June Story18
殺し屋と会った翌朝。優樹菜は勇人と2人きりで話すことを決意する。
優樹菜は母と話し合いをした翌朝、つまり今日。
勇人と2人きりで話すことを決めた。
学校にいる間、どこかのタイミングで勇人に声を掛け、無理矢理でも何処か静かな場所に連れ込めればいい。方法は雑だが、この期に及んでそんなことは気にしていられない。
それが通学時にバス車内でまとまった考えだった。
教室につくと、優樹菜は席に座り、心の中で「よし」と呟いた。
(矢橋くんが来たら、すぐに捕まえよう)
優樹菜の席は最後列の真ん中だ。首を向ければ、前も後ろもドアを見ることは容易い。
勇人が教室に入って来る時間はいつも不規則だった。日によっては姿を現さない時もある。
だが、優樹菜には今日は絶対に学校に来るはず、という確証があった。
勇人の父・亮助が事情を知って、家に勇人を一人にしていくはずがない。学校という、人が密集する場所にいた方が身の安全は保たれるはずだ。
時刻は8時。登校時間は8時半までなので教室にはまだ人が少ない。
優樹菜は一人、携帯電話の画面をそれとなく眺めながら、内心では勇人に何を話す内容を整理することにした。
「中野さん」
名前を呼ばれて、優樹菜は顔を上げた。
見ると、湯川 斗真がこちらに向かって来ていた。
湯川斗真───クラスメイトだが、優樹菜は入学してから、一度も言葉を交わした覚えがなかった。
印象としては、真面目な性格で、この学校に数少ない優等生タイプの生徒というものがある。ただ、彼はクラスの中では大人しい方で、孤立しているわけではないが、女子に対しては、一歩引いて接している、そんな様子が目立った。
そんな湯川斗真が、中野優樹菜に声を掛けてきた。
優樹菜の席の前に立つと、斗真は「あの、さ……」と明らかに緊張している様子を見せた。
「どうしたの?」
優樹菜はスマートフォンを机に伏せて置き、斗真を見上げた。
濃い茶髪に、薄い茶の色をした瞳をしている。彼もまた、能力者だ。
「これ……」
おどおどと斗真が差し出したのは学級日誌だった。
緑色のフラットファイルの表紙に「1年1組 学級日誌」と黒い字が書かれているそれは、優樹菜にとっても見慣れたものだ。
毎日、日替わりで出席番号中によって決まる日直が、これに1日の出来事を記入する仕事を任される。
優樹菜は首を傾けた。
少し前に、優樹菜の番は回ってきたはずだが。
優樹菜の反応に斗真は「あっ」と声を上げ、
「ご、ごめん。中野さんじゃなくて……、あの……」
目を泳がせた。
優樹菜はその様子を見つめる。
「……矢橋、さ」
斗真は優樹菜の目に焦点を合わせたが、すぐに逸らしてしまった。
「まだ、来てない……よね?」
分かっていながら確認しているのが見え見えだ。斗真は自分の席を振り返った。
勇人の席は、その前にある。
今度は優樹菜が「あっ」と声を上げる番だった。
「もしかして、今日の日直って、矢橋くん?」
1年1組では、毎朝、その日の日直が職員室に日誌を取りに行くという決まりがあった。
もし、当日に日直の予定だった生徒が欠席だった場合は、出席番号が次の生徒がその日を担当し、本来担当するはずだった生徒は次の登校日に順番を遡って担当することになっている。
斗真は今日、勇人が学校に来ないと思い、代わりに日誌を取りに行ったのだろう。優樹菜はそう思った。
が、実際は少しだけ違った。
「あ、ええと……」
斗真は目を見開き、首を縦に振っているのか、横に振っているのか、ちょうど間のような動きを見せた。
「そうなんだけど……、俺、さっき津崎先生に呼ばれて、これ……渡されたんだよね」
津崎先生───津崎 実里教諭は優樹菜たちの担任だ。
「“矢橋くん今日来るか分からないから、そこのところ、中野さんに聞いてみて”って言われて……」
そこのところ───勇人は登校して来るのか、して来ないのか。
津崎実里は何かと矢橋勇人のことを中野優樹菜に任せたがるということは、優樹菜自身だけでなく、大抵のクラスメイトが密かに感じていることだろう。
クラスという集団の中でただ一人、誰とも関わろうとせず、誰も関わりたがらない異質な存在。その存在に、頻繁に話しかけ、行動を共にしようとする、たった一人の優等生。
2人はそれぞれ、クラスの中で浮いていた。
「たぶん、来ると思うんだけど……」
優樹菜はそう答えて斗真に申し訳ない気持ちを感じた。斗真は勇人に日誌を託すように頼まれているのだろう。
(それに……、書かないだろうから……)
口に出したわけではないが、斗真にはそれとなく伝わったようだ。
「あっ……」と声を上げると、
「もし……、あれだったら、俺が書きますって津崎先生には言ったから、大丈夫なんだけど」
言いながら、2回頷く。
自ら勇人の代わりに率先して日直を受け入れようというのが、何とも、湯川斗真らしかった。
だからこそ、優樹菜は黙っていられなくなった。
「良かったら、私が預かろうか?」
そう提案すると、斗真は「えっ、でも……」と優樹菜を気遣うような顔を見せた。
「矢橋くんが来たら、私が渡して書かせるから」
優樹菜は、重ねてそう言った。
こうして話している中で、斗真がクラスの問題児的存在に気楽に話しかけているイメージが優樹菜の中では全く湧かなかった。席が前後であろうと、親しくない、あまり良いイメージを持たないクラスメイトに話しかけるのには相当な勇気がいる。大人しい性格であればそれは尚更だということを優樹菜は知っていた。
「じゃ、じゃあ……」
斗真は最後まで緊張した様子を見せ、優樹菜に日誌をそっと差し出してきた。
「お願いしても、良い……?」
「うん」
優樹菜が笑いかけると、斗真は声に出さずにこくりと頷き、そそくさと自分の席に戻って行った。
優樹菜はその背を見送り、首を傾けた。
日誌を渡された時、斗真の両腕が震えていたように見えたことを思い返し、あれは見間違いだろうかと思ったのだ。
「ゆきー、おはよ」
ちょうど入れ替わりのように茜が優樹菜の机によって来た。
「おはよう」
気が付くと、教室には人が増え、賑やかさが一段と増していた。
「あれ?今日、ゆきが日直なの?」
茜は優樹菜の手元を見て不思議そうに声を上げた。
「あ、いや」
優樹菜は茜に顔を寄せるよう手招きし、小声で「矢橋くん」と告げた。
合わせて茜も「ああ」と声を抑え、
「だから湯川くんがゆきに渡してたのね」
と、納得した。
優樹菜の机に手を付き、茜は、湯川斗真が座る場所を振り返った。
優樹菜もその視線を追う。
「……矢橋くん、今日も来ないのかな」
不意に、茜がぽつりと言った。
それは優樹菜に言っているのではなく、独り言を呟いてように聞こえた。
優樹菜は半ば驚いて、茜の横顔を見つめる。
茜の瞳は───微かに、暗い色を写していた。
優樹菜が声を掛けようと身を乗り出した時、予鈴が鳴った。
登校時刻の終わりを告げる音だ。朝のホームルームの始まりを告げる音でもある。
津崎教諭が教室に入ってきたのを合図に、茜を含めた、それぞれの友人の席に集まっていた生徒たちは自らの席へと戻って行く。
優樹菜は茜が目を向けていた位置───空いたままの、勇人の席を見つめた。
抱いていた淡い期待は今日も、叶わないのかもしれない。
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