇る光。ゆらゆらと、まるで俺みたいに。星屑のひとつになって、そして、パッと花が咲く。
ああ、あの頃と変わらない。美しく、ひっくり返ってしまいそうになるほど大きな花! 夜は明けない。けど、これがいまの俺、そして仲間。
(見てるかい、母さん)
俺、生きているよ。頑張って生きるよ。この世界で。




