May Story15
犯人の正体が、明かされる───。
翼は美術室で、教卓の上に置いてあった、生徒たちの作品を見ていた。
最近まで取り組んでいた2年生の課題で、画用紙に自分がコピーした写真の景色を模写するというものだった。
それぞれ、手の込んだ作品を仕上げているようだったが、翼はそれを見るのではなく、画用紙の裏の、丁寧な字で書かれた文章を読んでいく。
それは凛子が生徒の作品に対し、コメントを記したもので、もう残り数枚というところで見覚えのあるものを見つけた。
『星を、色を塗らずに表現しているのが素晴らしいと思います。男の子の後姿が印象的です』
翼は手を止め、自分が描いた絵を見つめた。
凛子が書いた通り、工夫したのは星空を描くのに、星の部分は色を塗らずに残したくらいで、一つだけ流れ星と、それを見上げる少年の後姿以外、特に特徴の無い絵だと翼は思っていた。
しかし、これを提出した時、凛子は「すごく素敵」と笑った。
次の絵を捲る。
「……上村さん」
その裏に、「上村光」と書かれているのを見つけて、翼は呟いた。
クラスの違う光と作品が重なっているのは、偶然なのだろうか。それとも───。
「───あれ?萩原君?」
ドアの開く音の後に、聞き慣れた声がした。
「どうしたの?何か、用事?」
凛子は勝手に教室に入っていた翼を叱る事なく、穏やかなトーンで尋ねて来た。
翼は光の絵を置き、微笑んだ。
「はい。少し、作品、見させて貰ってました」
「ああ、これね。みんな上手でびっくりするよね。一生懸命にやってくれてる証拠」
凛子は近づいて来て、翼が見終えた作品たちに手を触れる。
この学校で一番生徒を大事にしていると感じられるのは凛子だと、翼は思っていた。
生徒がどんな作品を持ってきても決して否定せず、「ここが良いね」と、褒める。そう言われて不快な生徒はいない。男子生徒は、「才加先生は優しいから好き」と口々に言い、女子生徒は、凛子に度々、相談事を持ちかけては「相談して良かった」と言って返って来る。
完璧なまでに優しく、誰からも好かれる教師───才加凛子。
翼はその手元を見て、「先生は」と凛子を呼ぶ。
「これから、まだ仕事ですか?」
「ううん。もう帰るんだけど、ここの鍵、閉め忘れてることに気付いて、来たの」
「そうしたら、僕がいた、と」
「そうそう。用事って、この作品を見るためだったの?」
「───いえ。先生に、訊きたいことがあって。職員室にいなかったので、ここにいるのかなって来てみたら、鍵が開いてたから、中に入らせてもらってたんです」
「ああ、私、さっきまでコピー室にいたの。それまで、ここで作業してたんだけど、鍵閉めずにそのまま行っちゃってたみたい。───それで、何?聞きたいことって」
首を傾げる凛子に翼は笑顔を保ったまま、こう尋ねた。
「才加先生、僕に用事、ありますよね?」
「えっ?」
凛子が目を丸くする。
「用事……?……いや、あったかな?」
「忘れたんですか?自分から呼び出しておいて」
翼は制服のポケットから、一枚の紙を取り出した。
「放課後会えなかったら、この後、港で会う予定だったんですけどね。会えて、良かったです」
凛子は翼が手に掲げた文章を見て、戸惑いの表情を浮かべた。
「何……?これ……。˝他の女に浮気ですか?あなたを信じていたのに。私を長いこと待たせて、その上裏切る、どうしてそんなことができるのですか?満月の日、答えを訊きますが、私が何もしないで待っているとは思わないでください˝……って、どういうこと?」
「僕も、最初に読んだ時、同じように思いましたよ」
翼を見つめ、凛子は眉を寄せた。
「……萩原君は、これを、私が書いたって思ってるの?」
「はい。思ってます」
翼は頷いた。
「どうして?どこで見つけたの?それ」
「見つけたというより、運ばれてきたっていう方が正しいですね。───あなたが書いたと思った理由は」
翼は紙を下げ、凛子を見つめて言った。
「あなたが、水野道正、そして佐藤学の雇い主だと思ったからです」
「何……、言ってるの?」
呆然とする凛子を、翼はわざと煽るような言葉を返した。
「誤魔化すんですか?意外ですね。てっきり、この後、港で会った時、打ち明けられるんだろうなと思ってたんですけど、違いました?」
凛子は、反応を見せなかった。
「まあ、言い難いんだったら、何で気付いたのか教えますよ。まず……」
「……いつから気付いてたの?」
低い声が翼の言葉を遮った。
見ると、凛子の顔には先程までの優しさが消えていた。生徒たちに向けるものとは真逆の表情。ごまかしはやめることにしたらしい。
「つい、最近です」
翼は凛子の睨みに動じず、言った。
「まず、僕は最初から、中学の関係者が雇い主何じゃないかって疑っていました。上村光さん───知ってますよね?あなたが佐藤に襲うように依頼した、2年生の生徒です。佐藤は上村さんを襲った時、この中学の名前を口にしていた───そこから、依頼主は緑ヶ丘中に関係している人物で、そこから上村さんを知っている、もしくは知ることができる人物だと考えたんです。だとしたら、生徒か、先生か───生徒だという線は、あまり考えませんでした。僕が言えた立場じゃないですけど、中学生が殺し屋と繋がるというのは中々ないことだろうと思ったんです。なので、先生に的を絞って、授業中に僕の様子を気にしていないか───とか、その程度ですけど、様子を観察してみました。だけど、特に証拠となるようなものは得られなかった。僕が、依頼主があなたであると思った理由は、野鳥館で会ったあの日にあります」
翼は、あの日の、あの光景を頭に思い浮かべながら、言った。
「僕はあの日、あなたが言った通り、働いているスタッフさんに用事がありました。この紙はカラスが咥えて僕めがけて落ちて来た──それは˝鳥を操る能力者˝によるものだと思って、それに該当した、蜷川汐里さんに会いに行ったんです。蜷川さんにそうするように言ったのは、あなたですよね?」
翼はあの日の、蜷川汐里の言葉を思い出した。
「蜷川さんに、˝最近、鳥を操るように頼まれたことは無いか˝と訊きました。そうしたら、蜷川さんはこう答えたんです」
『そういえば……最近、中学校の先生が訪ねてきて、˝私が連絡した時間に、カラスにこの紙を咥えさせて指定の場所に飛ばしてくれませんか?˝って訊かれたわ。生徒を集めて、サプライズ演出をしたいからって』
「中学の生徒があの場所に集められることはありえないんですよ。あそこは立ち入り禁止エリアですから。それで、その蜷川さんに会いに来た人物が、ただの中学教師では無く、雇い主だと思った僕は、何か特徴が無かったか、汐里さんに尋ねてみました。汐里さんは、"爪に絵の具が付いていたから、美術の先生なんじゃないかと思った"と言いました」
翼はそう言って、凛子の右手首を掴んだ。
「蜷川さんは車椅子に乗っているので、目線があなたの手元に行ったんでしょうね。だから、あなたの爪に絵の具が付いていることに気が付いた」
凛子の着ていたシャツが捲れ、手首を覆う包帯が露になった。
「その傷、僕と上村さんを襲った時に負ったものですよね?あの時、あなたは屈んだ状態で逃げていた───それは傷を庇うためだった」
凛子が翼の手を乱暴に振りほどく。
「爪に絵の具が付いていたと聞いたことによって、雇い主は、美術の先生である、あなただという考えが深くなりました。帰ってから、靴底を念のため確認してみたらGPSのシリアルが張り付いていて、あなたが、僕が気付かない内に貼り付けたんじゃないって思いましたよ。それが学校の下駄箱に置いてあった時なのか、それとも、あの日、野鳥館で会った時なのかまでは、分かりませんでしが」
翼の言葉に凛子が舌打ちをする。
「あなたはそれで僕の位置情報を確認していたんですよね?それにより、蜷川さんにカラスを向かわせる場所を特定したり、僕と上村さんのことを追って襲ったり、僕が野鳥館に向かうことを知ったり、そして───立ち入り禁止エリアに入る時間を予測し、水野の死体を佐藤に置かせたりしていた」
「……ええ。そうよ」
凛子がそこで初めて頷いた。
「一週間前に、下駄箱に置いてあった、あんたの靴に、GPSのシリアルを張り付けたわ」
「やっぱり。そういうことだろうと思ってました」
翼は、頷いた。
「今、この教室に来たのは、筆跡を調べるためです。概ね、あなたへの疑いは強まっていましたが、港で会う前に、白黒つけてさせておきたかったんですよ。この、カラスが落とした紙に書かれた文字と、画用紙の裏に、あなたが書いた文章の筆跡は見るからに同じだったので、決まりだと思っていたところに、あなたが来ました」
翼が言葉を止めると、凛子は大きく、溜息を吐いた。
「……がっかりだわ。計画が台無し」
「計画、とは?何ですか?」
翼は尋ねた後、凛子の答を待たずに、こう言った。
「あなたは、僕を狙っていたわけでは、無いですよね?」
「……何で?何故、そう思うの?」
凛子は翼を警戒するような目をしながら、試すような問いを投げかけて来た。
「監視カメラの映像と、佐藤の証言からです」
翼は凛子を真っすぐに見つめた。
「上村さんが襲われた前日の映像で水野がカメラに向かって紙を掲げていました。そこには僕に当てたメッセージが書かれていた───今日、港で会う約束の文章、でしたね。ですが、それは、それまでの間に僕を殺す予定があったとしたら、意味の無いメッセージになりますよね。それに、佐藤は僕を狙うように指示されていない、女の子を指定した場所で襲えと言われた───と言っていました。僕は最初、上村さんのことを"萩原翼"という名前の女の子だと、何かの手違いで佐藤が勘違いしたことによって上村さんは襲われたのだと思っていましたが、佐藤は全て、あなたの指示で動いていた。名前と特徴だけを聞いて、独自に調べることを佐藤が行っていたとしたら、勘違いは起きますが、襲う時間も、場所も、あなたが指定していたのなら、勘違いは起こらないはずです」
翼は「つまり」と続けた。
「あなたは意図的に佐藤に上村さんを襲わせた。僕の名前を言わせたのは、佐藤が上村さんを殺すことができなかった場合、僕に辿り着けるようにしたかったため───違いますか?」
問いかけると、凛子が吹き出すように笑った。
「流石。優秀ね。……殺し屋専門の情報屋さんは」
凛子は長い髪をかき上げた。
「その通りよ。直すところが無いわ、100点満点」
狂気じみた笑みを浮かべ、凛子は言った。
「私は、情報屋である、あんただけが狙いだった。上村光は、ただ、利用しようと思っただけよ。まあ、水野と佐藤と同じで、˝演出˝として使ったに過ぎないわ。ここからは自分の口で話すわね。全部、あんたに話されるの気に入らないから。この計画を思いついた時は、誰も殺すつもりは無かったわ。この計画の目的は、あんた───萩原翼にプレッシャーをかけることだった。最初、私は水野と繋がって、水野にあんたを襲わせようかと考えていたの。けどね、あんたのことを詳しく調べる内に、あんたが˝ASSASSIN˝のメンバーだって知って、驚いたわ。だったら、ただの犯罪者相手にひるまないだろうと思って、作戦変更を計った。そこで辿り着いたのが殺し屋の佐藤───なんだけど、あいつ、殺し以外の仕事は受けないって言うから、あんたに死なれちゃ困るからって、上村光を利用しようと思ったの。あんたと同じ能力者で、同じ中学に通ってる、それだけ共通点があれば十分だった。同学年の生徒が殺し屋に殺された何て知ったら、あんたの大きな心の負担になるでしょ。上村光はバレー部で携帯を更衣室に持ち込んでるのを知って、部活の最中に更衣室に忍び込んで、携帯の位置情報とメールアドレスを盗んだわ」
翼は、凛子の目を見つめながら、「あのメールは」と、口を開いた。
「上村さんに届いたメールは、僕に当てたものですよね?」
翼は口を開いた。
「ええ、そうよ。それは後から説明するわ。佐藤に上村光を条件付きで依頼して、一発で仕留められなければ、逃げろと言った」
それは佐藤の証言と一致していたが、翼はそれを口に出すことはしなかった。
「今回はその結果になったけど、確実にあんたに近づけるから好都合だと思ったわ。もし、佐藤が成功していた場合、同じ中学の生徒が殺し屋に殺されたっていう情報があんたに確実に届くかどうか、届いたとしても、あんたが同じようにカメラをチェックしたりするかは不確実なところがあったからね。上村光は私の期待通りの動きをしてくれた。あんたにすぐに繋がってくれたからね。───メールはそう、あんたに向けたもの。でも、内容はどうでも良かったの。メールと水野は上村光に˝数日前から誰かに狙われてる˝っていう印象操作をさせるために使ったわ。そうすることで、また同じことが起きるんじゃないかっていう恐怖心から、あんたに会いに行くのが早まるんじゃないかと思ってね。要は、上村光をあんたにとっての人質にしたかったのよ。自分が早く解決しないと危ない目に遭う人がいるっていう気持ちにさせるようにね。カラスの件や、私があんたちを襲ったこと、それから、水野を佐藤に殺させたこと、その死体を衝撃的なものにして、あんたたちに発見させること───全てはあんたの心に負担を植え付けるためだった」
そう言った後、凛子は「野鳥館に行ったのは、今日、港で真実を話す時の説明材料にするためだったけど、必要無かったわね」と何気ない口調で付け足した。
翼は暫し、口をつぐんだ後、口調を意図的に穏やかなものに戻した。
「そういうことだろうと薄々思ってましたよ。あなたが情報屋なんじゃないかって」
凛子はそこで女性らしく「あら」と声を上げた。
「それは何?勘?」
「も、ありますけど、僕を殺し屋専門の情報屋だったことを知っていた時点から、雇い主が同じ情報屋なんじゃないかって思っていたんです」
凛子は「なるほどね」と満足げに頷いた。
「そうよ。私は犯罪者に情報を売ることを専門にしている情報屋」
(だから、水野と佐藤に簡単に繋がれたのか)
翼は内心、そう思いつつ、「それで」と話を続ける。
「佐藤が掲げていた、メッセージの意味です。あなたは、僕に˝あなたの全てを捧げてください˝と書きましたよね?あれはどういう意味なのかの───それって、僕が持っている、ある重大な情報のこと何じゃないかって」
凛子の反応を伺いながら、翼は言った。
「犯罪者に情報を売る、あなたが欲しくてたまらないような情報のことなんじゃないかって」
すると、凛子は笑みを浮かべ、「話が速いじゃない」と答えた。
「その情報をあんたに訊き出す───今回の計画の最終目標はそれよ。そのために、私はあんたを追い詰めるための方法を行ってきたの」
凛子が一歩、翼に近づく。
「素直に答えれば、悪いようにしないわ。私はこの学校から出て行くし、あんたに関わらないようにすると約束する。あんたの方も私に手出しはできないでしょう?殺し屋しか捕まえられないんだったら。答えなければ───悪夢のような日々を迎えることになるわよ」
冷酷さを帯びた、凛子の言葉。
翼はそれを流すために、
「一応、質問してもらっても良いですか?お互い、誤解を生まないためにも」
と、提案した。
「そうね。たしかに、そうだわ」
凛子はその提案に乗った。自分に言い聞かせるように、二度、頷くと、
「じゃあ、訊くわ。殺し屋専門の情報屋さん。───˝死神˝の正体は、誰?」
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