May story9
”ASSASSIN”の依頼の仕組み。葵と優樹菜の母・登場。
夕方。家に帰るついでにと、蒼太は優樹菜、葵と共に警察署を訪れた。
蒼太が北山警察署に入るのは、今日が初めてのことだった。
普段、“ASSASSIN”の活動の間、警察側と連絡を取り合うことはあっても、こうして実際に来ることは滅多にないと、優樹菜は言った。
その機会がこうして訪れることになったのは、「蒼太に“依頼”の仕組みを見せたい」という、葵の言葉だった。
その言葉通り、蒼太は未だ、警察側どうやって殺し屋を追い、動きを予測することができているのか全く知らずにいた。
優樹菜が受付担当に、短く、何かを話しかける様子を蒼太は見つめた。
カウンターの警察官は快く、という様子で優樹菜に頷き、葵が「行こ」と、蒼太を促す。
3人は案内されることなく、左側の通路を進んだ。
一番奥にあったドアの前で、先頭の優樹菜が立ち止まった。
ノックすることなく、優樹菜はドアを開けた。
「お母さーん、来たよー」
葵が明るい声を出す。
こちらに背を向け、回転椅子に座っていた女性が、振り返った。
「歩いてきたの?」
女性は近づいて行った、葵の腕に手を触れる。
「そうだよ。歩いた方が、話す時間できて楽しいから」
葵は瞬間移動を用いなかった理由を答えた。
「ごめん、仕事中に」
優樹菜が女性に短く声をかける。
「良いよ。緊急なんでしょ」
女性はそう、何気ない口調で言って、視線を動かした。
「あっ」と声を上げた女性に、蒼太は「あ……」と、頭をぺこりと下げた。
「こ……こんにちは……」
「こんにちは」
女性は微笑んだ。その笑みは優樹菜と葵、どちらにも似ていた。
この女性が誰なのか、蒼太は事前に聞かされていた。
中野舞香───優樹菜と葵、2人の母親だ。
「おじさんは?どこ行ったの?」
葵は母に向かって首を傾げる。
「今日は休み」
舞香はそう言って、もう一つの机を振り返った。
蒼太はその視線を追い、綺麗に片付けられている、机上を目にした。
「さーて、見てあげる」
不意に、舞香は長い茶髪を束ね始めた。
空いた片手で机の引き出しからメモ帳を取り出し、膝の上にのせて開く───手慣れた手つきだと、蒼
太は感じた。
「佐藤学───だって」
優樹菜が言った。
光を襲った、殺し屋の名だ。
「“まなぶ”って、これ?」
舞香は目を上げ、メモ用紙を優樹菜に向ける。その瞬間に、蒼太の目に、「佐藤学」という綺麗な文字が見えた。
優樹菜が「うん」と頷く。
「オッケー。───じゃあ、見るね」
舞香はメモを手にしたまま、目を閉じた。
そうして、開いた時、舞香の茶褐色の目からは、同じ色の光が漏れだしていた。
舞香の視線は「佐藤学」にある。
「───んー、見つからないなあ」
数秒後、舞香は腕を組んで、そう言った。
その目はもう、光っていない。
優樹菜と葵が顔を見合わせるのを、蒼太は見た。
「おかしいね。データには、ヒットしたんだもんね」
舞香は手をポニーテールに結わえた毛先に触れた。
「名前が変わったとか?殺し屋になる前と、なった後で」
優樹菜が問いかける。
「そうかもね。その可能性は、あると思う」
2人のやり取りについていけない蒼太に、葵が気付いた。
「お母さんね、名前を見たら、その人の未来が分かるっていう能力持ってるの」
「って言っても、翌日の一日だけなんだけどね」
蒼太が見ると、舞香は自虐するように笑った。
「それに、生まれた時に付けられた名前にしか、使えないの」
「ということは……」と、蒼太は考える。
(“佐藤学”はそこに当てはまらない名前だから、未来も見えなかったってこと……?)
「これ───お母さんの能力が、“ASSASSIN”の依頼の仕組み」
葵が何処か自慢げに、にっこりとした。
「名前をランダムに選んで、順番に見ていけば、誰かしら、次の日に北山のどこかに現れる殺し屋は見つかるんだよね。もし、2人以上出てきた場合は、最初に見つかった1人を優先して、依頼をかける。残ったのは次の日以降の動きをしばらく見続けて、当たり次第依頼する───そんな感じ」
舞香が葵の言葉を継ぐ。
蒼太は「ああ……」と声を上げた。
(だから、“ASSASSIN”は当日に依頼が来て、急に動くっていうことがないんだ……)
いつも依頼の内容が、次の日以降に、この場所に殺し屋が現れる───というのなのに、納得が行った。
「佐藤学……、こいつ、お母さんたちの方で調べておくね。ヒットする名前が見つかり次第、連絡する」
舞香はメモに目を向けて言った。
「それとさ、お母さん」
優樹菜が前に出た。
「今回の依頼の中で、殺し屋じゃない、元犯罪者が関わってることが分かったの」
そこで優樹菜は水野道正についての説明を始めた。
舞香は耳を傾け続け、優樹菜の言葉が終わると、
「分かった。担当者に伝えて置く」
と、母の顔から刑事の顔になったのを、蒼太は見た。
※
(頭痛い……。疲れかな……?)
午後9時。蒼太は部屋から居間へと向かった
(久しぶりに遠くに出掛けたから……?)
そうだとするならば、納得は行くが、自分の体力の無さを同時に痛感することになる。
台所に父の後ろ姿があった。
「お父さん」
蒼太が呼びかけると食器をしまってした父が振り返る。
「頭の薬、ある?」
「おお、あるぞ。どうした?頭、痛いのか?」
「……ちょっと」
蒼太はじわりじわりと中心から広がって行く頭痛を感じながら言った。
「今、出すな」
「うん……、ありがとう」
蒼太は父に答え、ダイニングテーブルに座った。椅子に腰を下ろす瞬間に、頭が激しく痛んだ。
(薬飲んだら、治りそう、だけど……、明日まで続いたらやだな……。今日、早く寝よう)
夜、寝る前に絵を描く予定は無くなってしまいそうだった。
(でも、そんなこと言ってられないくらい、明日は大事な日だから……)
明日───5月4日は母の命日だった。
蒼太は父と共に墓参りに行く予定があり、それを無しにするのは考えられない。
父が持ってきてくれた薬を飲むと、蒼太はテレビを付け、テーブルに腕を伸ばし、その上に頭を乗せる。
左目だけをテレビの画面に向けると、ニュース番組が流れていた。
他県で起きた殺人事件の犯人が捕まったという情報が速報で流れているところだった。
(たしか……、女子高校生の遺体が川に浮かんでるのが発見されたんだっけ……)
蒼太は連日放送されていた事件の内容を思い出す。
アナウンサーの声から女子高生を殺害したのは元交際相手の男で男女間のトラブルが原因と見て、捜査が進められていることが伝えられた。
(こうやって伝えられてるってことは、殺し屋がやったわけじゃない、けど……、今だってどこかで殺し屋は動いてるのかもしれない……)
殺しをした証拠を隠して人を殺す───それが殺し屋の仕事だ。
(それで、その殺し屋を捕まえて、今までどれだけの殺しをしてきたのかを訊き出すのがぼくたちの仕事……)
蒼太は殺し屋に事情聴取を行う時に、殺し屋は自分と同じ人間で、嘘を吐くことや黙秘することだってあることを知っていた。
(先輩、今、その殺し屋に狙われてる可能性があるのに、焦ったり、怖がったりしてる様子が無い……。ぼくだったら、怖くて何も手に付かなくなりそう……)
殺し屋が怖い───蒼太の意識は˝ASSASSIN˝に入ったからといって変化するわけでは無かった。
いつだって取り調べで殺し屋と会うのは、直接目を合わせることができないくらい、緊張する。
そんな存在に狙われることを想像するだけで具合が悪くなりそうだった。
(実際、今、悪いんだけど……)
蒼太はこめかみを抑えた。
「もうすぐ、薬、効いてくると思うけど、今日は早めに寝た方が良いんじゃないか?」
父が蒼太の向かいに座りながら、蒼太の様子を心配する。
「うん……。そうする」
蒼太は頷き、水が入ったコップを片付けるために立ち上がった。
その時、父が座る椅子の横のスペースが目に入った。
(あれ……?……このテーブルの椅子の数って……、3つだけだっけ……?)
蒼太が座っていた一脚と、その横の一脚、蒼太の向かいの父が座る一脚───父の横に、椅子は置かれていない。
(普通、このサイズだったら、4脚付きそうなのに……それに、これ、ぼくが小さい時からあるから、4人家族だった時からある、はずだよね……?)
今まで気にしたことが無かった。当たり前のように、4脚あると思っていた。
(あるはずのものが……、無い……)
蒼太は胸騒ぎを覚えた。
その感覚は、˝兄弟はいない˝と疑うことも無く思っていたはずが、勇人のことを思い出した、あの衝撃
に似ているものだった。
「どうした?」
父が蒼太を見上げる。
蒼太は「あっ……」と父を見た。
「……なん、でもない……」
蒼太は、父に背を向ける。
シンクにコップを置き、父に気付かれないように深く息を吐いた。
そうして蒼太は居間のドアの前に立ち、
「じゃあ……、寝るね。おやすみ」
と、父に言った。
「おやすみ」
いつもより、穏やかな声で父が答える。
蒼太は部屋に入ると、電気を消し、布団の中に潜り込んだ。
枕に頭を付けると、今日の疲れが伸し掛かってきたように頭が重くなった。
長く、息を吐き、蒼太は目を閉じる。
(後……、4日……。今日は描けなかった……)
蒼太は未完成の絵のことを思い出し、不安な気持ちになった。
(完成って、どこまで満足したら言えるんだろう……?今までは、自分で描いて、自分で見るだけだったから、いい加減にしてた部分あるけど……、今回はそうできない、絶対)
4日後───訪れるのは緊張の数分間で、蒼太は、そのために海の絵を完璧に仕上げなければならない。
(でも、形に残るものだから……。ぼくの手元じゃないけど、残してくれるはずだから……)
ぐるりと寝返りを打って、天井を見つめる。
蒼太は部屋が丸きり暗いと寝付けないため、いつも豆電球を点けて寝るようにしていた。淡いオレンジ色が頭上を染めている。
蒼太は眠りにつくまでの間、こうして目を開けたまま考え事をすることが習慣のようにあった。
この時、頭を過ったのは不自然な、あの光景だ。
(……何で……?)
一脚足りないのだろうか。
(……お母さんが亡くなってから、お母さんが座ってたのを片付けた……?……お父さんがそんなこと、する……?)
そんな悲しいこと───するわけがない。
(だとしたら……)
だとしたら───だとしたら。
様々な可能性が蒼太の頭の中に浮かび、脳に響く鈍い振動が、それらを深く考がえることを、次々に遮断していった。
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