2.夢魔アイドルは餌付けしたい
零斗はスタジオの隅で、初めて握った時よりも細くなっていた満月の手の感触を思い出していた。
(やっぱ痩せてたよな...顔色も酷かったし。近況知るためにも、夢食べといた方がよかったかも)
ひとり唸っていると、透矢が呼びにきた。
「次、零斗と俺、撮るって」
顎で場所を指す彼に促され、重たい腰を上げた。
他のメンバーたちが写真チェックしているのを横目に、2人の撮影が始まる。
「弱ってる子って、何食べさせたらいいと思う?」
前振りもなく聞かれた透矢は、全く興味がないのか、表情を一切変えない。
元々、常にポーカーフェイスなのだが、ファンにとってはそこがいいらしい。
「...おかゆ、とか?」
透矢は、ドラマなどで体調不良の場面でよく出てくる料理を思い浮かべた。
「おかゆじゃ太らないだろ」
「太らせたいの?」
「というより、元気になってほしい」
そう零斗が答えると、透矢は照明を見上げながら少し考える。
「元気になったら、監禁しにくくなっちゃうじゃん」
突拍子のない返しに、流石の零斗も固まってしまった。
「えっ、と...なんの話?」
「零斗のお気に入りの子の話でしょ?ご馳走なら、さっさと自分のモノにした方が楽じゃん。弱ってるなら、チャンスでしょ」
自分のモノという甘美な響きに、唾を飲む。しかし、人間のペースで手順を踏まないと嫌われるというのを思い出し、首を振る。
「そんなことしたら、嫌われるだろ」
そう言う零斗に、透矢はジトっとした視線を送る。
「ただのご飯に気を遣う意味がわからない」
「零くんにとって、ただのご飯じゃないってことだよ」
遥希が混ざり、スタッフから全員の絵が撮りたいと指示が出て、6人が集まる。
いつきはものすごく嫌そうな顔をしていた。
「また綾瀬満月の話?僕には2度と相談とかしないでよね」
「そう言ってやるなよ、いつき。初恋は誰だってどうしていいかわからねぇもんなんだからよ」
泉が嗜めるが、いつきは舌打ちするだけだった。
しかし、6人ともカメラへのキメ顔だけは常に完璧である。おかげで巻きで終わり、帽子を深く被った遥希と巳也、そして零斗はカフェで相談会を始めた。
巳也はコーヒーを飲みながら、零斗を見ないようにしている。我関せずを貫こうとしているようだ。
(3人は逃げるように帰ったのに。この人、なんで来たんだ)
「その子、お休みなさそうだね。人間にとって、睡眠と食事はかなり大事なものだから...。零くんが、それを助けてあげられるといいんだけど」
真剣に考えてくれる遥希に後光が見える。
「人間の女のことなんて気にする必要ねぇだろ」
巳也は零斗を睨みつける。少々突き刺さるが、いつものことだ。
「零くんが何かしでかしたら、活動に支障が出るでしょ」
遥希の言葉が引っかかるが、彼の最優先事項は円滑なDr.BACの活動だ。そう思われても致し方ないと、零斗は本題へ進めることにした。
「かなり痩せてたので、ご飯の差し入れしたいんです。何がいいですかね」
「カレーとかなら簡単だし、多く作りすぎたとか理由つけられて良いんじゃないかな」
それだ!と、2人に深く頭を下げながら、ダッシュでその場を後にする。
遥希はニコニコと手を振ってくれたが、巳也はあしらうように振っていた。
途中でスーパーに寄り、スマホでカレーの作り方を検索しながら材料を厳選していく。
そもそも調理器具も無いことを思い出し、ホームセンターにも足を運んだ。
どれがいいのかわからなかったので、店員にすすめられるままに購入した。
ファンだというその人に、サインを書いて、ツーショットも撮ってあげた。
初めての料理に四苦八苦していたら、すでに日付が変わっていた。
(野菜の形は歪だけど、食えなくないよな)
軽く味見して、新品のタッパに詰める。
食事するために、これだけの労力がいるのかと、人間の大変さを身を持って知った零斗だった。
流石に帰っているだろうと、廊下へ出る。ちょうど帰宅しようとしている満月がいた。
先日見た時よりも、やつれているように見えるが、気づかないふりをして笑いかける。
「こんな時間まで...大変ですね。お腹減ってませんか?」
声をかけるが、微動だにしない満月に、首を傾げる。
(なんか間違えた?不審がられてるとか)
内心冷や汗をかいていると、彼女はポロポロと泣き出した。
零斗はギョッとして、駆け寄る。
「え、あの、すみません。俺、なんか気に触ること」
目元を擦る満月を前に、あたふたオロオロすることしかできない。
「違うんです、ごめんなさい...。仕事辛い時に、現実で零斗くんに話しかけてもらえるなんて、夢みたいで」
満月の涙を拭ってしまいたいのを、距離感を間違えたら嫌われるという理性が抑え込む。
「と、とりあえずご飯食べましょ!お腹減ってると、余計に弱っちゃうから。カレー、大量に作っちゃって、どうしようかと困ってたんです」
タッパに詰めたものを渡す予定が、ひとりにさせたくなくて、部屋へ連れ込んだ。
満月が状況をわかっていないのをいいことに、椅子へ座らせ、テーブルへ新品の食器を並べる。
呆然としている手に、スプーンを握らせた。
「これは、いったい...。やっぱり、私、幻覚を」
「今は幻覚でもいいから、とにかく食べて。初めて作ったから、口に合うかわかんないけど」
「お、推しの...初手料理...?」
いいから早くしろと、零斗は我慢ならず、満月の口へカレーを突っ込んでやった。
ひと噛みして、また、泣き出す。
零斗は慌てて立ち上がり、膝をぶつけた。
「いっ...っ、...俺、先走った!?」
「違うんですぅう。ごめんなさいー。美味しいですぅ...ふえ、うわあああぁあん」
とうとう声を上げて泣き出した満月を前に、零斗はよりパニックになる。それでも食べ続けてくれる彼女に、しだいに落ち着きを取り戻し、座り直す。
「零斗くんは食べないんですか?」
皿が空になる頃、満月も冷静さが戻ってきたのか、鼻声で零斗に話しかける。
夢魔にとっては予想外の問いに、少し動揺してしまった。
「俺はもう食べたから。おかわりはいる?」
それを悟られないよう、営業スマイルを意識する。
満月は首がもげそうなほど横に振った。
「十分です。...零斗くんにこれ以上迷惑をかけるわけにはいかないので」
(拒否られたかと思った)
ショックを受けそうになったが、持ち前の演技力を発揮した。
それをさらに駆使しようと、机に頬をつけ、上目遣いで彼女を見つめる。自分の顔の良さを理解し、色気と可愛らしさを絶妙に混ぜ合わせる。
「最後にイベント来てくれた時より疲れた顔してるから、心配なんだ。これからはご飯だけでも、一緒に食べない?」
満月は鯉のように口をパクパクさせ、下から赤く染まっていく。攻めるなら今だと、彼女の指先へ零斗のそれを僅かに触れさせる。
「だめ、かな」
「だめじゃ、ないれしゅ...」
キャパオーバーして身体が横揺れしている満月に、全身でガッツポーズしたいのを心だけに押し留め、蕩けた表情を演出する。
「じゃあ、明日も帰ってきたら、うちに寄ってね」
「ひゃい」